2018年12月14日金曜日

『絵本寶能縷』(えほんたからのいと、かゐこやしなひ草)


ちらっと見たとき、表紙が繭の文様とわかりましたが、ただの意匠で、中身まで養蚕のことを描いた本だとは思いませんでした。

『絵本寶能』は、勝川春章(1726-1792)と北尾重政(1739-1820)の二人が、蚕の飼い方から絹織物ができるまでを、12枚の絵で絵本仕立てで描いた、木版画の和綴じ本で、天明6年(1786年)に発行されています。


まずは、種紙に産みつけられた蚕の卵を、飼育箱に写しているところからはじまります。


桑の葉を集めているところ、桑は、かなり大きな木に仕立てています。


まだ蚕が小さい時期は、桑の葉を刻んでやっています。
籠、箕、桶、包丁などの道具、どれも興味深いものです。


この絵では、桑をやらないで蚕を休眠させているようです。
字が読めないので、まったくの推測ですが、休眠中に飼育箱の掃除をしているのかもしれません。


蚕の生育過程はこんな感じです。


大きくなった蚕に、また餌やりを再開しています。
しかし、飼育箱からいきなり筵(むしろ)になっているのは何故でしょう。


繭つくりのために入れてやった枝で、蚕は繭をつくっています。
この本は手引書だったのか、それとも都会暮らしの、蚕の飼育など知らない人向けの絵本だったのかわかりませんが、まぶし(蔟)として葉のついた枝を入れて、それに繭をつくらせるのは初見です。
江戸時代には、実際にこうしたことがあったのでしょうか?


日本のまぶしは、伝統的には稲わらで編んだものが使われました。


タイやラオス、カンボジアなどでは今でも、ぐるぐると仕切りをつけた大きな籠や、


箒草のような、枝を束ねたものが、まぶしとして使われています。


蚕に卵を産まさせているところ、この産みつけた種紙を、次の年まで保存しておきます。


卵を産み終わった蛾を放っています。


種として残す以外の繭は、蚕が蛾になって繭を食い破る前に煮て、生糸をとります。
この絵では、繭から繰り出している糸が一本になっていますが、一本では細すぎるので、たいていは何本か一緒にとって太くします。

北斎画、左のひごを結んで広げたようなものはまぶしでしょうか?

ネットで見つけた葛飾北斎の絵では、数本で糸とりしています。


残念ながら、「細糸、粗糸」など、断片的にしか読めないので、この作業はよくわかりません。
糸を「かせ」にして干しているのだけはわかりますが、手前ではなぜ繭を煮ながら糸をとっていないのか、右の二人が何をしているのか、よくわかりません。


養蚕は日本の主産業であったせいか、江戸時代には養蚕の絵がいろいろな画家によって繰り返し描かれていたようでした。
歌川広重が1874年に描いた、「かひこやしないの図」三枚組は、ガラスケース越しに撮られた写真のようで、はっきりと見えないのが残念ですが、左下の杭に糸を巻きつけている二人は、北尾重政が描いた、『絵本寶能』の10ページの絵と構図がそっくり、広重はこの絵を模して描いたと思われます。


白い布を織っている図です。
綜絖(そうこう)と経糸(たていと)の関係が、ちょっと変でしょうか。経糸は、一本おきに綜絖によって上下に分けられているはずですが、下になっている経糸はどちらの綜絖をも通っていません。
また、綜絖と踏み木との関係も変、綜絖と踏み木がつながっていないので、これでは、踏み木を踏んでも、経糸が上下しません。
もっとあらさがしをすれば、反物の幅もちょっと広すぎます。


橘守国(1679-1748)の描いたそっくりの絵を見つけました。勝川春章は、この絵をただ真似た可能性があります。
だとすると、蚕の育て方全般の絵にも、適当なところがあるのかもしれません。

というわけで、歌川広重といい、勝川春章といい、江戸の画家たちの多くは、実際の現場を見ずに、先達の絵を参照して描くことが多かったのでしょうか?
小さく見えている富士山を大きく描くのは想像力のうちだと思いますが、織り機などの絵となると、適当ではちょっとな、と思ってしまいます。


この本の最後のページに登場した呉服屋さんが、あの『四季の粧』にあったような小袖の絵を娘たちに見せています。
「お嬢さん、こんな模様に染めたらいかがですか?」
これは農村の絵ではなく町の絵ですから、勝川春章もよく実際を知っていたことでしょう。白地の反物と染め見本を見せて注文を取ることが一般的だったことがわかります。

ただ、かねぽんさんがコメントで指摘してくれたように、『四季の粧』が明治になって発行された本とすると、これはこれで、江戸の見本絵の形式を踏襲したかたちで、自由に発想した着物絵を描いたのかもしれません。

『絵本寶能』は、大正6年に復刻版が発行されています。
しかし、この本には復刻版のしるしがないので、江戸時代のオリジナルかもしれません。






6 件のコメント:

  1. 文章の現代語訳ならhttps://paradjanov.biz/art/favorite_art/favorites_j/2381/を順々に見ていけばわかります。この訳の引用元はおそらく東京農工大学の科学博物館が発行している「浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草」ではないかと思います(https://web.tuat.ac.jp/~museum/information/goods.html)。オンラインショップはなさそうなので、購入は東小金井に行かないとだめかもしれませんが、泥人形の中華料理屋さんってその近辺じゃないですかね?
    こちらも参考になるかも。http://web.tuat.ac.jp/~biblio/electron/yasinahigusa.html

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  2. hiyocoさん
    わぁ、ありがとう。読めないのは悲しい、何をしているのかわからなかった絵は、真綿作りだったんですね。
    糸を取ることばかり考えて、クズ繭から真綿を取ること、すっかり頭から抜け落ちていました。すっきりしました。
    あと、まぶしがシイの枝でつくられていたこと、初めて知りました。画家さんを疑ったりしてしまいましたが、お門違いでしたね(笑)。
    それにしても、私は知りませんでしたが、この本は復刻もされているしデータ化もされているし、よくよく知られた本だったのでしょう。
    東小金井はお察しの通り両親の住んでいた場所です。いま母は田無の病院に入院していますが、妹はそのあたりに住んでいます。今度機会を見て行ってみます。と言っても最近は目的地直行直帰で、なかなか寄り道できないのですが。

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  3. とても貴重な本日がでてきたんですね!
    それにしても、絵、絵本の持つ力に改めて感服です。春さんのコメントが良いからなのでしょうか。描く方も読む方も、力比べみたいです。

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  4. Akemi Fujimaさん
    すみません、長々と書いて(笑)。
    ついつい面白くなって書いてしまいましたが、ネットがない時代だったら、図書館に通わなくてはわからないことが簡単にわかるって、考えてみれば(考えて見なくても)すごい時代になったんだなぁと思います。
    そして、私は探し得なかったのですが、hiyocoさんが探してきてくれたサイトには現代語訳まで載っていました!
    すごいです。

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  5. フナコレタロです。先日小金井市の東京農工大学の博物館で頂いたお蚕さんを飼飼っています。今日その中の一種が上族しました  蔟のことがとても気になってしまいましたが。この記事のラオスの円箕を利用した蔟の写真の掲載許可を頂けませんでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。

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  6. フナコレタロさん
    どうぞご自由にお使いください。
    タイ、ラオス、カンボジアの蔟はとても興味深いものでした。繭をつくりやすいよう、そしてそれを取り出しやすいよう、日本でもどこでも多くの工夫がされてきたのでしょうね。
    私も小学生のころ、桑の葉を貰いに行きながら蚕を育てましたが、たくさん卵を産んだときは途方にくれました(笑)。

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