2014年6月8日日曜日
パレスチナ
パレスチナから届いたハガキに、素敵な切手が貼ってありました。
パレスチナは、経済的にはイスラエルに組み込まれていて、通貨もイスラエルのシェケルを使っていますが、以前から切手は発行していました。
でも、あんまり素敵な切手は見ませんでした。
でも、これは素敵、ジョット・ディ・ボンドーネの最後の晩餐の切手です。
ジョットはイタリア人ですが、最後の晩餐が行われた場所も、イエス・キリストが磔にされたゴルゴダの丘もパレスチナですから、大いに関係があります。
パレスチナには、今でもたくさんの教会があり、中世から抜け出てきたような衣装の、ヨーロッパ人の神父さんたちがどの教会にも何人もいて、黙々とお勤めをしています。
数ある教会の中には、砂漠にできた大きな蟻地獄のような谷底めざして、滑り降りるようにしてしかたどり着けない、孤立した教会もあります。そこだけ水が少し湧き出ているのです。
その教会の中には、いくつもの木箱に、歴代の神父さんの骨が無造作に入れられて、並べられています。
ひたすら、ただひたすら自分のお勤めにしか関心のなさそうな神父さんたちを見ると、
「世界には、今でもこんな人生があったんだ!」
と驚かされてしまいます。
そんな神父さんたちを、なんとなく思い出させる絵です。
これは、年代物のオリーブの木です。きっと二千年は経っているでしょう。
オリーブは、『森と文明の物語』(安田喜憲著、ちくま新書、1995年)を読むと、とても早い時期から栽培化された植物です。何故、穀物でないオリーブが盛んに栽培されたか?それは、やせた土壌でも育ったからのようでした。
地中海沿岸には、レバノン杉をはじめとする豊かな森林がありましたが、森は神殿や家を建てるために切られ、武器や権力の象徴などの金属器を製造するために燃料として切られ、貿易船の建造のために切られ、ローマ時代は風呂の湯を沸かす燃料として切られ、なくなりました。
人々は、森の跡に麦など穀物を植えましたが、山に木がないために表土が流失して土地が痩せ、あっという間に穀物は育たなくなったそうです。
そんな痩せ地でもオリーブは育ちました。おりしも、オリーブオイルは硬い野菜でも柔らかく調理できると各地で引っ張りだことなり、高く売れたので、地中海地方の人々は、オリーブを売ったお金で穀物や材木を買えばよかったのです。
私自身は、これほど古いオリーブの木は見たことがありませんが、樹齢千年ほどのオリーブの木なら、パレスチナで見たことがあります。
オリーブはしぶとい木です。
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