それによると、異人は「大人形」とか「ダイダラボッチ」と呼ばれていて、現在は四ヶ所に残っていて、毎年八月につくり替え、その後の一年はそのままにして、集落を守ってもらうものだとわかりました。
この大人形がある近くに、知人のSさんがいるので、ほかの大人形を見せていただくとともにお話をうかがおうと、訪ねてみました。
Sさんの家は旧家で、古木の梅がちらほらと咲き初めていました。
Sさんの案内でまず、古酒(ふるさき)の大人形を訪ねました。
ここは風が吹きさらすところだし、先日の雪の影響もあったと思いますが、大人形は大きく右にかしいでいました。
右手に持っている槍は曲がり、額に巻いたはちまきはずり落ちています。
後ろ側から見ると、激しく傷んだせいで、稲わらを束ねてそれに草刈り籠をかぶせて頭をつくっているのが見えます。
後にお話を伺った小松﨑章さんのお話では、稲わら、麦わらだけでなく、古い農具や籠など農業に使ったものを利用して大人形はつくられてきたそうです。
次は、長者峰の大人形を訪ねました。
常緑樹に守られていて風があたらない場所だからか、こちらはよく原型をとどめています。
杉の枝の笠を被ったような姿です。
槍と刀を持ち、お腹あたりにはさんだわら(さんだらぼっち)の装飾、シデつきの縄を腰に巻いています。
顔は黒だけでなく、赤も使われています。
長者峰の大人形を見たあとは、大人形について冊子を書かれた、もと茨城新聞の記者をされていた小松﨑章さんをお訪ねしました。
そして、いろいろお話を伺いました。
高浜のあたりを井関といい、井関には代田、仲郷、井関、八木という四つの地区があります。うち、大人形をつくっているのは、代田地区と、仲郷地区の梶和崎集落、長者峰集落、古酒集落の四ヶ所です。代田地区では一度やめたことがありますが、その年に子どもに不幸があり、すぐに大人形づくりを再開したそうでした。
ちなみに案内してくれたSさんの住む井関地区では大人形をつくっていません。
小松﨑さんのお考えでは、井関地区には盛賢寺という名刹があり、山門には仁王さまがにらみを利かせていらっしゃるので、大人形は必要なかったのではないかということでした。
文献はないけれど、口伝によると大人形は江戸時代からつくられてきました。たぶん、疫病除けにつくられはじめたものだろうということで、梶和崎の小松﨑さんは、ものごころついた1940年代からずっと、道端の大人形を見て育ちました。
小松﨑さんの家は、お祖父さんの代まで雑貨店を営んでいらっしいました。常連客は買いもののあと、しばし店わきの縁側に座って、世間話などしていたそうです。そして、その人たちが、八月が来ると決まって大人形の話をしていたのを、小松﨑さんはよく覚えています。
当時、大人形の制作には、各戸の、十七歳から三十七歳の長男、つまり跡取り息子が集まりました。そのころはほとんどが農家で、医者にも薬にも手が届かない時代でしたから、大人形に厄除けの祈りが込められていたのです。
大人形は、今では年当番がいて、当番が芯棒、稲わらなど必要な材料を集めます。
また、杉の枝や竹など青いものは、当日みんなで切ってきて、設置現場に集まります。顔も、現場で描くのが基本です。
毎年、八月十六日につくりますが、今では勤め人ばかりになってしまったこともあり、梶和崎地域では、八月の第一日曜日につくるそうです。
これは、小松﨑さんの冊子『大人形』に載っている、梶和崎の1988年の大人形の写真です。今のものより背の高いものでした。
そして、やはり梶和崎の、1993年8月に写した大人形。その約一年前につくられ、すでにあちこちがぼろぼろに傷んだ状態になっています。
新しい大人形をつくるとき、古い大人形は燃やします。
大人形をつくるのに、とりたてて決まりはないそうですが、毎年ほぼ同じものをつくっているそうです。
手には槍と刀を持ち、太い縄の鉢巻きをして、手足だけでなく、大きな男根がついていますが、それは子孫繁栄を願ってだろうとのことでした。長者峰の大人形には男根はついていません。それは近くに古くから金精神が祀られ、石製の男根が奉納されているので、それとかち合わないように、先人がつくらなかったのではないかと推察されています。
顔は、できるだけ恐ろしく描きます。今は破れない紙にマジックマーカーで描いていますが、昔は墨一色で描いていました。
紙の手に入らない時代には、養蚕に使ったさんざ紙を使うこともあったし、裏返した箕、かます、こもなどを顔にして、その上に直接顔を描いたときもあったようです。
そんな興味深いお話を聞いての帰り道、梶和崎の大人形の前を通りかかると、大人形を修理している方がいらっしゃいました。
上の写真は先日見た大人形です。槍は傾き、槍を持つ手も下がっています。
ところが、その日はしっかりなおっていました。
聞けば、明日遠足で中学生たちがこの道を通るから、あまりにも傷んでいるのでなおしているとのことでした。
昔は各戸で俵を編んだので、誰でもさんだわら(さんだらぼっち)を編むことができました。ところが今ではほとんどの人が編めない。ここ梶和崎だけでなく、他の集落の大人形のさんだわらも、この方がつくっていらっしゃるそうです。
Nさんとご一緒に、八月につくっているところを見せていただくのが、今から楽しみです。二百年も続いてきた民間信仰ですから、さんだわらが編めないといった些細な、しかし重要なことから伝統が崩れてしまわないよう、長く続いて欲しいものです。
その言葉に驚きました。
返信削除子供の頃確か妖怪や不思議な物のことを
意味がわからづ「だいだらぼっち」みたいと、、、、
祖母が千葉の出なので関連しているかなー
面白い話です。
昭ちゃん
返信削除不思議ですよね。さんだわらはさんだらぼっちとも言いますが、日本語らしくはないけれどまあ、使っていました。それって桟俵に法師をつけた桟俵法師だったのです。全然知りませんでした。
また、だいだらぼっちは、大太法師とも、大足法師とも考えられ、大太法師だと関東の巨人伝説から、大足法師だと水戸の大足(おおだら)出身が考えられるそうです。
法師も、一寸法師、つくつくぼうし、などなど考えてみると面白い言葉ですね。一人ぼっち=一人法師とか言ってみたりして(笑)。
千葉にもいたとしたら、だいだらぼっちは、どのくらいの広がりを見せていたのでしょうね。
私としては祖母も使っていた「かます(叺)」という言葉を聞いたのも嬉しかったです。今では死語ですから。
そういえば昔は一升瓶の箱入り、
返信削除6本入りぐらいの木箱は割れないようにわら帽子を被せてありました。母はこれをさんだらぼっちっと呼んでいましたし、罪人が被る麦わら帽子も、、、。
かます。
農家の穀物いれで四角ですね。
昭ちゃん
返信削除さんだらぼっちは、藁で円ができるので素晴らしいことですが、あれもけばけばした余分な葉など取り除いて、きれいに下ごしらえするのが腕の見せどころだったでしょうね。ちょっと習ったくらいではできません。かますも、重いものを入れるのですから、つなぎ目から穀物がこぼれたりするのはまずい。もうつくれる人がいないから、人形作りにかますやむしろの再利用はできないようでした。
はじめてご挨拶申し上げます。
返信削除月琴一代と申します。
検索で参りましたら、おもいかげず大変参考になる記事を読ませて頂くことが叶いました。写真も見ることが出来まして、本当にありがとうございました。
月琴一代さま
返信削除はじめまして。コメントありがとうございました。一ヶ所は八月の第一日曜日に新しいものをつくり替えるというので、見に行きました。するとさらに朽ちていましたが、つくる気配がどこにもありませんでした。仕方なく一軒の家でたずねると、「3時過ぎからつくりますよ」と教えていただきました。それが朝10時頃だったでしょうか。
ところがあいにくその日は予定があり、お盆に向けて泊り客も続くうち、とうとう杉が青いうちに訪ねる機会を逸してしまいました。今から行ってもまだまだ新しいと思いますが、行こうと思いながら行けないでいます。フットワークが重いですね(笑)。
よろしかったら、また遊びに来てください。