2015年6月30日火曜日
あと一歩。んっ?前もそう言っていたかな?
工事現場の中まで軽トラックやユンボが入れるよう、最後の最後まで見切っていなかった、通路とアスファルトの境目(作業棟の北)に、見切りのコンクリートを打つ準備をしています。
完成後に、今はビニールハウスに置いてある大工道具一式を、作業棟の中に移さなくてはならないのですが、万能木工機、テーブルソーなど、100キロを超える機械もいくつかあります。
そこで、できるだけ近くまでユンボで運びたい。そのため、アスファルトより強固なコンクリートで、「ユンボ道」をつくっておきます。
見切りの左側には、通路からのスロープをつくり、見切りの右側には帯状にコンクリートを打ちます。
右側は、コンクリートを打った上にアスファルトを敷くので、コンクリートは見えなくなります。
これで、重いユンボが乗っても平気です。
敷地が西に行くほど下がっているので、見切りに段差をつけています。
途中に、下水管が通っていて、単純な型枠では対応できなくなりました。
その部分は、下水パイプに沿わせるように、型枠を浅くします。
これは夫が東の太いコンクリート柱の上から撮った写真です。
どうしようか思案している私と、作業している私とが、一緒に写っています。
こうやって見ると、あと、土間コンクリート打ちまでほんの一息なのがわかります。
もっとも、いつもあと少し、あと少しと言っていながら、あれこれやることが出てきて、ほとんど「狼少年」の気分ですが。
右手奥の煙は、先日Gさんが切り倒してくれた栗の木の細枝や、山仕事で切った篠竹、病気で落ちたコブシの木の葉、工事の端材、などなどを燃やしているところです。
2015年6月29日月曜日
「氷屋」におじゃま
梅雨時でちょっと体調を崩されていた、書家のBさんの家におじゃましました。
Bさんの暮らしている家の屋号は「氷屋」、かつては氷室があって、氷をつくっていたという家です。
「夏なお寒し」、冬にはあまり行きたくない家ですが、この時期は快適です。
Bさんがアトリエにしている一室には、さまざまな墨、絵具、筆などが所狭しと置いてあります。
そして、その奥の部屋は、
「昨日、Oくんが片づけてくれたんだ」
とのことで、さまざまな和紙や中国紙、厚いの紙や薄いの紙が、使いやすいように、きれいに整理してありました。
助っ人Oくんすごい!
いろいろな和紙を見ているだけで、わくわくします。
Bさんの美しい水屋箪笥。
水屋の種類についてはよく知りませんでしたが、これは近江箪笥というものだとか。お世話になった方に差し上げるため、中をきれいに片づけたのだそうです。
昭和3年生まれのBさん、九月には水戸で個展をなさいますが、表装に少なくても一ヶ月はかかるのだとか、七月いっぱいが勝負のようです。
これは夫の大好きな、Bさんの書。
縦80センチ、横55センチくらいの紙に一字だけ描いてあります。
Bさんの暮らしている家の屋号は「氷屋」、かつては氷室があって、氷をつくっていたという家です。
「夏なお寒し」、冬にはあまり行きたくない家ですが、この時期は快適です。
Bさんがアトリエにしている一室には、さまざまな墨、絵具、筆などが所狭しと置いてあります。
そして、その奥の部屋は、
「昨日、Oくんが片づけてくれたんだ」
とのことで、さまざまな和紙や中国紙、厚いの紙や薄いの紙が、使いやすいように、きれいに整理してありました。
助っ人Oくんすごい!
いろいろな和紙を見ているだけで、わくわくします。
Bさんの美しい水屋箪笥。
水屋の種類についてはよく知りませんでしたが、これは近江箪笥というものだとか。お世話になった方に差し上げるため、中をきれいに片づけたのだそうです。
昭和3年生まれのBさん、九月には水戸で個展をなさいますが、表装に少なくても一ヶ月はかかるのだとか、七月いっぱいが勝負のようです。
これは夫の大好きな、Bさんの書。
縦80センチ、横55センチくらいの紙に一字だけ描いてあります。
2015年6月28日日曜日
招き猫風鈴
招き猫の江戸風鈴です。
風受けは小判になっています。
後ろ姿は、首輪の結びと尻尾です。
西洋のガラス玉は、外側に絵つけをしますが、江戸風鈴は戸外に吊るすことを前提としているから、内側から彩色しています。
ガラス絵を描く方法で、顔や耳を最初に描き、最後にべったりと黄色を塗っています。
ぶら下げるところはセルロイド、風に揺れて縁に当たって音を出す部分は、透明ガラスの棒ビーズと、昔ながらの材料でできています。
あっ、セルロイドは江戸時代にはありませんでした。
江戸風鈴が文献にあらわれるのは享保年間(1700年頃)、長崎のガラス職人が、ガラスを見せものにしながら、大阪、京都、江戸と伝えたそうで、当時のガラスの風鈴を今の値段に換算すると、200万円から300万円ほどしたそうです。
でも、江戸風鈴は透明なものの方が、やっぱり涼しげですね。
2015年6月27日土曜日
焙烙
数年前に、母が身辺整理をしたときもらってきた焙烙(ほうろく)です。
母は全く使ってなくて、しまい込んでいましたから、たぶん下の妹が残して行ったもののようでした。
焙烙をもらってくるまで、炒り豆をつくるときはフライパンで代用していました。
でも、焙烙を使ってみると、その使い易さはフライパンの比ではありません。
まず、強火で温めておいて、炒るものを入れたら中火にして炒り、八分通り炒りあがったところで火を消し、余熱で仕上げればいいのです。
フライパンだと使用前に脂分をしっかり落として、使用後には油を引き直したりしなくてはなりませんが、焙烙はそのまま冷ますだけです。
タイ料理のトッピングにするので、我が家で一番よく炒るのは、生ピーナツです。
日本の伝統的な焙烙で炒ったあとは、タイの伝統的台所道具であるクロックでつぶします。
2015年6月26日金曜日
鉛筆ホルダー
べつに見ていたわけじゃないけれど、夫が何かをゴミ箱に捨てて、迷って、それをもう一度拾い上げているのが、目の端に入りました。
「これ、使う?」
見ると短くなった鉛筆でした。
私が削ったものでしたが、これ以上削れないと思ったようでした。
「うん、使うよ」
夫は持っていませんが、私は鉛筆ホルダーを持っています。
銀色のはステッドラーの鉛筆ホルダー、持ち手を鉛筆に似せてつくってあるのは、息子がもといた家から都心の狭い部屋に引っ越したとき預かって処分した荷物の中から出てきたものです。
ステッドラーは腰につける道具袋に入れて木の印つけに、鉛筆もどきの方は、筆箱(死語)に入れて使っています。
それからしばらく経って、
「これ使う?」
「あらっ、どうしたの?」
「ポケットに入れて座ったら折れちゃった」
これも私が削った鉛筆でした。
夫が削った鉛筆は、削った部分がもっとずっと長いのです。
鉛筆ホルダーは優れもの、短い鉛筆も最後までとはいきませんが、使い切ったと思えるまで使えます。
木の印つけには、ちょっと太めの建築用の鉛筆もありますが、私は普通の鉛筆を使うのが好きです。
2015年6月25日木曜日
蚊取り線香立て
ブリキの蚊取り線香立てです。
室内では蚊取り線香は必要ではありませんが、外仕事をするときは、やっぱ焚いていると安心できます。
朝方はブヨがいて、木陰には藪蚊がいます。
なかでも一番嫌いなのはアブ。すっぽり肌を覆っていても、衣類の上から刺します。そして、刺し跡の痒みが何日も続きます。
タイのお坊さまは戒律を守って殺生はしませんから、蚊に刺されても叩きつぶしたりしません。せいぜい追い払うくらいですが、追い払ったくらいで逃げる相手ではないので、刺しまくられてしまいます。
以前、日本人のお坊さまがタイ東北部の山深いお寺の住職になって、壁のない、もちろん電気もないお寺で暮していらっしゃいました。最後にお会いしたのは、もう20年以上前です。
今はどうしていらっしゃるのでしょう?
タイのお坊さまは、食事は喜捨されたものだけ食べます。
自分で調理することができないので、そのお坊さまは、雨季に大雨で一本だけの橋が流されると、村の人たちが橋を修理してくれるまで托鉢には行けず、水以外は数日間何も口にできませんでした。
早朝に喜捨された食べ物は、二回に分けて食べるよう、寺小僧が給仕してくれます。
お坊さまは俗人と会食することはできず、正午を過ぎると食事を摂ることはできません。
その日本人のお坊さまが、所用でバンコクに出ていらっしゃるとき、「どこそこのあの」ケーキが食べたいと所望されたことがありました。
普通、お坊さまは食べたいものを欲しがったりすることはできません。それどころか、戒律の厳しい戒派では、喜捨されたものの味を味わったりしないよう、辛いものから甘いものから、ごちゃごちゃに混ぜて食べなくてはなりません。
だから、日本人のお坊さまがケーキを欲しがったことは、タイ人にはもちろん絶対秘密、日本人でさえ、知っているのはわずかでした。
ケーキを所望されたからといって、そのお坊さまが軟弱者というわけではありません。
数ヶ月間だけ、僧門を経験してみようと得度されたらしいのですが、知り合ったときには、すでに10年以上もお坊さまをしていらっしゃいました。
さて、蚊取り線香立てはフィンランド製、無駄のない形で、美しいたたずまいです。
蓋は持ち手の邪魔にならないように、外にかぶせるのではなく、内側に入れるようにできています。
蓋は、とても閉め易いものです。
そして、持ち易くて、洗い易い。
フィンランドの職人さんの手仕事だとのことですが、使うのが楽しい蚊取り線香立てです。
2015年6月24日水曜日
いらっしゃい、いらっしゃい
この三つの招き猫は、別々にやってきたものですが、なんとなく雰囲気が似かよっています。
土(磁器だから石の粉)が似ていて、釉薬が似ているのでしょうか。産地が近いのかもしれません。
いまでは、ちょっと歩くと招き猫を見かけますが、二十年ほど前には、招き猫と言えば、門前町などの土産物店か、昔ながらの「陶磁器店」に、小判を持った「食堂の看板猫」がいたくらい、隔世の感があります。
左のは招き猫の頭は何故かぺちゃんこです。そして、右の招き猫は裏表で表情が違い、「二通りに楽しめる」猫になっています。
これはある日、仕事先で見かけた猫です。
打ち合せに行ったのに、猫が気になってチラチラ見ていたら、Mさんが同じものを買っておいてくれるというのでお願いして、後日受け取ったものです。
拡大してみると、いっぱい貫入が入っているけれど、前から入っていたのかな?
これは空洞ではなく無垢で、小さいけれど重い、手びねりの猫です。
2015年6月23日火曜日
雪印北海道バターの缶
骨董市の、おもちゃ骨董屋のさわださんの店先でのこと、
「あれぇ、こんなものまで売ってる」
「300円、バター飴の缶ね」
いつも値段連呼がくせになっているさわださん、常連さんと話し込んでいたのですが、すかさず答えます。
「違うよ、さわださん。これはただのバターの缶よ」
贈答品?
それとも父の北海道出張のお土産の一つ?
それとも普通に売っていた?
私の育った家では、よくこのバターを使っていました。
缶詰めのように、中蓋で密閉してあるのを、缶切りでぎこぎこ開けて食べるバターです。
薄っぺらい、使い捨ての缶なのに、よくつぶれもせず残っていたものです。
この缶を見ていたら、すっかり忘れ果てていた、あの登校前のあわただしさを思い出してしまいました。眠いのにやっと起きて、ばたばたと支度して、時計を見ながら朝ごはんを食べて、家を出て、満員電車に乗る。そんな毎日のことを。
また、高校時代、毎日のように遅刻して来て、そうっと教室の後ろのドアを開けて、照れくさそうに抜き足で入って来ていた友だちの顔も思い出しました。
「どうして毎日遅刻するの?」
ある日、そんな話になったことがありました。
「起きて、いろんなことするとき、制服だといやなの。だから、着替えしていたら遅くなっちゃって」
質問した私たちは唖然としたことでした。
起きてすぐ制服を着ていたら、三年間遅刻しないですんだのに.....。
バター缶を見たら、昔の生活が思い出されるなんて。
買ってしまいました。
卓上クズ入れにでもします。
2015年6月22日月曜日
叩いて、叩いて
つくばのSingostar LIVINGは、古い蔵を改造したギャラリーカフェですが、昨秋から増築しています。
新しい建物はコンクリートの打ちっぱなし、それも斜めに傾いだ壁で、通りから見ると大きな石が転がっているように見える、斬新なデザインです。
建物は複雑な、つながった形をしているので、コンクリート打ちは、打ち継ぎなしの一度だけと聞いていました。
それが無事終わり、今はコンクリートの外側の表面を叩いているというので見に行きました。
ひゃぁぁ、やっていました。しかも手で。
しんごさんとスタッフの方二名で、「ビシャン叩き」という、先がワッフルの焼き型のようになったゲンノウを持って、ひたすら人力でコンクリートを叩いています。
腕や肩は痛いし、腕がすっかり太くなったそうです。
それでも、一日一人、畳で二畳分ほど叩けるというお話でした。
このあたり、叩き終わっています。
叩いたあとのコンクリートの表面はこんな感じです。
ビシャン叩きではなく、ハンマードリルや電動鏨(たがね)ではつった、凹凸のもっと激しい我が家とは、だいぶ趣が違います。
機械より、人力よりの方が速いのにはびっくりしました。
我が家は一日に1メートル四方くらいしか叩けませんでした。 もっとも機械は重いので、長時間やっていられなかったということもありましたが。
ビシャン叩きは、六月のはじめからはじめて、もう、建物の三分の二ほど終わったそうです。
これは旧館に面した壁ですが、ここはまだこれからです。
これまで、Singostar LIVINGは、正午からの営業でしたが、新館完成後は、天窓からの朝日を感じる朝食を食べてもらいたいから、朝7時から夕方7時までの営業にするのだとか、楽しみであると同時に、他人ごとながら、
「わぁ、たいへんだなぁ」
と思ってしまいます。
ル・コルビジェのシャンディガールの教会のような室内です。
七月の開店を目指しているとか、どんなになるのかなぁ。楽しみです。
新しい建物はコンクリートの打ちっぱなし、それも斜めに傾いだ壁で、通りから見ると大きな石が転がっているように見える、斬新なデザインです。
建物は複雑な、つながった形をしているので、コンクリート打ちは、打ち継ぎなしの一度だけと聞いていました。
それが無事終わり、今はコンクリートの外側の表面を叩いているというので見に行きました。
ひゃぁぁ、やっていました。しかも手で。
しんごさんとスタッフの方二名で、「ビシャン叩き」という、先がワッフルの焼き型のようになったゲンノウを持って、ひたすら人力でコンクリートを叩いています。
腕や肩は痛いし、腕がすっかり太くなったそうです。
それでも、一日一人、畳で二畳分ほど叩けるというお話でした。
叩いたあとのコンクリートの表面はこんな感じです。
ビシャン叩きではなく、ハンマードリルや電動鏨(たがね)ではつった、凹凸のもっと激しい我が家とは、だいぶ趣が違います。
機械より、人力よりの方が速いのにはびっくりしました。
我が家は一日に1メートル四方くらいしか叩けませんでした。 もっとも機械は重いので、長時間やっていられなかったということもありましたが。
ビシャン叩きは、六月のはじめからはじめて、もう、建物の三分の二ほど終わったそうです。
これは旧館に面した壁ですが、ここはまだこれからです。
これまで、Singostar LIVINGは、正午からの営業でしたが、新館完成後は、天窓からの朝日を感じる朝食を食べてもらいたいから、朝7時から夕方7時までの営業にするのだとか、楽しみであると同時に、他人ごとながら、
「わぁ、たいへんだなぁ」
と思ってしまいます。
ル・コルビジェのシャンディガールの教会のような室内です。
七月の開店を目指しているとか、どんなになるのかなぁ。楽しみです。
2015年6月21日日曜日
楽隊たち
木彫りの、ナイジェリアの楽隊を持っています。
12人編成という大所帯、お揃いの帽子をかぶった人たちが楽器を奏でています。
ナイジェリアのことですから、リズムは乗り乗りで、歌も歌っているだろうし、周りでは、大人から子供まで、踊っているでしょう。
ナイジェリア最大の民族グループのヨルバの人たちだと思いますが、さすが、太鼓だけでも片面太鼓、両面太鼓、手で叩くもの、撥を使うもの、いろいろあります。
笛の人もいます。
そして、カリンバのような楽器もあります。
演奏者は普通男性ですが、タンバリンやマラカスなら女性が奏でていることもあります。
でも、姿からして、これは全部男性でしょうか。
さて、下北沢のあんてぃかーゆというアンティークショップで、木彫りの豚の楽隊を見つけました。
大きさは、ナイジェリアの演奏家たちと同じくらい、やはり木彫りです。
一緒に演奏させたら、どちらも、嬉しいのではないかしら?
というわけで、豚の楽団がやってきました。
いつごろ、誰が彫ったものでしょうか。可愛さに溢れています。
さっそく合同演奏です。
生まれも育ちも違う二つの楽団ですが、音楽仲間のこと、息はぴったり合っているようで、素敵な演奏を聴くことができました。
12人編成という大所帯、お揃いの帽子をかぶった人たちが楽器を奏でています。
ナイジェリアのことですから、リズムは乗り乗りで、歌も歌っているだろうし、周りでは、大人から子供まで、踊っているでしょう。
ナイジェリア最大の民族グループのヨルバの人たちだと思いますが、さすが、太鼓だけでも片面太鼓、両面太鼓、手で叩くもの、撥を使うもの、いろいろあります。
笛の人もいます。
そして、カリンバのような楽器もあります。
演奏者は普通男性ですが、タンバリンやマラカスなら女性が奏でていることもあります。
でも、姿からして、これは全部男性でしょうか。
さて、下北沢のあんてぃかーゆというアンティークショップで、木彫りの豚の楽隊を見つけました。
大きさは、ナイジェリアの演奏家たちと同じくらい、やはり木彫りです。
一緒に演奏させたら、どちらも、嬉しいのではないかしら?
というわけで、豚の楽団がやってきました。
いつごろ、誰が彫ったものでしょうか。可愛さに溢れています。
さっそく合同演奏です。
生まれも育ちも違う二つの楽団ですが、音楽仲間のこと、息はぴったり合っているようで、素敵な演奏を聴くことができました。
2015年6月20日土曜日
錆びた道具たちに思う
瓦屋さんに行く用事がありました。
広いコンクリートの庭で雨ざらしになっているのは、鉄筋を曲げる道具たちでした。
これは、我が家にもあります。
丸い突起が二つ、四角い突起が一つありますが、四角い突起と手前の丸い突起に沿わせて鉄筋をはさみ、ハンドルを時計回りに動かすと、鉄筋が曲がります。
もう十年も前に、私が鉄筋を曲げていた写真です。
これで何千回、何万回曲げたことか。
鉄がすり減って、母屋が完成するまでに、二台使い切りました。
柱にはもちろん、コンクリートの壁にも、横にも鉄筋を入れるだけでなく、角には強化するために、四角く曲げた鉄筋を入れています。
小さいものですが、一本につき5回曲げなくてはなりません。
約20センチ間隔で入れましたから、日がな一日鉄筋を曲げる日もありました。
コンクリート工事はいつも、あまりに時間がかかりすぎたため、雨ざらしの鉄筋はすっかり錆びてしまいます。
いつだったか、友人が遠くから連れてきた、DIYに詳しいという初対面の人からいきなり、
「だめじゃないですか。鉄筋をこんなに錆びさせちゃあ」
と叱られたことがありました。
じゃぁどうしたらいいんですかと、こちらが聞きたいくらいでしたが、錆びた鉄筋に呆れたのか、その人は二度と来ませんでした。
これは、今は完成している母屋の居間の基礎部分です。
やはり同じところ、下の方は鉄筋を組み終わり、型枠で囲んでいます。
工事は着々ではなく、遅々として進んでいるのですから、鉄筋のさびは防ぎようがありません。でも錆びるのは表面だけで、コンクリートに覆われてしまえば、錆びも止まります。
敷地に高低差があるために、別々に工事をしてきた母屋の、居間とそれ以外の部分が、つながるときが来ました。
上の写真はその上の写真と同じところ、つながっています。
右に立っている鉄筋は、台所や風呂、お手洗いなどの水回りですが、これからも、鉄筋曲げは延々と続いたのでした。
青く見えるのは断熱材で、床下のコンクリートをOMソーラーの蓄熱板にするために、下から冷気が伝わらないよう、断熱材でいちいち縁を切っています。
そして、この部分のコンクリート打ちが完了したところです。
居間の基礎となる地下室を西から見たところで、立っている鉄筋はテラスのための柱です。
というふうに、鉄筋曲げ工事は、このあともいつまでもいつまでも続いたのでした。
ところがです。
母屋はそうやって全部手で曲げましたが、作業棟を建てるときは、新兵器を導入しました。簡単な電動曲げ機を買ったら、すっかり力仕事ではなくなったのでした。
瓦屋さんの転がっていたもう一つの道具は、曲がった鉄筋を伸ばす道具です。
これが欲しいと思ったことが、何度もありました。
一度曲げた鉄筋は、曲げ機を使って伸ばせません。この道具を立てて、その穴に鉄筋を突っ込み、重い金づちで叩いて伸ばすための道具です。
そんな道具ですから、重いのが特徴です。どのくらいあるのだろう?少なくても50キロはあるでしょう。 5キロ以上のものを持てない身体になった今となっては手に負えません。
まあ、間違えて鉄筋を曲げないことに尽きます。