時折、思い出したように夫の本を片づけています。
長い間、居間の地下に、段ボール箱に入れたまま積んでいましたが、なにせ、地下室はカマドウマの集結場所になっていて、箱がカマドウマの糞だらけになっています。
おお、懐かしい!
ずっと夫の本棚にあった本が、久しぶりに姿を現しました。
左は昭和元年から30年までの写真、右は敗戦の年(昭和20年)から、60年安保の年(昭和35年)までの、新聞からピックアップした写真が載っています。
中にカビが生えていないかと、『写真昭和30年史』を開いたら、紙切れが出てきました。
たはっ。
「うちに、こんなものがあるのか?」
という古めかしさです。
裏返したら、映画館でもらえるパンフレットでした。
三輪自動車は、パンフレットの裏の広告だったのです。
「警察日記」とありますが、下に小さく「湯の町椿・東京の空の下には」 と書いてあります。
そして、パンフレットを開くと、中には、それぞれのキャストやあらすじが書いてありました。
字が小さくてその時はほとんど読めませんでしたが、宇野重吉、三橋達也などという文字が見えました。
場末の映画館では三本立てが当たり前でしたが、場末でパンフレットをくれたかしら?
いやはや、時代を感じてしまいました。
春姐さんこれはすごいバイ
返信削除こう言う記事の隅に載る宣伝が面白いです。
また昭和27年代は歓楽地のゆすり・たかりがまだ多く
同級生がその道だったので浅草などの案内を、、、、。
出版界が紙質が少し良くなり全集物が出始めました。
(世界文学全集や日本文学全集など)
活字に飢えていました。
昭和21年6月発行の「朝日年鑑1946」があります。
阪急百貨店の宣伝文句に
「昔のやうに安くて、よいものを、沢山に販売したい。」
売は旧字です。(笑い)
昭ちゃん
返信削除夫はすごいバイ、ふる~い人間だったのだ(笑)。
私も、村祭りとかで物心ついたときに映画を見たバイ。嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」とか、三益愛子の母ものとか、高峰秀子の「銀座カンカン娘」とか。
なあんだ、私もふる~い人間バイ(笑)。
姐さん私もその時代は洋画一辺倒でした。
返信削除アメリカ映画「ステートフエァ―」などのカラー映画は
日本語の字幕をスクリーンの横に別途写していましたので
会話が進むと字幕の方が遅れて、、、
洋画はイーストマンカラーでしたがソ連映画は
アグファー系なので赤みが強かったです。
「石の花」など、
検索すれば見られると思います。
昭ちゃん
返信削除小学生の私を誰も洋画を見に連れて行ってくれませんでした(笑)、歌舞伎とか、文楽はよく連れて行ってもらいましたが。
最初の洋画は、たぶん叔父が連れて行ってくれた「オズの魔法使い」でした。「灰とダイヤモンド」とか、「望郷」など古い映画を見たのは、大学生になってからでした。
ジャンギヤバンのペペルモコですね、
返信削除灰とダイヤモンドは当時流行りの問題作です。
オズ、、、はジュデイガーランド。
私も姐さんよりもっと古い人間ですー
昭ちゃん
返信削除あっはっは、全部ご存知でしたね。ジャンギャバン、かっこよかったですね。「灰とダイヤモンド」のマーチェクはみんなのヒーローで、どちらも、繰り返して何度見たとかで盛り上がっていました。
もっとも、私の学生時代はヌーベルバーグの全盛で、フランソワ・トリュフォー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ベルイマン、ジュールス・ダッシンなど、よくわからないところもひっくるめて、ああでもないこうでもないと、楽しみましたよ。
ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」のラストシーン、このところ、アラン・ドロン引退の話を聞いたせいか、草刈りなんかしていて、なぜかよく目に浮かびます。