しばらく前に、まことさんのお店では印判の皿小鉢が山のように並んでいて、どれもできのいいものばかりでした。
さすが、東京で親の代から骨董屋をやっている老舗の底力。ディナープレートになりそうな大きな印判のお皿は、前に見た外国人の食卓を飾っていそうな極彩色の大皿に引けを取らない、見事さでした。
その中で、この二つしかないお茶碗が私を呼んでいました。
一つはよく使って、一つは全く使わなかったのか、重ねて焼くために糸じきがあたる部分の釉薬をどちらも丸く削りとっているのに、片方は年月を経て茶色く変色し、片方は白いままです。
コバルトの発色のいい印判染めです。
形、色、模様とその配置、お値段、どれも申し分ありませんでした。
それにしても、あまり見ない形のご飯茶椀です。
いまでこそ、「平茶碗」がありますが、昔のご飯茶碗はみんな深いものばかりでした。しかし、鉢という形ではありません。
右上の、祖父が使っていたご飯茶碗もあまりない形、下二つがご飯茶碗の定型です。
右上と左下は蓋もあります。
染つけや印判のお皿は、30年、40年前よりざくざく出て来て、値段は当時より安くなっています。こうした、祖先の代からあった皿小鉢がまったく必要のない生活がまん延したということでしょうか。
もっとも、まことさんのお店に大量に並んでいた印判は、コレクターの所から出たものだそうでしたが。
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