2024年1月8日月曜日

メコン川流域

私は小さいころ、川のほとりで育ちました。
あまり大きくない川でしたが汐入り川で、海の干満に合わせて流れが西から東へ、東から西へと変わる川で、四手網で魚を捕る人もいたし、岸ではシジミがとれた、川船もつないであった、七夕の後はみんなが大きな竹をかついで流しに来た、そんな川でした。

そんな経験からか川が大好きですが、一番好きな川はと問われれば、迷わずメコン川と答えてしまいます。1980年代、国境が厳しく封鎖されたメコン川の向こうに静まり返っていたラオスを見たときは心が震えました。闇に紛れて川を渡ろうとして、サーチライトで見つけられ、撃たれて命を落とした人もいたころのことです。国境の封鎖が解かれてのち、ラオスからメコン川を見たときも、感慨深いものがありました。
タイから渡し船でメコン川を渡ったこと、ラオスのパクセからひたすら車を走らせてコーンの滝を見たこと、そしてカンボジアではメコン川のすぐ近くに住み、本流や支流を行き来し、メコン川が日々の生活の中に、どっぷりと入り込んでいました。
メコン川には、その支流も含めていろいろな思い出が詰まっています。

プノンペンに住んでいたころ、川イルカのいるクラチエに遊びに行ったことがありました。
船で4時間ほどだったでしょうか。


スピードボートは雨季で増水したメコン川をひたすら北上します。
船には、プノンペンで注文していたのか、セメントづくりのお坊さまが積み込まれていて、途中の船着き場で降ろされました。


お坊さまは1体ずつ担がれて下船です。


托鉢姿のお坊さまは重いに違いないのに、肩に布も当てず、軽々と担がれています。


この船でお坊さまが到着することをみんな知っていたのか、お供え物や花を持った人もいて、船着き場は賑わっていました。


お坊さまはお寺か村の辻に安置されて、これから安置を祝うお祭りが始まるのでしょう。


船はさらに北へと走ります。


岸には、ときおり農家や、


漁師の家が見えます。


この日は、増水していたからか、クラチエではメコンカワイルカが飛び上がる姿は、見ることができませんした。


こんな看板が立っていますが、当時、川イルカを見に来るものずきな人など見たこともありませんでした。今はどうでしょう?


ところで、乾季には川べりが侵食されているのが見えます。
この流れ出た土がメコンデルタに肥沃な土地と収穫をもたらしているし、溶けだしたミネラルが、たくさんの魚たちを養っているのです。





 

2 件のコメント:

  1. カンボジア在住の方に、トンレサップ湖はメコン川により呼吸していると聞いた事があります。

    私事ながら、11月末に我が家の黒柴犬が調子を崩して1週間余りで逝ってしまいました。脾臓のがんと診断された翌日に。居ないことを忘れたくて、大掃除などで身体を動かし続けていましたので、1ヶ月以上も「八郷の日々」を開けずでした。

    作り手の見える「もの」コレクション、猫のバケツ風呂、懐かしのアンコールワット、センスあふれる手作り暖簾、「わたし」に昇格したたけちゃん、畳職人の障子貼り、郵便配達員が使えない呼び鈴、北斎の絵手本を思い起こさせる画帖、愛情の込もった諸君への呼びかけ、92歳のスキーヤー、そしてタマの帰還(本当に良かった)などなど八郷の日々は相変わらずなんと豊かなのでしょう!

    一気に読むには勿体無く、日々のページを味わうペースに戻りますので今年も宜しくお願い致します。

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  2. reiさん
    何かあったのかな、と思ったりしていました。
    なんと申し上げてよいやら、犬や猫は豊かな日々をくれて、そして黙って静かに逝ってしまうので、寂しさは身に沁みますね。
    私も道端で毒を口にするという事故死であっというまに死んだ、小春の死からは1年も立ち直れませんでした。それでも10年ほど経ってから、歩いては無理だけど車でならその道も通れるようになって、月日が癒してくれるんだなと思っています。

    写真を見返したこともあって、このところ何となくカンボジア色に染まっています(笑)。
    よろしくお付き合いください。

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