当時暮らしていたタイには見られない編み方、平らに編んだ底を4か所で絞りながら半球形に仕上げるもので、染めた竹も使って、小さくて丁寧に編まれたものでした。
タイ国境に近いところに追い詰められたポルポトとその一味がまだ勢力を持っていた時代。ポルポト派を含む3派連合が、実体(国土)がないまま、国連にカンボジア正式代表と認められていた時代。キャンプにいる人たちは地雷を恐れながら、命からがら国境を越えて逃げてきた人たちでした。
それから10年、1990年、私は初めてカンボジアの土を踏みました。
そのとき、カンボジア国内に駐在していた同僚たちの案内で、南はタケオ県、西はバッタンバン県まで連れて行ってもらったのですが、仕事で行ったというのに、通りがかった町で籠屋さんや荒物屋さんを見つけると車を停めてもらって、一見することを怠りませんでした(そのときは、鎌の方を熱心に探していたのですが)。
しかし、籠屋さんの店先でも、荒物屋さんの店先でも、なかなかこれはと思う籠には出逢えませんでした。わりと粗雑につくられている印象でした。
やっと人々は圧政と内戦から完全に解放され、生活を立て直すのに精いっぱい。また、タイの難民キャンプにいる人たちは、国内が本当に安全かどうか、半信半疑で、自分たちの行く末を案じていたころでした。
それからまた約10年、1998年の暮れから3年ほど、プノンペンに住みました。
やっと人々は圧政と内戦から完全に解放され、生活を立て直すのに精いっぱい。また、タイの難民キャンプにいる人たちは、国内が本当に安全かどうか、半信半疑で、自分たちの行く末を案じていたころでした。
それからまた約10年、1998年の暮れから3年ほど、プノンペンに住みました。
市場に食料の買い出しに行くとき、ついでに荒物屋さんや籠屋さんの店先をのぞいてみることがありました。
必要に迫られて、市場で日常使いに買った籠は、縁はラタンではなく、針金で押さえたものでした。
そして、カンボジアに住んでしばらくして知ったことは、村でみんなが使っている籠は、村の籠師さんに注文してつくってもらったものか、あるいは自分でつくったもので、市場や篭屋で売られている籠とは、違うものだということでした。
カンボジアの箕で比べてみます。
まず、村の籠師さんにつくってもらった箕。
実際に、これらを使って農作業をしていたとき、ラタンの縁巻きが繊細過ぎてすり切れそうに感じたので柿渋を塗って補強したので、その色が「竹裏」に残っています。
村の人に、新しい箕と交換してもらった、使い古しの箕。
農家では誰もが、何かの樹液を塗って、籠を補強して使います。交換してくれたとき、頼まないのに樹液を塗り直してくれたので、てかてかしていましたが、10年もお米の収穫に使っているうちに、いい具合に落ち着いてきたものです。
そしてこれが、市場の籠屋さんで売られている、町の人向けの箕です。
市販の箕も、縁をラタンで巻いてあり、わりとよくできているものですが、村の籠師さんがつくった箕と比べてみると、ひごの太さや、箕を使う上で大切な「節」をジグザグに並べていないなど、できが違います。
そして裏。
村の籠師さんがつくる箕は、穀物の重さにも耐えられるよう、「綾」の向きが変わるところでひごを入れて補強してあります。
必要に迫られて、市場で日常使いに買った籠は、縁はラタンではなく、針金で押さえたものでした。
そして、カンボジアに住んでしばらくして知ったことは、村でみんなが使っている籠は、村の籠師さんに注文してつくってもらったものか、あるいは自分でつくったもので、市場や篭屋で売られている籠とは、違うものだということでした。
カンボジアの箕で比べてみます。
まず、村の籠師さんにつくってもらった箕。
実際に、これらを使って農作業をしていたとき、ラタンの縁巻きが繊細過ぎてすり切れそうに感じたので柿渋を塗って補強したので、その色が「竹裏」に残っています。
村の人に、新しい箕と交換してもらった、使い古しの箕。
農家では誰もが、何かの樹液を塗って、籠を補強して使います。交換してくれたとき、頼まないのに樹液を塗り直してくれたので、てかてかしていましたが、10年もお米の収穫に使っているうちに、いい具合に落ち着いてきたものです。
そしてこれが、市場の籠屋さんで売られている、町の人向けの箕です。
市販の箕も、縁をラタンで巻いてあり、わりとよくできているものですが、村の籠師さんがつくった箕と比べてみると、ひごの太さや、箕を使う上で大切な「節」をジグザグに並べていないなど、できが違います。
そして裏。
村の籠師さんがつくる箕は、穀物の重さにも耐えられるよう、「綾」の向きが変わるところでひごを入れて補強してあります。
それでも、市場の籠屋さんにもときおり、細いひごで丹念に編まれた籠に出逢うこともありました。
しかし、そんな村の籠師さんたちも、世界の常ですが、昔の籠師さんには及びません。
これは、樹液(漆?)を塗ってある平籠、目の細かさが違います。
内側は、この方が柔軟性が出るのか二本どりで、平編みにしています。
ところが、外側から見ると綾編みになっています。
しかも、ひごが通ってなくてずれている、複雑でどう編んだか見当もつきません。
縁の始末も、細かさが違います。
底は、安定するだけでなくひごが磨り切れないよう、板を当ててあります。
カンボジアでは美しい箱がたくさんつくられましたが、籃胎の箱、お寺に寄進された籠など、時間も手間も惜しまずにつくった、昔の籠師さんの心意気が伝わってくるものです。
しかし、そんな村の籠師さんたちも、世界の常ですが、昔の籠師さんには及びません。
これは、樹液(漆?)を塗ってある平籠、目の細かさが違います。
内側は、この方が柔軟性が出るのか二本どりで、平編みにしています。
ところが、外側から見ると綾編みになっています。
しかも、ひごが通ってなくてずれている、複雑でどう編んだか見当もつきません。
縁の始末も、細かさが違います。
底は、安定するだけでなくひごが磨り切れないよう、板を当ててあります。
カンボジアでは美しい箱がたくさんつくられましたが、籃胎の箱、お寺に寄進された籠など、時間も手間も惜しまずにつくった、昔の籠師さんの心意気が伝わってくるものです。
六本木で友達が竹皮店 職人が数人手際がいいです。
返信削除昭ちゃん
返信削除竹皮は本当に使い道の多いものでしたね。肉なども全部竹皮で。
もっと見直すとよい素材ですね。
竹皮は肉を包む紐にもなりますからね。
返信削除昭ちゃん
返信削除端をピリッと裂いてね。
今も中華おこわには使われています。
ついでに
返信削除子供の頃近くに肉屋があったので
アンぺラ知ってますよ。
昭ちゃん
返信削除し~らない(笑)。聞いたこともないよ!
漂着ものできます
返信削除日本の茣蓙のようなもの。
石井先生の「漂着事典」参考
返信削除昭ちゃん
返信削除そう言えば、言葉は知ってましたかね。言葉は知っていても、売ってるのとか見たことないです。
時代が違いますよ!(笑)
私たちの時代を知るには「わた史発掘、小沢昭一」文春文庫を
返信削除推薦します。
私より2才若いけど近い体験をしています。
昭ちゃん
返信削除ずっと前に、昭ちゃんに紹介されて、読みました(^^♪
彼は昭和4年生まれなのに昭四さんではなくて昭一さん。てっきり昭和元年生まれかと思っていました。
ちなみに、前も話したけれど私の叔母は昭ちゃんと同い年で昭子です(笑)。