2017年12月31日日曜日

十二月の筑波山


十二月に入ってからの筑波山です。


煙は、上に向かわず、いつものように横に向かいます。


そんな日は、あちらもこちらも霞みます。


煙だらけの日もありました。


夕焼けは、雲のある方がきれいですが、どちらかと言えば、雲のない夕焼けの方が多いでしょうか。


雲のある夕焼けは、楽しめます。


特に冬には、山より低い雲が見られます。
 

朝、里やふもとにいた雲は、温められて、空に向かって、どんどん上っていきます。

十二月の筑波山でした。
今年も一年、ありがとうございました。





2017年12月30日土曜日

中国泥人形

昨日、妹と待ち合わせて、病院に母を見舞ってきました。
今年の春まで、母は妹の家族と一緒に自宅で暮らしていましたが、妹が体調を崩したことを契機に、褥瘡がひどくなっていた母は入院、今日に至っています。母は、足がすっかり悪くなっていて、瞬時も自力で立てない、足には痛いという感覚もないのですが、頭はしっかりしています。
母が昼食をとる様子を見ての帰り道、いつもの病院の近くのラーメン屋さんに行かないで、妹お勧めの、妹の家に近い、お洒落な中華料理屋さんに行きました。

そのお店は、今年最後の営業日とはいえ、平日なのに満員で、きれいに磨いたガラス越しに見える厨房の中では六人ものコックさんが忙しそうに料理をつくっていました。


案内された席に座り、日替わりランチを注文して、ふと見あげると、壁にくぼみをつくってこしらえた棚に、中国の人形が飾ってありました。

この手のリアルな人形を、私も持っていたことがありました。屋台を担いだおじさんや、まんじゅう売りのおじさんの人形で、三人とも夏の薄手の衣装をまとっていて、笑っている歯まで見えるリアルなものでした。
夫が中国に行ったとき買ってきてくれたものでしたが、リアルすぎて、ほかの人形たちとなかなか馴染まず、いつだったか、長野に自分の集めた人形を飾った「世界の人形博物館」を持っている、友人の母上に進呈してしまいました。
しかし、私が持っていた人形は、10センチに満たない小さなものでしたが、この店に飾ってある人形は高さが20センチを超える大きなものです。
 

説明書きがついていましたが、「中国・天津 名作泥人形」とあるだけ、郷土玩具というよりは、作家さんがつくったものかもしれません。
立って、上からのぞいてみたら、釜にはたくさんの栗が入っていました。


この袋に入っているものは、何でしょうか?
穀物のように見えるけれど、天津栗と関係あるものだとしたら、何でしょう。見当もつきません。
 

そして、栗を売っている女性です。手に持っている秤は、常に揺れています。
みんな、とってもいいお顔をしていました。
 
それぞれの席でお客さんたちが食事中なので、見るわけにはいきませんが、ほかの席にも人形が飾ってあり、通路にも飾ってありました。
帰りがけに通路脇の人形だけはちらっと見ましたが、作者が違うと思われる人形や、中国のよくある人形に雰囲気が似た人形もありました。
それにしても全部大きくて、なかなかの迫力でした。こんな貴重な人形を、ガラスケースにも入れないで無造作に飾ってあるなんて、太っ腹な店主です。

日替わり定食は850円、牛肉、ピーマン、青梗菜など炒めた甜麵醬の効いたメインディッシュとスープ、ご飯、ザーサイ、春巻きがついていて大満足でした。




2017年12月29日金曜日

暮れの日々

「これから、昨日より今日、今日より明日と、毎日寒さが厳しくなります」
と天気予報。
温度が低いのは何とでもなりますが、毎日冷たい風が吹いて、外で作業するのがちょっとつらい、震えあがっています。


そんな中、夫にテーブルソーの刃を替えてもらいました。
次から自分でできるようにと、作業工程の写真を撮っていると、
「こんなの簡単、写真を撮るほどのことはないよ」
と、夫。
ほんと、ただ、専用スパナを二つ使ってナットを外して、新しいのを嵌めるだけ、こんな簡単なことをいつも夫に頼っていたなんて、と思われるほどのつけ替え作業でした。と言っても、ねじは締まっているので力が要るのですが。
 

さて、昼食の後片づけをしていると、水がシャキシャキ流れません。下水管が汚れてきているのです。
煙突掃除に使うような長いブラシで掃除していたら、夫が下水管を外してくれました。自分でつけたのだから外すのも簡単、といっても、シンクの下の引き出しを外し、戸棚に入れてあったものは全部出し、床下にまで潜って、つないだ配水管を三か所外し、S字型のものも含めて、配水管を取り出し、中をきれいに洗いました。
下水管は、外すのより水漏れしないように嵌めるのが大変です。私の力では嵌めきれないし、夫は人工関節にした膝が曲がり切らないので、狭いところに入っていくのは至難の業、足がつったり、お腹がつったりしながらも、作業完了です。

 
水は気持ちいいほどよく流れるようになりました。
今年も残り三日、あとは窓ふきですが、こちらは来年に持ち越しそうです。





2017年12月28日木曜日

古めかしい意匠ですが


右上二つは、大工仕事に欠かせない曲尺(かねじゃく)です。
これはメートル法の目盛りしかついてないものですが、曲尺と「尺」が名前につくくらいですから、尺貫法の曲尺が原型です。
曲尺は、古代から形も大きさも変わっていないと言われる、とても古い道具です。

それに対して、下の定規はスコヤと呼ばれます。スコヤは、英語のスクエアがなまったもので、工業化と一緒に定着したものでしょうか、精度が求められる直角(これは45度も)を確認したり、木材に墨つけをするときに使います。左の道具はなんていうのでしょう?スコヤは定規がついているものですが、これは定規なしで、ただ木材に墨つけする機能だけのものです。


これが一般的スコヤです。
曲尺は平面なので、曲尺を使って直角に線を引こうとしたら、一辺をしならせて、直角を出したいものに沿わさなくてはなりませんが、スコヤは、厚みのある辺をひっかけることができるので、曲がらないでちゃんと沿わせているかどうか気を遣わないで、素早く墨つけすることができます。
この型のスコヤ(もっとも一般的なもの)は、買った覚えがないのですが、どこからか出てきて二本あります。
夫に訊いても、
「知らねぇなぁ」
というばかりですが、私は、夫が以前から持っていたものではないかとにらんでいます。というのも、大きいスコヤの方は模様入りで、いまどきこんなものを売っているとは思えないからです。


しかも、その模様たるや古色蒼然としていて、片側には竹林で咆哮する虎が描かれています。


そして、もう一方の面には、竜が描かれています。
大工道具で装飾的なものと言えば墨壷ですが、このスコヤも墨壷を彷彿とさせる意匠です。
HONMAというのがメーカー名らしいのですが、HONMAで検索しても、出てくるのはゴルフクラブをつくる会社だけです。

電動工具を使うなら、あらかじめ角度を決めて置いて同じ角度に切ることができたり、定規を当てて切ったりするので、線を引いておかなくても、一点に印をつけて置けば、直角を含めて、のぞむ角度に切ることができます。
でも、制度を高くしたいので念のために線を引いて置いたり、同じ間隔で複数の材に墨つけをしたい時など、スコヤや曲尺、三角定規などが必要になります。そして、ほぞ穴の印つけをしたい時など、小さなスコヤはなにかと便利なのです。
というわけで、持ち運びが苦にならないスコヤは、いつも持ち歩いています。






2017年12月27日水曜日

戌年がやってくる


「メリークリスマス」が問題になった今年のクリスマスも過ぎて、土間入り口の飾り棚には、選手交代、2018年の干支の犬を飾りました。


あるある、集めてみたら、ずいぶんたくさん、犬がいました。


犬張り子が多いのですが、土人形、土笛、土鈴も、木彫りもあります。


おや、後ろの方には場違いで恥ずかしそうな西郷さんが.....。


西郷さん、犬を連れているのでした。


私の持っている犬の中で、一番年代を経ているのは左の犬、幕末のころつくられたものです。
そして、一番大きいのは右の犬張り子、まことさんにいただきました。


私と一番長い時間を過ごしたのは秋田の八橋土人形、18歳のときから一緒です。


そして、甲乙つけがたいけれど、一番好きなのはこの羽二重でつくったぬいぐるみの犬張り子犬です。





2017年12月26日火曜日

替え刃


自動かんな、テーブルソー、丸鋸などの刃は、くたびれたら、研ぎに出して研いでもらって使います。
昔は鋸(手鋸)をつくったり、目立てをする専門店があって、そんな鍛冶屋さんは全国的に、「中屋」と名乗っていました。今も「中屋」という名前には名残がありますが、手鋸を自分でつくったり目立てをしたりする鍛冶屋さんは、水戸の「中屋平治」など、ごくごくわずかしか残っていません。

丸鋸の刃は、近くの「中屋」商店(工具店)に持っていくと、どこかに送って、機械で研ぐようです。
そうやって、刃を研いでは10年も使ってきたスライド丸鋸の刃ですが、切り口のささくれがひどくなりました。


見ると、刃が一枚欠けています。古材を切ったとき、折れたねじ釘が入っていたかなにかして、欠いたものでしょう。
こうなっては、もう研いでもらうこともできません。替え刃を買うことにしました。
 

普段、二枚を交互に使っていますが、スライド丸鋸の替え刃を買うのは久しぶりでした。
丸鋸の刃は、20,000円以上するものから、1,500円くらいのものまであり、半分くらいが10,000円以上します。で、以前使っていた刃の型番を見ると7,000円くらい、まずまず買える値段です。工具類の進化は目覚ましいものがありますが、この十年で性能が上がったのか、古い刃の厚みは2ミリでしたが、1,6ミリ厚になっていました。
ちなみに、テーブルソーの刃の厚みは、やはり十年以上前のものですが、3ミリあります。


機械製品とはいえ、新しい刃物のきれいなこと。しばらく使わないで取っておきたいくらいです。
ちなみに、水戸の「中屋平治」には、電気工具をいっさい置いていませんでした。電機工具を販売もせず、手の道具だけを商っているのです。





2017年12月25日月曜日

ボタンの箱が包んでいたものたち


ボタンの箱に入れられて送られてきたものといえば、エールフランスのカトラリーたちでした。


レイモンド・ローウィーってすごかったんだなぁと、見るたびにわくわくします。


もう一つの箱に入っていたのは、ブリキのガラガラでした。


象、虎、牛、猿、犬、馬の絵が印刷されたブリキを合わせ、木の笛でもある持ち手に、針金でつないであります。


丁寧な仕事や、旭日旗のような裏面のデザインから、戦前につくられたものとわかります。


私の持っている、郷土玩具ではないガラガラは、こんなところでしょうか。
もっとも、私が小さいころ最もポピュラーだったガラガラは、持ってはいませんが、円筒形のセルロイドのとってもいい音がするものでした。

この三つのガラガラの中で、赤ちゃんが持って、一番楽しめそうなのは左のものです。ブリキのガラガラは、きっと針金が曲がりやすいだろうし(直すのも簡単ですが)、右のものは、二方向に振る以外に音が出ませんが、左のものは持っているだけでも音が出ます。




2017年12月24日日曜日

2018年もバムとケロ


毎年、『バムとケロ』のカレンダーを使っています。
もう、十年くらいになるかもしれません。大きさといい、見やすさと言い、ちょうどいいのです。
ほかのカレンダーも使っているし、予定表はコンピュータで管理しているし、日づけや時間を確認するときは、コンピュータの画面上に出ていますが、最終的には、『バムとケロ』のカレンダーを見て、納得します。
慣れてしまっているからなのかもしれません。


今年も押し詰まってから、2018年のカレンダーを手に入れました。
前は生協で扱っていましたが、いつのまにかなくなり、二、三年前からは(お定まりの)Amazonで買っています。今年も生協では扱ってなかったので、Amazonで買おうと思ったら、その時、たまたま切れていたのか、発売が遅かったのか、なくて焦りましたが、その後、無事に買うことができました。


カレンダーには、いつものキャラクターのシールだけでなく、書き込むことのできる「吹き出し」のシールが新たに入っていました。
年の初めに、キャラクターのシールをべたべた貼っておいて、
「これは何だったんだろう」
と悩んだこともあって、予定を直接書き込んでいますが、書き込めるシールを使うと便利でしょうか?


さて、2018年1月の絵には、カバがいました。
カバコレクターのヒポミさんにその旨教えてあげて、今買わなくても、私が使い終わるのを待つどうかか訊いてみたら、一年待ちますという返事がきました。


3月のカレンダーの、バムが立っている奥のテーブルには、


マトリョーシカが描かれています。伝統的な、セルギエフ・パサードのマトリョーシカです。


ほかのページにも、このマトリョーシカが登場します。
『バムとケロ』のカレンダーは、絵が細々と書き込んであるので、何度でも楽しめるのです。


2017年も、あと少しとなりました。





2017年12月23日土曜日

引退していましたが


この箱を見て、すぐに何の箱かわかる人は、少なくなったに違いありません。

まだ、既製服を売ってないころ(1960年代初頭まで)、洋服はデパートで見本を見て注文するか、仕立てのできる人に頼むか、それとも自分でつくるかしかありませんでした。
あちこちの目抜き通りに布屋さんがあって、布を巻いたものを、店頭にうずたかく積み上げていました。布屋さんでは、暑くなると木綿など涼しい布を、寒くなるとウールなど暖かい布を売っていましたが、季節はずれには置いていません。例えば、冬に木綿を買おうと思って、何軒もの店を回っても、どこにも売っていないという時代でした。
誰もが布を買うと、布地屋さんの一角か、あるいは手芸材料専門店に行って、その布に合うボタンを買いました。
そんな、ボタンがこの箱に入っていたのです。


蓋は薄紙を貼って糊留めしてありますが、箱はホッチキスで留めただけの簡単なものでした。


そして、箱のふたの一面には、見本のボタンが綴じつけてあったのです。
見本と同じボタンが箱に入っているので、客が「これが欲しい」と指さすと、お店の人は箱ごと抜き取って、中から必要なだけボタンを取り出してくれました。


大きい店では、この箱をずらっと、百も二百も並べて重ねていました。千種類以上ものボタンを売っていたのです。

この箱は、こまごまとした古いものを売っているお店、「あんてぃかーゆ」で買い物をしたとき、包装箱として送られてきたものです。もっと大きいものを買ったときは、景品のコップの箱など、何かしら昔使われていた箱で送られてきました。
感心するのは、よくそんなに箱を取っておくスペースがあるということです。私など、箱が面白いから取って置こうと思っても、ついつい置き場に困って、思い立ったときに処分してしまいます。
そんな中、ボタンの箱は小さいので、今まで処分を免れて、三つになっていました。
 

捨てようかどうしようか、迷いながら手持ちのボタンで遊んでみました。


一気にかわいらしさと懐かしさが増しました。

鉛筆の形のボタンは、息子たちが小さいころ、服に飾りとしてつけていたものです。飾りならいいけれど、丸いもの以外は着脱が面倒で、ボタンとしてはとても使えないことを学んだのはこのボタンだったかもしれません。


猫模様の竹のボタンは、そういえば以前あんてぃかーゆで買ったものでした。


戯れに遊んでみたのですが、しばらくこのままにしておくことにしました。