2019年11月28日木曜日

禍福は糾える縄の如し

「禍福は糾える縄の如し」と言う言葉は、文字通り、災いと幸福は交互にやってくるという意味もあるけれど、物事が順調な時にこそ気持ちを引き締めよという教訓も含まれているようです。
それに対して、「人間万事塞翁が馬」は、人生の幸不幸は予測できないものだというたとえだそうで、この二つは似ているようで、ちょっと違うのでしょうか。



もう30年以上前に、前後して体調をちょっと崩した私たち夫婦は、年下の同僚夫婦に「西式健康法」を教えてもらいました。
それまで、私たちは西式健康法について全く知識がありませんでしたが、戦前は不治の病とされていた病気を治す療法として、私の父でさえ知っていたくらい、広く知られていました。
基本は、薬を投入するのではなく、身体の中をきれいにすること、とくに腸の中と血液の中をきれいに保って、自分の持っている治癒力や免疫力を強めることにあります。
そのために毎日、体内に酸素を取り込む運動、毛細血管を刺激して血液の循環を促す温冷浴、腸内をきれいにするために朝食は食べないこと、散歩をすることなど、薬も器具もなくても自分でできることで構成されています
30年前には、東京と大阪に西式の医院があり(東京の東中野には今でもある)、全国にも「道場」と呼ばれる、宿泊して一日中「西式に浸ることができる」施設がたくさんありました。戦後、ペニシリンの普及で西式健康法が廃れたとはいえ、年配の方たちを中心に、まだまだ賑わっていました。
ところが、21世紀になって西式の渡辺医院に行って感じたことですが、ちょっと閑散としていました。薬や手術の目覚ましい向上によって、「自分の努力で身体の中をきれいにする」西式健康法は、忘れ去られようとしているのかもしれません。


さて私たち夫婦も、なかなか西式を守って生活できないのですが、毎朝、体操と温冷浴だけでもと、欠かさないようにとやっています。
温冷浴は、冷たい水に1分、次にお湯に1分と交互に入り、全部で7回入ったところで、終わりにします。水から入って、水で出るのが決まりで、水温は16度から22度が適温と言われていますが、冬はたいてい24度から26度にしてしまいます。
冷たい水に入っているときは、まだかまだかと砂時計を見ますが、なかなか砂が落ちません。それなのに、お湯に入っているときは、砂時計の砂はあっという間に落ちてしまいます。
夫と私は、長く別々に温冷浴をしていましたが、一人で入っているとお湯に入る時間を長くするなどずるをしがちなので、入院客で混んでいた当時の東中野の渡辺医院のやり方を真似て、この数年は夫と一緒に交互に入っています。
こうすれが、自分が水に入っているとき相手はお湯に入っているので、1分をきっちり守らざるを得ないというわけです。

そしてこの温冷浴のとき、何故か関係ないのに「禍福は糾える縄の如し」を思い出してしまうのです。もちろんそのとき、水が「禍」で、お湯が「福」です。
そして、どうして水が「禍」なのかとも考えてしまいます。水風呂が血管に刺激を与えてくれているのだから、考えようによっては水が「福」かもしれないのですが、なかなかそうは思えません。
人生の禍福もそんなものかもしれません。



西式健康法を実行していると、「死ぬまで元気でいられる」とも言われています。
二十歳まで持たないだろうと医者に見放された画家の田中一村は、西式健康法に出逢って早世することなく、長く生きて素晴らしい絵を残しました。そして、西式の食事をつくろうと、野菜の入ったすり鉢を持ったまま、亡くなられています。
人間のことですからどうなるかわかりませんが、「元気でぽっくり」の生き方は、やっぱりいいなと思ってしまいます。


追記:

明日から数日北九州に行くので、ブログは1週間ほどお休みします。







2019年11月27日水曜日

ブラックボックス

いつも私が、近所を走る足として乗っていたミニバンはやっぱり寿命でした。
故障した部品代だけで、15万円かかると言われ、他にも不安なところがあったし、買った値段が20万円ほどだったし、もう何年も乗ったので元は取れたしと、とうとう廃車にしてしまいました。

さて、遠出用の車は、他の車をばらしてその部品と交換するという作業のため、屋根のついたガレージの中では狭くて作業できないとか、お天気の回復待ちですが、このところ悪天候続き、いつ直るか未定です。
いつまでも軽トラックだけというわけにもいかず、軽の乗用車を買うことになりました。
遠出用の車を修理してもらっている中古車屋さんに電話すると、
「5万円からあるよ」
とK夫人。
早速いろいろ見せてもらい、乗ってみて、台車として貸してももらいました。カギがついてなくてボタンで発車する車も、生まれて初めて乗りました。
結局、17万キロも走っているけれど、小回りの利く、ナビもついてない、見せてもらった車の中では一番安い車にしました。廃車にしたミニバンの部品代に修理代を足したくらいの値段でした。しかも、燃費が1.5倍くらい上がったので、ほくほくです。

廃車にしたミニバンのカギを処分するついでに、夫のブラックボックスの中にあるカギも処分することにしました。


作業場ではコンテナや段ボール箱などに、とりあえずそこいらにあるものを入れて、以後は決して出てこないブラックボックスにしてしまうのが得意な夫ですが、家の中にもペン立て、木の空き箱、籠、段ボール箱、紙箱などなど、そこいらじゅうにブラックボックスがあります。


煙草盆の灰入れに入っていたものです。


ネジ釘を使うときは、種類別に入れてある引き出しから缶にとって使い、使った後は残りを元の引き出しの中に戻すこと、になっているのですが、夫は出すのが得意、戻すのが苦手なので、あちこちに少しずつ、しかもサイズがごっちゃになってネジ釘を死蔵することになってしまいます。


何のカギでしょう?  

 

何だかわからないものもあり、捨ててもいいかどうか見てもらったのですが、全部捨ててよいことになりました。
  

3つの容器から出てきたカギたちです。
昔住んでた家のカギ、ビニールハウスに住んでいたときのドアのカギ、スーツケースのカギ、自転車のカギ、などだと思うけれど、実際はなんだかわからないカギがいっぱいです。
これも全部捨てました。


出てきた付箋紙、万年筆用カートリッジ、セロテープなどの文房具は、別の「ブラックボックス」に移動しました。
これから、付箋紙が欲しいとき出てくるかどうか、カートリッジに合う万年筆を今でも持っているのかどうかなどは、一切不明です。

おりしも先ほど、隣で夫が、
「眼鏡がたった一つしかなくなった!」
と騒いでいました。100円ショップで2か月おきくらいに補充するのに、あちこちに置いてしまうので、すぐになくなってしまうのです。
明日から掛けるので、眼鏡1つでは不安、すぐに100円ショップへ行くと言うので、私も手伝って探してみました。
ところが、出てくるのは眼鏡ではなくてブラックボックスやらブラックバッグばかり、呆然とするほどあります。
そして、眼鏡は、年間20個は補充していると思われるのに、一つも見つからず、出かけて行きました。

ちなみに、私も100円眼鏡ですが、壊したりなくしたりすることはほぼありません。度が進むので買い足しますが、買った分だけあります。






2019年11月26日火曜日

大失敗

適当なドアハンドルが見つからなかったので完成していなかったドアは、長くハンドルなしで、所定の場所に設置してありました。
他にも出入り口がたくさんあるので、さして不便もなかったのです。
そのハンドルが手に入ったので、やっとつけることにしました。


いつもドアをつくっているわけじゃありません。
つくり方を忘れたころに作業するので、スイスイとはいきませんが、それでも説明書を斜めに読んで、3種類の太さのドリルで穴を開け、着々と進めました。


ドリルで開ける穴が重なっているところは、杉は柔らかいので、ともすればドリルの刃が最初に開けた穴の方に滑って、真直ぐに開けることができません。
それに気をつけながら、3か所に穴を開け、深い穴に錠前ボックスを埋め込んだら、難関はもう、突破したも同然です。


次にハンドルをつけます。


ハンドルがついたら、カギ部分の取りつけです。
これは外との仕切りドアですが、室内間仕切り用でのドアハンドルを使っています。というのも、無印良品では外と仕切るドアハンドルは売っていないし、ほかの会社の製品は、欲しいのがないし、それにどれも驚くほど値段が張ります。


ところが何てこと、ドアを取りつけようとしてわかったのですが、カギ部分(サムターン)の内側と外側が反対でした。これでは外側から施錠して、内側からは開けられないという、使いものにならない事態になりました。
「裏表反対につけ替えればいいじゃないか」
と夫は言いますが、カギ部分の錠前ボックスが、内側と外側では違う形をしているので、外に見える部分を単純にとり替えることはできません。
そして、錠前ボックスを外して、それを上下反対にするというわけにもいかないのです。
  

というのは、ハンドルの穴は中心にはないし、ハンドル用の穴とサムターン用の穴の形が違うので、今ある穴とは全く合わなくなるのです。

 

いったいどうしたらいいのか!
しばし途方にくれましたが、いいことを思いつきました。ドアを上下ひっくり返せばいいのです。それなら、ドアノブはそのままで、丁番だけをつけ替えればいいのです。しかも、柱につけた丁番はそのままで、ドアにつけた丁番の位置を替えるだけですむのです。
「あぁぁ、ドアをつくり替えないで助かった!」
と思って一安心したのですが、しばらくしてこのハンドルは下にしか動かなかったことに気づきました。
上下反対にして、上にあげて開けることは可能ですが、このドアを使うのがそれを知っている私たちだけではないとしたら、ここだけ上にあげて開けるのは現実的ではありません。
まだ頭はぼんやりしているのですが、もしかしたらこのドアハンドルセットは、外から見てハンドルがドアの右側に来るようにしかつくられてなかったのかもしれません。
「どうする?どうする?」

もう一つだけ手があります。
ドアを上下に反対にしないで、左右に反対にすれば、ドアの開く向きが違ってしまいますが、鍵を閉める部分が内側になります。
すでにつけている丁番3つを反対側につければ、なんとかなります。
「やってみるかなぁ」
今日は寒いし曇っていて、やり直す元気はどこからも出てきません。


今度かっと晴れた日に、気持ちも新たにやり直したいと思います。





2019年11月25日月曜日

糸、糸、糸

部分的に解いたまま、数か月直しもせずに机の上に放りっぱなしだったブラウスを、今日こそは片づけてしまおうと、日曜日の昨日手に取りました。
ついている襟が気に入らないので取ってしまったのですが、何かで襟をつけないと襟ぐりが大きく開きすぎてしまいます。
仕方ない、長袖だったブラウスの袖を、ちょん切って半袖にして、切った布を襟のあたりに使うことにしました。
黒白のギンガムチェックの布なので、かがるのに適当な糸はないかと裁縫箱をのぞいて探したのですが、紙の糸巻きが多すぎることに気づき、古そうなのをつまみ出してみました。


私が買ったのではない糸巻き、それも絶対に使わないと確信できる糸が混じっています。
 

これらはきっと戦前の糸でしょう。
祖母の糸だったのか、大叔母の糸だったのか、祖母の足踏みミシンを引き継いだり、大叔母の裁縫箱を引き継いだりしたので、一緒に私のところに来てしまったものに違いありません。


絹のしつけ糸は、和裁が得意だった大叔母のものでしょう。


いろいろ見たのに、絶対に使わないだろう糸はたったこれだけ、そう場所は取っていませんが、もう一つの裁縫箱に移してしまいました。
あほらしくも、裁縫箱は二つも三つもあるのです。
で、日常遣いの裁縫箱の中はすっきりしたでしょうか?


いえいえ、縫い糸はまだこんなに残っています。
この上に、しつけ糸の束とカタン糸の束、物差し、色鉛筆、握りばさみなども入れて蓋をするので、裁縫箱は相変わらず、超満杯です。
洋服の直しは、無事終了しました。






2019年11月24日日曜日

『わた史発掘』

人生の先輩昭ちゃんに勧められた、小沢昭一の『わた史発掘』(文春文庫、1987年)を読みました。


かなり長い文章ですが、まず、原稿が手書きだということに驚いてしまいます。ちょっと前の人たちにとっては、原稿は手書きが当たり前でしたが、今の私は絶対無理、無理。長文はおろか、短いメモさえ、なかなか手では書けません。
『わた史発掘』を読むきっかけとなったのは、子どもたちの遊びの数々を知りたいからということでしたが、遊びを紹介してあるページはほんの僅かでした。
それでも、たくさんの遊びが紹介されていて、小沢昭一さんとは時代も場所も違うとはいえ、私も経験した遊びがほとんどでした。


しかし、昭ちゃんも遊んだという「どこ行き」という遊びは知りませんでした。
円の中に仕切り線を引き、いろいろな場所などの名前を書いて、石けりを投げて石けりの落ちたところに書かれた場所に行かなくてはならないという遊びです。
運動会の借り物競争とちょっと似ているでしょうか、今でもみんなで楽しめそうな遊びです。

『わた史発掘』を読み進むにつれて、1960年代に芸能の世界で活躍していた懐かしい名前がいろいろ出てきました。というのも、小沢昭一さんの麻布中学・高校の同級生は多彩で、十代から一緒に芸能活動をした仲間に、加藤武、フランキー堺、なだいなだ、中谷昇、大西信夫、内藤法美、神津善行などがいたからです。

じつは私、高校の時に演劇部に入っていました。お恥ずかしいことですが、文化祭か何かで演劇部の劇を見て、すっかりその気になって入部したのです。
講師は、当時はまだ無名に近かった文学座の小池朝雄さんでした。小池さんがどうして演劇部の講師になってくれたのかは知りませんが、無給にもかかわらず、2週間に一度くらい高校に来てくれていました。
上演日が近くなった日曜日に、千歳烏山にあった小池さんのお宅に伺って稽古したこともありました。千歳烏山のあたりにはまだ、田園が広がっていました。
「ハムレット」を上演したときは、文学座に衣装を借りに行くなど、何度も信濃町にあった文学座に行く機会がありました。文学座の喫茶室で小池さんと打ち合わせをしていると、周りには、『わた史発掘』に出てくる加藤武さん、中谷昇さん、北村和夫さんなどがいらっしゃいました。
ほかにも、加藤治子さん、岸田今日子さん、賀原夏子さん、高橋昌也さん、名古屋章さん、杉村春子さん、三津田健さん、宮口精二さんなどテレビや映画でお見かけする方が、すぐ隣に、普通にいらっしゃるのが不思議でした。名古屋章さんは小池さんと一緒に高校に来てくださったこともありました。
また、文学座の公演があるときは見に行って、楽屋まで訪ねていたので、彼らの演じた後の興奮の残っている姿をお見かけすることもありました。

やがて、テレビの中に小池さんをちょくちょく見るようになりました。実際はとても穏やかな優しい方でしたが、彼の役はたいてい、主人公をこれでもかといじめるような悪者とか、気持ち悪い変質者などでした。そのため、高校生の私たちは、悪役を演じる人には優しい人が多いということを学んだりしたのでした。
まもなく文学座は分裂、「劇団雲」に加わった小池朝雄さんは忙しくなり、講師としては俳優の三谷昇さんや、演出の水田晴康さんらが来られるようになりました。そして私は、高校3年生になったのを機に、演劇部からはまったく遠ざかって、それきりになりました。
小池さんはその後、「刑事コロンボ」の吹き替えで大ブレイクされ、悪役でない役もやられていましたが、惜しくも若くして亡くなられてしまいました。
そんなことが、久しぶりに思い出されました。

さて、『わた史発掘』の中で、若干16歳で海軍兵学校予科に入学した小沢昭一少年が、忙しい生活に追われながら、就寝前のほっとするひと時、富山の製薬会社の社長の息子が持ってきた「神薬」なる甘い薬をぺろぺろ舐めていたというくだりも面白いものでした。

また、相撲少年だった小沢家に来てくれたという関取の「鯱の里」は、とても男前だったと書いてあったのでネットで調べてみました。


いやはや、写真が見つかりましたが、鯱の里は本当に男前でした。

というわけで、懐かしいことを思い出させてくれた、『わた史発掘』でした。





2019年11月23日土曜日

ドラえもんファミリー

二日続きの雨、しかも寒い!
外は12度、室内は16度、やることはいっぱいあるというのに、暖房もせず縮こまっています。


そう言えばドラえもんのチョコエッグ、 全部開封した結果はお話していませんでした。


10箱で6種類、まぁこんなものなのでしょう。
チョコはちょっぴりだったし、大人の私ですから、さすがに全種類揃うまで買ったりしない分別はついています。


明日は晴れるかなぁ。


冬の雨は、何故か元気はくれません。







2019年11月21日木曜日

ふさいで、ふさいで

作業棟の階段ができて、蹴上のところを閉じたので、だいぶ密封性はたかまりましたが、まだそこここに穴が開いていています。


上は3年近く前の、仮階段下の写真ですが、まだ建物全体にほとんど壁も扉もなくスケスケなのが、光の入り具合からわかります。
階段下の、ペンキ類の缶を置いているところは、刈り払い機を置いているところとの間に壁をつくって仕切り、出し入れは、左に見える廊下側に扉をつくることにしました。


ペンキ類は取り出して、地下室に移します。
コンクリート基礎に、配線のために開けてあった左右(写真では前後)の穴をふさぎ、床も、コンクリートむき出しではと、板を張りました。


この左下の穴は廊下側から見たところ、内側からはふさいでありますが、手前もどうにかしてきれいにふさがなくてはなりません。


壁に取り掛かります。
2枚の写真は刈り払い機置き場の方から見たところ、真ん中に固いものがなくて薄い板だけでは不安なので、間柱を一本立てました。


内側は壁を張り終わり、あとは扉をつけるだけなので、さっそくそこいらに転がっているものを集めて収納しました。


そして、外側からも板を張ります。
真ん中に立てた間柱はゆがんでいますが、どうせ見えなくなるものと、手を抜いた結果です。


階段下はこれで終了です。


階段脇が、まだまだ、あちこち開いています。
それを張っても、写真の左の方、階段の側板と壁との間の隙間は、どうやってふさぐのでしょう?
「おれにアイデアがあるから、心配するな」
という夫に、お任せしてあります。







2019年11月20日水曜日

実用ではなく役立たずに

骨董市に行くたびに、刃物屋さんをのぞいて、小さな握りばさみがないかと探していました。
というのも、半年ほど前から、編みものの籠に入れていた、糸切りばさみが見えなくなっていたからです。
おかしいなぁ、籠の外に何気なく置いたとしても、その近くにあるはずと探しても見つからず、毛糸を切るはさみがなくて不自由していたのです。
夏の間は編みものはしないので問題なかったのですが、いよいよ数年がかりで編んでいるひざ掛けに、また取り掛かる(取り掛からなくてはならない)シーズンが近づいてきました。
裁縫箱の中にも小さな握りばさみは一つ入っていますが、これはこれで、編みものの籠に移すと、ボタンつけなどするときに困ります。

骨董市に、刃物なら何でも持っている刃物屋さんがありますが、いつ見ても握りばさみは大きなものしかありません。


ところが別の店で、小さな握りばさみを見つけました。
刃物屋さんのと違って、ちっとも手入れしてありませんが、その場で糸くずを切ってみたら切れたので買ってきました。
今どき、握りばさみも100円ショップで買うのが一番安いと思いますが、使い込んだ鉄は、何故か角張ってなくてとろりとしているので、手にしっくり馴染みます。


しかもこの握りばさみは、北海道のニシン漁師さんの握りばさみほどではないけれど、刃先が短いつくりです。
左は祖母のはさみ、真ん中は以前骨董市の刃物屋さんで買ったはさみで、どちらも糸は切れません。
そしてなんということ、小さい握りばさみは、店先では切れると思ったのに、家で試してみたら、糸が気持ちよく切れません。
全部が全部、役立たずです。


もう一つ、織り機にかかっている糸を切るはさみを持っていて、これは間違っても経糸(たていと)を切ったりしないように、刃先が曲がっています。
今は、織りものはしていないのだから、このはさみを使ってもいいのですが、先が尖っていて、編みものの籠に無造作に入れたりすると、切らなくていい毛糸を切ってしまう心配があります。

それにしても、私の糸切りばさみはどこへ行ってしまったのでしょう?
まさかとは思いましたが、夫のペン立て(何でも立て)をのぞいてみました。夫は何でも立てておくのが好き、デスクの上には、ペン立てが8つもあります。


わっ、私が半年も探していたはさみが、こんなところにありました。
めでたし、めでたし、でしょうか?

錆びて汚い小さな握りばさみは、今度、目の細かいサンドペーパーを買ってきてきれいにして、ただのコレクションの一員に加えます。






2019年11月19日火曜日

冬至は近し

冬至を目指して、陽がどんどん傾いています。
おかげで居間にはたっぷりの陽が入ります。


気持ちいいねぇ。いつまでも寝ていられるなぁ。


極楽、極楽。


「ん?身体が柱の陰に隠れているって?それが何か?」









2019年11月18日月曜日

おもちゃのバケツ


小さなブリキのバケツです。
あまり古そうには見えません。戦後アメリカへの輸出用につくられたもののようです。


日本がおもちゃの輸出で外貨を稼いで戦後復興を図っていたのは、1960年度の前半くらいまででしょうか。
その後、アメリカ向けのおもちゃの製造・輸出は香港に移り、そして中国に移り、今に至っています。


我が家の小さなバケツたちです。


木地玩具は、国内向けだったのかもしれません。
左の2つは、水がめと柄杓のセットです。


ブリキのバケツの右端は北欧の新しいもの、ほかの3つは日本の古いものです。
水がめもバケツも、かつては生活の必需品でしたが、今は水道が普及し提出水がめは必要なくなり、バケツもポリタンクに取って代わられたと言ったところでしょうか。
余談ですが、後ろの瓢箪たちほか、すべて水入れです。