2016年2月29日月曜日

どうやって切る?

二階の床を貼る前に、一つやっておかなくてはならないことがありましたが、億劫で先延ばしにしていました。


写真の、奥から二番目の梁の、ちょうど足場板が乗っている部分を切り取らなくてはならないのです。
ここには階段をつくるので梁があっては困りますが、骨組みを組む時は、この梁があることがなにか意味を持っていたのかもしれません。
太さは12センチですが、高さが21センチもあります。
手慣れた大工さんだったら、丸鋸で横から切るのかもしれません。しかし、丸鋸を横からしっかり梁に押しつけて、その重さを受け止めつつ、力を入れて切る自信はまったくありません。

どうするのが最善か、なかなか答えは出ませんでしたが、まず、丸鋸の重さを片手で支えなくてもいい上部だけを、丸鋸で切りました。深さ6センチ強切れました。
あとはどうしましょう?
結局、残りは手鋸でしこしこと切りました。


さて、片方を切るのは、問題ありません。梁自身が重みを支えます。しかし、もう一方を切るとき、切り離した梁の重さを、どうにかして支えておかなくては、切れる前に自重で折れてしまいます。

見切り発車しましたが、踏み台の高さがちょうどよかったので、踏み台の上に木っ端を乗せて高さを調節し、下から切り離す部分を支えました。


なんとか、両方を無事に切ることができました。


こんなに短くてもずっしりとした重さです。
 

何日か後回しにしていたのが嘘のように、うまく切れました。
いつでも、何でも、実際にやってみれば何とかなりますが、たいていはああでもないこうでもないと、事前に悩んでしまうものです。


足場板の脇に見えるのが、梁を切ったところです。
二階の床も、少しずつ貼れてきました。






2016年2月28日日曜日

瓦屋さんの仕事

職人さんがいるとき、あまり近づいて邪魔されたくはないだろうと、いつも遠くからその仕事ぶりを眺めているだけです。
でも、二階の床を貼っていると、そぐ目の前に下屋の上で作業する瓦屋さんが見えます。職人さんは、寡黙な人がほとんどですが、ついつい声をかけてみたくなります。
夫が「のし瓦」と言っていた瓦のことを訊いてみたら、ちょっと考えてから、「風よけ瓦」と教えてくれました。


この、瓦と壁の取り合いのところに葺く瓦です。


のし瓦は、平らで、ちょっと太鼓に膨らんでいる、桶の一片のような形の瓦ですが、突起のあるものとないものがあります。
それを軽くたたくと、あらかじめ割れるように線が入っているので、きれいに二つに割れます。


壁との取り合いの部分に、「土」と言われている黒い漆喰を厚く盛ります。「土」は白いものもあります。昔はしっくいに墨を混ぜてつくりましたが、今は既製品があります。
この「土」をつくる工場の多くは三陸海岸にあり、2011年の地震や津波で被害を受けたので、瓦屋根の修理がなかなかできなかったという経緯がありました。

「土」を盛ると、真ん中あたりから決めて、割ったのし瓦を置きます。


一段目は突起のついたものを置き、二段目は平らなものを乗せます。


風よけが完成したら、残しておいた寄棟の棟瓦を仕上げます。


棟瓦は、風よけ瓦と同じ、突起のついたのし瓦を二段積んだ上に、半円筒形の瓦を乗せています。


きれいにできあがりました。
このあと、瓦屋さんたちはこてで、のし瓦の下の「土(漆喰)」を、かりかりと、丁寧に丁寧に仕上げていました。
身体も首も曲げないと作業できません。私ならちょっとやっただけで足がつったり首が痛くなったりしそうですが、こての仕事は二時間も続いたでしょうか。
見えないところですが、つるつるになりました。

女性も、屋根の上をひょいひょいと歩くことはできますが、重い、四枚を束ねた瓦を両手に持って歩くとなると無理な気がします。
日々痛感することですが、男性と女性では身体についている筋肉の量が違います。

その昔、酒屋のおかみさんが、2ダースのビールが入ったビールケースを一人で持ちあげているのを見て、びっくりしたことがありました。
そして、男性がそのケースを二つ重ねて持っているのを見て、もっとびっくりしました。私なら、一つでも到底持てなかったからです。
大工さんも重い材木を持つこともありますがいっときで、四六時中ではありません。

男女平等と言いますが瓦屋さんを見ていると女性にはできない仕事のように思えてしかたありません。






2016年2月27日土曜日

瓦は、仕上げに入りました

昨日、瓦屋さんは最も多い五人体制でした。ときおりは親方(社長)も来て、確認したり、点検したりと、仕上げ段階に入ったようです。
「やくもの」と呼ばれる特殊瓦も、ほぼ運び込まれました。
これまでは、おもには分業でしたが、数人で和気あいあいと一緒に仕事していたりして、楽しそうでした。


一昨日の朝は、本屋根の切妻の端に飾り瓦がついていませんでしたが、


夕方には二本、半円筒形の飾り瓦が乗っていました。
下屋の屋根の先端には鬼瓦が見えます。


鬼瓦は、もともとは、端をきれいに始末するためのものだったのだと思われますが、その位置などから、悪霊などを追い払うのに格好なものとして、「鬼」と呼ばれるようになり、我が家では使いませんが、鬼の面の瓦が使われています。


我が家は基準として、芯々91センチを使っています。完全な尺貫法ではありませんが、尺貫法に準じているので、瓦はきれいに収まります。
それでも割りつけは、瓦屋さんの気の張る作業のようでした。


寄棟になっている、下屋の南西角に、棟瓦を乗せはじめたところです。


ほぼできあがったところ。


下から銅線を通してあるのが見えます。
これから、一つ一つ結びます。
 

その南西の角を見上げたところです。


東の端の、材木置き場にする場所の小さな切妻には、短い棟瓦が出来上がっています。


それを、反対側から見たところ。鬼瓦のない方の端の始末は、これからどうつけるのでしょう?
こういう、端っこ端っこを素敵に収めることが、日本瓦の神髄と思われます。


コンクリート柱との取り合いは、夫が足が悪いせいもあって、瓦屋さんが板金仕事をしてくれました。瓦職人でありながら、足場仕事も板金仕事もできるなんて、鬼に金棒です。
この取り合いが雨仕舞の一番難しいところですが、コンクリートに溝を彫り、銅板を埋め込んでいます。銅板はすぐ色が変わるので、ほとんど目立たなくなります。
さらに棟瓦を乗せるので、とがった部分は隠れます。


「ねえねえ、壁と瓦との取り合いはどうなるの?」
「そんなことも知らねえのか」
「知らないよ」
夫は、めんどくさそうに、それでも教えてくれましたが、どんな瓦を二段積むのか、もう忘れてしまいました。







2016年2月26日金曜日

大工道具入れ

瓦屋さんが素敵な道具入れをトラックに積んでいました。
底の面積が広くて高さが低い帆布の袋で、入っているものが一目でわかり、水糸などがきれいに収まっていました。
他人のものを見ると、ついつい欲しくなってしまう私、
「いいなぁ」
とながめておりました。

大工道具は、使わない時はそれぞれの場所に片づけますが、使っているときはそこいらに置いておきます。それも、置き場所をざっと決めておけば不自由はしませんが、なんでも入る道具入れがあれば、もっと気持ちよく仕事ができます。

庭仕事の道具を入れるワイヤーバスケットは二つもありますが、大工道具入れにはふさわしくありません。庭仕事の道具を入れてさえ、うまく入れてうまく取らないと、鋸やはさみが、ワイヤーの編み目に引っかかってしまいます。ノミなど入れたら、すぐに刃が欠けそうです。
かといって、ガーデントラッグを、荒仕事に使うのはもったいないし、どちらも小さすぎます。


と思っていたら、格好の籠が家にありました。
中国貴州省の少数民族の人たちがつくっている、青物や魚を詰めて、天秤棒で担いで市場に行くための籠で、大きくて繊細にできていないところが 荒仕事にはぴったりです。

いまは、作業着に着替えたとき脱いだ衣類を入れるくらいで、あまり役立っていません。下げてひょいひょい歩くにはちょっと重いけれど、大工道具入れにぴったりです。


さっそく、散らばっている道具を入れてみました。


悪くありません。
あちこちにばらばらおいているより、よほどすっきりしました。
 







2016年2月25日木曜日

瓦職人さんたち

いつも、瓦屋さんは一人か二人来て、しこしこ並べて、とんとん釘を打っています。
まず軒先に一列並べて軒を決めてから、まっすぐに上へ上へと瓦を敷いていきます。



ところが、昨日は親方のSさんを含めて、どかどかと五人も来ました!
そして、みんなで足場を動かしたり、運んできた瓦を並べたりしたあと、四人が一斉に各自の持ち場を決めて働きはじめました。


平らな瓦を葺くだけでなく、寄棟の端の瓦をグラインダーで三角に切ったり、一番上で壁にぶち当たって長さが合わないものを短く切ったりしています。

 
これが一昔前、いや半世紀前だったら、当たり前の光景だったかもしれません。また、職人さんがみんな高齢者だったら、驚かなかったことでしょう。ところが、若い親方のもとに集まっている職人さんたちは、みんな、「若いお兄さん」です。

足場屋さんにも、若い人がいました。でも足場屋は全国に展開する大きな会社だし、ハウスメーカーの仕事もしているようですから、若い人たちがいても不思議ではありません。
ところが瓦屋さんは個人経営ですし、ハウスメーカーやビル全盛の時代の日本瓦です。いくら技能五輪全国大会で優勝した優秀な親方だとしても、どうしてこんなに職人さんが集まったのか、ちょっと不思議に思ってしまいます。
 

大人数の力はすごい。
夕方には、切妻の端などもできて、棟瓦など、飾り瓦を残すだけになりました。


作業棟の建設に関しては、材木屋さんも、プレカット屋さんも、上棟を手伝ってもらった大工さんも、母屋のときと同じ顔ぶれでした。
ところが瓦屋さんだけは、以前と違いました。
十年前にはいろいろな事情でSさんとはつながらず、他の瓦屋さんにやってもらったのですが、今回Sさんとご縁があり、お願いすることになりました。
Sさんの家は八郷きっての老舗で、今でも唯一瓦を焼き続けている瓦屋さんです。お寺の葺き替えや土蔵のために特殊な瓦を焼くなど、Sさんは何にでも意欲的に取り組んでいます。

神戸地震のとき、日本瓦は地震には弱いと言われました。そのため、ただでさえ少なくなっていた瓦葺きは、さらに減少したことでしょう。でも実際は、壊れたのは昔の家屋の瓦でした。昔の瓦は並べただけで、一枚一枚留めていなかったのです。
我が家の母屋の瓦は、2011年の地震で、寄棟の一ヵ所だけ、棟瓦の下三分の一ほどが落ちました。庭に座って、家が揺れるのを見ていて、これほど揺れれば、家が壊れても仕方がないと思ったほどの揺れでした。
だからそのときは、瓦だけで済んだと胸をなでおろしたのですが、修理してもらった後、三枚おきにしか銅線で留めてなかったと瓦屋さんに訊きました。茨城にはそれまで大きな地震がなかったので、瓦屋さんもそうしたのですが、全部銅線で留めてさえあれば、問題はなかったのです。

風土に溶け込むいぶし瓦、やはり素敵だと思います。しかも、ガルバリウム(鉄板)葺きの倍くらいの値段でできます。


昨夜は雪が降って、この冬初めてですが、薄く積もりました。
というのに、瓦屋さんたちが来ました。そして、白い息を吐きながら梯子を上って、みんなで風を送る機械で雪を吹き飛ばしています。あっという間に雪は吹き飛ばされていきます。

我が家に一番よく来ている職人さんは高知の人だとか、八郷では、生まれも育ちも東京の東京もんは珍しくありませんが、土佐っぽは珍しいので、いずれ作業が終わったらSさんに、職人さんたちについていろいろ訊いてみたいと思っています。








2016年2月24日水曜日

紙のおもちゃ


おもちゃ骨董のさわださんが勧めるものは、たいていは断らないで、喜んでいただいてきます。
というのも、100円や300円、あるいは500円で、今まで知らなかったことを知ったり、忘れていたことを思い出したり、幼いころと出逢ったりできるのですから、考えてみれば安い授業料です。

そんなさわださんに勧められた、紙のおもちゃです。


駄菓子屋のくじ。
私は子どものころはまったく駄菓子屋さんにご縁がなかったのですが、お猿と飛行機のところをはがすと、「あたり」とか、「はずれ」とか書いてあるそうです。
1本とか2本とか書いてあるけれど、いったい、あたりで何をもらったのでしょう?
駄菓子屋さんだから鉛筆ではないだろうし、もしニッケ水を90本ももらったら、胸焼けして気持ち悪くなりそうです。

 
ちょっと前なら、ありふれていた、あか抜けない絵ですが、こんな優しい感じの絵は、すっかり見なくなってしまいました。


安っぽい印刷も、味があります。


裏を見ると、くじがすぐちぎれるのがわかります。
 

「二十の扉」のおもちゃは二種類あります。
「「二十の扉」ってなんだっけ?聞いたことがあるなぁ」
すっかり忘れ去っていました。

「二十の扉」は、1947年から1960年までNHK第一放送で放送されたクイズ番組です。
GHQの管理下で、アメリカで放送されていた「Twenty Questions」をベースに制作され、敗戦後の娯楽の少なかった日本人を、大いに楽しませてくれました。
そういえば、「三つの歌」、「笛吹童子」、「おらぁ三太だ」などという番組もあったなぁ。

そんな「二十の扉」を家族や友だちと楽しんだのが、このおもちゃのようです。


それにしても、「二十の扉」のカテゴリーには、植物、動物と、鉱物しかなかったのですね。
小さな、扇形の「窓」からは字しか見えませんが、外してみると、そのまわりに絵が描いてありました。外さないと見えないところに絵を描いているなんて、奥ゆかしいのか、それともすぐ壊れてしまうのを予測しているのか、理解に苦しみます。

絵には、一升ますを除くと、子どもの喜びそうなものが並んでいます。


ところが、もう一枚の方は、出刃包丁、キセル、たわし、ランプなど、今だったら描かない絵が並んでいました。

さわださんのお店の常連さんは、どちらかと言えば男性が多めです。
そんな常連さんたちが現れるたびに、さわださんは、
「映画のポスターが入っているよ」
とか、
「絵葉書が入っているよ」
と、私に勧めるのとは全く違うものを、箱の中から探し出して見せています。


となると、私はおもちゃ、ガラス好きと分類されているようです。
ふと思いついて、
「さいころになったガラスの独楽持っている?」
と訊いてみました。
「ちょっと待ってて。今ねぇ、ほかの人からも頼まれて、探しているから」
そうなんだ。注文を受けて、探したりもするんだ。
ここに来てからですから、早15年にもなる長いつき合いですが、ちっとも知りませんでした。







2016年2月23日火曜日

床づくり


二階の床を張らないことには、いろいろなことが決まっていかないので、床を張っています。
幾重にもなるので、最初の根太は細い細い。
高さ55ミリしかありません。45.5センチ(尺五寸)おきです。


根太は、下から見えるので三面だけ鉋をかけました。
もう一面は細くなるのが惜しくて、そのままです。もっとも、構造に関しては慎重な夫が、
「 大丈夫だ」
というので、大丈夫なのでしょう。
 

梁の上に足場板を置いての作業ですが、足元ばかりに気を取られていると、頭上に低い梁があって頭をぶつけます。頭をぶつけると反動で足元がぐらついて危ないのですが、ついつい足元しか見ないで、一日に何度も頭をぶつけてしまいます。

材の長さもあるので、まず床の半分の根太をかけ終わりました。
あと半分かける前に、床を貼って安全を確保した方がいいと判断して、床を貼りはじめました。
 

最初の床は、その上を直接歩くわけではない、ただ下から見えるだけなので、野地板を使います。
野地板は13ミリ、歩くには薄すぎる気もしますが、垂木に貼った野地板の上を大工さんたちは平気で歩いていたし、歩いてみると問題ありません。
その上に太い(背の高い)根太を渡し、断熱材を入れ、さらに床を貼ったり、一部を高くしたりした上に畳を敷きますが、それはまだまだ先のことです。