2019年8月24日土曜日

紙粘土のガネーシャ

骨董市で、おもちゃ骨董のさわださんが珍しく、日本のおもちゃではないもの、タイの素焼きのままごと道具やペルーの壺、土でできたインドの山車のミニチュアなど並べていて、インドの神さまも2体並んでいたことがありました。
インドの神さまのうち1体は、女の神さまでした。
インドには女の神さまが、いっぱいいらっしゃいます。パールヴァティーかドルガーか、あるいはカーリーか、それともほかの女の神さまかは、ただの真っ赤っかで、さっぱりわかりませんでした。


それに比べるともう1体は、毛布を羽織ったただの象にも見えますがガネーシャに見えました。



といっても後ろ姿は、襟を抜いている粋な姐さんのようです。


土ではなくて、紙粘土のようなもので、手びねりでつくってあります。
インドには紙粘土文化がありますが、とても精巧なものです。これは稚拙ですが、その地域でつくられたものかもしれません。


というわけで、これまで一緒だった女の神さまと、さわださんの店頭で別れて、我が家に単身やってきたガネーシャです。
神さまですから、神棚に祀ろうとしたら、
「あらっ!」
そうとう古くからいるのに、これまでUPしたことのないガネーシャを見つけました。


右端の、派手なガネーシャです。


カルカッタ郊外の小さな町の何でも屋さんのショーウインドーで出逢ったもの、カンボジアに赴任した時には、スーツケース一つで行ったというのに、何故か同行しました。
カーリー神も一緒に行ったのに、カーリー神はいつだったか、あまり理由もないのに、粉々に砕けてしまいました。気性の激しい神さまですから、何か気に入らないことがあったのかもしれません。


これは型を使って土で成形して、素焼きしたか、あるいは乾かしただけの人形です。


どちらも、インドの庶民の家に祀られる神さまです。







2019年8月23日金曜日

密閉しなくっちゃ

しばらく前に、夫がホームセンターでクーラー(エアコンではなくて冷やすだけ)を買ってきて、作業棟の二階に取りつけました。クーラーは母屋にもないのに、夏に泊まる人に配慮してのことで、工事は結構面倒だったようでした。

泊り客のあった朝、やっと取りつけが完了しました。
ところが、夜になってその部屋にゴキブリが出たので大騒ぎになり、こんなところには泊まれないということで、彼女は母屋の居間に寝ました。
母屋の二階にも泊まれる部屋がありますが、その日は暑い盛りだったので、一階よりちょっと温度が高い二階を避けて、居間に寝てもらったというわけです。

それからしばらくして、また泊り客が来ました。
5人だったので、夫は数日前から仮設ゲストハウスと作業棟の二階の二部屋に、ゴキブリを撲滅する薬を置き、ゴキブリホイホイも仕掛けて、万端整えて迎えました。
ところが、夫がサービスのつもりで作業棟につけておいた照明があだとなり、寝るときになって、蜂が飛んでいると大騒ぎになりました。
「蜂?刺激しなきゃ大丈夫じゃないの?」
「大丈夫じゃないですよ。危険ですよ。大きいのが来ていて、窓の外にもいるし」
作業棟の二階に行ってみると、階段の踊り場でクマバチがぶんぶんしていました。
ドアがあるので部屋の中には入らないだろうし、踊り場の明かりを消せばどこかへ行くかとも思いましたが、お手洗いに行くときは、踊り場に出なくてはなりません。
とても怖くて、そんなところには泊まれないと、二階の二部屋に泊まる予定だった3人は、さっさと布団を持って母屋に移動、その日はちょっと涼しかったので、二階に1人、居間に2人寝ました。
せっかく設置したクーラーは、予冷だけで、この夏はまったく出番なしでした。


虫が来てしまうのは、まだ部屋が閉じられていないからです。
二階のゲストルームにはそれぞれドアをつけ、一階のホールにも扉をつけていますが、仮設階段の下は外とつうつうです。


階段脇の通路にもドアがなくて、外とつうつうです。
さて、どこから手をつけたらいいか。
階段は、階段をつくるだけでなく、コンクリートと木が複雑に入り組んでいる階段脇と、階段の裏を閉じなくてはなりません。
まず、簡単そうな通路のドアからつくることにしました。


上の写真の左側にお手洗いがありますが、ドアはその外につけることにしました。
まず、ドアを取りつけるための枠をつくります。
天井が高すぎるので、全部をドアにしないで、独立した水平枠(梁)をつけて、その上を壁にします。


柱に溝を彫りそこに戸当たりをつけると幅の広いドアができますが、柱を彫るとなると、基礎コンクリートのところの始末が面倒なので、枠を柱の上に足すことにしました。
柱と同じ太さで厚みが3センチの材にはあらかじめ、中心に幅3センチ、深さ1.5センチの溝を彫っておきました。この溝に、枠を設置した後で戸当たりの材を入れます。
片方は基礎のコンクリートの方が出っ張っていたので枠材の方を削り、もう一方(上の写真)はコンクリートが柱や土台より引っ込んでいたので、ぴったりふさぐ厚みの板切れを挟んで、その上から枠材を留めました。
  

木と木とはなんとでもなりますが、相手がコンクリートの場合、ちょっと面倒です。
右奥、写真の真ん中あたりに見える基礎コンクリートの穴も、階段をつくるときにふさがなくてはなりません。
ここに穴が何故開いているか?
水道管が通っています。


貼りつけた枠の材が、上の方でぶつっと切れていますが、この上に水平枠(梁)を乗せて留めます。
普通、このような水平材は柱にホゾ穴を彫って、そこに叩き入れるのですが、ここでは柱に溝を彫らないで枠材を足したので、水平枠は左右の枠の上に置くだけにしました。
落ちてくる心配はありません。


水平枠の上は丈の低い壁になります。
仕上げたあとで壁板を取りつけるための材をビスで留めつけるにはスペースが小さすぎるので、水平枠にあらかじめ溝を彫っておいて、後でそこに壁板を留めるための材を叩きこむことにしました。我ながらグッドアイデアです。
溝を彫らないで、材を打ちつけておくだけでも同じですが、そうすると柱に水平枠を取りつけるとき、さらにスペースが狭くなるし、ビスの頭も外に出ます。
上部の梁には、水平枠を取りつける前に、壁板を打ちつけるための材を取りつけておきます。


置いてみました。
上にこれだけの壁をつくるだけでも、ドアが小さくなるので、ドアをつくるのが楽なだけでなく、使うのも楽になります。


思った通り、水平枠と梁の間はスペースが狭いので、インパクトドライバーが入らず、枠を柱にビス留めするのに、いつもより長いビットを使いました。


そして、枠を固定した後、壁板を打ちつけるための材を入れました。これで、壁板が張れます。


あらかじめ彫っておいた枠の溝には、3×3.5センチの戸当たりの材を叩き込みます。
やっと入る太さにはしていますが、溝の底にはボンドを塗っておきます。


戸当たり完成です。


次は壁板を貼ります。片側を張ってから、断熱材を入れました。
母屋ほど厳密につくってなくて、あちこち隙間もあるし、ドアの板にはさして厚くもない板を使うというのに、ここに断熱材を入れるのは、ただの気休めです。


壁を張り終わりました。
そこいらに転がっていた端材を使ったので、外から見るときれいじゃありません。


梁と直角に置いた二階の根太と天井板戸の隙間は、外側からふさいでいます。梁の上に電線を這わせてあるので、内側からはふさがないつもりです。
階段をつくるとき、左側に見える隙間もふさがなくてはなりません。

ゴキブリは、バッタやカエルと同じように庭を歩いたり飛んだりしています。
私もここへ来るまで、ゴキブリが元々は戸外に暮らしていることを知りませんでした。






2019年8月22日木曜日

紙つばめ


骨董屋さんの箱の中にあった郷土玩具たち、これも、一目で惹かれました。
愛知県犬山の継鹿尾(つがお)山寂光院の紙つばめです。
紙つばめは、昭和40年ごろ(1960年代)まで、寂光院で、継鹿尾観音の例祭に限って、露店で売られていました。
参拝を終えた農家の人々は、田の虫を取る観音さまのお使いとして、紙つばめを一家で10個も20個も買い求め、田の畔に棒を立てて結びつけ、五穀豊穣を祈りました。
棒に取りつけられたつばめは、風が吹くとふわりと浮き上がり、経木でできた尾羽がくるくる回って飛翔し、うなり音を出しました。
田んぼの畔でたくさんのつばめが風になびくさまは、雅趣に飛んでいるだけでなく、実際に、種をまいた苗代などに鳥を近づかせない作用もしていたそうです。


紙つばめの身体は軽い紙粘土のようなものでできているようで、穴があけてあって竹ひごが貫通しています。
身体を通した竹ひごの後部分には経木でつくった尾羽を挟み、くちばしから突き出た一端には、ブリキの小さな円盤に穴を開けたものを突き刺して接着しています。



身体を貫通している竹ひごは、前後に2センチほど動くようにつくられています。


顔から針金が出ていますが、この針金部分でくちばしを表すと同時に、円盤が顔に近づきすぎないようにしてあります。


竹棒を持ってくるくると振り回すと、よく飛んで、唸り音もあげます。

愛知県犬山地域は郷土玩具の宝庫です。
古くから、犬山でんでん太鼓、犬山風車(かざぐるま)、犬山土人形、犬山はじき猿などなど、郷土色豊かな玩具がつくられ縁日などで売られていました。しかし、時代の変遷とともに、そのほとんどは姿を消してしまいました。
近年これらが少しずつ復元されているそうで、紙つばめもそうした復元品の一つです。

紙つばめなど、風が吹いてきたら音を出したり、くるくる回すと音を出す鳥のおもちゃは、いったいいつごろからあったものでしょうか?

たくさんの紙つばめが田の畔で風になびく姿はさぞかし壮観だったことでしょう。
また、一年に一日だけ、継鹿尾観音の例祭でしか手に入れられなかったということは、その季節を待ちわびるということもまた、どんなに楽しかったかと想像されます。





2019年8月21日水曜日

イタヤカエデの馬


秋田県角館の、イタヤカエデの馬です。
これも、骨董市の箱の中にあったおもちゃです。
草やヤシの葉で編んだおもちゃが大好きですが、イタヤカエデの馬は持っていませんでした。


見ただけでつくれるシンプルさ、でも素敵です。
小さいころ、これと同じような動物を、小麦のわらを潰してつくっていました。というか、祖母につくってもらっていました。

竹のない秋田では、イタヤカエデの若木の幹を板状に裂いて、いろいろな生活必需品をつくってきました。中心はづくりですが、カッコベ(腰に下げる籠)や小さなツヅラなども編んでいました。
馬は、大きなものを編んだ後の端切れを捨てるのが惜しく、誰かが子どものために編み始めたのが広まったものでしょう。その優しい心が素敵です。
秋田のイタヤ細工は、寛政年間(1790年ごろ)農家の副業としてつくられはじめたものが、だんだん洗練されたとされていますが、農村の手工芸品であったゆえ、はっきりした歴史はわかりません。


ところで、フィギュアのイタヤカエデ馬なら持っています。


しかも、フィギュアの馬は立つことさえできます。


イタヤカエデの馬の方は立つことができないので、当分虫食い上人の膝を借りることにします。







2019年8月20日火曜日

持っているのに!

先日の骨董市のある店先に、箱に入れられた郷土玩具を見つけ、初めての店でしたが足を止めて見ました。
まとめて置いてあるおもちゃは、どなたかのコレクションだったことが多く、集めた人の関心が色濃く出ているものです。郷土玩具ばかりではなくて、郷土玩具もどきや、民芸品、お土産品などが混じっていて、欲しいと思うものがほとんどない場合の方が多いのですが、その箱の中には、なかなか魅力的なおもちゃが入っていました。

こんなとき、持っていないおもちゃはさて置いて、すでに持っているおもちゃの方に引きつけられてしまう傾向が、私にはあります。


まず目を引いたのは、熊本県日奈久のベンタ人形でした。
しっかり包んでしまっていたのでしょう。つくったときのままの姿をしています。
ベンタ人形は、こけしのように頭と身体をつくり、手先と足先に赤い布を足し、それを身体に釘で打ちつけています。


しまわれていたベンタ人形は、重力で手足が下がってなくて、万歳をしています。
小さいベンタたちはほぼ同じサイズの6センチ、頭が黒いと白いの違いはありますが、よく似ています。
大きいサイズのものは、その昔、子どもたちが負ぶって遊びました。


明治初期から昭和初期まで、日奈久ではたくさんの人がベンタ人形や板角力、そしてキジ車をつくっていました。
ところが時代が変わり、新しいおもちゃが席巻すると次々と廃業に追い込まれ、昭和40年代以後は、桑原土産店が唯一の制作者になってしまいました。
桑原土産店はどうだったか知りませんが、郷土玩具は往々にして、つくり手が代替わりすると作風がすっかり変わってしまうことがよくあります。



ネットで見たベンタ人形たちのお顔がずいぶん違うのは、桑原家で代替わりしたからだけでなく、別のつくり手もいたからでしょう。

さて、以前のブログで、『Folk-toys』に載っているベンタ人形の手がついていないのを、「ヨーロッパ向けに手足をつけなかったのか」と書いてしまいましたが、じつはベンタ人形に手足をつけるようになったのは、明治中期以降で、それまでは手足はついてなかったそうです。


板角力も買いました。これも熊本県日奈久でつくられたものです。

 

 

板角力は、検索してみるとベンタ人形よりもっとバラエティーに富んでいました。


でも、今回買った板角力は、私がすでに持っていたのと、なんとなく雰囲気が似ています。


ただ脚の長さが違います。
古い板角力の脚は現代のお相撲さんなみに脚が長く、座らせると足が相手の脚のつけ根辺りまで伸びていますが、小さい方の足は、相手のお腹にまで届いていません。


ラベルが残っていて、作者はハヤシミヨコとあります。
板角力だけでなく、ベンタ人形もハヤシミヨコさんがつくられた可能性が大きいと思われますが、1000円という値段(700円に値下げしてありますが)から、1980年代あたりのものかと推測したのですが、それだと、制作しているのは桑原土産店しかなかった可能性があるので、どうなっているのかよくわかりません。
板の厚みは、小さい方がずっと厚い板を使っています。
ちなみに、私が以前から持っているものは、学生のころに桑原さんの家を訪ねて買い求めたものです。値段は覚えていませんが、当時は小さい土人形が50円でしたから、せいぜい100円から300円くらいではなかったかと思います。

日奈久のおもちゃは、ベンタ人形も板角力もキジ車も桐でできています。というのは、日奈久は下駄の産地で、捨てるのがもったいない下駄の端材を使って、おもちゃをつくり始めたという歴史があるからです。
板角力は、江戸時代の天保年間(1830-44年)に日奈久から嶋ヶ崎という力士が出て、それにちなんでつくられたそうです。