2020年1月2日木曜日

五子十童圖

歌川貞景絵

江戸時代の浮世絵、五子十童圖です。
頭は5人、手足も5人分ですが、腹掛けを見ると10人分、見方によっては10人に見えるだまし絵です。

歌川芳虎絵

五子十童圖は江戸市民に好まれていたのか、いろいろな絵師によって描かれました。


五子十童圖は日本固有のものではなく、中国の連生貴子圖を真似たものです。


では、連生貴子圖(五子十童圖)は中国で生まれた絵かと言えばそうでもありません。

ボストン美術館所蔵品

どうやら、17世紀のペルシャ(現イラン)の「四頭の馬」が発端のようです。
その絵柄がヨーロッパや中国にもたらされ、各国で好みの絵柄で再生されたと考えられています。


こちらは、19世紀のイギリスのパズルカードです。

欠留人物更紗(あくびどめじんぶつさらさ)

しかし、文化が渡ってきては発酵した、どん詰まりの島国日本の、歌川国芳さんはすごい、14人の頭で35人に見えるだまし絵を描いています。








5 件のコメント:

  1. 春姐さん今年もよろしくあけみさんへの連絡にも使わせてね。
    あけみさんまたまた懐かしい地名を、、、
    武蔵小山のさきが林業試験所でした。戸越銀座や三軒茶屋は関東大震災で
    下町の商人が市外に移って立ち上げた商店街です、
    閑散となった原因は買い物思考の変化でそぞろ歩きの方の高齢化
    若い人の車社会です。
    私が外務省から軍需工場に、気球隊も荏原の星製薬の隣です。
    星講堂の丸屋根は残っていますか、
     春さん一連の写真送りますよ暫くおまちを、武蔵小山も。

    返信削除
  2. 昭ちゃん
    ありがとう。送るのは大変だから、昭ちゃんがUPしてくださいよ。
    楽しみにしています。

    返信削除
  3. 昭ちゃんへ 母の「遺族の家」のことを聞いたら、「出征兵士の家」というのもあったわ、と言っていました。そのような貼り紙をする理由について、私が「その家には男手がないから助けてねっていうサイン?」と聞いたら、「誇りよ」と言われました。よく母から、出征した兄たちの嫁と、井戸の水道を分かちあって調理をした話が出てきます。その井戸は後に近所の人たちと共同で使っていました。

    林業試験所は今は公園になっています。しかも立派な樹齢と起伏のある公園になっていて、柵のないテニスコートだったり、バックネットのない野球場になっていて、憩いの場になっています。星講堂は知りませんでした。調べてみたら、保存されていて見学もできるようです。今度行ってみたいと思います。

    昭ちゃんのブログを訪ねるようにします。

    返信削除
  4. akemiさんこちらこそよろしくぜひお出でください。
    今年で九州75年です。1945・11・23日東京を離れました。
     人生「塞翁が馬」昔の東京が残っていないもんねー
    ときどきは昔の夢を見てあと一歩で我が家!!目が覚めます。
    林業試験所のさきが武蔵小山目黒不動と続きますね。
     出征兵士の印は大きく遺族の家のほうが小さい・かまぼこ板の半分ぐらい
    立派でした。後日談もいずれ、、、
    五反田駅からの池上線なつかしいなー

    春姐さん説明つきで製作中時間がかかるバイ。

    返信削除
  5. 昭ちゃん
    ゆっくりでよかバイ。いそいどらんバイ。
    私もいつか、いただいた炭焼きの写真で何ができるか、やってはみます(^^♪

    返信削除