2017年4月28日金曜日

浪江の土からできていた

福島に、相馬焼きという、300年も続く焼き物がありました。たくさんの窯元があり、たくさんの陶芸家が、浪江町の土を使って作陶していました。
2011年3月11日の、地震による原発事故以後、浪江町は放射能汚染のため、すべての人が立ち退きました。
そしていまも、立ち入り禁止区域になったままです。


先日、次男夫婦と話していて、十年前の彼らの結婚式のときの引き出物だったカップが、相馬焼きだったことを知りました。
新婦あっちょの友だちが、つくったもので、友だちは浪江町に住んでいたのです。


原発事故以後、浪江町から逃げたその友だちは、いまは大分に住んでいるそうです。


あっちょの友だちがつくったものであることは知っていましたが、浪江町の土でできたものだとは、そのときは聞いたかもしれませんが、覚えていませんでした。






2 件のコメント:

  1. 春姐さん陶土も昔からあるのでしょうね。
    筑豊の上野焼は昔から4っの窯元でしたが今では無数にあり
    地元で焼けばすべて上野焼です。
    釉は木灰を混ぜるので儀父とは親交があり昔の物があります。
     最近白色の皿が、、、
    こだわる訳ではありませんが小石原焼の様な独自の作風以外は
    どこも同じになりました。

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  2. 昭ちゃん
    昔は、土を遠くまで運ぶことはできなかったので、益子の人は益子の土で、笠間の人は笠間の土で、小石原の人は小石原の土でつくっていたし、有田でしたっけ、門外不出の土(石)もありました。
    ところが今は、材料屋さんでブレンドしてある土を買ったり、自分でブレンドしたりできるので、作陶する場所は、つくる人が住みたいところ、ということになるのでしょうか?だから、笠間に住んでいる人でも、「笠間焼」をつくっているという意識は薄い人の方が多いかもしれません。
    でもこれをつくった方は相馬の土でつくっていらっしゃったそうです。
    引っ越しされた大分でも、似たような土で、同じようなものをつくっているのかどうか、そのあたりは知りません。
    確かに、どこででも似たものをつくれますが、飛びがんなとか、スリップウエアとか、やっぱり小石原の近くに多いんじゃないですか?

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