2011年7月13日水曜日
炭入れアイロン
テレビや映画の楽しみは、物語もさることながら、建物や風景、とりわけ小道具にあります。
といいつつ、最近、めっきりテレビを見なくなってしまいました。ビデオはないし、「あれを見よう」と決めていたものまで、たいてい見るのを忘れてしまいます。
なんとか忘れないで見ているのは、朝の連続テレビ小説くらいでしょうか。
その「おひさま」で、昨日丸山家に、これと同じ、煙突のついたアイロンが置いてあるのが、ちらっと写りました。
もちろん、飾りではなく、実用品という設定で置いてあったと思われます。
あらっ?
これは、昭和ではなく、大正時代のアイロンです。ドラマの時代設定の「今」は、たぶん昭和21年(1946年)です。
戦時中には、金属の供出があり、日本国中の家庭から金属が消えました。ヒロインの陽子も、思い出の自転車、お釜などを供出していました。
丸山家で、アイロンを供出して、代用品のアイロンを使っていたなら、陶製のアイロンが置いてあるはずです。また、戦後新しく買い求めることができたなら、もっと新しいアイロンが置いてあるはずです。
私の母は陽子と同じ年に生まれています。
祖父の下着にまでアイロンを当てていたという、几帳面だった母方の祖母は、母の知る限り、電気アイロンを使っていたそうです。
ちなみに日本では、1915年に芝浦製作所から電気アイロンが発売されています。
それはさておき、これは赤い持ち手の、小ぶりのアイロンです。
脇についている赤いつまみを後ろに引くと、前がぱかっと開きます。
炭を乗せるための、お太鼓型で小さな穴の開いた中敷きが、後ろ中央の決まった場所に置けるようになっています。
なぜ、炭を底の後ろの方に直接置かないようにするかといえば、後ろには空気の調節弁があり、
空気を取り入れたいときは、開くようにできているからです。
なんだか、ひよこが二羽いるような意匠です。
蓋には公益堂という文字と、富士山と桜の模様がついています。
しかし、戦時中に人々を苦しめた金属の供出があったというのに、なぜ、今に古いアイロンが残っているのでしょう?
集めたものの、それを溶かす燃料が不足していたのでしょうか?
揚げ足をとりながらも、古い道具も、ドラマの小道具も、両方楽しんでいます。
私の母方の実家にも数十本の刀が納屋にありました。
返信削除祖父は校長先生だったらしく、
地域のそういったものを集める係りだったと聞かされていました。
そのまま終戦だったのでしょうが、
返さなかった謎は迷宮入りです。
インドを旅した時に滞在した住宅地で、
「出張アイロン屋さん」が依頼者の窓の下で
静かに使っていました。
手回し鞴で炭をおこしながらで、
電気を使わない事の豊さを感じました。
鍛冶耕治さん
返信削除こんなもので武器ができるのかと思われるものまで持って行かれたそうですが、溶かす燃料だけでなく、再生できる人たちも徴兵されて、限られていたかもしれませんね。
私もタイに初めて行った30年前、誰もがアイロンのぱりっとかかったシャツを着ているのでびっくりしました。だって、貧しいシクロ(リキシャ)の運転手の洗いすぎて、背中がぼろぼろで穴が開いているシャツだって、あいろんがぱりっとかかっていました。
スラムにも、洗濯してくれる人がいました。もちろんアイロンがかけられて、美しくたたまれた衣類は、本当に豊かでした。
炭入れアイロン、素敵ですね。 私もこちらのアンティークマーケットで見かけて以来憧れているのですが、せっかくのアンティークに無粋なペンキで修繕(の、つもり?)されていて、今ひとつ持ち帰りたくなるものにまだ出会えていません。
返信削除sekineさん
返信削除ソロにもアンティークマーケットがあるのですか。楽しいですね。
念じていれば、きっとペンキを縫っていない、素敵なアイロンに出会えますよ。
彼らは、磁器などのキズはわからないように修復しようとするし、木にはペンキは塗ってしまうし、金属は磨き上げてしまいますが、いつか、働き者でない骨董屋さんが見つかります。
働き者でない骨董屋さん、見つかりますように。大体、働き者が少ないお国柄なのに、なんで余計な仕事をしてしまうのでしょうかね...。
返信削除sekineさん
返信削除ジャワのバティックや農業、バリの木彫り、島々の織物など、インでネシアの人々は働き者ですよ。
楽しく暮らすために働くのですが、働かなくても楽しく暮らせるなら、求める生活はすでに手に入っているのだから、働かない人もいるかも知れませんが(笑)。
骨董市行ってみたいです!!
すてきな籠やブリキの缶などが、あるんじゃないですか?