外国にでも行かなければ、親と文通する機会などありませんが、私は幸い親と文通する機会に恵まれました。親は、若いころの手紙も取っておいてくれましたが、それはあまり読む気もしなくて、どこかに突っ込んだままになっています。
カンボジアからの手紙は、「週末にはできるだけ書くね」と書いておきながら、3年で31通、1月に1度ほど書いていたようです。
家探し、クメール語の勉強からはじまって、引き上げるときのことまであれこれ書いているものの、当たり前ですが日記ではないので書いているのは、思いついたことだけです。
今日は、手紙の中の雨のことを書いてみます。
雨
2000年10月11日
今年はメコン川の水位が限界水位より35センチも上がり、プノンペンの洪水が危ぶまれていましたが、予想通り、お盆(9月27~29日)を過ぎたので、水は速い勢いで引きつつあります。
川の岸にある階段で見ると、2週間前には最上段がちゃぷちゃぷと濡れていたものが、今では7段目くらいが水面から出ています。
このところ雨模様でずっと涼しくて、昨日早朝からの雨は、もう30時間以上降り続いています。
2001年6月15日
このところ訪問者も少ないし、普通の日も楽なのですが、やはり週末が来るとほっとします。今日も昨日も朝から晴れ上がって空も青かったのですが、お昼過ぎにはいつものように、ほとんど前触れなしににわか雨が降りました。
ここの雨はたった20メートルほどの距離を走っただけで、パンツまで絞れるほどのドカ雨です。というわけで、しとしと降っていると、カンボジア人は「これは雨とは言わない」などと言います。
2001年8月6日
今日は久しぶりにまとまった雨が降りました。いつもなら、20メートル歩くうちにずぶぬれになる雨ですが、今日のは1メートル歩くと川に飛び込んだようになるやつでした。おかげで、昼休みに家に帰っていたのですが(注、昼休みは2時間、みんな家に帰って昼食をとってから仕事に戻ります)家を出られず、小降りになるのを待ち、30分ほど遅れました。しかし、車(注、事務所から通勤のためだけに借りている10人乗りのバン。自動車修理技術学校で、実技演習のために何度も解体されては組み立てられた車)を使う私がもっとも遅く、オートバイのみんなは雨合羽を着て、ちゃんと時間に到着しておりました。路上はどこも水があふれていて、子どもたちはズボンのすそが濡れるのも構わず、わざわざ水の中を選んで歩いていました。
タイ人と働いているときは、彼らの時間のルーズさに悩まされてばかりいましたが、カンボジア人はみんな時間を厳守するので、とても気持ちよく働けます。隣の国と言いながら、気性も生活習慣も何もかも違うのに驚かされますが。
来週はストゥントゥレーンという、ラオスのすぐ南の県に、漁民など30人とともに3泊4日で行ってきます。
ストゥントゥレーン県 |
メコン川を320キロくらい、すべてボートでさかのぼります。プノンペンから途中のクラチエというところまでは、マレーシアのサラワクやサバを行き来しているスピードボートのお古の定期便で行きます。クラチエからは定期便がないので船をチャーターして行くことになります。スピードボートは雨の多いマレーシアから来た船なので屋根があるので安心です。
コンポンチュナン県 |
7月の終わりにはプノンペンの近くのコンポンチュナン県に行きましたが、訪問する村3ヵ村がすべて舟でしか行けなかったので(雨季で増水したため)、3日で合計14時間も、屋根のない小舟に座っておりました。走っていますから風はありますが、天気のいいときは、隠しきれない足の甲などがじりじりと痛いように焼け、雨が降れば降ったでビニールシートをかぶって、ひたすら小さくなっているしかなく、身体をずらすこともできず(1枚を前後に座った3人でかぶっているから、動くともっと濡れる)、おかげで尾てい骨を痛め、何日も座るのに苦しみました。
そんなとき、ふと、「私はなぜこんなところにいて、何をしているのだろう?」という、哲学的な疑問が湧きあがってきます。5年ほど前、タイ南部で小さな島に行き、夜遅くなって帰るときに雨が降り、漁民の集会に行く人たちとともに船の中でビニールシートをかぶり、真っ暗な海を明かりもつけずに1時間走ったことが、思い出されたりもしました。あのときも、「私は何をしているのかしら?」と思ったものでした。まぁ、ようするにいつも同じことをやっているわけですから、これが普通なのでしょう。
手紙は以上です。
さて、雨季に飛行機からカンボジアを見ると、「これで暮らしていけるの?」と思うほど水浸しですが、このメコン川の氾濫が遊水池をつくり、遊水池が豊富な種類の魚を育て、土壌を肥沃にし、カンボジアの人たちの暮らしを支えています。水かさが増すところに高床の家を建てた人も、わずかに残る冠水しないところに家を建てた人も、雨季には漁民になり、水が引くと農業と漁業の兼業となり、したたかに生きています。
コンポンチュナンに行ったとき、川岸にはどこにも川エビを獲る筌(うけ)と、竹筒のままのウナギの筌がうず高く積み上げられていました。水があふれている時ではなく、引いたときに獲るのだそうです。
ラッキーにもエビの筌はちゃっかりいただいてきましたが、ウナギの筌は走る舟から、よだれを垂らしながら見ただけ、手に入れることが出来ませんでした。
田舎行きは本当に楽しみでした。
カンボジア人って時間にきっちりしているんですね!信用できますね。
返信削除hiyocoさん
返信削除一緒に仕事はやりやすいです。何が違うのかしら?
前はフランスの植民地でしたから、外国語としてフランスを学んだはずなのに、ポルポトから解放されたらいち早くみんな英語を習って、しかもあっというまに上達して、こちらはクメール語で会話してもらいたいのに誰もかれも英語ばっかり。おかげでクメール語はちっとも上達しませんでした。
タイ人はこちらがタイ語を話すと知ったら、てこでもタイ語だけしか使いません(笑)。