2020年6月30日火曜日

今日はのんびり


昨日、午前中は何でもなかったのに、午後から、三半規管がおかしくなったようでした。


動くときだけふらっとめまいがするけれど、作業に支障があるほどではなかったので、別の場所で組み立てた鉄筋を所定の位置に置いた後、さらに鉄筋を加えて結束線で結んだりしました。
結束そのものは難しい仕事ではないのですが、立ったり座ったり中腰になったりすると、足場も悪いので腰や脚に負担がかかり、土や砕石を動かすと手や腕に負担がかかります。


さて、何度か経験した熱中症の症状とはちょっと違う気もしました。いい年ですから脳梗塞も疑わなくてはなりません。作業は予定通りこなしましたが、夜は早めに横になりました。
しかし、起き上がれば相変わらずめまいがして、なかなか戻りません。途中、左手がしびれたので、あれっと思いましたが、なぁんだ、同じ姿勢で本を読んでいたので、しびれただけでした。


やがて夜も更けてめまいがしなくなり、今朝はほとんど通常ですが、ちょっとふわっとした感じが残っているので、作業は休もうと思っています。
ある種の熱中症だったのでしょう。


いやはや、コンクリート工事は荒仕事といいながら、我(+夫)ながらよく続くこと、苦笑せざるを得ません。
写真は母屋を北から見たところですが、一階部分は台所やお風呂場などの水回り、コンクリートでできています。
もう忘れてしまっていますが、どれほどの鉄筋が入っていることか、どれほどの鉄筋を曲げたことか、思い出したくないほどですが、おかげで快適に過ごせています。






2020年6月29日月曜日

県民投票はなりませんでしたが


報告が遅くなりましたが、東海第二原発再稼働の是非を問う県民投票を可能にする条例案は、予期していたことといえ、18日の県議会の連合審査会と、23日の本会議で、実質的な審議ほぼなしで、あっさり否決されてしまいました。


大井川知事は最後まで、自分の意見を言いませんでした。
初当選した2017年の知事選では、
「直接の意思表明の機会を与えてもいい。住民投票も一つのアイデアだ」
と発言していましたが、次期知事選挙への再出馬をにらんで、県民投票に消極的な自民の支援を得るためには、「賛成」とは言えなかったわけです。


「いばらき原発県民投票の会」の共同代表の徳田さんは、無念さをにじませながらも、
「各地で真剣に考え、話し合う機会がたくさん生まれた。生まれた芽は、長い年月をかけてしっかりと根を張って花開いていくだろう」
と、今後に期待を込めています。


たとえ県議会で否決されたとしても、87,000人の人々が、自分たちの未来について自分たちの意見を言う機会が欲しいと表明したことは、明日への一歩につながると信じます。







2020年6月28日日曜日

タマリンド


「スカラベ」と一緒に買った手ぬぐいは、染織作家「MIHANI」の「ワオキツネザル」でした。
マダガスカルに行ったことがないので、ワオキツネザルに特別な思い入れはないのですが、タマリンドは大好き、タマリンドにまつわる思い出は、樹も葉も実も含めて、数えきれないほどあります。もし、タマリンドが描かれてなかったら、きっと「工房うむき」の「コウモリ」の方にしたと思います。


さて、模様には不満はありません。


ただ、手捺染なのに、染料が裏まで浸透していません。
手ぬぐいにしては高額だったのに残念、もしネットショップでなく、店頭で手にしたとしても、ビニール袋に包装されているので、捺染が裏まで染み込んでいないことには、気づかなかったと思います。



 

とはいえ、ワオキツネザルもタマリンドもよく描かれています。


タマリンドは熱帯アフリカ原産ですが、インドで命名されたのか、学名はTamarindus indicaです。

私がプノンペンに赴任した1998年ごろには、あちこちに、樹齢が100年もあろうかというタマリンドの大木の並木がありました。まったく剪定などしていなくて、どれもいい樹姿で、道の上に緑の天蓋をつくっていました。
私も部屋探しをしたとき、3階なのに窓の外にはタマリンドの緑しか見えない部屋を気に入り、そこに住むことにしました。窓の前に枝を広げていた木は特に大木で、大木信仰のあるカンボジアでは根元にお線香をあげる台が設置されていて、いつも誰かしらがお線香をあげていました。
ところが、どこかで強風でタマリンドの枝が折れて、道をふさいだことから、市では次々とタマリンドの幹を途中で切ったり、枝を払ったりすることになり、しばらくして私の住む通りのタマリンドも、順番に切られはじめました。



精霊も宿っている木なのに何ともならず、とうとう部屋の前の木も切られ、その時初めて、道の反対側の芸術大学の屋根瓦と、その向こうの王宮を、部屋から見たのでした。



以後、王宮に降り立つフンセン首相を乗せたヘリコプターを見たり、毎夕方、博物館をねぐらにしているコウモリが100万羽もで黒い帯をつくりながら出かける姿を見たりと、タマリンドが切られなければ見なかったものを見ましたが、残念は残念でした。



いつもは、路上生活者であふれている歩道ですが、結婚式の行列が通るときには、彼らは一時的に排除されました。
コテンパンに切られたタマリンドも、少しずつ枝葉を伸ばしていきましたが、部屋に住み始めた当時は、右にちらっと見える大木と、左の木の枝はくっついて、隙間がありませんでした。


2001年にカンボジアを去りましたが、2010年に1日だけ訪れたことがありました。


開発が進んで忙しい大都会になっていたプノンペン。誰も街路樹などにかまっていられないのか、ほとんどの木にインドボダイジュなどの溶樹が宿り、タマリンドなど、もともとの木は青息吐息の様子でした。
あの、ポルポト時代も生き延びたタマリンドたちは街から消え、甘く改良した栽培種だけが、果樹園で見らる日は、すでにやってきているのかもしれません。






2020年6月27日土曜日

驚きの「工房うむき」

早朝に草刈りをしても、汗が滴る季節がやってきました。
首に巻いて、ときおり汗を拭く手ぬぐいが欠かせません。どうせぼろを着ているし、ほとんど古いタオルで済ませていますが、ときおり手ぬぐいを巻くことがあります。
手ぬぐいはいろいろ持っているのですが、中にはプリントのものがあります。表には模様があるのですが、裏まで色が浸透していないものです。そんな手ぬぐいは、布そのものが目が詰まっているのか、使いにくいのです。
また、裏表同じ模様でも、張りがないものもあります。安くつくろうと薄い布を使っているのか、汗を拭くだけなら問題ないのですが、頭にかぶったりすると、くしゃくしゃで頼りなくて、これも使いにくいのです。
というわけで、手ぬぐいにも使いやすいのと、そうでないのがあります。よい手ぬぐいはたいてい手染めです。そんな手ぬぐいは、端を手でくけて、洗ったらアイロンをかけて、大切に使っていますが、好きになれない手ぬぐいは、ついぞんざいに扱ってしまいます。

さて、hiyocoさんは実店舗に行ったことがあるという、「うみねこ堂」で扱っている手ぬぐいは、どれも素敵です。
ときおりネットショップを覗いて楽しんでいたのですが、いいなと思って見ていた手ぬぐい、「日本の鯰」は売り切れてしまいました。


見ているだけでは、なくなってしまって後悔するかもしれません。
というわけで、手ぬぐいに困っているわけでもないのに、「スカラベ」と「ワオキツネザル」の手ぬぐいを買ってしまいました。


「コウモリ」の手ぬぐいも好きで、迷いましたが、「スカラベ」にしました。


 

かわいいの、ちょっと気持ち悪いのいろいろいて、楽しめます。


さて、「うみねこ堂」もマニアックなお店だけれど、「工房うむき」のホームページを見てびっくり、たいへんなマニアックぶりです。
ホームページの冒頭には、
「ワーキングプアの原因は、いっこうに売れない生物多様性陶器か、手間ばかりかかるロハスな生活か.....」
と書いてあり、本業は焼き物屋さんのようでした。


タガメ、コノハムシ、イボタガ、ヒキガエル、コウモリなどのお皿はリアルにつくり込まれていて、鳥肌が立ちそうでした。
ヒキガエルのお腹に盛った食べものは、美味しそうに見えるのかなぁ。


スカラベの蓋ものもありました。


ガマ戦車の蚊遣り、28,000円。ガマ忍者の蚊遣り、20,000円。
何日もかけて、手で形づくるのだから、それくらいはするだろうなぁと思いながら、働いても働いても貧乏(本当かどうかは知らないけれど)なのが、わかる気がしました。






2020年6月26日金曜日

鶏を抱いた乙女

『ロシアのマトリョーシカ』より

ロシアのマトリョーシカ、「鶏を抱いた乙女」は、1900年にパリで開催された万国博覧会に出品され、高い評価を得ました。
8個の入れ子でつくられた娘たち(と1人の男の子)は、伝統衣装のサラファンを身につけ、頭に更紗のスカーフ(プラトーク)を巻いている、農家の子どもたちの姿を描いたものでした。
プラチナの針を熱して細い線を描く、19世紀末にロシアで流行した焼き絵の技法が使われていて、装飾は控えめでした。

19世紀のロシアでは、各地で木彫り、旋盤細工(轆轤(ろくろ))、陶器、金属、張り子などのおもちゃが盛んにつくられていて、マトリョーシカが生まれるための、十分な素地がありました。とくに、モスクワ郊外のボドリスク郡では木工が盛んで、旋盤業に携わる職人は当時、100人を越えていました。
この地では昔から、中を刳り抜く細工が知られていて、入れ子になったイースターエッグには、100個組みの入れ子になったものもありました。
19世紀末、教育玩具が盛んにつくられた時代に、資産家マーモントフ夫妻は工房《幼児教育》を立ち上げ、「地域の技」を発掘し、評価し、世に広めようとしました。
1890年代の終わりごろ、マーモントフ夫妻の工房で、旋盤工のズビョーズドチキンが、8個の入れ子になったマトリョーシカをつくりました。雑誌でヒト形の木っ端を目にしたズビョーズドチキンは、同僚たちの助言ももらいながら、もっと人間らしく見えるよう形をつくって、中を刳り抜いて入れ子にしました。日本の箱根細工の入れ子の七福神やだるまも、彼を刺激したと言われています。
マモントフはズビョーズドチキンの入れ子が気に入って、画家であるマリューチンに彩色を頼みました。そしてこれを、1900年のパリ万国博に出品したのです。

マトリョーシカ「鶏を抱いた乙女」は、パリ万国博で大人気を博し、銅賞を獲得しました。
以後、ロシアではたくさんの芸術家たちや職人たちがマトリョーシカづくりに携わるようになりましたが、ヨーロッパでの人気に応えて安定供給するためには、地域を定めて大量生産が可能なおもちゃとして、生産体制を再構築しなくてはなりませんでした。その拠点となったのが、セルギエフパサードでした。
その後、セミョーノフなど、ほかの地域にもマトリョーシカ産地ができ、ソヴィエト時代になっても、マトリョーシカがつくられ続けてきました。

コケーシカのブログより

「鶏を抱いた乙女」は、マトリョーシカの原点でした。
セルギエフパサードのマトリョーシカの中には、その姿を踏襲するものもありましたが、大量生産のため、絵つけは簡略化されました。

コブロフスタジオ作

しかし、ソヴィエト崩壊後には、何人かの作家たちによって、「鶏を抱いた乙女」の復刻版が試みられています。


我が家にも、アンニャ・リャボヴァさんの「鶏を抱いた乙女」があります。
しかし、鶏や鎌を持っているものの、初めてのマトリョーシカを忠実に写したものというより、リャボヴァ色の強いマトリョーシカです。


『ロシアのマトリョーシカ』より

それに比べると、マリア・ドミートリエバさんの「鶏を抱いた乙女」は、一目でマリアさん作とわかるものの、ほぼ完全な復刻版となっています。
マリアさんは、「鶏を抱いた乙女」のマトリョーシカをもとにして、抱き人形(写真の左下)もつくっています。こちらはさらに当時のロシアの乙女を彷彿とさせています。


さて、今年の3月の半ば、あるロシア雑貨店の店主のブログで、ナタリア・バローニナさん作の「鶏を抱いた乙女」の復刻版がロシアから発送されたという記事を見つけました。
マトリョーシカに関心がある人なら、見過ごせない復刻版、ダメもとで訊いてみると、2セットのうちの1セットはまだ嫁入り先が決まっていなくて手に入るとのこと、4月初旬には手元に届くというので、喜び勇んで購入することにしました。
私のマトリョーシカ収集の、集大成にふさわしいマトリョーシカだと思ったからでした。

ところが、コロナ騒ぎで運輸が滞り、待てど暮らせど届きません。
5月のはじめにはショップから、どうなったかわからないので、もし解約するなら返金するとの連絡もいただきました。しかし、ナタリア・バローニナさんの復刻版を手にすることのできる、最初で最後のチャンスだと思い、私は届くまで待つことにしました。


ロシアからの荷物はどこをさまよっていたのか、3か月余を経て、6月も半ばも過ぎてやっと日本に届き、そして我が家にやってきました。


思ったより大きいもの、高さが21センチありました。
昔のセミョーノフのマトリョーシカならいざ知らず、現代つくられているものはほとんどが16センチ以下、21センチはかなり大きく感じます。


何度も見たことがあるので、知っていたといえば知っていた子どもたち、知らなかったといえば知らなかった子どもたち。どれもが「ロシアの子」を彷彿とさせています。


初めて見る後ろ姿、前から見るとエプロンで隠れていますが、素朴な模様のサラファンやスカートが、なかなか素敵です。


色や模様を忠実に再現しているのに、マリア・ドミートリエバさんの復刻版同様、一目でナタリア・バローニナさん作とわかるのが面白いところです。
改めてお二人の力量を感じた、復刻版マトリョーシカでした。






2020年6月25日木曜日

今日も雨


このところ、梅雨らしいといえば梅雨らしい、雨が降る日が続いています。
雨がやんだときは、
「すわ家づくり!」
と勇みたいところですが、雨で喜んだ草や生垣の木は伸び放題、手入れをしなければ、限りなく自然に勝たれてしまうことになります。
「何を優先させるか?」
何を優先させても、どれも、なかなか行き届きません。


昨日は、坂道のドウダンを刈り込み、グリーンベルトの草むしりをして、少しだけすっきりしました。グリーンベルトには、勝手に生えたギンランの株がありますが、花はとっくに終わっています。グリーンベルトのタマリュウの中に生えたタチツボスミレやクヌギ、コナラの苗は抜き取りましたが、ギンランは残しました。
覆いかぶさっていたムラサキシキブの枝も切りました。


建設の方も、遅々として進んでいます。
何にもないところで高さを出すのには、相変わらずたいへん、何度も測量器で計って確かめます。


高さも決まって型枠のパネルを設置した後、脚立の上で組んだ鉄筋をユンボで吊って、


所定の場所に置きます。


地上に出ている西の部分の下の方のコンクリートの壁厚は30センチでしたが、東部分の壁厚は、45センチあります。


雨が上がれば、少しずつでも作業できますが、今日は雨が朝から降り続いています。


午後にはやむでしょうか?