貞光川の西岸の赤松集落に、Wさんのお家は建っています。
南を向いているWさんの家からは、遥かに下の家々が見渡せ、雲さえも眼下にありました。
屋敷は、奥行きが短く、横に長く建ててあり、家の前には石垣を高く積んで庭にしています。
そして、庭から畑には、急な階段で傾斜地のままの畑に降りて行きます。
以前、1995年ごろだったか、徳島の方に、祖谷(いや)に連れて行っていただいたことがありました。 祖谷では畑を等高線状ではなくて、等高線と直角に耕していて、「こんなことがあるんだ!」とびっくりしましたが、つるぎの村々の畑は等高線に沿って作物がつくられていました。等高線に沿って植えると、土壌流失が防げます。
訊かなかったけれど、祖谷には祖谷の、例えば水はけが悪いなどの、何か理由があったのだと思います。
W家でご馳走になったのは、ジャガイモ団子、硬い豆腐、こんにゃくなどの田楽でした。すべて自家製で、たれも自家製の味噌に、山椒やゴマを混ぜたものでした。
また、手間暇かけてつくる、郷土食の「ソバ米雑炊」は、とても美味でした。
畑の美しさを見ただけで、Wさんの暮らしぶりがわかるというものですが、興味深いものが、あちこちにありました。
鎌差しは、板に穴を開けてそこに刺していますが、奥にもう一枚板があるので、危なくありません。
「クワなどはどうやってしまっているんですか?」
クワ、スコップ、鎌などをしまうところをどうつくろうかと考えている最中なので、訊いてみました。
「奥の方だよ。そんなにきれいにしまってないが」
と、案内してくださったところは、やっぱりきれいでした。
「もう一本、下の方に横木を渡して置いたら、人がぶつかっても、クワが簡単に落ちないんだがな。ぶつかるような子どももいないから、こんなふうにしまっているけれど」
Wさんはそう言っていましたが、とても参考になりました。
「長靴干しもあっただろう。あれもつくったんだよ」
「あぁ、見ました」
長靴干しも、便利そうでした。
鎌差しや長靴干しがぶらさがっている、収穫物の乾燥場そのものが、景色が損なわないように雨除けになっていて、とっても居心地のいい、使い勝手もいい、素敵な空間をつくり出していました。
かつてタバコをつくっていたころ、平地ではタバコ乾燥小屋を建てなくてはなりませんでしたが、山地では、自然の風で十分乾いたそうです。
また、途中で何か所かお茶畑を見ましたが、風車がなくても、自然の風だけで霜除けがおこなわれ、お茶は霜害なしで育てられるそうでした。
Wさんの家のわきには、山からの水を利用した臼がありました。
これも、鍛冶屋さんの手も借りたのかもしれないけれど、Wさんの自作です。
水が、先端の受けにいっぱいにたまると、重みで落ちて水をタンクに吐き出す、「鹿威し」の仕組みでつくられています。
この日は、石臼にはトウモロコシが入っていましたが、おもにソバを搗きます。
石臼は、かつてお餅などを搗いていたものの再利用だそうです。
もてなしてくださった、Wさんご夫妻です。
こんな天空に暮らしていたら、毎日、生きている喜びが湧き出てきて、いろいろなことにワクワクするに違いないと、思いました。
春姐さん有名な祖谷渓谷ですね
返信削除雲の位置で標高が解かります。
車で上がれるのでしょーか
こういうところは夕立のあとに取り残された雲が
何本も谷に沿って昇る様は素晴らしい眺めです。
昭ちゃん
返信削除祖谷は三好市にあり、20年ほど前に行きました。今回行ったのは、つるぎ町の村々でした。
今は車で上がれますよ。ジグザグと行きます。祖谷に行ったときも、車で連れて行ってもらいました。
この日は降水率が50%を超えていたので覚悟していたのに雨が降らず、雲が谷に沿ってどんどん昇っていて、どこも素晴らしいながめでした。
一つの集落で、標高差が500mもある村もありましたよ。
高知の方が参加されていて、高知の山の集落はどこも南向きだと言っていましたが、徳島は北に吉野川があって南に山があるので、基本的には北斜面ですが、支流が吉野川と直角に流れている関係で、東西南北どんな斜面にも村がありました。どこもそれぞれ、いいところがあり、育てられる作物が違ったりしているようでした。
空に住んでいたら、神様みたいな気持ちになるかしら?
こんにちは。Wさんご夫妻の笑顔、後ろの景色、素敵ですよね。階段のような畑が綺麗です。お尋ねしたくなります。
返信削除Bluemoonさん
返信削除素敵でしょう?定住して農民になったNさんも、地域おこし協力隊のSさんも、ネットワークに力を入れていましたから、今度日本にいらしたとき、訪ねてみたらいかがですか?
外国からのお客さまも多いようで、Sさんは、大阪にいたときよりずっと英語を使う機会が多いと言っていました。
家の下に雲があるなんですごいですね~。航空写真で見てみると四国って山深いんですね!吉野川が東西一直線に流れているのも地形的にちょっと面白いです。
返信削除hiyocoさん
返信削除海峡を挟んで本州に紀ノ川が流れていますが、紀ノ川は地元では「吉野川」と呼ばれているそうです。それで、四国の吉野川と双子みたいに類似しているのですって。面白いですね。
終戦直後も、山に暮らす人たちは飢えたことがなかったという話が、印象的でした。平野より土壌も気候もバラエティーに富んでいて、いろいろなものが生産できたようです。
愛媛の山奥出身の友人が、「大江健三郎が山奥出身だと言っているけれど、彼の村は山の入口だよ、俺の方が山奥だ」と言っていました。その彼が結婚することになって、お連れ合いの実家を訪ねたら、上野村だったかその近くだったか(御巣鷹山の近く)、「げぇ、こんな山奥が日本にあったんだ!俺の村の比じゃない」とびっくりしたと言っていましたから、日本も面白いですね(^^♪