2017年4月28日金曜日

浪江の土からできていた

福島に、相馬焼きという、300年も続く焼き物がありました。たくさんの窯元があり、たくさんの陶芸家が、浪江町の土を使って作陶していました。
2011年3月11日の、地震による原発事故以後、浪江町は放射能汚染のため、すべての人が立ち退きました。
そしていまも、立ち入り禁止区域になったままです。


先日、次男夫婦と話していて、十年前の彼らの結婚式のときの引き出物だったカップが、相馬焼きだったことを知りました。
新婦あっちょの友だちが、つくったもので、友だちは浪江町に住んでいたのです。


原発事故以後、浪江町から逃げたその友だちは、いまは大分に住んでいるそうです。


あっちょの友だちがつくったものであることは知っていましたが、浪江町の土でできたものだとは、そのときは聞いたかもしれませんが、覚えていませんでした。






2017年4月27日木曜日

♪でっきるかな、でっきるかな♪

しばらく前に、夫が仮設木工室と、仮設材木置き場を取り払った跡地に、つつじを植えようとしていました。そのつつじは、早く大きくしたいと、植える当てもない時から買って、我が家で育てて大きくしていたものです。
夫は、すぐ結果を出したがります。つまり、せっかちで、待ってはいられない性格、思いついたら即実行に移したいのです。
「いつまでも更地を見ていても、しょうがないだろう」
「ちょっと待って。よく考えて庭はつくろう」

いつも、植えるのは夫、そして世話をするのは私です。
刈りこむのに足場がないほど広いつつじの群生をつくられたりすると、あとで困るのは私です。
というわけで、鈴木さんにお願いして、以前見せていただいたを、夫にも見せていただくことにしました。


相変わらず、とっても素敵でした。
15年前に庭師さんと相談しながらつくられたそうですが、石の置き方ひとつとっても、計算されているのに自然です。


敷石ではなく、玉切りにした木が、朽ちていくのも素敵です。


小さな花たちの叢も、
 

どれも素敵、さりげなく植えられています。


道端で見向きもされていないチゴユリもかわいい!


ほんの少しの起伏は、視線を低くすると、雄大な山並みにも見えます。

我が家のユンボで均した平らな庭は、いったいどこから手をつけたらいいのでしょう?
転がっている石を埋めることからはじめたらいいのでしょうか?
それとも、、増築のために裏に動かしておいたシャラやヤマボウシを、植え戻すことからはじめたらいいのでしょうか?
♪でっきるかな、でっきるかな♪







2017年4月26日水曜日

アールコブのデスク


この集成材の板は、どうして地下室にあったのでしょう。まったく覚えていません。
湿気の多い場所に保管していたので、集成材といえど反っているし、ビニールで覆ってあったので、ちょっと腐ってもいます。それでも、幅も奥行きも切って、表面を磨くと、なんとか使えそうです。
蜜ろうワックスを塗ったので目立たなくなりましたが、手前のあたり、木が腐っていて、ちょっと色が変わっていますが、大成に影響はありません。

手前の木口は、上から叩き入れるので、見えてしまう左端の部分を除いて、斜めに切ってあります。


重い板をはめるのに夢中で、途中の写真はありません。

左(南)側は、窓枠の下にくるので、はめ方としては右(北)側を高くしておいて、掛矢で叩き入れます。
まず、左の方にコンテナを積んで高さをほぼ出しておいて、板を仮置きしました。 その時点では、右端は、もちろん壁に引っかかっています。
右(北)側には、受けの材をあらかじめ取りつけておいたので、そこまで掛矢で叩き入れます。
  

一番上の板の写真で、木口の左端は、手前から見えるからと斜めに切り落としていませんでしたが、それでは絶対に入らない原理なので、はめる前に、そこも斜めに切り落としました。

端を斜めに切って入れても、少しは余裕を持たせなくては入らないのですが、余裕がありすぎると、隙間ができます。
この場合、南側には少しは隙間ができても目立ちませんでしたが、実寸より2ミリ程度短くしただけで、入れました。これほど大きいものになると、採寸を間違えるとやり直すのが大変なので、緊張します。


というわけで、今は漆喰下地の袋を置いているので見えませんが、右端は斜めに切ってある隙間が見えてしまいます。

次は、机の奥の本棚です。
つくる前からがっかりですが、たったこれだけでは、本はたいして入りません。
やれやれ。







2017年4月25日火曜日

サルサの思い出

その昔、東京池袋のはずれに、「サルサ」という小さなお店がありました。
いろいろな国の、民族布を惜しげもなく使って服を仕立て、売っている、ワンダーランドのようなお店でした。
「私、どんな人にも似合う服を見つけ出す自信があるの」
当時、40代だったでしょうか、素敵で気さくな女性店主は、そう言っていました。
実際、
「あなたには、これがいいわ」
と選び出してくれる服は、どれも魅力的でした。
彼女のつくる服は、たっぷりしていて着やすいのに、袖口や足元がきゅっと締まっていて、かっこよく見せるような服でした。

小さなお店から、にぎわいはじめたおしゃれな町自由が丘に、売り場面積の大きくなった店を出して、やっとこれからという矢先に、彼女は病に倒れ、あっけなく帰らぬ人となりました。

さて先日、夫の兄弟の家族たちと集まりがありました。
場所が自由が丘だったので、私はサルサの店主を思い出し、久しぶりに彼女のつくったパンツをはいて出かけました。


インドネシアのスンバ島のイカット(絣織) のパンツです。
布を小さく切ってしまいたくなかったのか、たっぷり使って、仕立ててあります。腰のポケットもギャザーを取って立体的だし、腰には共布の紐を結ぶようになっていて、腰回りがもこもこするので、圧迫骨折で体形が変わってしまった私にはちょっと似合わないのですが、上にたっぷりしたブラウスを着て、腰回りを隠して着ました。


藍だけで染めた経絣(たてがすり)の布で、スンバ島の伝統行事である勇壮な騎馬祭りの「パソラ」や、


天上界の象徴とされ、繁栄のモチーフでもある鶏などが描かれています。
イカットとしては、そう手の込んだものでもありませんが、私ならもったいなくて、はさみを入れられなかったことでしょう。
自由が丘は相変わらず変わり続けていて、さらにおしゃれな町になっていました。そんな町を歩きながら、サルサがなくなってもう20年以上経つのだと、改めて思ったことでした。

スンバ島の伝統的な家。とがったところに、神が宿るとされています








2017年4月24日月曜日

別世界


夫の兄弟たちとその家族との集まりがあり、東京に行ってきました。
総勢19人、楽しい集まりでした。
 

お酒も飲むし、遠いからと、夫の弟のひろちゃんが住んでいるところに、泊めてもらいました。
もう、別世界でした。
 

いやはや、田舎生活にどっぷりの私たちは、目が回ります。


でも、楽しかった。


見えているのは、隅田川と、勝鬨橋です。

前にも書いたけれど、小学生のころ、父母に勝鬨橋に連れて行ってもらいました。
そのとき母は、白とグレーの細い縞の、当時流行っていた全円のフレアースカートをはいていました。母、三十代でした。
 

以前、ソウルからテルアビブまでの直行便に乗って飛んだ時、ヒマラヤ山脈の北側の砂漠のような地をわりと低く飛びました。
左手には山脈が、眼下には砂漠地が延々と続いていました。
そして、砂漠地には直線道路が走っていて、あるところで突然消えたりしていました。

そこに住んでいる人たちと自分は、果たして同時代に住んでいると言えるのだろうか、海を見たことのない人と、見たことのある人では、感じ方も違うのではないか、などなど、心が震える思いで砂漠を見つめていましたが、現代の東京と八郷も、あまりにも違うので、そのときの感触を思い出したほどでした。
 

一つ泊まって、帰ってきました。


八郷では、まだ咲いている山桜も残っていて、春たけなわです。






2017年4月23日日曜日

アールコブ


スイッチやコンセントをつけるための袖壁ができたら、次は腰壁です。
両側にほぞ穴を開けて、ほぞをつくった梁材を下から叩き入れました。
上が全部窓になると勘違いして、柱を傷つけまいと下から入れたけれど、西側も細い袖壁になることを、途中で思い出しました。
無駄な労力を使ったものです。掛矢(おおきな木槌)で、梁を叩き上げるより、叩き下ろす方がずっと楽だったのでした。


それでも、梁が入りました。
太さが適当な材を見つけて長さに切ったとき、杉ではなくてヒノキだったことに気づきました。
土台を除いては杉を使っているので、ちょっと気になりますが、夫は、
「かまやぁしねぇ」
と言います。まあ、そのうち色も馴染むでしょうか。

ところで、中に見える窓サッシは、母屋をつくったときサッシやさんが寸法を間違えてつくり、のちに正しい寸法のものをつくり直してくれたので余ったものです。
何とかこれも使いたいと思いましたが、どうにも収まりようがなくて、使えませんでした。


腰壁には、間柱を入れて、板を張りました。


袖壁の電気配線が終わったので、袖壁の外側も張ります。
 

中から見たところです。


ここは、メインホールに面した小さなくぼみで、アールコブになります。
西側(左)の壁を張り終わって、北側(奥)の壁を張っているところ、だんだんアールコブらしさが出てきました。


北側の壁は、分電盤を設置しているので、電気コードがたくさんあります。


いったいどこにつながっているのでしょう?


さて、内側の壁を全部張り、窓の西側にも小さな壁をつくります。
窓も、窓枠をつけるはずなので、外側(開口部側)から打ち込んで、梁に傷をつけてもよかったのですが、一応、内側、つまり壁になる方に溝をつくって打ち込んだので余裕がなくて、ジャッキを使って押し広げたりして苦労しました。
でも、出来上がってみると、窓の方はまったく傷がついていないという気持ちよさがあり、苦労は報われます。


袖壁をつくる理由は、西側の壁全体を本棚にするので、ガラス窓は途中まででいいからです。


天井も一部張り終わり、照明もついています。


このアールコブは、床もちょっとあげます。
夫の本もやっと日の目を見るというわけですが、はたして本たちは無事でしょうか?







2017年4月22日土曜日

ティンガティンガ


母屋の二階のお手洗いのドアには、タンザニアのティンガティンガのネームプレート(ルームプレート)をはめ込んでいます。

ティンガティンガとは、合板にエナメルペイントで、一枚一枚手描きしたもので、タンザニアの首都、ダルエスサラム郊外のティンガティンガ村には、何人もの画家さんがいて、制作をしていらっしゃいます。
大作は見事ですが、お土産物用として、ほんの息抜きに、ちゃっちゃと描かれたかもしれないネームプレートもまた、力が抜けていて楽しいものです。


このネームプレートは、アフリカ雑貨店「バラカ」のネットショップで扱っています。
絵を選ぶと、10文字以下なら、ひらがな、カタカナ、ローマ字で、ステンシルを使って名入れをしてくれます。


新しい作業棟のお手洗いにも、ティンガティンガのプレートが欲しいと思ってお店をのぞいたら、最初の購入から十年も経っているのですが、嬉しいことに取り扱っていました。


小さな板きれの中に、広大なアフリカの台地が広がっているようです。





2017年4月21日金曜日

単管バリケード


道路工事しているところで見かけるこれ、正式名称は単管バリケードというそうです。
いろいろなのを見かけますが、当たり前ですが車に乗っているときに道路で見かけて、しかも工事をしているので、片側規制になったり、混んでいたりして、とても降りて写真を撮るという雰囲気ではありません。
  

地域によって、いろいろなバリュエーションがあるらしいのですが、水戸黄門の単管バリケードは茨城県にしかないだろうと、狙っているのに、なかなか撮るチャンスが訪れません。
この雨の日も、水戸黄門を見つけたのですが、カメラを出しているうちに、熊になってしまっていました。
熊は延々と続いていましたが、水戸黄門はほんの数体だけでした。
  

ただの色がついたものより和むのは、みんな「目」がついているからでしょうか。
アヒル、うさぎ、キリン、コウノトリ、イルカなどの動物、キティちゃんも見たことがありますが、いったいどのくらいのバリュエーションがあるのでしょう?


ちなみに、ネットで見て一番気に入ったけれど本物を見たことがないのが、シーサーの単管バリケードです。
見たいなぁ、こんなの!

ブログ「変な棒」より

そして、こんな写真も見つけました。
猫の単管バリケードのお腹と頭の上のパイプが、ちらっと見たとき、目が悪いせいもありますが、なんだか子猫が登っているように見えました。





2017年4月20日木曜日

紙のおもちゃ

先日の骨董市で、おもちゃ骨董のさわださんが、もとは駄菓子屋さんに置いていたであろう、台紙に二十枚くらいも綴じつけてある、写し絵を持っていました。
写し絵とは、模様ごとに切り取って、水にぬらして、ノートの表紙や、叱られながらも机や椅子、そして手などに貼りつけ、しばらく置いてからそっとはがすと、その絵が、貼りつけたところに移るおもちゃで、小さい頃はよく遊んだものでした。

写し絵は懐かしいし、絵柄もなかなかいいのだけれど、全部めくれ癖がついています。
「アイロンかければ直るよ」
「そう?」
「ばらにする?それとも全部まとめて買う?」
「紙ものはなぁ。飾り方が難しいんだよね」
「額に入れたら?」
「そうだけど、うちはほれ、壁がないでしょう」
そう言うと、わきに立っていた、いつもさわださんのところで油を売っているおじさんが、黙って、「壁がない家とはどんな家なのか?」と、密かに考え込んでいたみたいでした。

しばらくして、突然そのおじさんが、
「あっ、壁がないってことは、壁がもう何かでふさがっているってことか」
と叫びました。
いったい、頭の中でどんな家を想像していたのでしょう。

さわださんは、私が写し絵を買わないとなると、着せ替えを勧めてきます。


わぁ、いつにも増して、古めかしい着せ替え!
紙が悪くて、着せ替えなのにぺらぺら、「かわいい」の基準が、今の「かわいい」とは全然違います。
「オネエさん」も女の子も下駄をはいているうえ、着せ替え用の衣装は、買い物袋を提げたねんねこや学生帽、そして小道具は箒や火鉢です。
どう見ても、1940年代から50年ごろまでにつくられたものです。
「500円!、400円でいいや」
「紙ものはなぁ.....」
と言いつつ、絵柄に惹かれて、買うことにしました。

袋に入れてくれている間、油を売っているおじさんと話していると、さわださんは、また私に売りつけるものを見つけたようでした。
「これもどう?三枚全部まとめて1000円でいいや!」
「なにこれ?かるたなの?」
「じゃないんだけどね」
「まっ、いいわ、まとめてもらうわ」
というわけで、手にとって見もしないで、紙を増やしていまいました。


家に帰ってから、初めてじっくりながめます.
「月」と「干支」の組み合わせで、干支の名が入って、点数がついています。一枚ずつ切り離して、神経衰弱のようにして、絵合わせして遊んだのかもしれません。


うちの一枚は、色も絵もそこそこ面白い。郷土玩具もふんだんに入っています。


四段目にあるのは、江戸のおもちゃ、虎のぴいぴいです。
おもちゃ好きの画家さんだったのでしょう。
 

子どもたちは、駄菓子屋でこれを買って、友だちと、そしてお正月などには、お母さんやお父さんにせがんで、一緒に遊んだのでしょうか?
  

上の一枚に比べると、こちらは漫画っぽくて、絵に情緒がありません。


でも、それも個性。大笑いしている犬の顔を見ていると、絵が下手なのもご愛嬌に見えます。
また、邪魔なものが増えてしまいました。