2020年1月31日金曜日

転写レタリングは過去のもの!

切手、はがき、封筒などを入れてあるクリヤーファイルは、十年以上整理をしていませんでした。
先日、1円切手を買ってきたのを機に、切手を整理しようと見ると、簡単には整理できないほど、中がごちゃごちゃになっていました。
以前はゆうパックを出しに行くときなど、いろいろな金額の切手を少しずつ持って行っていました。それを持ち帰ったまま突っ込んだりしているので、金額別にしまっていたはずの切手が、混じりに混じっているのです。

これまでは、郵便関係のものの整理にA4のファイルを使っていましたが、ファイルそのものが切手やはがきに対して大きすぎるし、ポケットは多すぎました。
できたら2段になっているファイルにしたら見やすいかと、ホームセンターに行ったついでに、クリヤーファイルを見てみました。
ところが、2段のファイルはなくて、ほかになかなか適当なものがありません。
切手は小分けしたいのだけれど、はがき用ファイルでは小さすぎます。それに、はがき用ファイルは、頻繁に出したり入れたりするようにできていません。
横長のファイルの方が出しやすいかと、何度も手に取ってみましたが、難点は本棚に収まりにくいことです。それに値段も張りました。
というわけで、迷いに迷いましたが、B5の縦型のクリヤーファイルにしました。

さて、切手を全部ぶちまけて仕分けしてみたら、昔の62円切手などはほぼ使い切っているのに、20円切手が山のようにあることが判明しました。
かつては、ゆうパックなど切手を貼るスペースが多いものにはできるだけ20円切手を使っていましたが、最近はそういうことにマメになるのに疲れて、使うことを怠っていたようでした。


1円、2円、7円、10円など、金額別にファイルに入れてみましたが、これでは一目で金額がわかりません。
そのうちごちゃごちゃになってしまいそうです。


そこで、一目でわかるように台紙に金額を書き込もうと、転写レタリングを出してきました。


大きい文字の数字のシートは、使いかけが2枚、新しいのが1枚残っていました。
これを転写したいところに置いて、上から固いものでごしごしこすると転写できるのです。
昔は、何かにつけて転写レタリングを使っていました。アルバムの背表紙や、コピーした手づくり本の表紙や背表紙などに貼るのに欠かせないものでしたが、コンピュータの質が向上し、打ち込んだ文字を拡大して印刷し、それを切って貼りつけるようになると、すっかり出番がなくなっていました。この20年、もしかしたら30年近くは使うことがありませんでした。
使ってみると1枚は乾燥して転写できなくなっていましたが、あとの2枚はなんとか使えました。


これで、切手は見やすくなりました。
一つの袋に嵩張るのでたくさんは入れられず、20円切手の袋はなんと、4袋にもなりました。


アルファベットのシートも一枚残っていたので、背表紙にSTAMPと転写することにしました。Mはなくなっているけれど、Wを逆さまにすればなんとかなります。
ところが何てこと、糊面が乾燥しきっているのか、やってもやっても転写しません。


諦めて、一度も開封していない、樹木のマークなら転写できるかと試してみました。
これも、乾燥していて、何回もボールペンのお尻でゴリゴリこすったのですが転写しきらず、シートの方に枝が少々残ってしまいました。
樹木マークは、民家の実測調査したときなど、平面図を起こしたときに上から見た木として使うものです。
もう、転写レタリングシートは全部捨てた方がよいくらいですが、捨てられない私のこと、一応取っておきました。


切手入れはしょっちゅう使うものだから、背表紙に名前がなくても困りません。




2020年1月30日木曜日

蝉丸さん(?)の招き猫


しばらく前の骨董市で出逢った、蝉丸さん(たぶん)の招き猫です。


持ち手にしている、わらのような、ラフィアのようなものは蝉丸さん風ですが、
「蝉丸さんなら目を入れるだろう?」
というのがちょっと気になるところ、目が入っていません。


土鈴になっていますが、サインはありません。







2020年1月29日水曜日

テラスの手すり

昨日は一日中、しとしとと雨が降りました。
そして、夜半強風が吹いていましたが、今は豪雨になっています。
お昼には晴れて、暖かい風が上空に入るので気温も上がって3月並みの温度になると予想されていますが、どうでしょう?
瓦からはひっきりなしに雨だれが落ち、ときおりごうっと風が吹き抜けます。

  

さて、今週中に手すりはつけたいものです。
手すりの束には、鉄骨に取りつけるための穴を開けました。取りつける場所によって、同じ面に2か所か、90度ずらして2か所穴を開けました。


留めつけには、ボルトとただのナットではない飾り金具を使います。


どっち方向から見ても垂直に立てるのは、相手が鉄骨ですから、ちょっと注意が要ります。


月曜日に5本立てたところで、雨で中断しています。
と、書いている間にも雨は小降りになってきました。今日は、お昼ごろには雨が止んで、続きができるかもしれません。






2020年1月28日火曜日

合掌


『合掌』という名のガチャガチャのフィギュアです。
みんな心静かな顔をしていますが、立たせるにはなかなか大変だったのです。
「あらっ」
しまった、ペンギンがうつむきすぎています。


ペンギンの正しい姿はこれですが、足の裏が平らではないので安定が悪く、


すぐにうつむきます。
そして、のけぞった姿が一番安定します。


カワウソにいたっては、最初から立ちませんでした。


右足を思いっきり下に曲げると、やっと立ちますが、しばらくするとプラスティックが元の形状に戻るので、勝手にこてんと倒れてしまいます。


もっともカワウソも、安定した猫や犬に支えてもらえば、しっかり立つことができます。


問題なく立てるのは猫と犬だけです。


イルカも立ちますが危なっかしい、ほんの小さな衝撃でもすぐ倒れます。


とはいえ、全部が全部立ち易いより、楽しかったかもしれません。


どうやって立たせようかと、散々遊ぶことができましたから。
合掌。






2020年1月27日月曜日

前島密さん

郵便料金が小刻みに値上がりしています。
はがきを書いて、古い切手や手持ちの2円切手を貼っても値段が合わないので、郵便局で1円切手を買いました。
以前は、
「数円くらい」
と多めの切手を貼って出してもいましたが、超過すると戻してはもらえないのに(当たり前だけど)、1円でも足りないと突き返されるので(当たり前だけど)、納得がいかなくて、今はきっちりその金額で出すことにこだわっています。

窓口で出された切手を見て、


「えぇぇ、まだ前島密なの!」
と思わず声に出してしまいました。窓口の女性が、曖昧に笑っています。
おしゃれな切手が流行り、しかもシートで次々と新しいのが発売されているというのに、1円切手はいつから変わらないのでしょう?
ネットで調べてびっくり、なんと1947年(昭和22年)から変わっていませんでした。その理由は、前島密が高価な飛脚に代わる近代郵便制度を提唱した人だったからでした。つまり「郵便の父」だったわけです。全然知りませんでした。

これまで何年も奇数の値段はなかったので、1円切手にはお目にかかっていませんでしたが、はがきが63円になったので、しばらくは前島密さんの出番です。



待っている間に、新しい切手が目に入りました。
ネズミ年にかけて、人気の猫を配したものでしょうか。1円切手を買ったのでしばらくは困らないはずなのに、63円切手を買ってしまいました。


こんな、力が抜けたような図柄の切手を目にしたら、前島密さんは驚いて、腰を抜かしてしまうことでしょう。


もっともこの切手と前島さんが出逢う可能性は高くありません。
もし封書を出すときこの切手を使うなら、63円切手+20円切手+1円切手を貼るので、出逢う可能性がありますが。









2020年1月26日日曜日

萬古焼き

色絵鯛猫皿、明治

2週間前に、『猫のポット』について書いたとき、hattoさんが、三重県北部地方の萬古焼きの古いものの中にはとても面白い焼きものがあった、私の好きそうなポットもあったと、『ここはばんこ焼のまち!』(内田剛一監修、BANKO 300th実行委員会発行、2018年)という本を紹介してくださいました。
萬古焼きといえば、商店街のお茶屋さんで必ずといっていいほど置いていた(売っていた)、紫泥の急須のイメージがありましたが、それ以上のものではありませんでした。

その萬古焼きが、珍しい発祥の仕方をした、個性的な焼きものだったことがわかるのがこの本です。
焼きものの発祥と言えば、よい土が採れて、茶碗、甕、すり鉢、ほうろくなど、近隣の人々の生活用具の需要がある場所ではじまったというのがほとんどです。
ところが、萬古焼きは違いました。伊勢国桑名の豪商であった沼波弄山(ぬまなみろうざん、1718-77)が京焼きを手本に作陶を開始、いわば個人的な趣味で設立した窯だったのです。
沼波弄山は小さいころから茶道に親しんだ人で、京焼きの見事な写しをつくることから始めましたが、洋書解禁の令(1720年)後に入ってきた書物で異国の焼きものを目にすると、それらに魅せられて、異国風の斬新な模様や形の焼きものをつくるようになりました。その異国情緒のある焼きものは、鎖国下で、風流人たちの人気を集めましたが、沼波弄山の死によって、窯は廃絶されました。

森有節が考案した急須に木型

1832年、桑名の古物商の森有節と弟の千秋は、萬古焼きを再興しようと発祥の地に窯を築きました。

森有節の考案した桃色の釉薬、明治

森兄弟は造形的才能に秀で、研究熱心でもあったため、さまざまな技法を編み出しました。再興当初は古萬古の作風を再現していましたが、やがて時代を先取りするような表現をいくつも編み出し、人気を博していきました。

水谷孫三郎作、亀の置物、明治

明治に入ると、萬古の職人たちはパリ万博や内国勧業博覧会、京都博覧会などに作品を出品して高く評価され、いくつもの賞を取りました。

さて、嘉永年間に、四日市市の大地主で村役であった山中忠左衛門は、水害に苦しんでいる困窮民をなんとか救いたいと思案していました。
忠左衛門は有節萬古の人気に注目、焼きものを地場産業にしようと、1853年(嘉永6年)に邸内に窯を築きました。人々に陶土や道具を与え、自分が体得した技術を惜しげもなく教え、やがて1873年(明治6年)には、焼きものの量産体制を確立しました。

色絵面土瓶、明治

四日市港が整備され、輸送網が発展すると、海外向けの製品を考えて製作し、販路を海外へと向けて行きました。
それら、輸出向けにつくられた製品が、猫ポットに通じるものとhattoさんが教えてくださったものでした。


なるほど、発想は同じ、そしてそれらはとってもみごとなポットや土瓶たちでした。


遊び心満載、ヨーロッパで熱狂的に受け入れられたであろうことが、容易に想像できました。


萬古と言えば急須を思い浮かべますが、じつは市場に出回っている土鍋の80%は萬古焼きで、現在では海外にもたくさん輸出しているそうです。

かもしか道具店のごはんの鍋

本のページをめくると、なんと我が家のご飯鍋が載っていてびっくり、萬古焼きとは知らずに使っていました。
もしや、我が家のほかの土鍋も萬古焼きかしらと、気になって調べてみました。

土楽窯の黒鍋と無印良品(古伊賀)の土鍋

案の定、手前の黒鍋も、奥の無印良品の土鍋も伊賀の焼きもの、つまり萬古焼きだったのでした。長年愛用しているのに、土鍋たちのふるさとのことを考えたこともありませんでした。
もっとも、土鍋の方も、あえて萬古焼きのふるさとでつくられたものであることを謳っていないので、萬古を飛び出した新しい焼きものという意味を込めて「伊賀焼き」と言っているのかもしれませんが、江戸時代に山中忠左衛門の尽力で四日市に窯が築かれ、量産体制が整わなかったら、これらの土鍋はなかったと思われます。


今となっては出自不明ですが、このお櫃もたぶん萬古焼きだと思われます。


そして、我が家のいつものそうめんや冷や麦も、萬古の町四日市でつくられているものでした。
萬古の町は、私にご縁のある、お世話になっている町だったのです。

追記:

鳥の土瓶や急須、もう少し写真を載せておきます。










2020年1月24日金曜日

削り仕事、塗り仕事


手すり材を加工しました。
セールで買ったヒノキは、こんな印が押してあるくらいだから、数十年前のもののようです。
我が家では、これまで使ってきたのは節のある木で、無節の木を使ったのは浴室の壁くらいですが、これは「三方上小節」というものです。残りの一面には節があったり、節が抜けてしまっているのもありますが、下側にするので大丈夫と思われます。


手すりに必要な分だけ材を選び、幅と厚みを選んだ材の一番小さいものに合わせて削ると、5.5ミリ厚で14センチ幅の手すり材が取れました。前の手すりは38ミリ×14センチでしたから、だいぶがっちりします。
材のもとの長さは4メートルありますが、そのまま持って振り回すには重いので、できるだけ短くしてから削りました。
といっても、長い手すりもあり、2本はそのままで加工しました。


削る前に、夫に久しぶりに自動鉋の刃を替えてもらいました。


刃を自分で替えられればいいのですが、1年に1、2度しか替えないので、メモとしてカメラで写真を撮っておいたりしても、必ず替え方を忘れてしまいます。


しかも、しばらく替えてなかったので、ねじが固くて外せません。
インパクトドライバーに六角のソケットを装置したものでは緩められず、ラチェットレンチをあてがったものを自動車のジャッキで動かしたりして、なんとか2枚の刃のねじを全部取り外し、砥いでもらっておいた刃につけ替えました。


刃は、出をちゃんと調節しなくてはなりません。
ちょっと触っても手が切れるほど砥いであるので、慎重に位置を決めてねじを締めます。


材の準備ができたら、次は表面処理です。
屋外で使用するので、腐りにくくしなくてはなりません。


手すりの束(つか)の中には自然乾燥材も混じっていますが、セールのヒノキは人工乾燥材でした。
ということで、人工乾燥材でしか効果が期待できないという木材防護保持剤のWood Long-Ecoを、やっぱり全部に塗ることにしました。
Wood Long-Ecoは、ハーブ、樹皮、鉱物で配合されていて、土壌汚染しない証明書と、成分安全データシートを添付して販売されています。


布袋の中には、20グラムの粉が入っていますが、これを3.8リットルの水に薄めて塗りました。


塗ったばかりの材(手前)はヒノキの色ですが、乾くにつれて白っぽくなります。


手すりの束(つか)と手すりすべてを塗っても、Wood Long-Ecoは2リットル以上残りましたが、水に溶いたものは半年以内に使いきればいいので、慌てることはありません。

さて、昨日になって、材木屋さんから木材の請求書が来ました。
3メートルの材は1本1,000円で売ってもらえると知っていましたが、4メートルの材には紙が貼りつけてあるのもあり、それには1本が11,000円とか、安いので9,800円と書いてあったので、どのくらい安くなるのか心配していましたが、請求書の値段は1本1,500円でした。
胸をなでおろす金額、ありがたや、ありがたやでした。