「うちわがある?」
と訊かれました。エアコンのない我が家の気温が、目いっぱい上がった午後のことでした。
「ある、ある」
もっとも、夏だからといってすぐ使えるように手元に置いてはいませんでした。
そう言えば、かつて夏はうちわや扇子が必需品でした。
学校にも汗を拭くハンカチと扇子は忘れずに持って行ったし、家では玄関の上がり框にうちわを用意して、来客にまずうちわを差し出し、そして冷えた麦茶かカルピスでもてなしたものでした。
骨董市に行くと、おもちゃ骨董のさわださんが、
「これどう?かわいいっしょ」
と小さなうちわを見せてくれました。
「ここに紙を貼ればいいんだよ。100円。どう?」
小さいので実用的ではないけれど、かわいい模様なのでいただいてきました。
このうちわは、笠間市稲田駅前ののざわ屋さんが夏にお得意さんに配ったものです。
のざわ屋さんはこれで見ると食料品、化粧品、そしてプロパンという、お互いに何の関係ないものをいっしょに商っていたようです。
家に帰って、修理しようとうちわをしげしげと見ると、ただ色紙を貼ればなおるというものではありませんでした。団扇を貫通している竹ひごが、端で本体の紙とがはがれて、浮いています。
まず、その竹ひごを、本体の紙にボンドで接着しました。
洗濯ばさみで、固まるまで押さえました。
裏面の竹は、色紙で隠すところでぶつっと斜めに切ってあります。
しかも、幅より厚みの方が高いので、洗濯ばさみではさむと滑って、竹がねじれてしまいます。
というわけで、裏面の竹はボンドをつけ後、しばらく手で押さえて接着しました。
うちわのつくり方としては、そう理にかなったものではありません。
持ち手につながった1本の竹を3つに割り、紙を貼るところまで皮つきで薄くして、それを広げながら直角に薄い竹ひごをはさみ、左右にも1本ずつ竹ひごを加えて紙を貼っています、
裏側は、色紙で押さえるところで持ち手から続いている竹をぶつっと切ってあるのですが、厚みがあるので、色紙で押さえただけではちょっと無理があります。使っているうちにここに力がかかって、まずここから壊れるのは目に見えています。
ただで配るものなので、ひと夏も持てば、御の字だったのでしょう。
裏の竹の最初の一本は指で押さえて接着しましたが、残り2本は同時にはさむと、竹に厚みがなくてもバランスを取ることができて、洗濯ばさみでおさえることができたました。指で押さえたままで、あれこれ他のことをしなくて済んで、やれやれでした。
ボンドが渇いてから、その上に色紙をヤマト糊で貼りました。
破れていたところにも色紙を貼りましたが、白い紙の方がよかったかもしれません
昭和30年代のものでしょうか?
七夕模様ですが、このころから、日本列島の夜は明るくなって、天の川はほとんど肉眼では見えなくなりました。
姐さん来客に向けて風を送ったりベットの病人にも優しい風を送る時代が
返信削除ありましたね、お助け達も昼寝・強制的
ポトンと音がしたので見ると親の方が、、、、団扇を落とした音です。
昭和32年父が入院したので病院使用に初めて扇風機を買いました。
昭ちゃん
返信削除そうでしたね。人に風を送っていたこと忘れていました。そういえば、テレビドラマなどでも、昭和30年代の物語を描きながら、男女の髪型が違う、服装が違うだけでなく、団扇を使う場面なんてなくなりましたね。暑くも寒くもなさそう(笑)。時代考証している人が知らないとしか思えません。
風を送るのは、商店からもらったうちわなどでしたが、お風呂の焚口では赤褐色の渋うちわを使っていました。
また、扇子も生活に組み込まれていましたね。私の祖父は、真夏は真っ白は麻のスーツを着て、パナマ帽をかぶり、自転車で(笑)あちこちに行っていましたが、墨絵が描かれた扇子を使っていました。女の子は花柄とかでいい匂いのする扇子を持っていて、お金持ちの方たちはビャクダンの扇子を使っていましたね(笑)。
商人のお客さんに風を送りながらの
返信削除「お愛想笑い」など知らなくて当然ですよね。
絵がかわいいですね。春さんが以前載せていた、塗り絵の女の子のように手足が太いー(笑)。暫く使って終わりのように、最低限の竹ひごだけで作ったのでしょうか。それにしてもよく色が焼けたりしないできれいに残っていましたね。
返信削除そうそう、茅葺屋根やゲバラTシャツにもコメントしたので、読んで下さいね~。
昭ちゃん
返信削除昔のおばちゃん、愛想笑いが上手でしたね。ちょっと高くて粋な声、手はうちわを止めない、目に浮かびます。
hiyocoさん
返信削除ごめんなさい。見落とさないようにしていたつもりだったのに、完全に見落としていました。
それに、これを書きかけたまま作業していて、またすっぽ抜けるところでした(汗)。
まぁ、ここ数日バタバタしていたからですが、申し訳ない。
昔、夏になると、酒屋、薬屋などいろんなところからうちわを貰いました。お得意さんに配る安価なものの定番だったのでしょう。でも、部屋に置いておきたいうちわなんて、ほとんどなかったんじゃないかしら。ありきたりの、でも涼しそうな柄、朝顔とか多かったかもしれません。
当時は脚も手も太い子の絵がもてはやされました。平面はともかく立体の置き人形(フランス人形?)になると、その足の太さが、けっこう異常でした(笑)。
うわぁ〜、どれも素敵ですね。団扇大好きなんです私。一本づつ手にとって眺めてみたいなぁ。右下の団扇はどんな素材で作られているのですかね。形も珍しいですね。女の子の絵柄の団扇は初めて見る骨のつくりです。昨年、自分で2本ばかり水団扇をつくりました。昔の団扇を北野天満宮の骨董市で見つけて秋の虫の図のものを手に入れたのですが、線の描き方や骨の作りなどどれも今では見られない趣のあるものでうっとりします。
返信削除hattoさん
返信削除右下のうちわはなんと、太い竹を2㎝ほどの幅にしたものを、節のところまで14枚に割いて、それを針金で、真直ぐな方から平らに綴りながら形を整え、最後にその針金を持ち手の先端(節の先を少し残している)に引っかけてつくったものに、紙を貼っています。紙はハトロン紙というのかな?昔包装紙にしていたような紙です。竹は紙を貼る前に整えていて、それにはみ出して紙を貼っています。
私は、自分の持っているものはだいたいどこでどうやって手に入れたか覚えているのですが、これは気がついたらあったので、買ったものか貰ったものかもわかりません(笑)。いったいどうしたのでしょうね。
女の子のうちわは力学的に、全然考えないでつくったものです(笑)。特に裏は、1㎜幅2㎜厚のひごを小さな色紙だけで貼って持たせるのは(私はボンドを使いましたが)、糊だけでは不可能に近い。変ですね。でもそういえば、四角っぽいうちわもありましたね。どうやってつくっていたのだろう?
うちわの骨のつくり方は、基本丸竹を裂いたのと平たくした竹を裂いたものがありますが、小さいころよく見ていたのは、渋団扇も含めて平たい方です。ネットで、丸竹のうちわが中国にもあるのを見つけました。丸竹のが中国から来たとしたら、平たい方も中国から来たのかもしれません。
うちわにも歴史ありですね。