2019年5月26日日曜日

逆さ筑波山


今年も短い「逆さ筑波」の季節が到来しています。


積極的に探さなかったけれど、いつもの場所を通りかかったら、ちょうど陽が沈むところでした。


今日も暑くなりそうですが、ひんやりと気持ちいい朝のうち、猫のトラはやっぱり日向を見つけてほっこりしています。









2019年5月25日土曜日

キルトの修理

ベッドカバー(ベッドスプレッド)には、いつも自分でつくったパッチワークのキルトを使っています。
これが、普段使いすると、意外に長持ちしません。10年くらいが限度、修復不能なほどボロボロになってしまいます。昼間掛けておくだけで、夜は畳み、キルトを掛けた上には寝っ転がったりもしないし、犬猫も乗らないのですが傷んで、これまで3枚か4枚、使い切ってしまいました。
『赤毛のアン』など読むと、客用と普段使いのベッドカバーはきっちり分けていたよう、さもありなんです。
かといって、せっかくつくったキルトをしまい込んでおくというのもつまりません。


今使っているベッドカバーは、母屋ができた2009年から使っています。


母屋に入る前に6年暮らした仮設ビニールハウスには、掛けた洋服も飾った人形も、何もかも色褪せさせずにはおかない陽ざしが年中降り注いでいたため、使っていたキルトは数年で色あせて、ボロボロになっていたので、大工仕事の傍ら、母屋に移ったら使おうと、招き猫尽くしのキルトをつくっていたのです。

パッチワークには思い出の古布を使うといいと言いますが、それはあくまでもまだ余力のある布のことでしょう。
かつて、愛着のあった自分のワンピースをリフォームしてつくった息子たちの服が、たった一日でずたずたに破れてしまったことがありました。動きの激しい幼児服ならずとも、ベッドカバーでも年月を経た弱い布は破れるというより、擦り切れて消えてしまいます。
このキルトでは、幟(のぼり)だった布を使った、とくに「黒い部分」が弱かったようでした。


目の擦り切れた招き猫がたくさんいるのは前から気がついていて、いくつかは直しました。
しかし、目だけでなく、傷みがかなり進んだので、庭仕事を休んでいる(目をつぶっている)今週、本格的に直してみようかと、黒い布を探しました。


見つかったのは役立ちそうにない縮緬多数と、少しはましな綸子(りんず)、母がつくったらしい黒地プリントの枕カバーだけでした。黒木綿はもっとあるはずですが、見つかるまで待っていたら、きっとやる気が削がれてしまうでしょう。
縮緬は論外として、綸子は使えそうでしたが厚みがあるので、できれば木綿を使いたい。問題は、このプリント布の黒い部分だけで、必要な大きさの布が取れるかどうかということでした。


まず、黒地部分が大きい、この猫から試してみました。
右わきの下、右目だけでなく、頭が破れています。


トレシングペーパーで型紙をつくり、プリント布に置いてみます。
キリンの尻尾が入ってしまいましたが、ぎりぎり裁ち合わせができました。


パッチワークを仕上げるときは、それぞれのピースを縫い上げ、後で全部をつなぎ合わせ、綿を入れ、裏布を当ててキルティングをします。
でも修理するときは、つながったまま直さなくてはなりません。机の上に広げて、手勝手がいいように布全体をまわしながら、裏まで針目が出ないようにかがりつけ、最後にキルティングを施します。
  

額の真ん中にキリンの尻尾がのぞいてしまいましたが、まあまあ。
一丁上がりです。


この猫の裃も、同じ幟の布の部分です。左側(向かって)だけが擦り切れています。
模様がちょうど紋のようで、うまい使い方だと思っていましたが、まだ破れていない右側も差し替えます。


まずは、裃の布を取り外します。


裃の周りの布は、裃の上になったり下になったりしていますが、その通りに新しい布でやり直します。


水色の布の時ついていた「紋」はなくなってしまいましたが、丈夫な布に越したことはありません。


もっとも面倒そうなのがこの猫です。
赤い耳の周りと、ネズミ色のぶちの縁取りをしていた黒布が擦り切れています。あまりにも面倒そうなので、簡略化するかどうかも含めて後回しにしました。
ぶちの縁取りをせず、耳の周りだけは元のようにするのが一番簡単そうですが、ほかの猫を直して、余力があれば元のようにつくりましょう。

普段キルトをベッドカバーとして使っていると、改めて一つ一つの猫を眺めることもありませんが、首輪に魚に見える模様を持ってきているなど、楽しんでつくっていたことがうかがえます。


だいぶ傷んでいる、「うちのタマ知りませんか?」のタマは、バンコクの路上で買った目覚まし時計をもとにしたものでした。


黒いぶちや髭、鼻もなくなっています。


時計の部分は、針は完全に失われていますが、ちょうど文字盤みたいに見える布も、擦り切れ始めています。


まず、ぶちを貼りつけ、目を直しました。


ちょっと歪んでしまったけど、髭も直しました。
後で確認したら、本当のタマの頭のぶちはもっと丸いものでした。時計自体が海賊版ですから、気にしないことにしましょう。
しかし、時計の文字盤にふさわしい布はありません。


ところで、母のところから来たのか、ウルトラマンの小さな端布がありました。
ただ、ウルトラマンは切れていて、バルタン聖人がかろうじて姿をとどめています。
誰が見るわけでもないから、時計じゃなくてメダルでもいいやと、バルタン聖人のメダルにすることにしました。


というわけで、タマもできました。
メダルを持っているなら、頭の上の目覚ましにするために押すボタンが残っているのは変ですが、取るほどのこともないでしょう。

いつものことですが、懸案事項はやって見ると案外簡単に片づくものです。
あと、いくつかの目を直して、そして、最後に魚の首輪をした猫を直すつもりです。







2019年5月24日金曜日

MIRを乗り切った!

昨日、MRIを撮ってもらいました。
何のためにMRIを撮るのか、正確には理解していませんでしたが、どうやら、背骨が新たに損傷したかどうかを知るためのものだったようでした。
結果は、数年前の圧迫骨折によって背骨が鋭角に曲がっているところ(外からも突起として触れる)でたぶん、疲労などにより神経が圧迫され、それが原因で痛んだんだろうということになりました。
一旦痛むと、痛みは数日間は続くそうでした。

階段室

ところで、MRIは今回が二度目でした。
私は閉所恐怖症ではないと思いますが、以前、梯子ごとひっくり返って背中を打ったとき、MRIの最中に目を開けたら天井がすぐ目の前にあって、やはり息苦しくて焦ったものでした。
だから今回は、装置に入る前に目をつぶり、終わるまで絶対に一度も目を開けないと決めていました。MRIに入っていないつもりで過ごすのです。

さて、MRIの装置の中に横たわるのは約30分、何か気を紛らわせなくてはなりません。
まずは、自分の置かれた境遇と反対の広々としたところ、砂漠を想像することにしました。
行ったことはないけれど砂漠と言えばサハラ砂漠です。しかし、日陰のない日中はじりじりと暑いし、夜は恐ろしく冷えることばかりに考えが行ってしまい、ちっとも気持ちよさが湧き上がってこない、砂漠はやめました。

次に、狭さには狭さを持ってと、狭い場所を考えました。
その昔、息子たちが小さいころ、東京の離島新島に海水浴に行きましたが、夕方出発して朝には着く行きの船は芋を洗うような人でした。寝返りもままならない船上で若いご夫婦と知り合い、民宿も同じで、新島では息子たちが思いっきりかわいがってもらいました。しかし、帰りの船はどうだったのか、さっぱり記憶にありません。

プノンペンで働いていたとき、カンボジア人たちとアンコールワットに三泊四日の貧乏旅行(交通費を除いて一人20米ドル)をしたときも狭い思いをしました。
その旅行は、もとは15人ほどでランドクルーザー2台で行くはずでした。それが、当日の朝になって、母親や子どもだけでなく、友だちまで誘ってきた連中がいました。
それまでは内戦が続き、何十年も陸路は危険で行けなかったし、一生のうちでめったにない機会だからやむをえませんが、人数は倍くらいに膨れ上がり、車はとんでもなくすし詰めになりました。そんなことになれば、日本人だったら文句たらたらですが、タイ人やカンボジア人は決して文句など行ったりしません。一切を気持ちよく、心から受け入れます。
プノンペンからシェムレアップまで約320キロの道は、当時はでこぼこの悪路、地獄のドライブでした。行く先々で、スコップを持った人が待ち構えていて、車が通るとき(ほとんど通らない)だけ、スコップで大きな穴ぼこに土を投げ入れて見せます。すると、運転していたパンさんとリツさんは、いちいち停まって、自分の少ない旅行費の中から、なにがしかの心づけをするのでした。
シェムレアップに到着すると、みんなで必死に宿を探しました。ここもダメ、あそこもダメで、やっと見つかったのは、頭割りにすると一人たった1.5ドルほどの宿でした。男女二部屋だけ、寝返りが打てないどころか、重なり合うほどぎゅうぎゅうで寝ました。

窓に映る夕焼け

さて、MRIの中でそんなことを思い出しているうちに、MRLのたてる太鼓や鉦のような音が切れ目がなくなりました。長く続いた、
「だんご、だんご、だんご、だんご」
が終わったと思ったら、
「たっ、たっ、たっ、たっ」
「りんご、りんご、りんご、りんご」
などという重なった音が大きくなり、音に集中していたら、ふっとすべての音が止みました。
「お疲れさま。終わりました」
乗り切りました。






2019年5月23日木曜日

張り子の猫たち


またまた、招き猫のお話を。

展示室を、一度に全部大掃除するということはありません。気がついたとき、部分的にちょこちょこっとほこりを払います。
さて、その日は張り子の猫たちをさがし出して埃を払ってやることにしました。
先日、ほかの場所を片づけていて手に取った張り子の猫のこと、久しぶりに見た気がして、ちょっと目にかけていなさすぎたかな、と思ったのです。
点検しないでもしっかり頭にある、高崎張り子、春日部張り子、多摩張り子六原張り子などは、掃除から除きました。


ところが、最初からつまずきます。
大きい張り子猫を取り出してほこりを払おうとしたら、前に置いてあった猫たちを全部どかしたのに、どうやっても出すことができません。
「えぇぇ、どうするおまえ?」
2011年の地震の後に取りつけたアルミ棒を、抜き取れば取り出せますが、これまた苦労して入れたもので、ちょっとやそっとでは抜けません。
というわけで、棚から出さない(出せない)ままでほこりを払い、後ろにやったり前にやったりして棚をぞうきんで拭いて、掃除を済ませました。ということは、黒猫の掃除は8年ぶりということです。
なんだか、在宅介護サービスをしているような気分でした。
やれやれ。


埼玉県の川越張り子。
もともと明治のころから川越のだるまがあり、それが今も続いているのだけれど、それとは別に荒井良さんが1990年ごろからつくられている、「工房もんも」の張り子です。


明石美穂さんの「椿の花の猫」。


これは、底にちゃんと表記されているのです。


後ろに、「杉本チヨと作者名が書いてあるのに、どこのチヨさんか、わかりません。
いったい、どこのチヨさん?
底にも、金で大きく「寿」と書いてあります。何が寿だったのでしょう?


こちらは、道楽かん工房の鯛持ち猫。 


張り子は地震で、土人形のように割れることはありませんでしたが、つぶれたり、胡粉が剥げたりしました。
どちらも、地震で顔を負傷してしまった猫です。
どこの猫たちかは不明ですが、右はなんだか浅草の仲見世の、「助六じゃないお店」に並んでいそうな猫です。郷土玩具ではない、お土産ものにしては手づくりっぽい、何故かこんな猫や犬が、昔は浅草の普通の土産もの屋には並んでいましたが。
どこから来た猫でしょう?
  

これも、誰の作かわからず、どこで手に入れたか忘れました。
左の猫は、ビニールハウスの仮設小屋に住んでいた時代に、耳をネズミにかじられてしまいました。


そういえば、インドの紙塑の猫も足をネズミにかじられてしまっています。
どちらも、使ってある糊がおいしかったのでしょうか?


こんなことがあり、2003年に猫屋敷からトラがもらわれてきました。
もらわれて来てすぐなのに、もう犬のウナギに耳を甘噛みされて、左耳が損傷しています。


もっとも、母猫と間違われたウナギのおっぱいも赤く腫れあがっていましたが。



おっと、招き虎の紹介は忘れてしまいました。
この虎、棚から出られなくなった黒猫と同じ場所でつくられたもののようです。






2019年5月22日水曜日

初代縁福猫


河村目呂二(1886-1959年)は彫刻家、文筆家でしたが、招き猫のコレクターとしても知られ、自分でも招き猫を制作しています。
もし誰かが(まぁ、どう考えてもほんの限られた人ですが)招き猫の歴史を語ろうとしたとき、目呂二の存在を抜きにしては語れない、そんな招き猫とは深い深い縁のある人でした。

河村目呂二の創作猫の中には、縁福猫やマネーキー猫があります。また、自身の膨大な郷土玩具のコレクションの中から選んで、大きさをそろえてつくり直して愛好家に領分した、「趣味の猫百種」という猫セットなどもあります。


しかし、目呂二の膨大なコレクションや創作招き猫は、東京大空襲によってほとんど失われてしまいました。


毎年復刻猫をつくっている日本招猫倶楽部は2010年の秋、河村目呂二の「初代縁福猫」の復刻猫をつくり領分しました。
「初代」と名売っているのは、目呂二がつくった縁福猫、通称「芸者招き」は一種類だけでなく何種類もあるからです。
その年には同時に、瀬戸にある招き猫ミュージアム(荒川・坂東コレクション)の復刻猫として、マネーキー猫もつくって領分、私はそのとき両方を手に入れました。

ところが、2011年3月に東北大地震があり、震度6弱に見舞われた我が家の猫たちは、5分ほど続いた大きな揺れで次から次へと棚から落ちて木っ端みじんに壊れ、縁福猫もマネーキー猫も失われてしまいました。
地震直後は、生き延びてくれた猫たちへの感謝の気持ちの方が強く、数百の割れた猫たちへの思いは、わりとさばさばしたものでした。


もう河村目呂二の復刻招き猫の領分はないだろうと思っていましたが、2017年にはマネーキー猫が再び復刻されました。今では招き猫ミュージアムショップでいつでも買えるようです。
それが今我が家にいるマネーキー猫です。


2018年秋には、日本招猫倶楽部から「二代目縁福猫」が復刻・領分されました。
縁福猫には3つの型がありますが、二代目はより人間くさい猫です。
私は、地震で「初代縁福猫」が失われたのを残念には思っていましたが、好みとしてはあれでぎりぎり、二代目はちょっと生々しすぎて、遠慮しました。


すると、2019年に入って、もうないと思っていた「初代縁福猫」が、また復刻されました。「初代縁福猫2010」と型は同じですが、2010年の縁福猫の着物が薄紫色だったのに対して、今度は薄荷色の着物を着ています。
「初代縁福猫2019」を、日本招猫倶楽部の会報で知ったのは今年の2月だったか、じつは前年の暮に、日本招猫倶楽部の代表であり招き猫コレクター・研究家である荒川・坂東夫妻にお会いしてから日数も経ってなかったので、そのとき私の招き猫熱はまだ燃え残っており、失われた猫がもう一度戻ってくるという想いもあって、「初代縁福猫」を注文してしました。
それが、今頃仕上がってきたのです。


絵つけのきれいなこと、艶消しの羽織に描いてある松竹梅の模様が光線の具合で浮き上がったり、帯留めとして鈴がついていたり、しゃれた趣向がそこここに見えます。

「二代目縁福猫」の予告の時、一人一体しか買えないこと、本物はほとんどないのだから偽物の縁福猫に注意すること、などの注意書きが載せられていました。
どうも、2010年の復刻猫をわざと汚し、底のシリアルナンバーを削り取り、オリジナルだとして売った(売ろうとした?)、金に目がくらんだ輩がいたらしいのです。
あさましいことです。
復刻猫には復刻猫としての良さがあります。


一度は失われたのに戻ってきた縁福猫、手にしてみると、「帰ってきてよかったね」という想いが沸いてきます。


そんな私の想いは気にせず、縁福猫は、のんきに手を高く挙げて妖艶とほほ笑んでおります。