2011年5月8日日曜日

敦盛と直実


学生時代に、初めて東北旅行をしたとき、たまたま方向が同じだからと一緒に行くことになった、同級生のさっちゃんがいなかったら、私は、いまでも郷土玩具の存在も知らなかったかもしれません。 確か一年生のときでした。宮城や山形をまわって、秋田県の横手で中山人形を訪ねたときは、私もすっかり郷土玩具の虜になっていて、次は何に出逢うのか、わくわくしていました。


中山人形の三代目の樋渡義一さんは、とても素敵なつくり手さんでした。上品な人形たちは、細部まで丁寧に彩色されていて、いろいろな種類があり、どれもこれも欲しいものばかりでした。 もちろん、予算に限りがあるので、少しだけ選ぶのですが、それはそれでまた楽しい作業です。 その場で、姉様とか、花魁とかいただきましたが、つくり置きのなかった平敦盛(たいらのあつもり)と、敦盛の首を取った熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)の一対は注文して、あとで送っていただきました。


敦盛と直実とで、確か当時のアルバイト代の二日分、三日分くらいのお値段でした。 私は、旅の半ばで大きな出費をしてしまいましたが、とても嬉しかったのを覚えています。


絵本、『ぼうさまのき』は、渡し守が、ひどい嵐で水死して流されてきたざとうぼうさまを埋めてあげると、そこに大きな木が生えて、大きな花が咲いたり、花に 小さなざとうぼうさまが座って歌曲を奏でていたり、お正月前には、子どもの好きなおもちゃが木に生ったりするお話です。


木に生ったおもちゃの中には、蝉凧、猩々凧、天神さま、犬張子など、郷土玩具もたくさんあるのですが、その中に、敦盛もありました。


そして、子どもたちが木の下で叫ぶと、おもちゃは、それを欲しがる子どもたちの手の中へと落ちてきます。 まんなかあたりに、敦盛が落ちていくのも見えます。 思うに、私にとってさっちゃんは、おもちゃをもたらしてくれた、ぼうさまの木のような存在でした。この本にある、猩々凧や、蝉凧のほかに、丸いのが数十枚連なった連凧の百足凧まで持っていましたが、紙のものは長持ちしません。 とっくに傷んで、なくなってしまいました。




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