2024年10月16日水曜日

カンボジアからの古い手紙

昨日、長く放っておいた、カンボジア滞在中に私が両親に書き送った手紙を読み返してみました。すっかり忘れていたこと、はっきり覚えていること、いろいろあっておもしろく読みました。


すっかり忘れていたのは、3階の私のアパートの部屋の入口の踊り場に暮らす母猫やしょっちゅう生まれる子猫たちと、結構濃密な時間を過ごしていたこと、記憶が飛んでいました。
両親あての手紙を何回かに分けてUPしてみたいと思います。

まずは、生活を彩る様々な行事から。

結婚式
1999年10月30日


我が家は下町にありますが、帰ってみたら、近所の路地に朝から用意していた結婚の披露宴が行われている最中でした。こちら結婚式は金持ちでも貧乏人でも1つに10人座れる丸テーブルが用意されます。そして、テーブル数で披露宴の盛大さを認識します。私より貧しいと思われる長屋暮らしの人なのに、テーブルは数えてみると15くらい、つまり150人の客のようでした。


仕出し屋が来て目の前のお寺に大鍋を並べて食事をつくっていて、


お揃いの衣装を着た楽隊もいて、テーブルが歩道を完全に占拠していて、大騒ぎでした。
N(仮名、私の働いていたNGO)のスタッフのキムスアが、自身の結婚披露宴は、
「披露宴に呼ばれるとかなりのご祝儀を用意しなくてはならないから、出費させると悪いから友だちにはあまり声を掛けなかった」
と言うので、テーブル数を訊くと、30テーブルだったそうです。

花嫁はどこでも超厚化粧

結婚式はなんと、ビデオ屋から写真屋までセットで、自分でつくらなくてもアルバム2冊分の結婚写真を撮ってくれます。しかし、10回くらいお色直しをして、その貸衣装だけで400ドル(役人の給料は20ドルくらい、Nのスタッフの給料は最高430ドルくらい、最低100ドルくらい)かかるというのだから、どこからお金を持ってくるのでしょうね? 

2000年3月22日
このところ結婚式シーズンで、しょっちゅう招待状をもらいます。最初は面白がって、最近ではつき合いで仕方なく行きますが、新郎新婦とその親など関係者は入り口に立ちっぱなし、客はばらばら来て、来た順に10人が1つのテーブルに座った順にコース料理の食事が運ばれて、食べ終わったらお祝いを渡して勝手に帰っていきます。挨拶も何もありません。


したがって、時間を決めて誘い合わせて行かなくては隣には見知らぬ人が座り、しかも音楽がガンガン鳴って隣の人と話もできません。ご祝儀も負担になりますが、仕方なく行っています。そんなとき、みんなはえらいめかし込んで来ますが、いったい誰が注目するというのでしょう?

Sは左から二人目

先日Nのスタッフのダヌッの結婚式がプノンペンから車で1時間くらい離れたこところであったときは、みんなで一緒に行きました。スタッフの女子Sは、行き、披露宴、帰りとドレスを3回も変えました。花嫁が着てもおかしくない、シンデレラのようなドレスです。

男性はラフな衣装、女性は山登りに不釣り合いなドレスのアンバランス

しかも、そのあと、近くにある有名な山だからということで、その山に登って帰ってきました。だいたい、結婚式に参列する衣装で、厚い化粧と高いヒールの靴で、階段を800段も登ったのですから、クレイジーでした。


手紙には書いていませんでしたが、ヒールの靴なんて履いていられない。その日は、登山も下山も裸足でした。




2 件のコメント:

  1. 楽隊もいるなんて、とても豪華な結婚式ですね。超厚化粧に笑っちゃいました。ドレスで山登りも、場違い感満載ですね(笑)。でも「行きたい」を諦めない気持ちが清々しいかも~。

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  2. hiyocoさん
    歌舞伎なら遠目だけれど、カンボジアの花嫁さんは不気味ですよね(笑)。しかも、家に遊びに行くと居間のテーブルの下に結婚アルバムが置いてあって、よく見せられて、感想の言いようがありませんでした(爆)。
    おかしいことにこの滝に来たら水に入るとか、ここではカニを買うとか、どこへ行ってもお約束事が多すぎて(笑)。アンコールワットに行ったときは池のほとりでみんなでタガメの揚げたのをフシャフシャと食べました。もっとも日本人もアンコールワットに行ったら必ず日の出を見るので、彼らばかり責められませんが。
    コンポントムなんて行こうと思えばいつだって行けるところだから私も、「なんで今日山に登るの?」と問い詰めたら、「ここにソントゥック山があるから」ですって。今ネットで調べたら、カンボジア人にとって神聖な土地であり、シアヌーク前国王が16歳の時に出家し、修行を積んだ地だそうでした。

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