2012年9月10日月曜日

ジブリルのくるま

アフリカの絵本、見つけると何となく気になります。
その地域に住む人が絵も文もかいているのが一番ですが、アフリカから遠く離れた日本人がかいた絵本にも、なかなか楽しいものがあります。


『ジブリルのくるま』(市川里美作、BL出版株式会社)もそんな一冊です。


ジブリルは砂漠に住むトアレグの少年で、ラクダや山羊を放牧させる生活をしています。
ジブリルの楽しみは、空き缶やペットボトル、壊れたサンダルなどで、おもちゃの車をつくることですが、お父さんのはさみを無断で持ち出して、お父さんが仕事ができなくて困ったたことから、つくった車を捨てて来いと言われてしまいます。


捨てに行ったものの、捨てたものかどうか迷っていると、ラクダと山羊が定期市の立つオアシスの方に向かって勝手に歩いて行き、では売ってみようかなと、車を広げてみたというお話です。

途中で、ジブリルに市への道を聞いた一家は、親アフリカ派のヨーロッパ人でしょうか。 市で再会したとき、一家の男の子ダビットは、ジブリルの広げた車全部を欲しがりますが、両親は五個だけ選びなさいと言います。


五個でも大満足のダビットが売り場を離れても、両親がまだ熱心にのぞき込んでいる絵を見ると、両親もジブリルのつくった車に魅せられていて、でも他の子どもたちにも手に入れる機会を残してあげているんだろうかと、深読みすることもできます。


ジブリルのお父さんがいつも木を細工して、飾りのある美しいラクダの鞍をつくっているのも、とても興味深いものでした。

また、ジブリルが車を売って得たお金を家に持ち帰るのではなくて、お父さんにはお茶と砂糖を、お母さんと妹たちにはナツメヤシの実とオレンジを、動物たちには干し草を一束、そして最後に自分には、もうお父さんのを借りなくてもいいようにはさみを買うところは、本来物々交換の場である定期市の神髄を見るようで、どこもがこんな世界だったらよかったなぁとつくづく思わされました。


アフリカでも、アジアでも子どもたちのつくったおもちゃを見かけることがありました。どれも力作、思わずうなってしまうようなものもあり、写真を撮らせてもらおうと追いかけて怖がられ、必死で逃げられてしまったこともありました。


これは、プノンペンの路上生活者の子どもがつくった車です。

ガーナに住んでいたころ、北部の農村地帯を旅するときは、町にも村にもどこにも食堂などなかったので、いつも自炊道具持参でした。
旅のときだけ買い込む、便利なスパゲッティー缶がおもな食べ物で、市場で買ったトマトやタ マネギをケロシンのコンロで煮て食べることもありました。
食事を終えたら、土を掘って空き缶を埋めました。すると、人里離れたところで食事していたし、それまでどこにも人の気配を感じなかったというのに、物陰から子どもたちが走り寄ってきて、埋めたばかりの空き缶を掘り出して持って行くということが、よくありました。
水を飲むにも、おもちゃつくりにも空き缶が役立ったのでしょう。

住んでいたクマシの市場で、空き缶に山羊の皮を張ってつくった太鼓を売っていた少年に出会ったこともありました。
その太鼓は、残念ながら拭いても拭いても山羊の皮が黴て、泣く泣く捨ててしまいましたが。


アフリカ、インド、メキシコなどの、空き缶利用の楽器やおもちゃたちです。


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