2010年5月26日水曜日
米の計量枡
一斗(18リットル)の計量枡です。これにすりきり一杯が一斗ですが、縁が欠けたり、磨り減ったりして正しく計量できなくならないよう、鉄できちっと補強してあります。
とてもよく似た形をしていますが、これはタイの、一タン(20リットル)の計量枡です。一斗枡より少し直径が大きく、米を入れたときにすりきりやすいように、真ん中に持ち手を兼ねた棒が一本、渡してあります。
ずいぶん使い込んだものでしょうか。持ち手の棒がすっかり丸くなっています。
計量枡は公正であるために、どれも、寸分違わないものでなくてはなりません。その考え方を根底から覆すのが、カンボジアの計量籠です。
計量枡が、籠でできています。似たような大きさとはいえ、籠を編んでつくれば、決して同じ容量は求められません。最初は、「なんてことだろう」と思いましたが、話を聞いてみると、不都合はまったくないようなのです。
村で、あるいは近くの人々の間で、あらかじめ計量に使う籠を一つ、特定して置けばよいのです。遠くの人と日常的に取引するわけではありませんので、枡一杯借りたら、枡一杯(あるいはもうちょっと)返す、それが何リットルであろうと、かまわないわけです。
木の桶は、材料も、つくる技術も道具も必要なので、どの村でもつくれるというわけにはいきません。しかし、籠であれば、どこの村でも、誰かしら編める人がいます。しかも、材料は簡単に手に入り、できたものは軽くて使いやすいのです。そして、壊れても、気軽に新調することもできます。
日本では、一斗枡はとっくの昔に廃れました。今では、誰も使っていません。一升枡でさえ、使っている人は稀です。タイでも、村で一タン枡は見たことがありません。たぶん、町の米穀商などが使っていたものなのでしょう。
ところが、カンボジアの村に行くと、今でもみんなこの籠を使っています。村の定めた計量枡もありますが、各家庭にも、似た籠が一つや二つ、三つや四つあります。
かくいう私も二つ持っています。編み目が細かく、目詰まりしないので、籾摺りや精米のときに、とても便利なのです。
隣人が私の籠を見て、同じ目的に使おうと日本の籠を買ってきました。ところが、籠目からお米がもれて、あわてて和紙を張ったことがありました。カンボジアの計量籠は、細い竹でしっかり編んであるのですが、さらに各家庭で、籠に漆に似た樹液を塗って使います。
私の籠は、新しいのを籠屋さんにつくってもらって、村の人に、使い古しと交換してもらったものです。
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