2011年10月23日日曜日

峰寺山西光院





八郷に、峰寺として親しまれている西光院があります。
山の中腹の急な傾斜地に、舞台を組んで建てられています。一度江戸時代に消失(1777年)して再建(1779年)されていますが、平安時代(807年)に開かれたお寺です。

西光院という名前からして、建設当時は、仏教の聖地インドの方向、八郷では筑波山の方向に開けていたと思われますが、樹齢600年のスダジイにすっぽり覆われて、西方向は、まったく視界がききませんでした。

ところが数年前、台風などでスダジイがお堂を損傷する恐れがあるので、大きく枝が切り落とされてしまいました。
最初はむき出しになった景色になかなかなじめませんでしたが、本来の姿ではあったのだなあと、やっとなじんできました。




この日は曇りでしたが、八郷盆地の一部が見晴るかせます。
稲を刈り取られた田んぼは、ひこばえで緑に見えています。



霞ヶ浦はうっすらと見えましたが、この日太平洋までは見えませんでした。



2 件のコメント:

  1. 先日砂浜で「不動堂落成記念」と書かれた小さな杯を拾ったので調べていたら地元の天台宗の寺のものでした。
    やはり平安時代からの古い寺で、しかも江戸時代に火事で焼失したとのこと。
    こちらのお話を読んで、江戸時代には火事がつきものかしらと思ってしまいました。

    スダジイは大株が自宅の門脇にあるため、以前、博物館で調べたら
    「材は比較的もろく、風にあおられて太い枝が落ちたりするため、人家の近くにある木はしばしば切り倒されてしまう」と展示があり、軽いショックを受けました。
    もろくても、生命力旺盛な樹木のようで
    思い切り枝を切られても、新しい梢がどんどん出てきて、
    また新たな景観をつくり上げていくのでしょうね。

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  2. hana-ikadaさん
    江戸の火事はよく聞きますが、田舎でも火事は多く、村が一軒も残さず焼けたことも、よくあったようです。そのため、生垣は風や家畜だけでなく、家事を防ぐためにもつくられたようでした。
    拾った杯って、江戸時代に再建されたときのものだったのでしょうか。おもしろいですね。

    スダジイは、大きく切られる前に、台風で枝が折れて、お堂にも少し落ちたようでした。お堂を覆った枝も太かったし、長く伸びていたし、足元は断崖絶壁ですから、切るのは大変な作業だったと思いますが、切って正解だったようです。
    というのも、このお堂まで行く道も、急斜面に土留めをしてつくった道で、下には竹やぶがありましたが、数年前の台風(大雨)で大きく崩れ、コンクリートで二段にして補修していました。そのため、今回の地震で、道の半分は亀裂が入って斜めになっていますが、道すべてが失われませんでした。

    大木の下で住んでいらっしゃるって、スダジイだったのですね。
    このあたり、クスノキは北限で、スダジイはわりと大木が残っています。古い大杉も残っていますが、こちらは雷にやられて、こてんぱんな姿です。

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