2012年11月30日金曜日

動く雲



絵に描いたような雲です。矢吹伸彦の絵でしょうか。
北の空の雲はどんどん動いています。


筑波山にかかる西の雲も動いています。


そして、東の雲も動いて、動いて、


刻々と形を変えていきます。


我が家の上の空の雲。
 

昨冬は表土を動かしたので、コブシの花芽がほとんどつきませんでしたが、今冬は大丈夫なようです。

雲は一時間ほどで消えてしまって、後には青空が広がりました。


2012年11月29日木曜日

マグカップ


我が家でマグカップほど忙しい食器はありません。朝から晩まで、出たり入ったり。
以前は、全部食器棚に収納していましたが、調理台のわきの壁に掛けられるようにしてから、使いたいときすぐ手に取れるようになりました。
もっとも、脚は歩くためにあるのですから、動線は長いほど健康にはよいのですが。


二十代の頃、コーヒーや紅茶の色が楽しめない、内側が濃い色のカップを買ってしまった反省から、今ではいつも、内側は白か薄い色のカップを使っています。

中でもフィンランドのiittala Teemaのマグカップは、シンプルで、どんな気分の時でも、手に取って違和感がありません。
上の写真の、赤と白のミニチュアのカップもイッタラで、クリスマス・オーナメントにもなるものです。


ドイツのカンネギーサーのマグカップは、十九世紀初頭から受け継がれてきた、スポンジで絵つけする手法でつくられたものです。
スポンジで絵つけする陶器は、ポーランドやイギリスにもあります。もともとポーランドでつくられていたものが、ポーランド国境に近いドイツ東部やイギリスに伝わったのでしょうか?
水玉がまん丸ではなく、ゆがんでいるところに、手づくりらしい暖かさを感じます。



砥部焼のカップです。
砥部焼は普段使いの器で、「名もない」職人たちのつくったものなのに値段が高いと、なかなか売れゆきが伸びないという話を、最近、愛媛出身の方から聞きました。
しかし、下の妹が砥部で七年間、職人として働きながら修行していたこともあって、砥部焼は母や私にとってはなじみの深い焼き物です。

このマグカップはその昔、日本橋の丸善にあったクラフトショップで買ったもので、和風に五客セットでした。大事にしていましたが、引っ越しの時一つ割れてしまいました。


その妹のつくったカップです。
妹は、独り立ちしてからも長い間食器をつくっていましたが、今は廃業してしまいました。私と違って、無駄なものは一切持たず、シンプルにシンプルに暮らす妹ですから、陶器・磁器の溢れている昨今、何も、自分がこれ以上つくって、地球にものを増やさなくてもいいというのが、廃業の理由だと思われます。


ヴェトナムのバチャンのカップは、大好きなカップですが、持ち手が華奢なためか、持ち手の接続部分から壊れていきます。
以前は持ち手が取れたカップも、二種類混合して使う接着剤で接着して使っていました。しかし、接着したものは、知らず知らずのうちに劣化します。
ある日、客人の服に、音もなくすべり落ちたカップが熱いコーヒーをぶちまけてから、持ち手を接着することは、やめてしまいました。


イエルカ・ワインのマグカップは、持ちやすいし、形も大好きですが、やっぱり持ち手が取れやすいのが欠点です。
一セット(六客)+いただいたもの(二客)を使っていましたが、割れて少なくなったので、もう一セット補充したことがありました。しかし、それらも割れて、今は三客ほど残っているだけです。

磁器より、陶器の方が脆く、不格好なくらいしっかりと持ち手をつけておかないと、取れてしまうのかもしれません。


結婚祝いのお返しとしていただいた、確か益子在住の方がつくったカップです。
夫はこのカップでよくコーヒーを飲んでいますが、私にはちょっと大きすぎます。スープを飲むときに、手に取りたくなるカップです。


一つだけ買ったので、ほとんど忘れられているカップ。


笠間のエドさんのカップは、ちょっと小ぶり。


同じく笠間のグラハムさんのカップは、熱いものよりビールの方がよく似合います。


並べてみると大いに場所をとるマグカップたちですが、


薄い棚に、全部収まってしまいます。
 

棚は、台所の調理台の下に、食卓の方から開けられるようにつくったものです。
左からグラス類、お湯飲み類、カップ類と収納しています。


2012年11月28日水曜日

冬は北から


我が家からは山一つ越したところにある犬猫のお医者さんの帰り、ふと両脇の田んぼを見てびっくり、すっかり枯れ色です。


ほんのちょっと北ですが、霜が何回も降りたのでしょう。


帰り道、途中の田んぼのひこばえには、もう少し緑が残っていました。


そして、我が家の近くの田んぼでは、さらに緑が残っています。
ついこの前まで、春のような緑だったのに。

冬が、北からやってきています。


2012年11月27日火曜日

馬印青色ゼンマイ缶


青い色と、赤い天馬に惹かれて、この缶を手に入れてから、ずいぶん時間が経ちました。


「馬印青色ゼンマイ」缶は、時計のゼンマイ入れです。
時計のゼンマイって、あの下に振り子のついた柱時計のことでしょうか?

祖母の家の柱時計は、祖母の箪笥と母の箪笥に挟まるようにして、柱に掛けてありました。確か、毎日ゼンマイを巻いていたような気がしますが、子どもには手の届かない高いところに掛けてあったので、触った記憶はありません。


缶には、このゼンマイの特徴が印刷してあります。
「本品ハ東洋ニアラザル新案化学的電気炉ニテ焼入レ焼戻シ特殊方法ニヨリ加工シタルモノ故ニムラナク切レズ強力共ニ特徴デアリマス」
ん?後ろの方、文法がおかしい!

「東洋ニアラザル化学的電気炉」でつくられたということは、少なくとも中身のゼンマイは外国製だったのでしょうか?

 
縫い糸を入れるのにちょうどいいのですが、裁縫道具や材料が分散しすぎているのに、これ以上箱を増やしてどうなりましょう?
いまでも裁縫箱が多すぎて、裁縫するたびに、
「ゴム紐はどこ?」
「レースはどこ?」
と、ばたばたしています。
しつけ糸なんて、とうとうどこかへ消えてしまって、さがしても出てきません。


というわけで、裁縫箱にはならず、鏨(たがね)入れに落ち着いています。
もっとも、彫金をやっているわけではあるまいし、鏨はほとんど使わないので、缶を活用しているとは言い難いのですが。


2012年11月26日月曜日

変形するしゃもじ


ストーブを焚くために、つけ木入れを開けると、以前がんこさんからまとめて買ったものの中にあった、竹のしゃもじが目につきました。

よく見ると平凡だけれど端正な姿、
「まだ使えるじゃない」
と、すんでのところで燃やされないで、復活してきました。


さて、普段使いのオノオレカンバのご飯しゃもじは、みじめに傷つき、変形しています。
斧も折れるほど堅い木も、夫の手にかかると台無しです。


先日、泊り客があったので、朝ホットプレートで目玉焼きをつくっていました。金属のへらを手にした夫、
「これじゃなくて、竹のへらがあっただろう。あれの方が使いやすいんだよな」
どうして?

竹のへらは厚みがあり、ちょっと使いにくいものですが、以前のホットプレートにはそれしか使えなかったので、いつも使っていました。
ところが、一、二年前に古いホットプレートが壊れて、新しいのを買ったら、金属のへらがついてきました。
そう乱暴にしなければ金属のへらが十分使えるほどフッ素加工が丈夫だということ、30年ぶりに買い換えたので、その間に加工技術が進化していたのでしょう。

しかし、まさか、夫が竹のへらを使いたがるとは思ってもみませんでした。
「わかった。思う存分がりがりしたいんでしょう?」
「うん」
勘弁してください。
そんなことをするから、しゃもじもへらもバターナイフも、みんな擦り減ってしまうのです。

ちなみに、客人たちにしゃもじが擦り減っているか、たずねてみました。
誰も減っていない。やはり、我が家固有の現象のようです。
「しゃもじは、長い間使っているのですか?」
いえいえ、ほんの数年です。


2012年11月25日日曜日

手づくりの家鴨(あひる)

韓国には、花婿が花嫁を迎えるとき、自分の彫った家鴨(チッオリー=あひる)を花嫁に手渡し、「家鴨のようにいつまでも家から離れないで欲しい」、と願う習慣がありました。


家鴨は、首が外れるようにつくられています。
家鴨を贈られた花嫁は、夜は家鴨の首をはずして枕にして寝ました。そして子どもができてからは、家鴨は棚などに飾って大切にしました。


この、花婿がつくった家鴨が好きで、韓国に行くたびに仁寺洞の骨董屋を片っ端からのぞいてみたことがありました。
でも、形が気に入って、しかも値段の折り合いがつくようなものには、とうとうめぐり合うことができませんでした。
 

これらの写真は、どれも『少年民藝館』 (外村吉之介著、筑摩書房)に載っている、倉敷民藝館所蔵のものです。

外村さんは、日本は韓国から千年以上にわたっていろいろ学んできたのに、この家鴨の習慣をどうして学ばなかったのかと、とても残念がっていらっしゃいますが、同感です。
でも、贈られた家鴨が素敵なものでなかったら、ちょっと困ってしまいそうです。
ちなみにこの三体は、どれも素敵です。


しばらく前から、韓国ではお土産品として一対の家鴨が売られています。
これは、20年ほど前の、妹の韓国土産です。


『ソリちゃんのチュソク』の、テレビの上に飾ってある家鴨も、これの仲間のようです。


2012年11月24日土曜日

韓国を知る絵本


韓国の絵本『マンヒのいえ』 (クォン・ユンドク絵と文、みせけい訳、セーラー出版、1998年)を持っています。


狭いアパートに住んでいるマンヒ一家が引っ越しして、古くて広い祖父母の家で暮らすようになるというお話です。
祖父母の家では、伝統的な暮らしぶりが、あちこちに見受けられます。座敷の調度品も素敵ですが、ミシンを掛けているおばあちゃんの、八角形の裁縫箱やはさみも素敵です。


食糧や古い道具を置いてある納屋も、実際にのぞいてみたくなります。
隅から隅まで、興味津々。


韓国を旅すると、車窓からよく、家の屋上や高いところに屋根もなく、かめが並んでいるのを目にします。
マンヒの祖父母の家でも、味噌、コチュジャン、しょうゆ、塩、干した菜っ葉、魚の干物などを入れたかめを、納屋の屋上のかめ置き場に置いています。
屋内の冷暗所に置く日本とは違うのがおもしろいところです。


干している布団は、韓国の色模様ですが、


子どもの遊ぶ姿は万国共通です。


最近、益子の古本屋+古道具屋の「内町工場」で、『ソリちゃんのチュソク』(イ・オクベ絵と文、みせけい訳、セーラー出版、2000年)という絵本を見つけました。
『マンヒのいえ』の作者は女性ですが、『ソリちゃんのチュソク』の作者は男性です。


チュソク(旧暦8月15日、日本のお盆にあたる日)を田舎で過ごすため帰省する人々で、道路は大混雑です。


やっと村にたどりつくと、タンサンナム(堂山木=村の入り口の守り神のところに植えてある木)が迎えてくれます。
タンサンナムとは、なんて素敵な木でしょう。


チマ・チョゴリでおめかしした、ソリちゃんのお母さんは、田舎の家に着いても、ごちそうつくりの手伝いで大忙しです。

お月見をした次の日は、朝早くに起きて、ご先祖さまに収穫の報告とお礼をします。


そして、みんなでお墓まいりをします。


農楽隊がやってきて、そのお囃子で、みんなで楽しく踊ります。

一度だけ東京で、アジア文化祭だったか、農楽隊の演奏を聴いたことがあります。じゃらんじゃらんとけたたましく賑やかで、帽子のリボンが飛び跳ねて、とてもカラフル、パワフルでした。


そして、行きと同じ大渋滞の中をやっと帰って来たおかあさん、チマ・チョゴリを脱いで半パンツになっているところがほほえましい。一大事業をなし終えてやれやれ、ほっとしている感じが、とってもよく伝わってきます。

世界の地域を問わず、細部まで書き込んである絵本は本当に楽しめます。

テレビの上の結婚の贈り物の家鴨(あひる)は、お父さんの手づくりではなくて、既製品のようです。