2017年5月21日日曜日

本の間から、「昔」が出てきた!

時折、思い出したように夫の本を片づけています。
長い間、居間の地下に、段ボール箱に入れたまま積んでいましたが、なにせ、地下室はカマドウマの集結場所になっていて、箱がカマドウマの糞だらけになっています。


おお、懐かしい!
ずっと夫の本棚にあった本が、久しぶりに姿を現しました。
左は昭和元年から30年までの写真、右は敗戦の年(昭和20年)から、60年安保の年(昭和35年)までの、新聞からピックアップした写真が載っています。


中にカビが生えていないかと、『写真昭和30年史』を開いたら、紙切れが出てきました。


たはっ。
「うちに、こんなものがあるのか?」
という古めかしさです。
  

裏返したら、映画館でもらえるパンフレットでした。
三輪自動車は、パンフレットの裏の広告だったのです。
「警察日記」とありますが、下に小さく「湯の町椿・東京の空の下には」 と書いてあります。


そして、パンフレットを開くと、中には、それぞれのキャストやあらすじが書いてありました。
字が小さくてその時はほとんど読めませんでしたが、宇野重吉、三橋達也などという文字が見えました。


場末の映画館では三本立てが当たり前でしたが、場末でパンフレットをくれたかしら?
いやはや、時代を感じてしまいました。







6 件のコメント:

  1. 春姐さんこれはすごいバイ
    こう言う記事の隅に載る宣伝が面白いです。
    また昭和27年代は歓楽地のゆすり・たかりがまだ多く
    同級生がその道だったので浅草などの案内を、、、、。
     出版界が紙質が少し良くなり全集物が出始めました。
    (世界文学全集や日本文学全集など)
    活字に飢えていました。
     昭和21年6月発行の「朝日年鑑1946」があります。
    阪急百貨店の宣伝文句に
    「昔のやうに安くて、よいものを、沢山に販売したい。」
    売は旧字です。(笑い)

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  2. 昭ちゃん
    夫はすごいバイ、ふる~い人間だったのだ(笑)。
    私も、村祭りとかで物心ついたときに映画を見たバイ。嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」とか、三益愛子の母ものとか、高峰秀子の「銀座カンカン娘」とか。
    なあんだ、私もふる~い人間バイ(笑)。

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  3. 姐さん私もその時代は洋画一辺倒でした。
    アメリカ映画「ステートフエァ―」などのカラー映画は
    日本語の字幕をスクリーンの横に別途写していましたので
    会話が進むと字幕の方が遅れて、、、
    洋画はイーストマンカラーでしたがソ連映画は
    アグファー系なので赤みが強かったです。
    「石の花」など、
    検索すれば見られると思います。

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  4. 昭ちゃん
    小学生の私を誰も洋画を見に連れて行ってくれませんでした(笑)、歌舞伎とか、文楽はよく連れて行ってもらいましたが。
    最初の洋画は、たぶん叔父が連れて行ってくれた「オズの魔法使い」でした。「灰とダイヤモンド」とか、「望郷」など古い映画を見たのは、大学生になってからでした。

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  5. ジャンギヤバンのペペルモコですね、
    灰とダイヤモンドは当時流行りの問題作です。
    オズ、、、はジュデイガーランド。
     私も姐さんよりもっと古い人間ですー

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  6. 昭ちゃん
    あっはっは、全部ご存知でしたね。ジャンギャバン、かっこよかったですね。「灰とダイヤモンド」のマーチェクはみんなのヒーローで、どちらも、繰り返して何度見たとかで盛り上がっていました。
    もっとも、私の学生時代はヌーベルバーグの全盛で、フランソワ・トリュフォー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ベルイマン、ジュールス・ダッシンなど、よくわからないところもひっくるめて、ああでもないこうでもないと、楽しみましたよ。
    ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」のラストシーン、このところ、アラン・ドロン引退の話を聞いたせいか、草刈りなんかしていて、なぜかよく目に浮かびます。

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