2020年12月9日水曜日

キーロフから来た少女



骨董市で、キーロフでつくられたマトリョーシカに出逢いました。
「何体セットだろう?」
と開けてみると12体セットで、欠損もなく傷もなく揃っていました。お値段も手頃、久しぶりにマトリョーシカを手に入れました。


最小の娘は楊枝の頭くらい、


見たことのない小ささでした。


キーロフ製の、スポンジで渦巻き模様をつけたマトリョーシカは、2つめです。プラトークだけでなく、目立ちませんが服にも渦巻き模様がつけられています。


渦巻き模様は、外から5人目までつけられていました。いつごろつくられたものでしょう?


すでに持っているキーロフの渦巻き模様のマトリョーシカは、以前、中に入っていた紙から、1984年製と書いたのですが、うかつにも底を見ていなかったことに気づきました。


底には、なんと「1959/9/8、帰りの飛行機で」と書いてあります。こちらを信じれば、1950年代のマトリョーシカとなります。中の紙と底の記載とどちらを信じればいいのか、キリル文字は全く読めません。
新しく手に入れた12セットのマトリョーシカの底にもスタンプの跡はあるのですが、紙も貼ってあったのか、スタンプは形跡だけで、何の情報も読み取れません。


キーロフのマトリョーシカには、手を描いてあるものもあれば、


手を描いてないものもあります。
これら6体が手持ちの(古い)キーロフマトリョーシカです。


そしてもう1体、セルギエフ・パサードでつくられたのか、キーロフでつくられたのか、私には判断がつかないもの(手前)もあります。



 

4 件のコメント:

  1. 値札的なものが気になってBERIOZLKAで検索したら、1964年にできた外貨で買い物をする国営小売チェーンの名前でした。1990年代半ばに閉店したそうです。となると1984年製の方が信ぴょう性がありますね。

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  2. hiyocoさん
    いつもいつもありがとう。中国と同じように外貨が使えるショップがあったのですね。当時のソヴィエトと言えば食べるものもなくて、お店には長蛇の列ができているという時代でしたものね。マトリョーシカは当時から外貨を稼ぐ優れたお土産ものだったのでしょう。
    私も紙に書かれた1984年の信ぴょう性を疑ったことはないのですが、もしこれを持っていた人がコレクターで、紙を別のマトリョーシカに入れた可能性はどうか?なんて考えていました。
    『マトリョーシカノート3』を見ると(書く時見ればよかった、笑)、あの紙の馬模様(?)のすぐ右のKではじまる文字はキーロフだそうです。また、1980年代になるとサラファン(エプロン?)の紐がなくなっているらしいから、右の小さめのものは1984年のものでしょう。では底に書かれた文字は?ということになりますが。国営小売店が1964年に出来る前、飛行機の中だけでお土産を売っていたという可能性も捨てきれないけれど、1959年と言えばJALもまだヨーロッパに入っていない時代、しかも船旅の方が普通だった時代、これを買った人がヨーロッパからソヴィエトに飛んだとして、観光はないし、留学でもないし(留学生に飛行機なんて無理無理)、外交官くらいしか可能性がない、ちょっと無理があるかもしれませんね。
    左のものに関しては12個セットという多さも、サラファンに紐があることも、最小のものは米粒状の無彩色というのも、1960年代のものらしいです。
    ちなみにキーロフでは1950年代から筆描きの、1960年代から麦わらを貼りつけたマトリョーシカをつくったようです。

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  3. ゴンドラの唄を聞くと父の青春時代
    大正を連想します。
    映画「生きる」で唄う志村さんがいいなー

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  4. 昭ちゃん
    ゴンドラの歌とか、琵琶湖周航の歌とか、なんとなく懐かしさを感じますね。リアルタイムでは知らないんだけれど。

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