2020年2月22日土曜日

小さい大型船


おもちゃ骨董のさわださんの持っていた、木とブリキでできた船です。
木の船体に、プリントしたブリキを釘づけしてあります。


プリキは凹凸をつけてあり、飛び出ているところは、三か所で爪で組んであります。


そして、舳先の方は、ブリキを切り取って穴まであけてあります。
ブリキ部分に手を掛けたわりには、二本の釘でカシの木の船体に打ちつけてあるのは、あっさりしすぎているような気もしないではありません。


船体のカシの木は、太さといい、質感といい、込み栓を利用したものに見えてしまいます。それだったら、わざわざ轆轤(ろくろ)で挽かなくても、簡単に手に入ります。
ただ、いまどきの込み栓は、端をちょっと細くしてあるだけだけれど、昔は、先端を丁寧に轆轤で丸くしていればの話ですが。


船の舳先(へさき)の方は轆轤仕上げですが、艫(とも、船尾)の方は、明らかに小刀で削って仕上げてあります。

ところで、丸い棒を縦に半分に割るのは、ことのほか大変です。
私なら、ここで挫折してしまいます。
もしかしたら、ブリキ部分をパーツとして売っていて、船体の部分は、おもちゃ製造業の人がつくったのではなくて、パーツを買った人(子ども?)が、一生懸命つくったものかもしれないと、妄想を膨らませてしまいます。









2020年2月21日金曜日

とりあえず、階段はできた


どの板にも切り込みを入れなくてはならなくて、手間取ってしまった階段の踏み板張り、すべて仕上がってから、夫が言いました。
「隙間は1センチでもよかったなぁ」
「だから1センチにしようかって訊いたら、2センチがいいって言ったじゃない!」
何を迷っていたのか珍しく歯切れが悪かった夫、見本としてつくった一段を見ながら、
「1センチにするつもりだったけど、2センチでもいいか、ほかが2センチだからな」
などと言いながら、2センチの隙間に決めたものでした。
階段は、1段を2枚の踏み板で、手すりを挟むようにしてつくっています。
手すりの板厚があるので、踏み板の手すりにあたる部分はそれぞれ切り取ってありますが、仕上がりの板と板の、隙間が2センチになるように切り取っているのです。

確かに、1センチの隙間の方がよかった気もしますが、今から直せません。
切り込みの修正はできるし、踏み板の釘穴はそのまま利用できますが、釘を受けるプラスティック材(高価)の釘穴の位置が、大きくではなくわずかにずれるので、プラスティックが割れたりして強度が下がるのです。


まぁ、踏み板は31センチと幅広ですが、決定的にまずいというわけでもありません。


廊下部分もほぼできました。


居間からテラスに出る部分も、全体を張ってから最後に釘打ちする部分を除いてできました。


テラスの周囲は、すべて手すりの束に合わせて切り込みを入れなくてはならないので、まだまだかかりそうですが、だいぶできてきました。






2020年2月20日木曜日

八幡起き上がり

骨董市の、おもちゃ骨董さわださんの店には、きれいに並んでいるもののほかに、こけし、郷土玩具、お土産ものなどなど、雑多な古いものが箱に入れられておいてあります。
貝でつくった人形、ソテツの実でつくった人形などが見つかることがあるので、ちらっとだけ見ますが、その日は金沢の八幡起き上がりがありました。
もう持っている、ソテツの豚もいましたが。


「100円!」
100円だったら、もちろんいただきます。
「これもどう?」
他にもだるまがいろいろありましたが、ほかのだるまは要りません。


我が家には、もっとたくさん八幡起き上がりがいると思ったのに、土間入り口の棚にはこれだけしかいませんでした。


いっぱいいたと勘違いしていたのは、こんな連中がいたからでした。


八幡起き上がりは、時代によってか、つくる人によってか、わりとバリエーションがあります。
この4つも、比べて見ると表情、松竹梅の描き方など、同じものがありません。


赤い色さえ、いろいろでしょうか。








2020年2月19日水曜日

トルコのオヤ

世の中には、プレゼント上手な人がいます。
私はプレゼント下手、いったい何が喜ばれるのかと、途方に暮れてしまうことが多いのですが、自分へのプレゼントなら迷いません。当たり前ですが欲しいものがはっきりしています。
そして、ずうずうしくも毎年のように、自分の誕生日に、自分にプレゼントして喜んでいます。



今年の誕生日プレゼントは、トルコのスカーフでした。
トルコ西部にあるイズミール県北部の、ベルガマのコザック平野で、1950~60年代につくられたスカーフです。


スカーフ本体は、トルコ国内で手織りされた、約80センチ角の木綿のガーゼでできています。
それに木版で草花を捺染し、四周には「オヤ」と呼ばれるシルクの縁飾りをほどこしてあります。


ガーゼなので、手で押された木版は、裏にも表同様くっきりと模様を出しています。

コザック地方には、1970年ころまで電気が通っていませんでした。
そのため、伝統的な生活は長く続いていて、娘たちは誰でもオヤを編みました。
漫画、『乙嫁語り』では中央アジアの少女が、『アンの幸福』ではカナダの少女が、
「結婚が決まらないと、編みものや刺繍に力が入らないわ」
などと言いながら、手仕事に集中するきっかけを待っていますが、トルコでも、かつては結婚するときの持参品として、あるいは結婚後も自分や娘たちのために、オヤ飾りのあるスカーフをつくりました。



オヤは、手で撚った絹糸を使って縫い針で編みました。これをイイネオヤと呼びます。
縫い針でなく、地域によってはかぎ針で編むオヤもあるようです。
女性たちは、どれだけ細かく編めるかと、美しいオヤづくりを目指したことでしょう。花の直径は25ミリです。


絹糸もトルコで生産されたものを使っています。


もう1枚、オヤのスカーフを持っています。


この一枚がとっても好きだから、もう一枚欲しくなったのですが、色も、花を丸く表しているところも、色遣いも、正直、こちらのスカーフの方が気に入っています。
花の直径は20ミリです。


一人で刺したというより、みんなで集まってわいわい刺したのでしょうか?


コザック平野では、ごく最近まで一般家庭で、伝統的なトルコ絨毯(キリム)も織られていました。

イラン人の友人のモジュガンさんは、イラン国内では1960年代以降、ペルシャ絨毯を除いて、イランの伝統的な織りや染めはほぼ消えてしまったと言っていましたが、トルコでは、どうでしょう?
急速なグローバル化で、生活が変わっているとは思われます。







2020年2月18日火曜日

茨城県はマナーが低い?

昨年、ある集会でパネリストのKさんが、何のテーマでお話されていたのだったか、
「茨城の方もいらっしゃるようなので、この写真を見せましょうか」
と、道端に立つ、手づくりの稚拙な鳥居の写真をスライドで映されました。Kさんは、日本全国の市町村から町おこしをテーマとした講演に呼ばれて、忙しく飛び回っているという方でした。
そのスライドの鳥居は、私は日常的に目にしているものでしたが、会場にいる他の方たちは、何だかご存じないようでした。
「えぇっ、あれは茨城固有のものだったのか!」
そうだとは、まったく知りませんでした。


鳥居は、ごみを車窓から投げ捨てるなというサインです。


近所の道の、人家のないところに立っているのは、やたらごみを捨てる人が多いということなのでしょう。


その昔、京都のあたりだったか、町の土塀の下の方に小さく、鳥居の絵が描かれていました。
それは、「小便無用」つまり、立ち小便をすると罰が当たりますよと、神さまを持ち出して、立ち小便の被害を少なくしようとしているものでした。
今どき、他人の目も構わず町中で立ち小便をする人はいないと思いますが、車で走りながらごみを捨てる人は、なかなかなくなりません。

Kさんは、鳥居を建てると、霊験あらたか、ゴミ捨てがなくなると話されていました。確かに、レジ袋ごと捨てているような見苦しいごみは、鳥居の周りには落ちていません。

車窓からごみを捨てて、自分の目も汚してしまう人の気持ちはわかりません。しかも、車を走らせながら、助手席の窓を開けて放り投げているのです。いっそ、運転者は助手席の窓をボタン一つで開けられないようにしたらいいのに、と思っていましたが、最近、投げ捨てのゴミは少し減ってきたような気もします。
道端から、鳥居がなくなる日が、早く来て欲しいものです。







2020年2月17日月曜日

かゐこやしなひ草


『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』(編集委員会編集・監修、東京農工大学図書館発行、初版は2002年)は、2016年に再版され、東京農工大学科学博物館のミュージアムショップで販売されています。
総ページ数が165ページほど、三部からなっていて、第一部は、「かゐこやしなひ草」の「蚕織錦絵」の写真と、絵に書かれている文の解読と現代語訳、そして解説、第二部は「教草」、第三部が「鈴木コレクションと現代」の三部作になっています。
教草は、養蚕手びき草(こがいてびきぐさ)、生糸一覧、樟虫一覧(げんじきむしはクスサンのこと、テグスにする)、野繭一覧(やままゆ)、草綿一覧(きわた)、芋麻製法一覧(からむし)からなり、養蚕だけではなくほかの繊維のとり方も詳しく解説されています。
なお、これら第一部、第二部の「蚕織錦絵」のすべては、故鈴木三郎氏がコレクションを、東京農工大学工学部付属繊維博物館(当時)に寄贈されたもので、2008年に東京農工大学科学博物館と改名して以後は、同博物館の所蔵品となっているものです。

『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』はすばらしい本ですが、惜しむらくは、写真がちょっとぼやけていて、色も悪いことです。
ブログに転載するにあたって、ちょっとはっきりさせましたが、全体に色がくすんでいます。

本の中の写真。かゐこやしなひ草 第一 勝川春勝、1786年

夫の母が残した木版の『かゐこやしなひ草』と同じ、勝川春勝と北尾重政画(1786年)は、巻頭に載っていましたが、ちょっとはっきりしないでぼやけていました。

同上、母の遺した木版

2002年にはすでにデジカメもありましたが、使ってなさそう、カラーの印刷技術も向上していたはずですが、予算の制約があったのかもしれません。
もっとも、これだけの力作なのに本の値段は1000円、文句は言えませんが、ちょっとだけ残念です。

かゐこやしなひ草 第七 北尾重政、1786年

何種類かの『かゐこやしなひ草』が紹介されていますが、勝川春勝と北尾重政版の12葉が一番古いものだからか、それとも全部がそろっていたからか、それを使って解説してあります。
本を開くと、右ページに絵が、左ページに解説があります。


絵には必ず説明書きがついています。


それを左ページで解読し、現代語訳をつけています。


左ページ全体はこんな感じです。

かゐこやしなひ草 壱と三 喜多川歌麿、1794-1804年

ほかの『かゐこやしなひ草』については、見開きで絵だけ紹介してあります。

蚕家織子之圖 第二 一勇斉國芳、1830年

これには、お手伝いしている子どもがたくさん登場します。当時の桑の木の太さにも、驚かされます。

蚕やしなひぐさ 五 六 一壽斎芳員、1816年

蚕やしなひ草 一鵬斎芳藤、1843年

この絵では、桶の中で桑の葉を刻む姿も面白いのですが、鳥のおもちゃが気になります。


ブンブン振り回すと音がする、こんなおもちゃだったに違いありません。

養蚕之全圖 芳藤、1883年

こちらは、展示されていたのと同じ絵のはずですが、


私が展示場で写したものとは何故か、プロポーションがちょっと違っていました。

蚕やしなひ草 國利、1895年

桑の葉を運ぶのに馬を使っています。
國利の絵は4枚紹介されていましたが、写真の中では一番線がはっきりしているものでした。
猫がいるのや、馬がいるのは、浮世絵ではありますが、明治維新(1868年)以後のものです。

かゐこやしなひぐさ 三、四。玉蘭斎貞秀画、1847年

あらさがしをするのもなんですが、かゐこやしなひ草を描くと、マニュアルとして飛ぶように売れたのか、実際の現場を見ずに描いた画家さんもいたようです。
この、「押し切り」を昨日のすごろくの、道具のいろいろの中にあった押し切りと比べて見てください。これでは、桑の葉は切ることができません。
実際に蚕を育てていた方たちは、大笑いしたことでしょう。

もしかしたら、『蚕家織子之圖』の桑の木もあんなに太いものではなかったのではないか、ちょっと疑ってしまいました。






2020年2月16日日曜日

養蚕と猫

私のきょうだいたちの集まりで、東京の小金井に行ってきました。


いつもは電車を使って行きますが、今回はコロナウイルスと遭遇するリスクをできるだけ避けようと車で行ったので、帰りに近くの東京農工大学科学博物館の企画展、「猫神様と養蚕展~やっぱり最後は猫頼み~」を観てきました。

養蚕小屋の模型

東京農工大学科学博物館に常設してあるものは、近代の機械も含めてほぼ養蚕に関するもの、というのも、知らなかったのですが、いくつかの機関が合併してできた東京農工大学の前身の一つが養蚕試験場だったこと、全然知りませんでした。
また、この科学博物館の前身は繊維博物館だったそうです。


いくつかの展示室に分かれて展示してありましたが、この部屋には、新田氏四代の描いたネズミ除けの猫絵が展示してありました。
新田氏は新田義貞の末裔で、新田の庄(群馬県太田市)で120石の高家として暮らしていましたが、貧乏高家のためにお金がなくて、町人や農民が所望する猫絵を描いて、苦しい家計の足しにしていました。




養蚕農家は、新田猫絵をありがたく掛け軸にして養蚕部屋に掛けるほどの大人気でしたが、それにあやかる偽ものまで出ていたそうです。

さて、江戸時代には養蚕の手引書としての『かゐこやしなひ草』や、『蚕錦絵』がたくさん描かれました。


そんな絵の中の、猫が描き込まれているものが展示してありました。
ガラスのケースの奥の方に、小さな絵が斜めに立てかけて置いてあり、肉眼では細部まで見えないほどだし、カメラを高いところに構えても、角度が悪くて絵が四角く写せない。うまく撮れるかどうか危ぶみましたが、カメラの性能のおかげか、まあまあよく撮ることができました。




どれにも、かわいい猫がいます。
これらの絵が展示してあるケースのガラスは垂直だったので、まだ写しやすかったのですが、ガラスが水平になっているケースの中の絵は、ちょっと難しいものでした。


光がいろいろな方向から来ているので、自分の影が映りこまないようにするのが一苦労、なんとか影を写り込ませないで撮っても、照明の光が点になって入ってしまいます。
といいつつ、フラッシュをたかなければ写真を自由に撮らせてくれるし、入館も無料の、とてもありがたい博物館でした。


子猫もいるのに、猫のところにちょうど光が当たってしまいました。

  

どの猫も、仕事をしているというより、のんびりと暮らしています。


山の形をしたものは、稲わらの「まぶし(繭を産みつける台)」でしょうか?


常設展の、まぶしを展示した一角に、似たまぶしがありました。
 
『新板蚕やしない尽し』、竹内栄久絵

『新板蚕やしない尽し』という絵では、猫は働く人々の傍らでまったりしているのではなく、忙しそうに養蚕をしていました。
この絵が、ポスターになっていたのでした。


養蚕双六も、遊ぶというより、一種の飼い方の手引きだったのかもしれません。
ふりだしには、大きな猫がいます。


双六の右の方の養蚕道具の絵を拡大してみました。


養蚕が盛んだったところの神社の中には、猫が祀られていたり、阿吽の猫がいたりすることは知っていましたが、猫が養蚕の守護神として、こんなにも深く愛されていたとは、あまり知りませんでした。


招き猫の起源も、養蚕と無関係ではないのかもしれません。


いつか、猫のお札をいただける神社を訪ねてみたいものです。


さて、イエネコは、リビアヤマネコが家畜化されたもので、日本には唐から経文がもたらされた時代に、経文がネズミにかじられないように、船で連れてこられたものが起源だと言われていました。


ところが最近、壱岐島のカラカミ遺跡の発掘調査が進むにつれ、犬の骨などとともにイエネコの骨も出てきて、弥生中期から後期にかけて、日本にはすでにイエネコがいたというのが定説となりました。
そんな、壱岐島の猫の骨の写真まで展示してありました。

ミュージアムショップで、以前hiyocoさんに教えていただいた、『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』というカタログも買ったのですが、長くなりすぎているので、明日のUPとします。