我が家でマグカップほど忙しい食器はありません。朝から晩まで、出たり入ったり。
以前は、全部食器棚に収納していましたが、調理台のわきの壁に掛けられるようにしてから、使いたいときすぐ手に取れるようになりました。
もっとも、脚は歩くためにあるのですから、動線は長いほど健康にはよいのですが。
二十代の頃、コーヒーや紅茶の色が楽しめない、
内側が濃い色のカップを買ってしまった反省から、今ではいつも、内側は白か薄い色のカップを使っています。
中でもフィンランドのiittala Teemaのマグカップは、シンプルで、どんな気分の時でも、手に取って違和感がありません。
上の写真の、赤と白のミニチュアのカップもイッタラで、クリスマス・オーナメントにもなるものです。
ドイツの
カンネギーサーのマグカップは、十九世紀初頭から受け継がれてきた、スポンジで絵つけする手法でつくられたものです。
スポンジで絵つけする陶器は、ポーランドやイギリスにもあります。もともとポーランドでつくられていたものが、ポーランド国境に近いドイツ東部やイギリスに伝わったのでしょうか?
水玉がまん丸ではなく、ゆがんでいるところに、手づくりらしい暖かさを感じます。
砥部焼のカップです。
砥部焼は普段使いの器で、「名もない」職人たちのつくったものなのに値段が高いと、なかなか売れゆきが伸びないという話を、最近、愛媛出身の方から聞きました。
しかし、下の妹が砥部で七年間、職人として働きながら修行していたこともあって、砥部焼は母や私にとってはなじみの深い焼き物です。
このマグカップはその昔、日本橋の丸善にあったクラフトショップで買ったもので、和風に五客セットでした。大事にしていましたが、引っ越しの時一つ割れてしまいました。
その妹のつくったカップです。
妹は、独り立ちしてからも長い間食器をつくっていましたが、今は廃業してしまいました。私と違って、無駄なものは一切持たず、シンプルにシンプルに暮らす妹ですから、陶器・磁器の溢れている昨今、何も、自分がこれ以上つくって、地球にものを増やさなくてもいいというのが、廃業の理由だと思われます。
ヴェトナムの
バチャンのカップは、大好きなカップですが、持ち手が華奢なためか、持ち手の接続部分から壊れていきます。
以前は持ち手が取れたカップも、二種類混合して使う接着剤で接着して使っていました。しかし、接着したものは、知らず知らずのうちに劣化します。
ある日、客人の服に、音もなくすべり落ちたカップが熱いコーヒーをぶちまけてから、持ち手を接着することは、やめてしまいました。
イエルカ・ワインのマグカップは、持ちやすいし、形も大好きですが、やっぱり持ち手が取れやすいのが欠点です。
一セット(六客)+いただいたもの(二客)を使っていましたが、割れて少なくなったので、もう一セット補充したことがありました。しかし、それらも割れて、今は三客ほど残っているだけです。
磁器より、陶器の方が脆く、不格好なくらいしっかりと持ち手をつけておかないと、取れてしまうのかもしれません。
結婚祝いのお返しとしていただいた、確か益子在住の方がつくったカップです。
夫はこのカップでよくコーヒーを飲んでいますが、私にはちょっと大きすぎます。スープを飲むときに、手に取りたくなるカップです。
一つだけ買ったので、ほとんど忘れられているカップ。
笠間のエドさんのカップは、ちょっと小ぶり。
同じく笠間のグラハムさんのカップは、熱いものよりビールの方がよく似合います。
並べてみると大いに場所をとるマグカップたちですが、
薄い棚に、全部収まってしまいます。
棚は、台所の調理台の下に、食卓の方から開けられるようにつくったものです。
左からグラス類、お湯飲み類、カップ類と収納しています。