2019年4月30日火曜日

化学物質の拡散

平成の終わりの日を記念して、大先達、中島正さんの一文を紹介したいと思います。


中島正さん(1920-2018年)は、を与えず自然を与えよ」の考えを実践し、自然環境の中で生かした自給的な小規模養鶏を生涯にわたって実践し、のちにそれは「自然養鶏」と呼ばれ、『自然卵養鶏法』(増補版は2001年)は、薬を使わないで鶏を育てる人のバイブルとなりました。


その中島さんが、1992年2月、有吉佐和子没後15年に、『土と健康』という日本有機農業研究会の会報に、「化学物質の拡散」という一文を載せました(記念講演もありました)。

私も含めて、化学物質の拡散には長年見て見ぬふりをして過ごしてきましたが、海を漂うマイクロプラスティックの問題など、問題が深刻化しているにもかかわらず、ペットボトルの生産・使用、各種噴霧材(殺虫剤だけでなく消臭剤なども含む)の生産・使用などは増え続けているように見受けられます。
今一度、その危険性を認識しなおしたいとの思いで、中島さんの「化学物質の拡散」の全文を掲載することにしました。
中島さんがこの文を書かれたのは四半世紀も前のことですが、状況はあの頃よりずっと悪くなり、私たちの体内には、プラスティックが蓄積しています。

以下、中島さんの文「化学物質の拡散」です。


化学物質の拡散

 『複合汚染』(新潮社、有吉佐和子著)という本を忘れてはいけない。この本は確か数百万部出ている筈なので、日本中至る所にまだ沢山蔵って(しまって)あるに違いない。チリ紙交換に浸ったり、焼却されたりは勿体ないと思う。
 持っている人はもう一度読み返して、「汚染」の実態を再確認し、持っていない人は借りて読むか、再販を注文してでも読んで戴きたい。
 この本が出たのは昭和五十年だから、二十数年前の話である。「そんなもの、もう古い」と思う人があればとんでもないこと、読み捨てられ、忘れられてその挙句、「汚染」の実態はあの頃よりはるかに深刻になっているのだ。
 人類は多分、汚染からの脱出方法が見つからないまま、破滅を迎えるのではないかと思われる。(だとすれば、今更読み返してもどうにもならないのだがーー)とまれもう一度認識を新たにして、みんなでどうすれば汚染を食い止められるか、考えてみるべきである。その結果どうしても脱出方法がみつからなければ従容として破滅に就くべし。
                   × ×

 オゾン層破壊や原発のゴミも、解決のめどは全く立たず、ますます危険度を高めているが、この稿では化学物質だけに限って考えてみようと思う。
 合成化学物質はいったん製造されたら必ず環境に拡散されるものである。製造してそのまま永久に倉庫に保管しておかない限り、これは使用した途端に環境に散らばるのである。環境に拡散させずに使用することはできない。
 例えば殺虫剤を噴霧するとき、虫だけに吹きかけることは不可能で、必ず空気や大地にその大部分は散らばって行く。除草剤にしても同じである。たとい旨く虫や草だけに吹きかけたとしても、虫や草がダウンしたのち、薬剤は虫や草の遺体から環境に広がっていくのである。経口投与したものでも、糞や尿から拡散していく。洗剤などはストレート。
 だから化学物質の拡散を防ぐには、使用段階ではムリで、これは必ず製造段階で止めなければならないものである。つまり「製造をやめる」より他に方法はないのだ。
 ところが、その種類ざっと二〇〇万種といわれる合成化学物質、うち商業的に生産されているものは約一〇万種(有害性を疑われる物質は三万種)といわれているが、これ程多種多様に(大量の代表格は農薬、化学肥料、洗剤、塗料など)人間生活の隅々まで浸透して、便利で豊かな生活に貢献しているものを、いま生産段階で止めることは至難の業である。
 およそ化学物質の生産を止めるということは、即市場の崩壊(近代文明や繁栄生活の崩壊)を意味するのである。化学物質は貨幣と並んで、都市機能を活動させる重大要素である。貨幣は都市の血流であり、化学物質は都市のホルモンである(機器類は骨格か)。
 都市の繁栄ーー即ち贅沢生活の根幹合成化学物質を、若し追放しようものなら、恐らく産業界はじめ都市住民は(そして都市化された田舎住民も)猛然と反撥し、追放に手を貸したものすべてを(それが政治であろうと、草の根運動であろうと)打倒しなければ止まないであろう。
 因みに、化学物質二〇〇万種の内、大部分の一九七万種は要検討外ではあるが、それが無害のレッテルを貼られていても、これらはすべて一つの例外もなく、「自然界には存在しない」人口物質である。故に人体に取り込めば、必ず排除しなければならないーー即ち同化の利かない異物である。
 この異物の排除作業には、主として腸壁や肝臓や腎臓が当たるのだが、ただでさえ過脂肪やアルコールなどの処理で大童となっている所へ、さらに多種多様の合成化学物質を排除しなければならないとすると、これらの臓器の荷重負担は避けられず、やがて機能低下を招く恐れが出てくる。近い将来肝臓病がガンを抜いて、死因のトップに立つであろうという予測は、この理由による。
                   × ×

 「合成化学物質なんか拡散は仕方ないとしても、身体に取り込まないよう注意すればいい」と思う人もあろうが、どんなに綿密な注意を持っても、それは強引に人体に侵入してくるものである。
 前に、合成化学物質は一旦つくられたが最後、必ず環境に拡散すると書いたが、その散らばった物質は、又必ず雨水に洗われて川の流れに入ってくるのである。洗剤のように直接川に入るものはもちろん(下水道に流しても結局は川へーー浄化については後述)、農薬のように大地に撒くものも雨と一緒に川へ入るし、塵芥処理場へ送って埋め立てしたものも、焼却処分した残りの灰も、雨や地下水に洗われて流れに入ってくる。
 故に川はあらゆる化学物質を集めて流れ、海へ運んでいるのだが、この水を水源として都市の人々は引用しているのである。人体の七〇%は水なので、体細胞の大部分を汚染水で賄っていることになる。
 「上水も下水も浄化処理されているから大丈夫」と思っても、(上流の都市の下水が下流の都市の上水となる)実はこれらの処理に万全の信頼は置けない。物質によっては四〇%しか排除できないものもあり、一〇〇%安全というすぐれた浄化装置はあり得ない。この飲料水を介して化学物質は、強引に身体に侵入してくるのである。(下水を浄化処理した後の残物は、投棄すればゴミとなって雨水に洗われ、焼いても灰のゴミとなり、空中へ舞い上がった煙も例外ではなく、呼吸と共に人体に入るばかりか、雨と一緒に地表に落下してくる)
                   × ×

 化学物質の人体潜入に、もう一つ「生体濃縮」という現象がある。これは『複合汚染』で詳しく書いてあるので、ここでは簡単に述べるとーー
 拡散した化学物質は雨水に洗われて、川から海に運ばれ海はたまり場となっているが、何せ広大な海洋のこと故、化学物質は充分に薄められて、許容量を超えるようなことはないと、これまで人々はタカをくくってきた。しかし海水に薄められた化学物質は微量でも、常に魚体に取り込まれ、そのまま魚体内に滞留していく。これを生体濃縮という。
 その魚を人間が食べて、今度は人間に生体濃縮が起こるのである。これを防ぐ術はない。
                   × ×

 米、ボストン大学のオゾノフ教授は、人類が化学物質の中に置かれている状況を、「エンパイア・ステートビルから飛び降りた人が、一四階あたりを落下中、ともあれ今は快適です、と言っているようなものだ」と表現した(一九九二年五月二四日、中日新聞サンデー版)。更にオゾノフ教授は、「われわれが地上に落下するまでに残された時間は少ない。またその時どんなことが起こるか判らないし、それを発見できないのかもしれない」
 --つかの間の繁栄の行く先は、地上へ激突するのか、それとも救命マットに助けられるのか、又は神風が横なぐりに吹いてどこかへ連れ去っていくのか、皆目いまは見当がつかないというのである。
 が多分、九九.九%までは地上へ激突する公算が大であろう。化学物質が全世界に亘って急ピッチで増産され、そして増産された分だけ確実に、(使用しても投棄しても)必ず環境に拡散され、更にどんなに防禦しようと、これは必ず人体に潜入してくる・・・・・残念ながらオゾノフ教授の見解は正鵠を得ていると言わざるを得ない。
                  × ×

 さらに悲しむべきことには、有吉さんの書いたころにはなかった「環境ホルモン汚染」という新手の危機が、地球生物を脅かしはじめた(一九九七年一一月二一日、NHKスペシャル)。
 それによると、日本の海岸付近に広範に棲息するマキ貝が全国的に激減し、富山県のマキ貝漁業専門の漁師は、今年に入って一日中漁をしても一匹も捕獲できない日が目立つようになったという。
 これは環境ホルモン汚染によるメスのオス化という現象が、広い範囲で現れているからである。長崎大学の調査によると、六〇個のマキ貝の中オスが三〇個、オス化メスが二七個、メスはたった三個しかなかった。この傾向はマキ貝の殆どほとんど絶滅に近い状況を物語っているという。
 環境ホルモン汚染ーー人間が豊かな生活を享受するために使用している合成化学物質がその元凶であった。化学物質自体はホルモンではないが、ホルモンと同じように動物の生殖機能にもぐり込んで、異変を起こさしめるというのである。マキ貝の場合は船底に塗る塗料(船底に貝の付着するのを防止する塗料)が原因と判明した。
 生殖機能を狂わせる化学物質は、直接毒作用をもたらすものや、発ガン又は催奇性物質などとは比較にならないくらい低濃度でも、確実に生体内でホルモンバランスを崩していく。許容量などは関係なく、ホルモン並みの微小な物質がたった一個あれば、充分生殖異変をおこさしめるのである。
 海は広く大きく包容力があると思い込んで、すべての化学物質を海へ海へとタレ流しにしていると、やがて海中生物の悉くが生殖異変を生じ、毒物による直接被害の起こる前に、環境ホルモンで全滅するのではないかと危ぶまれる。極めて微量でも威力を発揮するとなれば、いま全面製造停止しても、もう遅いかもしれない。
 マキ貝の他、都市河川の代表格多摩川で鯉をしらべたら、オスのメス化現象が多く見られたという。都市河川は無数の化学物質を含んでいるので、いまのところ犯人は判らない。
 米、フロリダ州の湖沼に住むワニが、最近著しく減少しはじめたので調査した結果、オスワニの生殖器が半分ほどに委縮していることがつきとめられた。原因は曽て農場で使用されたDDTが、大地から川へ、川から湖へと流れて、じわじわとワニの生殖作用を狂わせて来たのであった。DDTは禁止になって久しいので、拡散後かなり年月が経ちしかも雨水で薄められているのに、環境ホルモンは効力を発揮し続けているということになる。
 イギリスでは、羊毛の洗剤に含まれているノニルフェノールという化学物質が川へ流れ、そこに棲む魚の生殖に異常を及ぼしているという。
 ことは人間以外の動物だけでは済まなくて、人間それ自身にも及んでいることが、デンマーク、コペン大学の研究で明らかになった。長年の調査によって、過去五〇年間に人間の精子の数が小さくなり弱弱しくなっていることも、画面に表れていた。
 米、ボストン大学の研究によると、食品缶詰の内側にコーティングされているプラスティックの原料中、ビスフェノールAという物質が、女性ホルモンを加えると、乳ガン細胞を増殖せしめることが突き止められた。ビスフェノールAという物質は、入れ歯の樹脂にも用いられているという。
 化学物質は、使用して悪影響が出てから(AF2やDDTなど)あわてて調査し、禁止するのでは遅い。使用前に調査して安全と確認後使用すべきである。ところが化学物質の毒性を調査するには、一年間に八件から一五件がせいぜいであるという(NHK)。
 だが合成化学物質は、一年間に一〇〇〇件ものスピードで開発されているので、これを全部チェックすることは不可能である。
                   × ×

 以上簡略して引用したが、ただ紹介するだけでは仕様がないので、これによって「どのように対応すべきか」を研討しなければならない。
 第一の対応ーー化学物質の有害性をすべて調査して、有害なものは法で製造使用の禁止措置をとるということ。これは従来より一部採用されてきた方法ではあるが、このやり方が著しく効果のないことは、前述のように調査が開発に追いつかないことによって示される。その上明らかに有毒性の強いものでも(例えば殺人的猛毒の除草剤など)、便利と安逸のために大目に見られているという事実によっても示される。すべての人間が「安易に就く」という人間性を放棄して、抑制と耐乏に徹しない限り、この方法は奏功しないと思われる。
 第二の対応ーー少なくとも要検討の化学物質三万種は、調査を待たずに製造禁止にすることだが、これも前述のように、都市繁栄の命脈(贅沢生活の根幹)を断つことで猛反対を食らい、到底実現は不可能。
 第三の対応ーー使用する側の人々が自粛し、合成化学物質の使用を忌避するということ。消費が抑制されれば、生産も抑制されるのは当然だが、松くい虫駆除のように、頼みもしないのに行政と製薬が結託して空中散布を強行したり、農協の栽培歴に従って、茎や稲に定期共同散布させたり・・・・苦肉の策でバラ撒きが行われることも覚悟しておかねばならぬ。更に、使用の自粛と一口に言っても、実践のできる人は九牛の十毛程にすぎぬことも覚悟すべきである。ことに洗剤の使用自粛など、ナニ程の人が行い得るであろうか(洗剤の毒性については『複合汚染』参照のこと。これは殺虫剤並みの毒物であるという)。
 かくして残念ながら、いずれの対策も顕著な効果は期待できず、オゾノフ教授の言うように、「われわれに残された時間は少ない」のであり、やがて地上に激突して相果てる時がやってくる。少なくともその時が来るまで、人間は化学物質の恩恵を拒否する勇気は持たないと思うのだ。
 発ガン物質でガン死が一〇〇人に一人や五〇人に一人くらいでは化学物質は微動だもしないであろう。これが一〇人に一〇人となって、はじめて化学物質は駆除されるのである。尤もそのときは、製造すべき人々も、使用すべき人々もすべてガンで死に絶えるが故に、駆除は当たり前であるのだがーー
 日本のマキ貝が全滅したり、フロリダのワニが生殖不能になったり、オランダの若者の精子が半分に減ったり・・・・するくらいのことでは、化学物質はビクともしないであろうが、海が合成化学物質でドロドロになって、海生動物が絶滅してはじめて、化学物質は製造中止になるのである。尤もそのときは、魚を食った人間が生殖機能を失って絶滅している筈だから、製造が止むのは当然である。

(補足)
 人間とはずいぶん愚かなもの、この期に及んで(疑いもなく目前に死の汚染は広がり続けているのにーー)尚消費の拡大だとか、景気の浮揚だとか、人類の生存にとってどうでもよいこと(というより、まさにそのどうでもよいほど汚染を増殖させていくのである)に浮かれ調子となっている。そういうものを、人類の滅亡と引き換えにのさばらせてはならないのだ。
 よしんば、化学物質を全部追放して、多くの会社が潰れ、失業者があふれ、都市生活が崩壊しても、人類が全滅するよりましではないか。
 乏しきを領かち合って、細々と耐乏生活に甘んずれば、破滅は乗り切れるのだ。失業、それは仕事の分配不公平の問題であって、景気だとか活性化だとかいうまやかしの問題ではない。景気を煽って(政府に札束をバラ撒かせ)さらなる儲けを搔き集めようともくろんでいる者の、これは奸策であったのだ。
(以上)


94歳で上梓された『都市を滅ぼせ』(2014年、双葉社)の冒頭には、
 これは暴言ではない。都市を滅ぼさなくては人類が滅ぶのである。都市は実にあらゆる公害の元凶であり、諸悪の根源であったのである。
 都市をそのままにして公害だけを追放しようとしても、それは徒労に終わるしかない。環境破壊(地球公害)は都市機能の活動そのものであり、それは言わば都市の止むに止まれぬ呼吸作用であり、同化作用であり、排泄作用なのであった。
 真に都市(地球)公害を追放しようとするなれば、まず都市そのものを滅ぼさねばならぬのである。
と、書かれていてます。
一人一人が自分の食べるものは自分でつくろうとも書かれています。

中島さん亡き後も、依然、「従容として破滅に就くべし」状態ですが、中島正さんの言葉を、せめて忘れずに暮らしていければと思っています。






2019年4月29日月曜日

GWが始まった

2月にMさんのところで二十数年ぶりに会った、旧知のK.Yさんがその友だちと一緒に遊びに来ました。


みなさんは、「つながるいのちの輪」や「東アジア地球市民村会議」に関係する人たちで、ヴィーガンの人もいると聞いていたけれど、もしかして8人全員がそう?
コーヒーにミルクを入れていた人がいたから、少なくてもただのヴェジタリアンの方もいたのでしょう。
お昼前、おりよくお隣のえいこさんが持ってきてくれたタラの芽も、卵を入れないで、小麦粉だけでてんぷらにしました。思ったよりいけました。
ヴィーガンとなると豆が主要なたんぱく源で、豆料理のほかに、厚揚げ、豆腐、お揚げなどを使った料理が並び、ビン入りフォッモス(初めて見た!)もありました。


食事の後はコンサート、どの曲もヴォーカルのOさん作のメッセージソング、ちょっと寒かったけれど、楽しいひと時を過ごしました。






2019年4月28日日曜日

染料ビン?

しばらく前の骨董市で、さわださんの店に行くと、
「見て、見て!新しいキャリー、いいっしょ!」
と、得意げに、一回り大きくなったペット・キャリーを指さします。
さわださんの犬ミルキーは、椎間板ヘルニアで下半身不随になって、もう7年にもなります。ちょっと血糖値が高めだけれど元気なミルキーは、上が開くこれまでのキャリーから、横が開く新しいキャリーに買い替えてもらっていました。
「よかったねぇ、ミルキー」
「これで、助手席に置いておけば、簡単に撫でてやれるのよ」
と、どこまでも優しいさわださんです。



同じ形の小さなガラスビンがたくさん入った箱の中からビンを手に取って熱心に見ている男性に、さわださんは、
「それは染料のビン。裏見て。三六かなぁ、エンボスがあるよ」
と声を掛けます。
染料ビンとあれば、見過ごせません。
ミルキーのところから離れて、ビンを見ると、「三六」ではなくて、「三共」でした。デッドストックなのか、どれも汚れてなくてきれいです。
その男性は3つお買い上げ、常連の(?)私はこっそり値引きしてもらって、2つ買ってきました。

さて、家に帰ってネットで探してみても、三共という染料製造元は見つかりませんでした。染料ビンというのはさわださんの記憶違いかなぁ、薬なら三共があります。
三共製薬(2005年に統合して、現在は第一三共)は、1899年に創業しています。


1902年にはホルモン剤アドレナリン(商品名はアドリナリン)を発売して、その写真がありましたが、さすが大手、しっかりしたガラスビンを使っています。そして三共は、1935年ごろから、蓋をコルクではなくスクリューキャップに変えています。


このビンはかっちりしてなくて、ゆるいできです。
型に入れないで吹いたのか、形も微妙に違っています。三共の薬ビンではないかもしれません。

ビンの口の開き方からして、染料は染料でも食用色素という可能性もあるかと思って、食用色素をつくっている会社を探すと、共立食品(惜しい!)、富澤商店、ユウキ食品、ダイワ化成、不二化学、丸紅商会などなどありましたが、三共はありませんでした。






2019年4月27日土曜日

剪定ばさみケース


長い間迷っていた剪定ばさみを入れるケース、ついに買ってしまいました。
美容師さん向けにはさみを入れるケースをつくっている店の製品で、思い切らないと買えない値段ですがとても使いやすそうで、前から気になっていたのです。
値段を見て、「冗談じゃないわ。もう一つ剪定ばさみが買えるじゃない!」と最初はまったく問題にしていなかったのですが、気にはなっていました。
そして、だんだん「毎日使う商売道具だからいいか」と思うようになり、ついに買ってしまったというわけです。

お借りした画像

普通、剪定ばさみを入れるケースは、ベルトに通して使うようにできています。
ところがいつもウエストゴムのもんぺをはいているし、もしベルトをするようなパンツをはいたとしても、ベルトはパンツがずり落ちないようにお腹まわりにぴったりと締めると、立ったり座ったりするときに、さげたケースが邪魔になったり、突っかかったりします。
服装にかかわりなく腰にベルトだけを巻いてみたこともありましたが、たくさん着た上に、昔買った、今では短かすぎるベルトを巻くとやっと届くか届かない長さ、はさみケースを装着することはできますが、それも苦しいものでした。
つまり、ウエストがあまりくびれていない男性は、ベルトを腰の下の方に締めることもできるのですが、女性だといくら体系が寸胴に近づいているとはいえ、ベルトが腰の上の方(つまりウエスト)にとどまり、はさみをケースから取り出すとき、さっとは取り出せません。


この剪定ばさみケースは、肩から掛けることもできるし、腰にまわして使うこともできます。
紐は肩や腰に食い込まないように、二種類あるうちの太い方を選びました。腰に巻くときも、ベルトを本体に通すスタイルではないので、ウエストより下に下げられ、動きやすく、取り出しやすくできています。

その昔は、大工仕事をするときも腰袋(本来は釘入れという)を腰に巻いて使っていました。しかし、初期工事時代と違って足元がよくなって、道具を籠に入れて手近に置ける環境ができたこと、圧迫骨折で体形も変わったことなどで、腰に負担がかかる腰袋は使わなくなっています。その腰袋は、中をしょっちゅう掃除しないと、すぐ鉋屑などがたまってしまっていました。
剪定ばさみ入れも、大工仕事ほどではないとしても、ケースにはごみがたまるかもしれません。


そんなときはこのケース、たくさんあるボタンをはずして、


広げて底のゴミを一掃することもできます。
美容師さんのはさみを入れるケースをつくる店ならではの、きめ細かさです。


ケースの中には、剪定ばさみが奥深く入りすぎて取り出しにくくならないように、ストッパーがついていて、刃物の先でケースの底を傷めもしないという、至れり尽くせりの仕様です。  
大満足でした。
しかし、ポケットが複数あるので、前のポケットに入るような、小さな折り畳みの鋸切りも欲しくなってしまいます。
用心用心!



ちなみに、美容師さん用のはさみ入れは、こんな感じに使うようです。








2019年4月26日金曜日

東京糊


東京糊のビンです。東京糊をネットで調べても、いつ創業していつ廃業したのか、手掛かりは何も見つかりません。
糊ビンはいろいろありますが、最盛期には、いったい幾つくらい糊をつくる会社があったのでしょう?
今でも製造している、大手の糊会社のヤマト糊とフエキ糊のほかに、ニシキ糊、アサヒ糊、サカエ糊、トクヨ糊などの名前を知ってはいますが、もっともっとあったのでしょうか?


ラベルは右から書いてありますが、蓋は左から書いてあります。
蓋は、糊ビンの常でピタッと閉まりません。かぶせてあるだけです。


糊ビンは、ガラスの方はねじを切ってありますが、蓋はどれも申し合わせたようにねじを切ってありません。ブリキにねじを切る加工は当時も難しくはなかったと思いますが、糊がくっついてしまうという性質上、わざと蓋を大きめにつくって、かぶせるだけにしていたのかもしれません。
そのピタッと閉まらない蓋でどうやって売っていたのか、常々不思議に思っていましたが、これを見ると、ラベルをビンから蓋にかけても貼ってあった、つまり側面一面に貼ってあって、蓋を留めるシールの役割もしていたようです。
みんな、自社の糊を使って蓋をとめていたのかどうかが、面白いところです。


ラベルには、寒いところでも凍らないなど、いろいろな効能が書いてあります。


そして、「特殊ノ愛スベキ芳香ヲ有スレバ」と、いい香りも売りだったようです。
私は、糊には糊の匂いしか感じたことはないのですが、先日ラジオで聴いたのだと思うのですが、話していた人(都会の人か?)は、初めて金木星の香りをかいだとき、「誰かが近くで盛大に糊を使っていると思った」と話していました。
そんなに、糊の匂いと金木星の匂いが似ているでしょうか?


さて、手持ちの蓋つきの糊ビンは増えていますが、いまだに最大手のヤマト糊のビンとフエキ糊のビンがありません。
下段の真ん中のビンの蓋は、ヤマト糊のロゴを模している(あやかっている)ように見えなくもありません。CHIを模様化したとも読めるのですが、いったい何糊だったのでしょう?


ちなみに、ヤマト(矢的)糊のロゴは、桜に矢と的でした。


この蓋の真ん中は、肉眼では読めなくなってしまっていますが、写真に撮ってみたら「高級」と書いてあり、周りは柏の葉のようです。








2019年4月25日木曜日

熱帯植物の教科書

自由が丘の岩立フォークテキスタイルミュージアムで、6月にはモジュガンさんがお話されますが、5月には西岡直樹さんがお話しされます。
これまで、西岡さんの書かれた本について、もう一つのブログ「私の拾いもの」に、ちょくちょく書いたはずと見返したのですが、思い違いだったようで、全然見つかりません。



西岡さんには、インドと植物をキーワードとする著書が多数ありますが、中でも好きなだけでなく役だったのは『インド花綴り』(木犀社、1988年)と、『続インド花綴り』(木犀社、1991年)です。
長く南の国々にかかわって働いていた私は、出逢った植物のことを知りたいとき、西岡さんの本を教科書代わりに開きました。
実物を想像しやすい挿絵がたくさん載っているので、その絵は頭に入っていて、
「あっ、この花は『花綴り』にあった花だ」
とページをめくると、学名や和名だけでなく、その植物にまつわる物語も楽しめるのでした。


これはカンボジアのプノンペン近郊の村の寺院の庭にあるホウガンボクですが、これも『インド花綴り』で、確かめたのではなかったかしら、今でも本に私の写したホウガンボクの写真がはさんでありました。


ホウガンボクは、ヤドリギ、かなり変わった植物です。
知らずに見ると、不気味な気さえしますが、『インド花綴り』の中に見つけると、一気に親しみがわいてきます。


派手な花でさえ、不気味ではなく美しいものに感じられてきます。


『インド花綴り』には、珍しい植物だけでなく、よく知っている果樹などもたくさん載っているので、熱帯に行く人も行かない人も、とても楽しめます。


この本も素敵な本でした。


文とともに、西岡さんがお描きになった絵が楽しめ、


そして、インドの絵も楽しめます。


熱帯植物の日本語で書かれた教科書と言えば、『インド花綴り』だけでなく、『タイの花鳥風月』(レヌカー・ムカシントーン著、めこん社、1988年)もあげたいものです。
『花鳥風月』も、タイの動植物の博物誌になっています。
レヌカーさんはタイ人と結婚された日本人女性、博識な方で、タイ文化の知識や認識において、タイ人ですら彼女の右に出るものはそういないだろうという方です。
歯切れのいい文も面白い、素晴らしい書です。








2019年4月24日水曜日

漁撈の手鉤

 

手鉤です。
骨董市で、民具ばかりを扱っている骨董屋さんの店先に10本くらい並んでいた手鉤の中には、もっと頭が大きくて鋭利な熊手みたいな形のものもありました。
お米や豆を入れた俵を持ち上げる手鉤ではなく、漁師さんがカキやアワビを獲るのに使っていた手鉤と思われます。
農業用の一本爪の手鉤はよく見ますが、漁業用の手鉤をまとまって見ることはそうないので、興味津々でした。熊手形に鋭利な爪をのばした手鉤もいろいろありましたが、形としてはちょっとごつすぎて、そちらはパスしました。


金属部分は、抜けないように、途中で鉤の手に曲げて、後ろで留めてあります。


前から持っている手鉤の、留めてあるところは留め金(ワッシャー)は、花の形につくってあります。
めんどうな仕事なのに、こんなところで鍛冶屋さんが楽しんでいたのがわかります。


膨らんでいる端の部分は、この持ち主は切り落として使っていたようです。


他人の持ちものと区別するためか、できるだけ軽くするためか、はたまた安定よく置くためか、どんな気持ちで切り落としたのでしょうか?













2019年4月23日火曜日

ペルシャ文化を垣間見る


イランのテヘラン大学でテキスタイルを学び、失われたペルシャのテキスタイルの再現に 精力的に携わっているモジュガンさんが、東京自由が丘のDIGINNER GALLERYで、明日(4月24日)まで、展示即売会を開いています。




ペルシャ起源の染めもの、刺繍、服飾スタイルなどは、文化が行きかい幾重にも重なってしまったイランには残っていませんが、周辺には残されているところもあり、とくにインドに多く残されています。
古いペルシャスタイルの服や、唐草、ペイズリー、生命の樹などの木版染めに加えて、今回は美しい刺繍を施された布が加わっていました。
上の写真の青い服や、二枚目の写真の左3点などです。


モジュガンさんがデザインして、インドの職人さんが刺したものです。
この刺繍は薄い木綿の生地、ローンが織れての作業です。ペルシャの人たちも、細い細い木綿糸を手で紡ぎ、手で織っていたのですが失われてしまい、それがインドにも伝わっていまも残っています。


裏もとてもきれいですが、職人さんは裏を見て刺すそうです。


これはまだ売れていなかったので、ちょっと欲しかったけれど、どこへ着てゆく?着ないとしたら、どこへ飾る?
着るあても飾るあてもないので、眺めて愛でただけでした。


二階には、ブラウスたちもありました。

モジュガンさんと日本をつなげているのは、かつて彼女が神戸工科大学で、杉浦康平氏のもとで学び、博士号を取得しているからです。モジュガンさんは、特に生命の樹と水の関係に関心を持っていて、ライフワークにされています。


モジュガンさんは夏以降は、インドに研究者の職を得て行ってしまわれますが、6月18日にはやはり自由が丘にある「岩立フォークテキスタイルミュージアム」で、「イランにおける生命の樹」と題した講演をなさいます。
岩立フォークテキスタイルミュージアムでは、7月13日まで生命の樹に焦点を当てた展示をしていますが、5月14日には『インド花綴り』の西岡直樹さんが、「インド、人々の内にしげる樹」と題されてお話されるよう、そちらも楽しみだけれど、行けるかな?