2024年7月15日月曜日

セワ

小さいころ北海道で育ったふぢこさんから、網走のお土産のセワをいただきました。お連れ合いが網走を訪問されたのだそうです。


北方民族のウイルタの偶像セワやセワポロロが、お守りとして脚光を浴びたのは最近のことと認識していたのですが、ふぢこさんが子どものころから、セワやセワポロロは、網走周辺では知られた存在だったそうです。
柳の枝を削りかけにしてあります。


網走で、大沢朔峰さんが、「大沢民芸店」を開いたのは、北海道観光ブームが到来した1964年(昭和39年)のことでした。木彫のお土産品をつくっていた朔峰さんに、市井の考古学者として、オホーツク文化のモヨロ貝塚を発見した米村貴男衛さんから、「北方民族のウイルタの木偶をお手本に、網走らしいお土産品をつくってみないか」という提案がありました。
第二次世界大戦後、網走には樺太(サハリン)から引き揚げてきた人々が移り住んでいましたが、中にはウイルタやニブフなど、サハリン先住民族の人々もいました。のちに北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」(現在は閉館、資料の全てが、北海道立北方民族博物館に引き継がれた)を設立した、ウイルタのダーヒェンニェニ・ゲンダーヌさんもその中の一人、ゲンダーヌさんの養父であるゴルゴロさんも移住しており、ゴルゴロさんは祭祀用の、神や精霊など精神世界を表した、伝統的なウイルタの木偶(でく)をつくっていました。
ゴルゴロさん以後、木偶のつくり手が途絶えることを惜しんだ米村さんは、親しかった朔峰さんの腕を見込んで、木偶をつくってみないかと声をかけたのです。朔峰さんはウイルタの木偶をもとに、お土産品として、独自のセワ、セワポロロをつくり出しました。

写真はカイ、北海道のお土産からお借りしました

現在は朔峰さんの息子さんの朔洋さんが受け継いで、セワの制作を続けています。

生前の朔峰さんは、市の観光協会が主催する「オロチョンの火祭り」という、オホーツク文化やウイルタなどの北方民族をテーマにした夏の祭りでシャーマン役を務め、木偶づくり以外でも北の人々に心を寄せていました。

同上

写真は朔洋さんが受け継いだ、朔峰さんの小刀類です。
ウイルタの木偶をお手本として生み出されてから別の道を歩いてきた木偶の精霊たち。彼らはお土産として人から人の手へ渡され、お守りとして愛され、日本各地に散っていき、八郷にもやってきたというわけでした。

削りかけの分布には驚かされます。といっても世界全体にどう分布しているのかは、まったく知らないのですが、サラワクの先住民カヤンの村でお祭り用の削りかけをつくっているのを見たときは感動以外の何ものでもありませんでした。


『アイヌの暮らしの民具』(萱野茂文、清水武男写真、クレオ、2005年)に削りかけ(アイヌではイナウ)の写真が載っています。
上は、ヌササン、家の東側に祀るものです。


マラット、熊の頭。


心身を清めてから削ったというイナウ。


ノヤイモㇱ(ヨモギ神)。
ノヤイモㇱは天然痘などが流行ったときにつくられたもの、人形(ひとがた)につくられています。

ホイヌサバ(テンの頭の神)、雨乞いに用いられた

アイヌには、亀、アホウドリ、テン、狐などの頭蓋骨をイナウで包んだ神があり、それぞれ魚運の神、病気から守る神、雨乞いの神、狩猟運を占うときの神などとしてあがめられました。


我が家にいる、北海道の削りかけです。


夫婦人形は底に焼き印があり、「ヌカンノ作」と読めます。
ヌカンノさんは別名秋辺今吉さんです。


秋辺今吉さんは、平成19年(2006年)に85歳でアイヌ文化賞を受賞されています。
伝承者であったご両親からアイヌ
民族の有形・無形文化を受け継ぎ、カムイノミ・イナウ製作、チセ建設、丸木船製作、民具製作などに精力的に取り組み、地域指導者として活躍されました。


この美しいイナウも、もしかしたら、秋辺今吉さん作だったのでしょうか?

ふぢこさんご夫妻は、以前ブラジルに住んでいらしたことがあり、パラゴムの種の人形をいただいたこともありました。
ご夫妻のおかげで、私の人形棚はにぎやかさを増しました。

追記:

花とイナウ』(今石みぎわ。北原次郎太著、北海道大学アイヌ・先住民研究センター、2015年)という興味深いブックレットがネットで読めます。イラストもたくさん載っていますが、その中にカヤンの削りかけ、パングフットもありました!
今西みぎわさんは、『自然を編む知恵と技 箕』の編著者でもある方です。

 





 

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