先日の入院中は、本を読む時間もたくさんありました。
医院の近くには、新しい駅ビルにできた比較的大きな本屋さんと、スーパーマーケットの中の雑誌中心の本屋さん、古本屋さんの三軒がありましたが、一番楽しかったのは古本屋さんです。
チェーン店のいわゆる買い取りショップで、コミックやDVDばかり、面白い本などないだろうと、これまで一度も足を踏み入れたことのないお店でしたが、ことのほか楽しめました。
以下は、その古本屋さんで買って読んだ本です。
『おもちゃの文化史』(A.フレイザー著、玉川大学出版部、1980)は、いったいいつごろ書かれた本か知りたくて、丹念に見返してみましたが、原著の発行国や発行年月日を記載していない本でした。わずかに、あとがきの中で原著名(A History of Toys)が出ていたので、Amazon USAで調べてみたら、1972年発行とわかりました。まだ、世界が狭かった頃書かれたものでした。
翻訳本に原著を記すというルールもなかった、1980年はそんな時代だったのでしょうか。
おもちゃの歴史本には、いつも期待し過ぎてしまうのですが、正直、いつももの足りません。これぞという本に、出逢ってみたいものです。
もっとも過去のことですから、ビー玉やお手玉がどこで発祥して、どこへ渡って、どこで似た遊びと出逢って、さらに発展して、次にどこに伝播してなんて、きちんと描けるはずもありませんが。
『人間と国家』(坂本義和著、岩波新書、2011)は、古本屋さんで上巻だけ見つけました。
個人が人を殺せば重い罪となるのに、国家間の戦争で、多くの敵を殺せば愛国者として讃えられることは、古くから当然のこととして繰り返されてきた事実。では、どうすれば、「人間は誰もが同じく生命を持った人間である」ことを知覚し、「他者への畏敬の念を持つことができる」のだろうか、というのが、坂本先生の一貫して考えてこられたことです。
この本は、国家の枠を超えて、多くの先達や友人とめぐり合い、その人たちとの対話や共同の行動を通じて、国家の枠を超えることの意味を深く学んできた坂本先生の来し方を記しておきたいという、いわば自伝の形をとっていますが、戦前、戦中、戦後と激動の時代の記載にもなっていて、興味深いものでした。
おもしろかったので、下巻もさがしましたが、本屋さんでは見つからず、家に帰ったら、上下巻とも夫が持っていました。
もっとも下巻はちらっと見ましたが、東大闘争の内実などで、私にはそう関心がありませんでした。
『箱少年』(七戸優著、パロル舎、2002)と、
『ふふふん、へへへん、ぽん!』(モーリス・センダック著、冨山房、1987)は絵本です。
どちらも、古本屋さんで見つけなかったら、手にすることはなかったものです。
宮部みゆきの二冊、『ばんば憑き』(新人物往来社、2012)と、『桜ほうさら』( PHP研究所、2013)は、予想通り楽しめました。
実はもう二冊、別の作家の「江戸もの」を読みましたが、表現力が稚拙で、物語はおもしろいのになんだかすらすらと読めず、違いを感じました。
『静かな大地』(池澤夏樹著、朝日新聞社、2003)は、もっとも興味深い本でした。
「出逢って良かった」
と、しみじみ思いました。もっとも、かつて朝日新聞に連載されたものですから、当時は朝日をとっていましたし、読む機会があったのですが、なにぶん、新聞小説は後にも先にも一つしか読んだことがなく、存在さえ知りませんでした。余談ですが、その一つは、やはり池澤夏樹の『氷山の南』でした。
アイヌの肩を持つ和人を和人が追い詰める。それは、坂本先生の書く、国家という枠組みを人工的につくって、それをうまく利用して利ざやを稼いだり、愛国心をあおったり、見えない他国の人たちを足蹴にするという構造と、まさしく同根の問題でした。
600ページ以上ある分厚い本ですが、あっというまに読んでしまいました。
以前はデパートが新春古本市を開催していましたが、街の古本屋同様絶えました。
返信削除寺田虎彦が吉村冬彦のペンネームで書いた本や、(昭和11年)
昭和5年「大東京編」など当時を知る資料には欠かせません。
神保町より九州の古本市場が面白かったそうです。(神保町の店主談)
昭ちゃん
返信削除デパートの古書展、よくやっていましたね。でも、学生のころは手持ち不如意で買えませんでした。何が買いたいとか、そのあたりもぼんやりしていましたからね(笑)。
東中野では掘り出し物を見つけようとしたわけじゃないのに、古い民俗学の図鑑とか、手の届かない高いところに収まっていました。一冊、『ことばをもって音をたちきれ』という、絶対面白そうな本があったのですが、3000円もしたので諦めました。買ったのは、200円から1000円の本でした(笑)。