2024年2月17日土曜日

これもマイダン



渦を巻いた髪に花模様、目はパッチリしていますが、マイダンのマトリョーシカです。
『マトリョーシカノート3 改訂版』(道上克著、2013年)によると、1960年代には、マイダンにはマトリョーシカ工場があり、セミョーノフと並ぶ一大産地でした。
前頭部に「花びら紋」を冠し、エプロンにバラの花を描くのが特徴で、工場でつくられたものは20センチ以上のものが多く、一番目の娘は両手をだらりと下げて、髪の毛は背中で1本に編んでさげていました。
その後、1970年代には工場が閉鎖されてしまいましたが、もともと木工の盛んだった土地柄だったためか、各家庭でマトリョーシカをつくるようになり、小さいものがつくられ、腕やおさげ髪はほとんど描かれなくなりました。


我が家に棲息しているマイダンのマトリョーシカの中で唯一、1番目の娘が結び目のあるプラトーク(スカーフ)をかぶって、腕はだらっと下げ、おさげ髪を結っているマトリョーシカです。マイダンに工場があったころつくられた古いものの可能性もありますが、お顔の雰囲気などから1990年代に入っての復刻版のような気がします。
高さは19.5センチと、各家庭でつくられたものにしては大きめです。


旧ソ連の各地では、1980年代後半におこったペレストロイカで、国営工場体制が揺れ、マトリョーシカも転機を迎えましたが、マイダンではすでにそれ以前から各家庭でマトリョーシカがつくられていたため、ペレストロイカの影響を受けたのも遅く、伝統的な絵柄はしばらく残ったようです。
このマトリョーシカには、残念ながらラベルは残っていません。


マイダンのマトリョーシカの、昔(1981年)と今です。21世紀のマトリョーシカ(右)の写真は、コケーシカからお借りしました。





  

 

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