2024年2月29日木曜日

品がないのよね

私は招き猫を見ると、つい家に招きたくなりますが、どんな招き猫でもいいというわけでなく、一応お顔や姿が気に入ったものだけにしています。


それなのに、先日棚を掃除していたら、こんな猫が出てきました。
緑の目は不気味だし、形は悪いし、絵つけも下手だし、第一、品が全然ありません。
特徴は持っている花に書かれた「宝」の旧字体です。「宝」の旧字体は「」しかし、」や「のような俗字があるとか、書かれているのは俗字の一つです。
もしかして台湾製でしょうか? 
もちろん、台湾製のものが品がないという意味ではありません。
その昔、家族でバンコクの帰りに台湾に友人を訪ねたことがありました。私の郷土玩具好きを知っていて、手に竹細工のエビをぶら下げて空港に迎えに来てくれたチョンさん、とても大切にしていたのに、犬のアルシが子犬の時、そのエビをめちゃめちゃにしてしまいました。


いったい、どういうつもりで私はこの招き猫を買ってしまったのでしょうか?
我ながら、ちょっと謎です。
首に巻いているのは、リボンでも前垂れでもなく、バンダナのようです。

追記:

UPした後で、もしかしたらどなたかにいただいたものだったのかもしれないと思いました。
だったら、品がないなどと言って申し訳ない。お許しください。猫は元気にしています。




 

2024年2月28日水曜日

葛畑土人形


葛畑(かずらはた)土人形のお雛さまです。
「葛畑人形」と「稲畑人形」を、いつからか長い間、名前を間違えて記憶していました。お雛さまのことを書いたとき、茶々丸さんに気づかせていただいて、本当に良かったです。

祖母が存命で倉敷で一人暮らしをしていた1970年代、毎年、1度か2度、祖母のもとを訪ねていました。幼児が2人いて、持ちものも多く、たまには私の両親も同行することがあり、たいていは車で行きました。
まっすぐ行くこともありましたが、行きか帰りかに寄り道することもありました。寄り道するところは、ほとんどは私の希望で郷土玩具のある場所、京都は清水坂あたりや伏見稲荷、大阪の住吉神社、時には足を延ばして広島の三次(みよし)人形の窯元を訪ねたこともありました。
ある年、兵庫県の葛畑人形の窯元を訪ねました。


葛畑の土人形づくりは、天保年間にはじまり、初代は伏見人形を見ただけで真似たとか、内裏雛や恵比寿大黒をつくりました。当初は葛畑ではないところに住んでいましたが、2代目がよい土を求めて、葛畑に移り住みました。
3代目は、鳥取県に出向いて製作技術を磨き、帰郷後、雛人形の製作に専心し、明治末期から昭和初期にかけて、葛畑土雛の最盛期をつくりました。一帯では葛畑土雛の贈答が流行し、女児の誕生や嫁入りには欠かせないものとなり、従業員も大勢雇用して、美方郡、養父郡一帯の小売店を通すなどして、手広く販売しました。
4代目の俊夫さんは若くして家業を継ぎましたが、兵役に取られ、葛畑土人形は休業を余儀なくされました。4年後、俊夫さんは戦地から帰還すると土人形を復活させ、雛人形はもちろん干支人形など、創意工夫を重ねて、百種類を超す人形を制作しました。


私がお訪ねしたのは、4代目の俊夫さんご夫妻でした。
東京と倉敷の間に位置しているくらいの軽い理由で選んだ葛畑で、その人形がどんなものか、お訪ねするまで、たぶんよく知らなかったと思われます。丁寧に成形され、丁寧に絵つけされた土人形は素朴とは言えず、はっきりと言えば、あまり好みではありませんでした。しかし、ご夫妻とお話しして、お人柄を知るにつれて、どんどん気持ちが傾いて、お雛さま、子守り、天神さま、それに鳩(姿が見えないので、失われたか?)など、思ったよりたくさん購入していました。


私は、一度に郷土玩具をたくさん見ると、なぜか購買意欲をそがれる癖があります。
そのため、専門店では買ったことがないし、毎年正月に日本橋のデパートで開かれていた「日本郷土玩具展」でも、初日の開店と同時に駆けつけるくせに、何一つ買う気が起こらず、手ぶらで帰ってくることがほとんどでした。


反対に、窯元を訪ねて、お話をうかがったりしたら、あれもこれも欲しくなってしまいます。
今でも、葛畑のお雛さまが箱から出てくると、
「相変わらずかわいくないよなぁ」
と思いますが、別の意味ですっかり愛着が湧いています。

倉敷への旅では、名古屋人形の窯元に、名工野田末吉さんをお訪ねたしたこともありました。





 

2024年2月27日火曜日

メキシコの鳩

世界のいろいろな地域で、土や木の鳥のおもちゃがつくられています。


これは、『Folk-toys Les jouets populaires』(Emanuel Hercik著、ARTIA、1951)に掲載されている、ローマで紀元前200年ごろつくられた、土の鳩です。


『Folk-toys Les jouets populaires』には、表紙裏表紙にも鳥のおもちゃが載っているほど鳥がいっぱい。鳥のおもちゃがあふれていて、どんなに鳥が身近な存在かを気づかせてくれます。


ところで、この本に多いのはヨーロッパの人形です。日本、中国、インドネシア、インドなどのおもちゃも載っているものの、北アメリカの人形とアフリカの人形がほんの少し、中南米のおもちゃにいたっては、ざっと見たところではまったく載っていないようです。
1951年と言えば第二次大戦終結後から6年目、チェコスロバキアは東西冷戦構造の中の東側で、西側諸国への移動もままなりませんでした。
掲載されているアジアのおもちゃなどは、たまたま戦前に愛好家が持ち帰ったものがあった、そして中南米のおもちゃはなかったということでしょう。


さて、メキシコでつくられた土の鳩です。
素焼きしたものに鮮やかな黄色を塗り、金で模様が描いてありましたが、すっかり褪せてしまいました。


これも、素焼きに彩色した鳩、暖かい色で彩色してあります。


素焼きに彩色した鳩を見ると、度重なる引っ越しで失われてしまった、私にとって初代のメキシコの鳩を思い出してしまいます。
写真も残ってないのですが、1960年代末にアメリカ東海岸の町の、北欧食器を売るおしゃれな店で思いがけず出逢った実物に近い大きさの鳩で、朱色がかった赤地にドットでたくさん散らしてある小花は、白い五弁で真ん中が黄色、それぞれ小さな黄緑の葉がついていました。今より日本はずっと貧しく、外国のものなどほとんど輸入もされていなかった時代、生まれて初めて見た、異国の土人形でした。


素焼きに彩色したものに比べると、ハリスコ州のトナラ焼きの鳩はいつまでも色褪せません。トナラ焼きは、きめの細かい粘土で形をつくり、絵つけをしたあと、石で丹念に磨き上げてから焼き締めてつくります。
色は青っぽいもの、茶色っぽいもの、白っぽいものなどがあります。


ところで、『Folk-toys Les jouets populaires』をよく見ると、鶏のおもちゃが圧倒的に多いことに気づきました。


日本の鳥のおもちゃには、鳩のほかに、雉、鷽、鶏、ミミズク、スズメなどいろいろありますが、ヨーロッパの鳥は、鶏のほかには、七面鳥、ガチョウ、カモなど、家畜がほとんどです。


もっとも、私が鳥に詳しくないだけで、上の写真のような鳥たちは家畜ではない。すべて特定できる、野生の鳥かもしれません。


左は鶴などの仲間、右はカラスなどの仲間でしょうか。
古代ローマに鳩のおもちゃがあったのに、鳩は意外に少なめでした。


メキシコの鳥のおもちゃで多いのは何といっても鳩、あとはフクロウ、そして鴨、七面鳥、アヒルなどです。




 

2024年2月26日月曜日

お雛飾り

この冬はクリスマス飾りもしなかったし、お雛さまも飾らないで済ませようかと思っていましたが、日曜日は予報に反して、午前中は雨が降りませんでした。
ということは、お雛さまを飾れと言うことかと思い、お雛さまを飾りました。


まず、天袋からバラバラにしてある台を取り出し、組み立てました。


床の間の雛段には、私のお雛さまと、妹の連れ合いのやすおさんの姉上のお雛さまの2組を飾ります。私のお雛さまは叔母のために誂えられたもの、大正時代の屏風は、銀が塗ってあったのか、すっかり黒ずんでいます。


骨董市で玩古さんから手に入れた、虫食いだらけの木目込みのお雛さま。


学生時代に、京都祇園の骨董屋さんで欲しいと言ったら、
「若いのに目が高い」
と言われて、常套文句だったかもしれないのにすっかり気をよくした、嵯峨人形のお雛さま。


まだ、息子たちが小さかったころ、やっと訪ねあてた兵庫県丹波市の赤井家で手に入れた、稲畑人形のお雛さま。


中野人形の段飾りなどなど、今年も賑々しく飾りました。


昼食をはさんだとはいえ、飾るのに4時間もかかってしまいました。体力が要ります。


ともあれ、一足先に春がやってきました。

追記:

茶々丸さんにご指摘され、間違いに気づきました。
上から5枚目の写真は、稲畑人形ではなく葛畑(かずらはた)人形でした。どちらも「畑」がついていて、どちらも兵庫県というのが紛らわしい、作風が全く違うのに、天から稲畑だったと思って書いてしまいました。

しかも、この雛人形をつくられた4代目が1988年にお亡くなりになった後、葛畑人形は残念なことに廃絶してしまっています。






2024年2月25日日曜日

ストーブを焚く日

我が家では、真冬でも陽ざしの届く日はストーブなしですが、今日は雨の予報だったので、寒いだろうと、昨日のうちに薪を室内に運んでおきました。
新聞紙に火をつけて、附木を置いて火をおこしましたが、今朝はなんだか火つきがよくありません。


焦って火吹き竹を使いすぎたようで、心を静めて薪を置きなおします。


ようやく火が安定してきました。


火は冬のごちそうです。


外気温は3度、まだ雨は降っていません。




 

2024年2月24日土曜日

久しぶりの工事

息子の家は、未完成のまま入居してはや1年2カ月ほど経ちました。
未完成の部分はいろいろあるのだけれど、テラスを除いて一番大きいのは、天井の張り残しでした。
天井を張り残していたのは、そこから天井裏に登って、屋根のガラス箱で暖まった空気を床下に送る装置に、パイプを接続して、夏場は余った熱を床下ではなく給湯機に送るための工事をするためでした。天井裏は狭いので座ることもままならず、寝そべって溶接をしたりしなくてはなりません。

2022年の暮れに、夫は水道工事をやっていて腕を痛めました。昔より握力が落ちているのに、水道管はしっかりとつながないと水漏れするので、大変な作業でした。膝は人工関節なのでもともと120度以上は曲げることができないのに、あちこち締めなおしたりするために床下に潜り込み、這いずり回って無理な姿勢で力を使ったのです。
腕は、なかなか痛みが取れない上、夫は疲れやすくなっていて、狭いところで溶接したり力仕事をすることが、ままならなくなりました。それでも、いつかできるだろうと工事を先延ばししていたのですが、ついに給湯機にお湯を送るパイプの接続をあきらめ、天井を張ってしまうことにしました。夏場の余った熱を利用できないのはもったいないのですが、仕方ありません。居間の天井にぽっかり穴が開いているのは落ち着かないし、天井の上に主断熱材を置く構造なので、瓦の下にも断熱材が入っているとはいえ、穴から暖かい空気が逃げているようでした。

というわけで先日、天井を張りました。久しぶりの大工仕事でした。
脚立だけで作業できるかとも思いましたが、安全を見て足場をつくりました。


使わないときは邪魔にしている単管パイプから、適当な長さのものを集めてきました。


そして、これまた邪魔にしていた金具の中から、直交クランプを選び出しました。
直交クランプは、単管パイプを直角にしか繋げないので、曲がりなどを気にしないで組み立てることができます。


パイプを組む作業は、パイプが重いこともあって、これまで夫や息子がおもにやっていました。しかも、二人でやると仕事が簡単ですが、私は片側を支えてくれる助手もなく、一人でやったのでもたもたして、半日かかりました。


単管パイプをつないだ後、惜しげのない板を探し出して、階段状の足場にしました。


重い足場をずらしながら、残っていた野地板で天井を張りました。断熱材のネオマフォームは、穴が小さくなってからは天井裏にあげることができないので、あらかじめ、サイズに切ってあげておきました。
穴が、長さが3尺、幅が10センチほどを残すだけになって、板材を使い切ってしまいました。どこを探してありません。ところが考えてみると、細い板をはめるなら、いずれにしても片端は自分で相じゃくりする以外ありません。なんだ、両方を相じゃくりすれば事足りることじゃないかと、自分で加工しました。


ぽっかりと開いていた天井がふさがりました。足場をつくった時間よりずっと早くできました。
最後の数枚は、下からでは作業できないので、天井裏に登って上で作業して、右奥に見える点検口(金属の縁のあるところ)から出てきました。
点検口は1寸5尺角なので、足の曲がらない夫や、図体の大きな息子にはこの穴をくぐるのはちょっと難しいかもしれません。








2024年2月23日金曜日


この冬二度目、うっすらと雪が積もりました。
昨日の昼過ぎから、雨にときおり雪が混じっていましたが、雪は日が暮れるまで本格的には降っていませんでした。


一度目の積雪よりちょっと多かったけれど、もう屋根の雪が解けて落ちる音が、途切れることなく続いています。


作業棟の屋根を瓦にしてよかったと感じるのは、雪の日です。北向きの屋根の雪は、今日とたぶん明日も、目を楽しませてくれることでしょう。





 

2024年2月22日木曜日

2月22日は猫の日

2月22日は、「にゃんにゃんにゃん」で猫の日らしい。


というわけで、最近の猫の写真を探してみても、いつものようにお風呂の蓋の上でくつろいでいる姿か、


マルのねじれた姿の写真しかありません。


陽ざしが届けば猫は幸せ。


でも、今日は雨。
1匹は猫ヒーターのある寝床で熟睡。1匹はお風呂の蓋の上で、薪ストーブを焚いているのに気づかないで、眠たげにしています。






 

2024年2月21日水曜日

マトリョーシカの小物入れ

先日の骨董市、おもちゃ骨董のさわださんのお店で、何か買うつもりで見ていました。
写し絵、着せ替えなど、箱に入った紙ものをめくってみながら、 松本かつぢのぬり絵に目をとめたりしていましたが、いやいや、紙ものは飾る壁がないので、買ってもしまい込むしかありません。
ではと、何もかもごったに入った100円箱の方を見ていると、その上の棚に並べていたマトリョーシカが目につきました。台座がないので大きい娘が失われた片割れかと思って目を近づけてびっくり、手にとってもっとびっくり、ずっしり重い、金属でできていました。
「500円」
とさわださん。


鋳物に七宝を施したつくりです。どこでつくられたものでしょう?

金属の上にガラス質の釉薬を置いて、焼いて溶かしてつくる七宝は、古代エジプトが起源で、中東でその技術が確立され、ロシア(ルーシ公国)には、ギリシャ、ヴィザンチン帝国を経て伝わりました。


精巧にできていますが、いちいち筆で釉薬(ガラスの粉など)を差していく手作業でつくったというよりは、もっと近代的な方法でつくられたものではないかと思われます。
乳歯入れ? 裁縫の針入れ? 
もし、ロシアで七宝のマトリョーシカがつくられているなら、ネットのロシア雑貨店などで目にしそうですが、初見です。


ロシアの七宝ってどんなものかと、ネットで見てみました。これは切手に描かれた七宝です。


七宝で描かれたというイコンもありました。

ロシア雑貨・工芸「リャビーナ」からお借りしました。

そして、現代ではこんな七宝がつくられています。
七宝のマトリョーシカは、このブローチと比べると、素朴です。もしかして中国製?

古代エジプト発祥の七宝は、中東から様々なシルクロードを通って中国にも伝わり、中国から日本にも伝わっています。


ただ、中国では、金属の台の上に帯状の細い金属線を立てて輪郭をつくり、その間に釉薬を差し、焼成して研磨した、有線七宝の方が多くつくられています。
手前右の銀細工は部分的に七宝を施した蓋物、左と中のハート形のロケットは、外が有線七宝で内側も七宝が施されているもの、その昔、上海郊外の友諠商店で買ったものです。

西欧にも、紀元前から七宝(人口ガラス)が存在し、中世には精密なものがつくられ、近代までアクセサリーなどが様々なものがつくられました。しかし、このマトリョーシカが現代ヨーロッパでつくられた可能性は、何となくですが低そうです。


ロシア、あるいは中国のどちらかでつくられたのではないかと思うのですが、決め手はありません。
色よし、つくりよし、パカッと開いて、パチンと閉まります。