2024年10月19日土曜日

カンボジアからの古い手紙(4)

タイにはタンブンという徳を積む行為があります。人にやさしくするとか、お坊さまに食事を差し出すとか、息子を僧門に入れるとか、タンブンにはいろいろあります。
カンボジアでは「ブン」ではなく「ボン」と言いますが、どちらも語源は同じ、インドのサンスクリットからの言葉で、日本の「盆」も同じ語源と思われます。
さて、私が両親に書いた古い手紙の抜粋です。

ボン

1999年11月20日
スタッフのキムスアから突然、
「ボンをやるから来ないか?」
と誘われました。キムスアの家には初めて行ったのですが、これがプノンペンの中かと思われる田舎風の地域で、バナナやヤシの木が生えていて、面白い感じでした。ボンは「徳を積む」とでも言ったものでしょうか、カンボジアではほとんどの行事をボンと言います。ボンを行うと来世の幸せを約束されるとかで、熱心な人はとても熱心です。キムスアのボンはオートバイで転んだことなどもあって夫婦で厄払い、疲れがたまったり悪い夢を見たりしたときもボンを行います。
坊さんは1人でしたが、盛大になると何人も呼びます。坊さんとバラモンのおじさん(祈禱師と言ったところか、白い服を身につけている)がセットになっていて、仏教とヒンドゥー教が兄弟なのがよくわかります。バラモンもお経を読みました。

1999年11月21日(日)
今日から3日間水祭りです。今年最後の大きな行事で、全国から稲刈り前の農民が王さまに会いに来て、川でボートレースを繰り広げます。
午前中はスタッフのナリンが、N(私の働いていたNGO)の農村事務所を敷地内に立てさせてもらったお寺のボンに行くというので、一緒に村に行ってきました。1年に1度の大縁日です。


このとき、顔を張り子でつくった男女の人形をかぶった人が、楽隊とともに、踊りながらお金集めをします。張り子の顔は大きなつばの帽子のような形をしたものの上に乗っていて、帽子のつばがかぶった人の頭の上になる感じで人形の肩になり、胸のところが透けていて、かぶった人はそこから外を見ます。木でつくった手を手に持って(したがって腕が長くなって)動かすユーモラスな人形ですが、子どもの目には怖くうつるようでした。


一人のおじさんが踊っていた場所から離れて歩きはじめたとき、遠巻きにしていた子どもたちの一群が逃げ始めました。おじさんが面白がって追う真似をすると、子どもたちは恐怖で後も見ずに逃げていき、大人たちは大笑いでした。おじさんはおしっこに行っただけだったのですが、子どもたちは今晩、きっとうなされることでしょう。

午後は、車両交通止めになっている我が家の前の路を歩いて川辺(メコン川とサップ川が混じるところ)まで行ってみました。広場にたくさんのメリーゴーランドが設営され、物売りはびっしりいて大変な騒ぎです。この3日間は、国中から人が出てきて、プノンペンがもっとも混雑する日です。なんでも50万人出てきたとか、川では40~50人で漕ぐ長いボートが次々とレースをしていますが、肩越しでよく見えないほど、川べりは人で埋まっています。ボートは、先頭に指揮する人がいて、前の方の人は座って、後ろ半分の人は立ったり膝立ちしたりして漕いでいます。みんなお揃いのTシャツに、下はチョンクバンという4ヤード(3.6メートル)の腰巻布を前でまとめて股下をくぐらせてズボンのようにしたものを履き、野球帽をかぶっていますが、貧しい村から来たのか、ドブネズミ色になった普段着に、頭に布を巻いただけの人が乗っている舟もありました。

今は夜です。しかし、家の前の人通りは絶えません。深夜まで灯篭流しが続くのですが、みんな遠くから見に来ているというのに、近い私は行くのが億劫だなあと思っています。
と言いつつ、花火も上がったことだし、ここで手紙を中断して川辺に行ってまいりました。週末の渋谷なみの混雑、しかもはぐれないように何人も手をつないでいて、地面には乞食が座り込んでいて、歩くのに苦労しました。みんな混雑時の歩き方に慣れてないようで、とにかく隙間をつくらないようにするので、とくに、交差点では相手が人なのに、なかなか横切れませんでした。
川には高さ10メートル以上ある大きくて平らな(あまり立体的ではない)イルミネーションをつけた中規模の船舶が視界に入るだけで7隻、ゆっくり行き来しておりました。イルミネーションはシンボルのような形で極彩色の電飾で埋め尽くされていて、ナーガという蛇神の舌がちょろちょろ動いたりしているものでした。
タイのようにいろいろな形の灯篭を紙でつくってロウソクを灯して川に流すのだとばかり思っていましたが、あてが外れました。さして風流ではありませんでした。







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