2015年11月30日月曜日

10トントラック


ヤマト運輸のメンバーとして登録すると、荷物を発送したり受け取ったりするたびに、ポイントをためることができます。
以前は、配達の方にスタンプを押してもらっていました。次にカードをつくって、荷物を受け取るたびに事務所に出向いて、荷物番号を入力してもらっていました。なんて面倒なと思っていたら、たまたま訪れた遠くの事務所で、自宅で操作できるはずと教えてもらいました。以来、コンピュータで荷物のナンバーを入力してポイントをためています。

そのポイントがたまったので、クロネコヤマトミニカーの、10トントラックをもらってみました。

 
配達の車と比べると、大きいこと。


残念ながら、扉は、運転席も後部も開きません。
せめて、後部が開いたら楽しかったのに!


でも、足回りは、なかなかよくできています。
もちろん、今どきのものですから、足回りなどは金属ではなくてプラスティックですが。


配達車を手前に置いたので、あまり大きさの違いが目立たなくなってしまいました。










2015年11月29日日曜日

ひかり


この三日間、盛大に晴れて、気持ちのいい日が続いています。
夏の間は入らなかった朝の光が、いろいろなところから部屋に入ってきて、その位置が刻々と移っていきます。
  

光は壁を照らし、


ガラス窓を通り抜けて部屋に入り、一日の始まりを、浮き浮きさせてくれます。


植物が喜び、


動物が喜び、


ガラスビンも喜ぶ、今日この頃です。






2015年11月28日土曜日

木の箱


栓抜きと、コルク抜きを入れている箱です。


ナイフを手前に引いて模様をつける方法の装飾、一枚の薄い板が、美しいものに変身しています。

いつも大工仕事をしながら、ときおり思います。
同じ木でありながら、目につくところに使われて、晴れがましい木。
目につかないところに使われて、誰の目にもふれない木。
端材として切り捨てられてしまう木。
鉋屑として燃やされてしまう木。
おがくずとして消えてしまう木。
その、別れ道は何だったのかと。
 

この木は丁寧に彫られ、磨かれ、使われ、百年以上残ってきました。
彫られた部分が捨てられたからこそ、残った部分が活きました。


すっかり黒ずんでいるので、長い間、台所に置かれて、竈の火でいぶされていたのかもしれません。


蓋の内側の、木目も浮き出て、


箱の縁の木目も、柔らかい部分がすり減って、凹凸がついています。

デンマークで19世紀につくられた箱、日本で言えば江戸から明治にかけてのころの箱です。










2015年11月27日金曜日

お役目変更


今は一匹だけになってしまいましたが、以前は、我が家には犬が三世代、三匹いました。
だからかどうか、お隣のKさんから、
「友だちにもらったものだけれど」
といただいた、ミニチュアダックスフンドの箸置きは、三つありました。


さて、煮物をするとき、蓋を開けたまま火にかけて、あまり盛大に水分を飛ばしたくないときがあります。かと言って蓋を閉めたままでは、吹きこぼれてしまいます。
そんなとき、蓋をずらして置くと、ずらしたはずの蓋が、中身が吹きあがって動いて、たいていは勝手に閉じてしまいます。ではと、菜ばしをはさんでみたり、いろいろ試していましたが、思いついてこの箸置きをはさんでみました。
曲がっているところが引っ掛かって落ちないし、暖まった空気の逃げ場ができて、完璧でした。


以来、この犬たちは、箸置きのしまい場所から、ガス台の脇の調理道具のしまい場所に移りました。
そして、煮物のたびに出動しています。






2015年11月26日木曜日

台所の片づけ


衣類の整理は面倒で、なかなか着手できませんが、台所の整理は、ジグソーパズルじゃないけれど、ほとんど遊び感覚で楽しめるものです。
ときどき、掃除がてら片づけると、気分転換と整理がいっぺんにできて、一石二鳥です。 

あちこちに散らばってしまった箸置きを元の所へ集めたり、奥にあって、出番の少なかったものを前に出してみたり。
 

もっとも、衣類同様、出番がそう多くないからと言って、チャパティー伸ばす棒など、あっさり捨てる気になれない道具もあります。
そんなものをどこか別のところにしまって、引き出しのものを少なくして、使いやすいように仕切りをつけたらどうだろうか。
と、しばし眺めるものの決心はつかず、たいていはそのままになってしまいます。

包丁類をくっつけてしまうマグネットバーは、いまは引き出し内に設置しています。それをいっそ外の壁につけたらどうだろうか?毎度考えることです。
刃物がずらっと目の前に並ぶなんて、豪勢です。刃物好きの私は、毎日うっとりしてしまいそうです。
でも、我が家に約一名、あぶなかっしい人がいるので、包丁類をむき出しにすることを、結局は躊躇してしまいます。

その昔、食卓でパンを切りながら、次男にお説教をしていたことがありました。
すると、夫がいきなりずかずかと近づいてきて、ぎざぎざの包丁の刃をつかみました。私が包丁を持っていると危ないと思ったと言いますが、次男も私もびっくり、夫は指を切り、すぐ整形外科に行って、縫合してもらいました。


さて、調理台の上には、茶筒とともに、お茶の缶がいろいろ置いてあります。
捨てがたい缶には、次々とお茶を入れては置いておくのですが、たくさんになると、どれに何が入っているか忘れているものさえ出てきます。
この三つは、捨てることにしましたが、右奥のウエッジウッドの紅茶缶など、なんと30年も使っていました。


この二つの缶は、捨てるかどうか迷いました。
干支の羊の缶は、釘入れにすることで解決、まだ使える古いネジ釘を外したとき入れておいて、使いまわしします。


南アフリカらしい絵のついた、ルイボスティーの入っていた缶、お茶以外に入れるものを何も思いつかないのですが、まだ捨てる期が熟していないなか、なんとなくそこいらに転がしておきました。


ついでに、飲まないお茶も、思い切ってばさばさ捨てて、さっぱりしましたが、まだこんなに残りました。
これを食品庫に片づけてしまったら、ますます飲む機会が失われます。






2015年11月25日水曜日

半隠居の働きもの


かつては、どの家庭でも栓抜きの一つや二つ転がっていた時代がありました。
カルピス、サイダーやコーラなどの炭酸飲料を開けるときの必需品。そしてみんなでビールを飲むときは、
「栓抜き、栓抜き」
と、待ちきれないで騒いだものでした。中には、栓抜きが見当たらないと、もう一本のビールビンで器用に蓋を開ける人がいたし、自分の歯で開けてしまうつわものもいました。

缶ビールが発売されてしばらくは、環境に負荷をかけたくないからと、ビンビールにこだわっていました。
しかし、ビンビールは一人で飲むには多過ぎたり、あと少し飲みたいときに、新しいビンを開けたものかどうか迷ったり、思い切って開けると残りが無駄になったり、ケースで運ぶには重かったり、などなどの面倒さがあり、缶ビールに移行することに抗い切れなかったのは、仕方なかったことなのでしょう。

それでも、地ビールなど、今でもときおり栓抜きを必要とするビールを手にすることもあります。
というわけで、我が家の栓抜きたちも、一年に何回かは出番があるというものです。


木の鳥は、私が持っていたもの、南部鉄の鳥は、夫の母が持っていたものです。
どちらも、銀座松屋のクラフト売り場あたりに並んでいたような気がします。


木の鳥は、丸くドリルで穴を開けたところに、栓抜き具をうまくはめ込んでいます。
こんな部品が一般的に手に入ったのか、それとも特注だったのか、まだ木工作家さんの少ない時代、ネジを簡単に締めるインパクトドライバーもない時代でした。


南部鉄の鳥の方は、尾と足で栓を抜くのですが、くちばしでも抜けるのかな?王冠に大小はないと思うのですが。


ビールケースのミニチュアは、ドイツの栓抜きです。


これも我が家に古くからありましたが、木の鳥に比べると、そう働きものではありませんでした。
というのも、栓抜きが必要なとき、これが栓抜きであることを忘れて、ついつい他の栓抜きに手が伸びてしまうからでした。


栓抜きの定番形のものは、新しいものです。インド雑貨のネットショップ、ティラキタで、何か買ったときにおまけにもらったものですが、手づくり感に溢れていて、気に入っています。


飲み物を売るお店の壁に取りつけてあった、「Coka Cola」と陽刻のあった鋳物の栓抜き。どこにでもあったビール会社の名前の入った栓抜き。実家にあった紛失防止の巨大は栓抜き。
みんなみんな消えてしまいました。


コルク抜きも、栓抜きほどではありませんが、このごろあまり出番がありません。
いつも買うような安いワインは、どれもねじり式のキャップです。


世の中、いろいろなものを後ろに残しながら、ひたひたと「簡便」になっています。






2015年11月24日火曜日

板敷山大覚寺


八郷の板敷山大覚寺の、釉薬のかかった青い瓦の屋根を葺き替えたと、S瓦屋さんから聞いたので、行ってみました。
県道からちょっとひっ込んだ山裾にある大覚寺。県道を通るたびに、青い瓦が目に入っていましたが、そう言えば最近、見ていませんでした。


わぁ、よくなっている!
やっぱり、いぶし瓦は素敵です。
この地点からは、見上げているので屋根の面積が小さく見えますが、遠くから見ると屋根の高さはもっと高いものです。


その高い屋根が、青い瓦だったときは、変に目立っていましたが、いぶし瓦にしてすっかり風景に溶け込んでしまいました。


本堂の左手には、二日前に上棟したばかりという、会館の木組みが見えました。
 

コンクリートの基礎は、今風にしっかり打っていますが、小屋組は、昔ながらの丸い梁を水平に積み上げる方法をとっていて、勇壮です。


ビニールで覆って養生している丸太は、見せる梁となります。
そして、奥に見えるのは、大覚寺に一つだけ、萱葺きの残っている建物です。
 

屋根の高さから、本堂ももともとは萱葺きだったと思われます。
それが、いつごろでしょう、色のついた屋根瓦が珍しくて流行った時代に葺きかえられて、青い瓦になっていたのです。
というわけで、建物としてはそう歴史のあるものではないと思っていましたが、足元を見るとすごい、何気なく使われている床板は、幅が三尺もある一枚板です。
元は、どんな木だったのでしょう!


本堂の軒先の獅子。


建設中の会館の前には池を中心に、回遊式の庭園があって、今紅葉の真っ盛りでした。


本堂の脇には、萱葺きだったときの棟飾りが置いてあります。
「大きい!」
木でつくって、銅板で覆った棟飾りの、その大きさにはびっくりしてしまいます。









2015年11月23日月曜日

瓦屋さん

S瓦屋さんに、作業棟の屋根の見積りをお願いに行きました。
八郷は、奈良時代に石岡に建てられた国分寺、国分尼寺の瓦を焼いた窯跡が見つかった、瓦焼きに歴史のある土地です。
瓦は田んぼの土を使いますから、谷津田を開拓するのと、瓦用のよい土が豊富に手に入ることはセットになっていたのでしょうか。
八郷には、今でも瓦屋さんがたくさんあります。しかし、おおかたの瓦屋さんは瀬戸、淡路島などから瓦を取り寄せていて、自分のところで焼いていません。
自分でも瓦を焼くのはS瓦屋さんだけ、もっとも土は群馬の藤岡から取り寄せています。


夫が話をしている間、私は勝手に休日の瓦工場見学です。


瓦を焼く窯は、二つありました。
この中で、いぶし焼きにして、いぶし瓦を焼くのです。


瓦は専用の、可動式の棚にぶら下げて焼くようです。


「ん?細い棒は何かしら」
瓦をぶら下げる棚には、細い棒の瓦がぶらさがっています。


上から抜いてみると、釘の形をした瓦でした。
瓦を留めるのに使うのでしょうか?
昔の瓦は、単純な形をしていて、大きい地震などではずるずると滑り落ちました。でも今の瓦は、複雑な凸凹形で、組み合わさって滑らないようになっています。


釉薬を掛けた瓦も、こうやって見るととっても素敵ですが、屋根に乗せると、よさが消されてしまいます。
この日、瓦屋さんは近くの古刹、板敷山大覚寺の会館の上棟に行くところでした。聞けば、本堂の屋根の葺き替えも終わったばかりだそうです。

 
いつの時代だったのか、色のついた釉薬瓦が流行った時期がありました。その時期に大覚寺は、萱葺きから瓦葺きに替えたので、青い瓦を使っていました。

年月が経ち、北側が苔むして傷んだので葺き替えたそうですが、今度は焼締め瓦(いぶし瓦)にしたそうです。
 

さて、瓦屋さんの蔵の鬼瓦、遠目にも、ものすごく立派です。


下屋(げや)の鬼瓦でさえ、この立派さ。


蔵の棟木(このあたりではうしと言う)には、鏝絵(こてえ)が一般的ですが、さすが瓦屋さん、瓦でつくった家紋をつけていました。
窓の飾りも立派、五重塔などにある木の組み方、何と言う組み方だったか、凝っています。