2012年8月31日金曜日

簡単修理


古いセルロイド人形の手脚のゴムは、年月を経て、たいてい伸びきっています。
そのままにしておくのが好きな人がいるかもしれませんが、だらっとして、立つことも座ることもできません。
ゴムを取り換えてあげると、人形たちは生き返ったような表情を見せてくれるので、私はできるだけ取り換えてあげたいと思っています。


長い間、小さい人形に適した細い丸ゴムが見つからないでいました。ネットでさがしたり、手芸材料店でさがしても、なかなか直径1ミリ以下の丸ゴムが見つかりませんでした。
ところが、あるとき自分の裁縫箱を片づけていたら、ゴムシャーリング用の、細い丸ゴムを巻いた糸巻きが出てきました。
なぁんだ、これを使えばいいのです。

それからは、ゴムを取り換えることができるセルロイド人形の範囲がすっかり広がりました。


まず、伸びてしまった古いゴムを切ります。
手脚に短く残ったゴムは取ろうとせず、針で押して、手脚の中に落とし込んでしまいます。


次に新しいゴムの先に結びこぶをつくり、太い針で片手の穴に押し込みます。
身体より長めにゴムを切り、針を使って身体を通します。
手足の穴は小さく、身体の穴は大きくできているので、太い毛糸針のようなものでも楽々通ります。

針を抜き、ゴムを引っ張らない状態か、ちょっと引っ張ったくらいのところに鉛筆で印をつけて、それを目当てに結びこぶをつくります。結びこぶの先に余ったゴムは、短く切っておきます。
結びこぶが身体の中に戻されてしまわないようにしっかり押さえておきながら、針の先などで、手の穴に押し込みます。


同様に、脚もつけます。


きつ過ぎもゆる過ぎもしない状態に手脚を留めると、手脚が自在に動きます。


服を着せてできあがりです。
やっぱり手足がしっかりついている方が人形が喜んでいるように見えます。


2012年8月30日木曜日

猫のアップリケ



インドに里帰りしていたポンチョさんの息子Sちゃんが、遊びに来てくれました。


ポンチョさんからの贈り物は、古新聞でつくった袋に入ったクッションカバーでした。
お菓子の缶や、かわいい紙箱の好きな私が言うのもなんですが、こんな包装紙ばかりだったら、とってもなごみそうです。
もっとも、日本にも同じようなものがありました。

古い紙や布、農業資材などを再利用した製品をつくることを女性たちに勧め、それを販売している、PEOPLE TREEという、インドのNGOのつくっているものです。


寒冷紗のような生地でアップリケされた猫はおおらか。
 

ファスナーではなく、くるみボタンで留めてあるところがかわいい裏側です。



2012年8月29日水曜日

可動棚



我が家の台所の隣は、食品庫、パントリーです。家を建てると決めたとき、自由に間取りできるなら絶対欲しかった、憧れの食品庫です。
おかげで、とっても重宝しています。この前の地震の時も、数日間、断水・停電しましたが、あわてることはありませんでした。

その食品庫の入って右側半分は食品庫ではなくて、何でも収納している、いわゆる納戸です。
まだ、間に合わせの食卓を使っているころ、椅子が食卓の下にうまく収められないので、いつも使う椅子二脚だけ出していて、残り二脚は右側の真ん中のスペースにしまっていました。
ところが、食卓をつくって以後、使わないときは机の下に収められるので、椅子はいつも出しっぱなしにできるようになりました。そのため、椅子をしまっていた大きなスペースが空きました。

そこに、なんでも手当たりしだい積み上げたので、雑然として、下のものがうまく取り出せません。何とかしなくてはというわけで、懸案だった可動の棚を、やっとつくることができました。


材料は、仮設小屋の一部だった木材、型枠に使った木材、息子の本棚を解体した木材など、すべてありあわせ、再利用のものを使いました。
釘穴が開いたり、黒ずんだりしていますが、気にしません。


棚に置いたものが奥に落ちると面倒なので、側板を張りました。側板は、野地板、抜きなどの残りを削って使いました。


途中で薄い板がなくなってしまったので、1×4も使いました。
再々利用(あるかなぁ)を考えて、できるだけ板の厚みはそのままで、削らないで使いましたが、見えないところだから、厚さの違いは気にならないでしょう。


最後に、用意してあったキャスターを取りつけて完成です。


さて、玄関で組み立てて、いざ設置しようとしたら、廊下すれすれです。
「あれっ、大丈夫かな?曲がれるかな?」
なんとか二度曲がった場所に、設置できました。
スペースの大きさを計っただけで、あまり考えもせずつくりましたが、奥行と幅があと2センチずつ大きかったら食品庫に入れられないところでした。
やれやれ。
 

収納力が上がり、すっきりしました。
床に散らばっていたものも全部収まりました。とくに、高すぎて食品棚に収めることができないで散らばっていた一升ビンを、全部収められたのは、私的には大快挙でした。


籠は、奥と手前と二重に入って入るけれど、格段に取り出しやすくなりました。
この棚を手前に引き出すと、その奥にしまってある幼児椅子、 ラッシュの椅子、曲げ木の椅子、傘など取り出すことができます。

2012年8月28日火曜日

カンボジアの家飾り


カンボジアで、クメールの人々が村の施設や家の屋根に立体的な飾りをつけているのに対して、カンボジアに住む中国系の人たちが、町じゅうで家の欄間にかわいらしい絵を掲げている地域があります。
コンポンソムの港の近く、海から川を少しさかのぼったところに古くからある街で、かつては港町として、もっと栄えていたところです。

東南アジアでは、海に直接面した所より安全という意味もあり、昔の大きな港は、ちょっと川を入ったところにあるのが一般的でした。


家の形は、他の中国人街でもよく見かけるスタイルですが、張り出した軒の下、入口の上に絵が見えます。


板に金魚の絵を描いて、切り抜いて、貼りつけてあります。


鳩もまわりの波型飾りも、別の木を切り抜いてあります。

この町は造船も盛んで、昔ながらの、木の骨組みに板を打ちつける木造の漁船を、今もつくっています。その木端でお父さんが子どものためにおもちゃをつくってあげたのを、子どもが成長した後記念に飾ったのがはじまりでしょうか?それが町じゅうに広がったのでしょうか?
それとも、かつて彼らが住んでいた、中国の海岸近くのどこかの町でやっていたことを持ち込んだのでしょうか?
たぶん、家の繁栄を願う気持ちが入っていて、災難除けにもなっているのでしょう。

他にも家の手すり、置いてある植木鉢などもお洒落で、住んでいて楽しくなるような町でした。


中には、『星の王子さま』に出てきたような形の模様もありました。昔読んだのでうろ覚えですが、あれは、帽子に見えるけど、蛇が象を飲みこんだものだったでしょうか?
これも山?帽子?
何だかよくわからないものでした。


2012年8月27日月曜日

生活を飾る


カンボジアの、どこででも見かける風景です。

村の入口には、たいていこんな門が立っています。
これは村の門であると同時に、村にあるお寺の門でもあります。


よくある門飾りは、アンコールワットを模したミニチュアですが、もっと楽しく飾りつけた門も見かけます。


この村の門には、彩色した鳳凰や天使も飾ってあります。下の段の鳥は旗まで持っています。
天使は、村の方に向いて座っているのと、外に向かって座っているのが背中合わせ、対になっています。
 

別の村にある、小さなお寺です。

お寺はみんなの寄進で建てます。基礎ができたとき、あらかた建ち上がったときなど、必要に応じて、節目節目に資金を集めるためのお祭りを開きます。
お祭りのときは、床の一角に井戸のような大きな穴を開けてあり、集まった老若男女はその穴の中にお金を投げ入れます。深い穴はたちまちお金でいっぱいになります。
もとは、大切なものを埋めて、それをお寺の石づえとした習慣が転じたものです。
近隣のお寺からもお坊さまたちが集まり、何十人ものお坊さまが皆の幸せを祈りながら、お寺の周りをまわります。そして、それを取り囲む人々は、お坊さまたち一人一人が肩から下げた鉢に、競ってお金を入れます。

お祭りに参加するときは、新しい小額紙幣をたくさん用意しますが、200枚ほど持って行ってもすぐなくなります。境内のあちこちにもいろいろな神様や仏さまが飾ってあり、そこにもお布施を置くからです。
その日は、参拝者を目当てにたくさんの私設両替屋が来ていて、なくなると両替してくれます。
お寺の建設に貢献すればご利益が大きいので、人々は遠くからもやって来ます。小さいお寺もその日ばかりは、人、人、人の大賑わいです。


お寺に上るときはどこでも、階段を上る前に履物を脱いで、裸足で上ります。
数段から十数段の階段を上るようにつくられていますが、階段のとりつきには、たくさんの頭を持つ蛇の神様のナーガが鎌首を持ち上げていて、上にいくに連れて、ナーガの身体が手すりになるよう、飾られています。


そして柱という柱の最上部には、天使が飾ってあって、まるで天使たちが屋根を支えているようです。
このお寺には風鈴が下げてありませんが、軒下にずらっと風鈴を並べて下げてあるお寺もあります。風が吹くたびに、涼やかな鈴の音が鳴り渡ります。

アンコール遺跡群では、象やガルーダなど、たくさんの石像が建物を飾っていますが、その伝統は、今でも随所に脈々と受け継がれています。


この学校の制服を着た男の子は、灯りを掲げています。


そしてもう一人。


職業訓練校の入口の門灯です。
ちょっとしたところを美しく、しかも立体的に飾っているおもしろさ。
ゆったり、ほっこりする、カンボジアの風景でした。 


2012年8月26日日曜日

ちょっと昔のブリキ


ヤフーオークションは田舎に住んでいると(住んでいなくても)、便利な存在です。
大工道具機械など手に入れるとき、ずいぶんお世話になりました。万能木工機、ほぞ切り機、ユンボ(パワーショベル)もヤフーオークションを通じて我が家に来ました。

でも、おもちゃや人形となると、なかなかオークションでという気にはなれません。最初から信じられないような値段がついているのは問題外として、締め切り間際に競ったりするのがいやで、一人でも入札者がいる場合は、端からあきらめてしまいます。
それでも、ときどきオークションサイトをのぞいてみることもあります。そして、競る人が誰もいないものを見つけて、運よく手にすることができることもあります。


そんな、無競争で我が家に来た、「フルタのいろいろ玉子・ひよこ」と、ぜんまいで動く猫です。


ひよこには小さなシールが貼ってあって、未開封でした。開けてみると、年を経て粉になってしまったチョコレートと、お菓子のおまけのプラスティックの卵が入っていました。


オークションに出した人が、1980年代にどこかの町の古ぼけたお店に残っていたのを買ったものだそうです。


粉になったチョコレートは捨てて、プラスティックの卵を開けてみると、消しゴムらしきひよ子が入っていました。


ブリキでカプセルをつくっていたなんてお洒落ですが、これで880円、ちょっと高かったでしょうか?
ちなみに、プラスティックの卵は立ちません。


ぜんまいで動く猫はぜんまいが壊れているからと、値下げされたもののようでした。
飾っておくのですから、ぜんまいが動かなくてもそう困りません。巻くとジージー音がして車輪が動きますが、機械音痴の私が分解してみても事態が好転するわけではなさそうなので、そのままです。


実は、そのオークションのちょっと前に骨董市でそっくりの猫を見たばかりでした。
同じ形ですが、手に持って押すと毬がまわる戦前の猫と、この猫と同じにぜんまいで動く戦後の猫と二つ並んでいて、戦前の猫の値段を聞くと一万円でした。
戦後の猫の値段は聞きませんでしたが、おそらくその半分くらいはするのでしょうか。

ぜんまいが壊れているとはいえ、780円は格安でした。出品しているのがひよこと同じ人だったので、定型外で一緒に送っていただいて、しめて2050円。

夫に
「安かったぁ」
なんて報告したら、
「買わなきゃ、もっと安いじゃないか」
と言うに決まっていますから、報告しないでいます。


2012年8月25日土曜日

針金のおもちゃ

学生時代の友人Kが、1970年代初頭だったと記憶していますが、解禁になったばかりの海外旅行に参加して、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、そしてトルコの旅に行きました。
それ以前は、日本を出ることが制限されていて、仕事、留学など理由があり、招聘相手からの招待状が整わないと出ることができず、いわゆる海外観光旅行はありませんでした。

そんな状況でしたから、Kがバーミヤン、カッパドキアなどを訪ねた話を聞くのも夢のようでした。飛行機の便数も少なかったので、アクセスの悪いところにはほとんどチャーター機を使う旅だったようで、確か参加費用は年収くらい。ほとんど普及していなかった車を買うよりは、高かったのではないでしょうか。

 

そのKの、旅のお土産です。


道路工事用の電球の保護カバーでお馴染みの形で、開いたり閉じたりしますが、真ん中部分は固定していて、平らにはたためません。



簡単にできているように見えますが、針金がくちゃくちゃにならないように曲げたり、バランスよく留めつけたりするのには、手がかかりそうです。

どこのものだったか、そのときたずねたかどうか、感じとしてインド、パキスタンあたりのものでしょうか。
 

息子たちが幼いころ、彼らの友人たちが遊びに来ては開いたり閉じたりしたのにも耐え、いまだに健在です。


平らにはたためないのだから、Kは運んでくるのに大変だったことでしょう。

当時は軽くて持ち運びしやすいスーツケースはなかったし、バックパックもなかったし、荷物検査のX線がなかったので、どこの空港でもいちいち全部ひっくり返されたはずだし、しっかりと梱包してもらえたとは思われないし、よくつぶれないで運ばれてきたものでした。



2012年8月24日金曜日

自立社会への道


六月に読みはじめた『自立社会への道』  (筧次郎著、新泉社)を今頃まで読んでいたなんて、お恥ずかしい限りですが、読み終えました。
この間、私から本をお勧めした方々はことごとく、とっくに読破されているというのに、なんということ。でも、一章読むたびに、牛が餌を食べるように反芻しながら過ごしてきました。
途中で、読んでいた本(実はIさんからいただいたもの)をSくんにまわして、買い直したりしたこともありました。

『自立社会への道』 は、この500年という近代を考える指標になる本です。
近代とは何だったのか、産業革命以後、植民地が世界中にできたり、奴隷が何千万人も売買されたのは何だったのか、日本が太平洋戦争の道を選んだのはどういうことか、貧しい国と富める国があるのはなぜかなどなど、近代史を整理して考えるのに本当に役に立つ、おそらく最上の本だと思います。

人生の中で、何冊か節目となるような本がありますが、そんな本でした。


そこで先日、筧夫妻をお招きして、この本を読まれたご近所のY夫妻もお招きして、各人が一つずつ質問を用意しておたずねしました。

私と夫の質問は期せずして似たもので、
「筧さんは、若いころフランスで過ごされた時期があったとはいえ、世界中に行く機会を持っていたわけではないのに、どうして世界の隅々の人々の気持ちまでそんなによくわかるのですか?」
というものでした。
というのも、日頃、
「私はあまり外国へ行ったことがないから」
と、日本中心に考えるのは当然だと開き直ったり、日本以外で起こっていることについては考えようとしなかったりする人が、あまりにも多いからです。

答えは、
「それは、私が仏教徒だからです。いつももっとも貧しい人の立場に立ってものごとを考えるようにしています」
というものでした。

福島は自分のこととして痛みを感じられても、パレスチナと言わず沖縄の痛みでさえも自分のこととしては感じられない、島国日本人のマジョリティーの考え方を突き抜けるものでした。
しかし、その鍵が仏教だったなんて、考えてもみませんでした。


筧さんはお寺のお生まれ、哲学者でもありますが、36歳の時から百姓暮らしをなさっています。
畑で採れた麦でつくったうどんや、トマトペイストをいただきました。
我が家で育っているウズラマメの種も、筧さんが八郷の老農からもらったものを、分けていただいたものです。