2014年8月31日日曜日

猫のマスキングテープ

以前から建設作業で、コーキングしたりするときにマスキングテープを使っていました。
ところが巷に、いろいろな模様の、おしゃれなマスキングテープが溢れるようになったのは、いったいいつごろからだったでしょう?

それでも私には、マスキングテープと言えば工事に使うというイメージしか湧きませんでした。
やがて、セロファンテープより、マスキングテープを使ったものの方を多く目にするようになりました。
それでも、きっと私には使えないだろうなと、買ったことがありませんでした。


そんな私が、遅ればせながら、初めてマスキングテープを買いました。
リサ・ラーソンの猫のテープです。

猫好きですが、はっきり言ってリサ・ラーソンの猫はどっちでもいい部類です。というか、高いお金を出してフィギュアを買う気など毛頭ありません。
それでも、この横向きの猫は、まあまあ好きな方で、かつてこの猫の形をしたカメラを買おうかどうしようか迷ったこともありました。


旅先で買ったキーホルダーも持っています。
 

マスキングテープを入れる箱に、テープを貼ってみました。

まあ、けちな私ですから、買ったものの、マスキングテープを使えるかどうか疑問です。
荷づくりするときは仕方なくセロファンテープやガムテープを使いますが、原則テープを使うこと自体、あまり好きではありません。
たとえかわいい模様のマスキングテープでも、必要以上に貼ってがんじがらめになっていると、いらいらしてしまいます。


でも、せっかく買ったんだから、使わなくっちゃなりません。

これまでも、絵はがきやぽち袋など、使うのか保存しておくのかあいまいなまま、あっちに入れたり、こっちに入れ替えたり、とうとう見えなくなってしまったことが何度もありました。






2014年8月30日土曜日

仕分け袋


籠バックは便利とばかり、いろいろなものをごっちゃごちゃに入れていました。
でも、頻繁に使うもの、めったに使わないけれど入れておいた方がいいものなどいろいろです。
というわけで、遅ればせながら、手持ちの袋を使ってわけてみました。


眼鏡ケース、ティッシュ、ハンカチ、櫛などは、息子の一家からもらった巾着に入れました。
 

カメラとボールペンは、元同僚のHKさんからいただいた巾着に入れました。
手仕事の巧みなHKさんのこと、木綿を育てたかどうかは聞きそびれましたが、自分で糸を藍の濃淡に染めて、自分で織った布を使ってつくった巾着です。


裏地も素敵、ポケットまでついています。


エコバッグは、Karatさんのマトリョーシカが入っていた巾着に入れました。


手帳、郵便通帳、薬手帳はしっかりしたラオスの布で包みます。


折って端を差し込むと、ほどけません。いい具合です。


これだけ詰めると、なかなかの重さです。
でも、何が減らせるのか、見当がつきません。できることなら、はさみも入れたいところです。


バナナ籠に入れた感じ。


がま籠に入れた感じです。






2014年8月29日金曜日

がまの籠バッグ

ショルダーバッグ一辺倒だった私が、久しぶりに籠バッグ、それも柔らかくてしなるもの使ってみたら、ことのほか使い勝手がよく、手放せなくなりました。
そこで、身体は一つしかないのに、もう一つ籠バッグを手に入れてしまいました。

 
岡山県蒜山のヒメガマで編んだ籠バッグです。
蒜山は「ひるぜん」と呼ぶらしいですが、私が小さい頃は、「ひるせん」と言っていました。もっとも、私が住んでいた倉敷は瀬戸内海の近くで、蒜山は山間部と遠く離れていましたが。
あのあたりの山は、だいせん(大山)、ひるせん、なぎせん(那岐山)などと、何故か「せん」と呼ぶ山がたくさんあるのが、子ども心に不思議なことでした。

蒜山のがま細工の歴史は古く、14世紀の南北朝の時代に、兵糧を運ぶための背負いかごをつくったのがはじまりと伝えられています。
かつて、プラスティックのなかった時代には、水をはじくヒメガマで、雪靴や蓑、笠、背負い籠など、いろいろな生活道具を編んでいました。
湿地に自生するヒメガマは軽く、美しい光沢をもっています。


ヒメガマを編むのに、シナノキの繊維からつくった小縄を使います。
シナノキの樹皮は初夏に伐採して、三、四ヶ月川に浸して表皮を腐らせ、繊維を取り出します。
それを細く割き、つないで撚って小縄にします。
麻、芭蕉、苧麻などの繊維の取り方、糸や縄のつくり方と似ています。

このシナノキの小縄の美しさが、がまの籠を格調高いものにしています。


野良仕事で使うなら、端の始末は、このスゲの籠のようにすれば十分です。


ところが、このがまの籠は、今ではおしゃれ用ということもあり、二重底で、補強も兼ねて端が見えないようにきれいに処理されています。
底から見ると、平織りに織ったものを綴じつけてあり、
 

中に一枚、別に編んだものを敷いてあります。


持ち手のつけ方も美しく、全体にとってもきれいな仕上がりになっています。

学生時代に、鳴子近郊の農家でわけていただいた稲わらの籠を持っていました。ところが稲わらは擦れるとささくれて、ぼろぼろとクズが落ちてきます。
ヒメガマは、まったくそんなことがなさそう、籠にするには稲わらよりずっとすぐれた素材です。

河口で海に近い倉敷のあたりでは、湿地もなく、がまも見かけませんでした。
生活に必要な竹かごなどは、「奥」と呼んでいた山間部、勝山のあたりでつくられたものを使っていましたが、各家庭の必需品であった「買いもの籠」は、イグサを縄にしたものを編んでつくられたものでした。倉敷付近では、盛んにイグサが栽培されていたからです。
畳は好きですが、私はどうもイグサ細工が、色も感触も好きではありませんでした。
もちろん、地域で使うものは地域でつくるのが基本ですから、倉敷まで蒜山のがま細工が運ばれてくることはありませんでした。




2014年8月28日木曜日

ホムモス


ネットショップでオリーブオイルを買ったついでに、ホムモスの缶詰めがあったので買ってみました。
ホムモスは、茹でたひよこ豆をつぶしてゴマペーストと混ぜたもので、地中海の周りの地域で、広く食べられているものです。
この缶詰はレバノン製、食べるときにレモン汁を混ぜ、オリーブオイルをトッピングして、パンなどと一緒に食べます。


オリーブオイルやクスクスなど、アラブの食材をネットショップで買うとき、送料は同じだからと使ったことのない食材も試してみますが、あまり「当たり」はありません。
ホムモスの缶詰めも、二人で食べるには量が多すぎて、3回、4回も食べないと食べ切りません。かといって、手を抜きたいときではなく、大勢のときに使うなら、自分でひよこ豆を茹でてつくった方がずっと美味です。

と、文句を言いつつ、パンにたっぷりつけていただきました。
ちなみに、オリーブオイルは長くチュニジア産のものを買っていましたが、今回モロッコ産のものにしてみました。
おいしい。そちらには満足しています。




2014年8月27日水曜日

手鞠


我が家には、母の手元からやってきた、糸でかがった鞠や、貼り絵をした鞠がいくつかあります。
中のいくつかは、母の叔母の形見として、母には大切だったものですが、中のいくつかは、わりと雑なものです。


母の叔母がつくった鞠はなかなか素敵です。
叔母は細工ものの上手な、多趣味な方でした。


その母の叔母の鞠に触発されて、私の祖母がつくったものや、あるいは祖母に勧められて、いろいろな人がつくった鞠たちです。
糸の選び方、房のつけ方、紐のつけ方など、もう一工夫欲しいところです。ちょっとしたところで、つまらないものになっています。


その、つまらない最たるものが、祖母を喜ばせようと、学生時代に私がつくった鞠です。
やれやれ。
そこいらにあったものでつくったとはいえ、既成の、撚りのかかったフランス刺繍糸をそのまま使っていて、味もへったくれもあったものではありません。
早く捨てたいと思いながら、祖母が喜んだことを思うと、なかなか捨てられません。


母のつくった貼り絵の鞠も、母がつくったのでなかったら、ただちに捨てたい代物です。
まず、鞠そのものがまん丸ではなくていびつなのが納得できません。手元には二つだけありますが、もっといっぱいあり、そのどれもが丸くありませんでした。

もらってきたとき、
「全部持って行って」
「ちょっとなぁ」
「そう。じゃあ、好きなのだけ持って行って」
「どうして、どれも丸くないの?」
「丸くならなかったのよ」
丸くない鞠を十個つくるより、丸いのを一個つくったらと思ってしまう私でした。

「なんかさぁ、模様も多すぎない?メリハリがないじゃないの。かわいくないのもあるし」
「あれもこれもって、欲張るからね」
バランスを考えず、片っぱしからべたべたと貼ってあります。
仕事は早いけれど、何でも雑なのが母です。
また、材料にこだわらず、あるもので適当にやっつけるのが母です。そのため、せっかく手をかけた袋ものが、最後の紐選びでつまらないものになったり、せっかくつくった服が、あり合わせの裏地やボタンでつまらないものになったりします。


じつは、祖母の家には、母がお手本にした貼り絵の鞠がありました。
見ず知らずの方にいただいたもので、七転び八起きの意味を込めてか、八つの姫だるまが並んでいるものでした。
鞠をかがっていた糸は、たぶんしつけ糸だったのでしょう、地味な生成りでした。
上下にはつまみ細工の桜の花びらがついていて、姫だるまはいびつで大小があり、それがバランス良く配置されていました。
墨で描かれた姫だるまの顔は、決して上手とは言えませんでしたが、とても味わいがありました。
ずっと祖母の家の六畳間の神棚の下にぶら下げてあって、見慣れたものでした。

鞠をつくったおばあちゃんは、全国の、戦争からまだ帰って来られずにいる人たちの留守家族に、その鞠をつくって届けていた方でした。


その鞠の完成度の高さと、母の鞠の完成度の低さは、ちょっと比べものにもなりません。
「あの姫だるまの鞠はどうしたの?」
「あぁ、あれ。汚れてきたなくなっていたから、捨てちゃった」
とほほ、母は何とも思っていなかったのでした。


こうやって見ると、母の鞠は丸くないだけでなく、かがり方も適当だとわかります。糸が三本も並んでいるし、しかもたるんでいるではないですか!

この親にしてこの子あり。カエルの子はカエルの子。母の悪口を言うということは、天に向かってつばを吐きかけているのと同じことですが。





2014年8月26日火曜日

フードプロセッサー


孫のはなちゃんが来たら一緒に焼こうと、クッキーの型を用意しておきました。
ハンドミキサーでクッキー生地を撹拌していると、はなちゃんが手伝いたがりましたが、ハンドミキサーが重すぎて無理でした。
代わりに、息子が手伝ってくれました。

夜には、肉や野菜と一緒に焼こうと、ジャガイモのパンケーキをつくりました。
ジャガイモをすりおろすのを、息子の連れ合いのあっちょにお願いし、おろし金をわたしていたら、息子が、
「フードプロセッサーを買いなよ。クッキーもパンケーキもどっちも簡単にできるよ」
と言って、スマホでブラウンのマルチクイックの写真を見せてくれました。
「これで、すりおろしができるの?」
「ああ、離乳食をつくるのに買ったんだけど、便利だよ」
「クッキーの生地も混ぜられるの?」
「うん」
「よく使う?」
「よく使うよ」
「便利ですよ」
と二人口をそろえて言います。
それならと、新しいもの、とくに電動の台所道具を買うのには慎重な私ですが、注文してしまいました。


届いてみたら、写真で見ていたので予想していたとは言え、大きいし、たくさんの部品です。
「失敗だったかなぁ」
使ってみる前に、機械が億劫な私はすでに後悔しています。
しばらく、目につくところに、ただ転がしておきました。


さて、毎日見ていると、いつまでも転がしておくわけにいかない気持ちが高まってきます。
数日後、ジャガイモのパンケーキをつくってみることにしました。小さく切って容器に入れて、スイッチを押します。


あっというまにペイスト状になり、牛乳を加えるとさらにスムーズになりました。
楽ちんと言えば楽ちんです。


このまま小麦粉を加えて、さらに回転させてもよさそうでしたが、小麦粉はボウルに移してから加え、塩胡椒をして焼いてみます。
 

いい感じに焼けました。


味は、手ですりおろしたのとちょっと違うような気がしました。
気のせいかもしれません。

「さて、クッキーはどうやるの?バターはどの部品で練るのかな?」
まあ、おいおいやってみることにしました。
一度使ってみたら、ぐっとハードルが低くなりました。


一番の問題は収納場所にありました。
こういうものは、使っている時間よりしまっている時間の方が圧倒的に長いのです。
出しっぱなしにしているうちに目についたのは、それまでつくりかけのものを入れていた籠です。
「この籠はどうだ?」
籠に入っていた解きかけの浴衣は、仕方ないので解いてしまいました。その気になってやればできるのに、一年も放っておいたものです。

大きな容器二つは戸棚の中にしまいました。


これだと、どこへ転がしておいても目障りにはなりません。

さあ、どう活用するか。
もっとも、今でもケーキ類はハンドミキサーで十分と思っている私です。




2014年8月25日月曜日

オバケのQちゃん

夫も私も、Tシャツはほとんど息子のお古か、いただきものです。
大きさで、どちらのものにするかを決めて、さらに着古したものは作業着にします。


夫が愛用しているお古のTシャツに、オバケのQ太郎模様のものがあります。
前面には、オバケのQ太郎、P子、O次郎、そしてアメリカオバケが並んでいます。


そして後面には、それぞれの後ろ姿が描かれています。
まあ、なかなかかわいいTシャツです。


昨日は、ある建築家の方からご案内をいただいて、彼が設計した水戸の家の新築内覧会に行きました。
気がついたら、あれっ、夫はQちゃん姿ではないですか。


かくいう私も、考えもせず普段着で行ってしまったので、五十歩百歩ですが、内覧会の家は大豪邸で、この家のご夫婦も建築家の方もきちんとした服装をしています。


コンクリートの筒になった書斎には、膨大な本棚が。
本棚に苦労している私は、今つくっている作業棟の中に、埃を除けられるこんな本棚ができないかと、ちらちら考えます。


でも、こんな面倒なものが、つくれるわけがありません。


「つくれるか、つくれないか」の目で見ると、鉄板を曲げてつくった階段も到底つくれません。
よく加工できたものだと、冷や汗が出ます。
家を見ても、ついつい住み手の立場より、つくり手の立場から考えてしまいます。


それでも、早めに来て助かりました。


午後にはご夫人の演奏で、チェンバロ、ハープ、ピアノなどのミニコンサートが開かれるのです。
そんなところにQちゃんTシャツでいたら、きっともっと場違いだったに違いありません。





2014年8月24日日曜日

いつまで続く、鳶仕事

最近、高いところがあまり好きじゃない夫ばかりが高いところに登って、高いところが得意だったはずの私は、高いところに登らせてもらえません。
しかたなく、一本だけ残っている低い柱をつくっています。


以前、水平基礎を打ったときに埋めておいた鉄筋に、柱の高さに切った鉄筋を足していきます。


鉄筋は、抜けないように上も下も曲げておいて、結束線で結びます。
鉄筋は大いに錆びていますが、作業がちゃっちゃとは進まないので、しかたありません。毎度のことですから、気にしもしていません。


母屋のコンクリート打ちのときは、鉄筋はすべて手で曲げました。大きいものになると、一人がねじれないように鉄筋を持って、一人が曲げる棒を押してと、二人がかりでした。
柱に嵌める四角い鉄筋は、一本につき五回曲げることを繰り返さなくてはならないので、一日中鉄筋を曲げていた日もありました。
曲げる道具は、酷使したので摩滅して、途中で一度買い替えました。それほどたくさんの鉄筋を曲げたのです。

これは、十年くらい前の写真です。
後ろに見えるのは、OMソーラーの蓄熱板をつくるために、床下の蓄熱用コンクリートとその下の基礎のコンクリートの縁を切るために、間に入れた断熱材です。
やれやれ、これは思い出しても大仕事でした。


その後、作業棟の建設をはじめるにあたって、鉄筋曲げは機械化しました。
小さな機械ですが、鉄筋をはさみ、スイッチを押すと曲げてくれます。
力要らずになりました。


ただし、手で曲げるのと違って、ちょっとうっかり考えごとをしていたり、前に曲げたところの具合に気を取られたりしていると、すぐ直角を通り過ぎて、曲がり過ぎてしまいます。

曲げるのは機械化しましたが、鉄筋を切るのは相変わらず手作業です。 私は10ミリの鉄筋はなんとか切れますが、13ミリとなると、力不足で夫を頼むしかありません。
 

四角く曲げた鉄筋を、垂直の鉄筋に通します。


そして、結束線で、間隔を置いて結んでいきます。


鉄筋の四角い輪は、ちょっとでもサイズが大き過ぎると、型枠をはめられなくなります。かといって小さくつくり過ぎると、コンクリートの強度が落ちます。
ぎりぎりの大きさにつくるのですが、それでもねじれたりするので、型枠をはめるときにはいつも四苦八苦することになります。


四角い鉄筋を嵌め終わると、今度は柱が変形した部分に三角に曲げた鉄筋を足します。
曲がり部分が長すぎると、はめることができません。 直径10ミリの鉄筋は、手ではもちろん、ゲンノウで叩いても、ちょっとやそっとではびくともしません。


というわけで、後から、曲げた先を切りました。
最初から短くできればいいのですが、この短さでは機械に引っ掛かかりません。


三角に曲げた鉄筋を嵌め込んでから、水平に結びます。


これで、鉄筋仕事が完了です。


これは別の柱ですが、型枠を嵌めて、コンクリートを流し込むと、こんな感じになります。
右の細くなっているところが、三角形に曲げた鉄筋を入れたところです。


ところで、「夫は何をする人ぞ」とばかり、高い柱に登ってみます。


先日細工をしていた鉄骨が、型枠に突き刺さっています。左側はもう型枠で閉じていますが、右側はまだ閉じてなくて、鉄筋が見えています。
右部分の鉄骨はコンクリートに埋め込まれます。


右奥に見えている、もう一本の高い柱にも鉄骨を埋め込んで、最終的には両方の高い柱から突き出た鉄骨に、長い鉄骨をビス止めして渡そうとしているのです。


面倒な作業ですが、夫が何とも思っていないので、とやかく言う筋合いではありません。新しい試みは好きなのです。

久しぶりに高いところに登ったら、足がすくみました。