2016年5月3日火曜日

スリップウエアの浅鉢


骨董市で、まことさんの店にスリップウエアの浅鉢がありました。


スリップウエアは、おもにヨーロッパで、先史時代から見られた手法の焼きもので、鉢や皿に地色の釉薬をかけ、その上に別の釉薬を細く垂らしたり、筆で描いたりしてから、櫛状の道具で引っかいたりして文様を描く方法です。
日本には、民藝運動の頃、イギリス人のバーナード・リーチが紹介し、日本の陶芸家たちに大きな影響を与えました。


直径28センチ、高さ5センチ弱で、軽くて、とても使いやすい浅鉢です。


裏には、J.P.と刻印がありました。
「日本の作家がつくったものだよね」
とまことさんの店にいたお客さん。
「JAPANかと思っちゃった」
と私。
「もう一つ、同じサインのある大きいのがあるんだ」
とまことさんが示した先には、なんと直径が50センチ以上ある、恐ろしく大きなお皿がありました。

日本のものと疑いもしませんでしたが、後から考えると、Pという名前も苗字も日本にはほとんどありません。
もしかして、日本に滞在していたヨーロッパの方がつくったものでしょうか?

申し訳ないことに、今スリップウエアをつくられている作家さんがつくったらこれくらいするだろうという値段の、十分の一ほどでいただきました。
その上、欲しそうに愛でていた、古伊万里のなます皿を、
「おまけにあげるよ」
と、もらってしまいました。


江戸は幕末のお皿です。

 
職人さんたちが印判を知らない時代に、ひたすら細かく細かく筆を運んでいます。
ちなみに、日本に印判が紹介されたのは、明治になってからです。


ちょっと大きめなので、二人だと盛り皿としても使えます。


もう、食器は増やさないぞとの堅い決心はどこへ行ったの?
また増えてしまいましたが、とっても使いやすい鉢と小鉢で、重宝しています。






5 件のコメント:

  1.  なんと懐かしい名前に、、、
    まだ無名で農家が使う日常容器を作っていた小鹿田焼きを
    一躍有名にしましたね。(昭和30年後半だったような)
    小鹿田・小石原・上野焼きと時代と共に作風が現代的になるのも
    ちょっと寂しいけれど流れですね。

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  2. 昭ちゃん
    スリップウェアと飛び鉋ですね。
    昭ちゃんちにも飛び鉋のお皿ありますね(笑)。うちにも、飛び鉋のすり鉢とお皿があります。
    昔は、村はずれで、水車で土を搗いていたかしら?山奥の、ひなびたところでしたね。今でも水車で搗いているのかな?なにせ訪ねたのは半世紀以上前なので(笑)、今ではすっかり変わっているのでしょうね。

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  3.  唐臼ですね、
    観光地になると粘土や釉とすべてがかわっても〇〇焼きです。
     実家があった地元田川の里も二代目になりました。
    炭焼き時代釉薬をとかす木灰は全部父の処から、、、
    息子さんはメキシコで修行作風が変り時代の流れですね。

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  4.  春さんは話題が広いですねー
    初代熊雄さんの小さい壺があり
    蓋つきで高さ15センチです。

    くどくどごめんね。

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  5. 昭ちゃん
    熊雄さんて知りませんでしたよ。小石原の大田熊雄さんですね。あのあたりの方で覚えているのは高取静山さんだけ。二晩も泊めていただきましたから(笑)。
    ネット検索すると、静山さんは、1907年生まれです。月日の経つのは早いもんですね。

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