『韓国の藁と草の文化』(イン・ビョンソン著、法政大学出版局、2006年)は、再版していないのか、定価より高い値段でしか売られていません。
欲しいけれど、高いなぁと、しばらく迷っていましたが、「困ったときの息子頼み」、久しぶりに息子に買ってもらいました。
この本は、著者のイン・ビョンソンさんが十年の間、全国の農村に足しげく通って撮りためた、たくさんの写真(130ページ)と、その写真にまつわる本文(380ページ)と、そしていくつかの「もの」の詳細な図解つきのつくり方(83ページ)とからなる、分厚い、力作です。
どれも現地で撮った、240点の写真は圧巻で、この写真から、韓国の農村が見えてきます。
写真は、各地域別に分類してあるので、地域によって、優先的に使われている材料が違うことが、よくわかります。
その土地、その土地の、稲わら、麦わら、雑穀などの穀物の茎、柳、萩、レンギョウなどの枝、クズ、フジなどの蔓、木の皮、木の根など、ガマ、真菰などの水草、カヤツリグサ、カラスノエンドウなどの草などなど、いずれもとても興味深いものでした。
ただ、竹も「草」の一種ですが、「竹でつくられたもの」の記述はほとんどありませんでした。
そのため、
「竹はどうなっているんだろう?」
という、知りたい気持ちが強く残されました。
私は、韓国の竹籠は一つも持っていませんが、竹でできた織りものの筬(おさ)は持っていますから、きっと竹籠もいろいろあると思うのです。
藁や草を道具に加工したものだけでなく、種子や、稲わらの保存に藁や草がどう使われたかという写真もたくさんあります。
家の屋根や垣根だけでなく、雨が跳ねるのを防ぐために、藁を庭にまで敷いたことは、初めて知りました。
古くなれば飼料や堆肥材料として使い、また新しいのを敷くそうです。まるで、青天井の部屋が一つ増えたような気持ちよさが伝わってきます。
たくさんのものについて、図解で詳しい作り方が載っているところも、この本の楽しいところです。
藁人形のような、比較的簡単なものだけでなく、猫編みのむしろ、
柳細工の箕など、もうつくる人が少なくなっていて、次世代に継承する必要のある、伝統の編み方も図解されています。
ただ、ちょっと引っかかったのは、本文でした。
例えば、
「○○細工をつくる人は、もっともらしい由来書など持っていて、「両班の仕事」を匂わせているけれど、伝統的には、○○細工は最下層の遊牧民が従事してきた」
というような記述です。
また、著者は、自分の脚で全国の職人さんや農家を訪ね、訪問の理由を話して、親切に受け入れてもらっているのですが、
「その家は、夫人が病気で働けないせいか、家は散らかり放題だった」
とか、
「小さな家で柱は細くて貧相で、下層民に違いない」
というような、「藁と草の文化」に関係ない記述が随所に出てきます。
私の察するところ、彼女は両班の出自なのでしょう。
そして、上流階級は見向きもしないような農民文化に目を向けてみたものの、世間に向かって、「実は私は両班なのですよ」と言いたくて仕方がないのかなと、感じました。
もともと、韓国国内向けに書いたものを翻訳されたもの、韓国の文化事情について、ほとんど知らない私が、とやかく言う筋ではありませんが、こんな記述さえなかったら、もっともっと楽しめた本でした。
さて、『韓国の藁と草の文化』に載っているもので、私も持っているものがありました。
右の「頭上運搬用の輪」は、ソウルの荒物屋で買ったものですが、 本によると、京幾道でつくられるもの、縄を細く綯い、丸くしたものを稲藁でくるくる丁寧に巻いて形をつくり、ガマ、カヤツリグサ、カヤ、などを巻いて仕上げます。
以前は、一家に五、六個はあり、水がめや、農繁期に野に昼食を運んでいくときなどに使われたそうです。
左の二つは、「布地束子」です。仁寺洞(インサドン)の骨董屋で買ったものですが、江原道でつくられていました。
今も、普通の束子はつくられているのですが、布地束子とは、材料が違います。著者はやっと、材料を知っているという82歳の女性と出会い、一緒に掘りに行って材料を目にしています。
それは、ソルプルという、高さ1メートルくらいの植物(写真があるのですが、たぶんイネ科)で、掘ると、束子づくりに適したまっすぐな、放射状に伸びた根が採れ、乾くと硬くなったそうです。
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