2021年11月30日火曜日

はじめました、糸紡ぎ

きっかけがないと再開できない機織り、もう一度習うべきかどうか、2年もいじいじしていましたが、思い切って習いに行くことにしました。先生は近藤さん、すぐ近くに住んでいらっしゃいます。

というわけでこの数日、糸車を高いところから降ろして埃を払ったり、カーダーの錆を取ったりして準備していました。
近藤さんは、羊1頭分の毛を丸ごと買い、それを洗って整え、染めて、紡いで糸にしてショールなどを織っていらっしゃいます。私はその昔に買った糸をたくさん持っているのですが、近藤さんのところでは糸紡ぎから始めるのが基本、分けていただいた原毛を洗うところからはじめました。


原毛を洗うには、まず米ぬかで下洗いします。精米スタンドからいただいてきた米ぬかを布袋に入れて口をきつく縛り、保温性の高い発泡スチロールの箱に入れた約60度のお湯の中で揉んで、ぬか成分をお湯に溶かします。それにそうっと原毛を浸して蓋をして、かき混ぜたりしないようにして、40度くらいになるまで冷やします。
この日洗った原毛は、サイドと呼ばれる脇腹の毛250グラムと、バックと呼ばれる背筋の毛200グラムです。



ぬか湯に浸して1時間以上そのままにして、40度くらいに冷めたら、お湯を捨てて水を切ります。毛の脂分や汚れがこれでずいぶんとれました。次にモノゲン(洗剤)を原毛の重さの5%溶かした約60度のお湯にそうっと浸して、また冷めるのを待ちました。モノゲンと言う名前を久しぶりに聞きました。子どものころ、毛糸洗いなどに祖母や母はモノゲンを使っていましたが、私自身は洗濯に使った記憶はありません。
モノゲン湯が冷めたら水を切って新しいお湯で洗い、軽く脱水して、3回ほどお湯を替えながら洗ったら、原毛洗いの完成です。


洗った原毛は持ち帰って乾かしています。


それを少量ずつ毛先の方から引き抜いて、


置いたカーダーで梳いて、


まっすぐにそろえています。

気の遠くなるような作業?
いえいえ、これまで気分転換にコンピュータでソリティアやジグソーパズルをして遊んでいたのをやめて、しこしこと原毛に向かっていればいいので、何とかなりそうです。



 

2021年11月29日月曜日

ゴマ

                    

これは、山一つ向こうに住む友人が育てた金ゴマです。
使う都度炒れば最高ですが、つい手を抜いて、一度にたくさん炒ってしまいます。よく冷ましてからビンに入れておいて使っています。

ゴマはスーダンあたりのサバンナの原産で、アフリカ大陸には今でも30種類くらいの野生のゴマが生えています。野菜の野生種を見るというのは面白いこと、ソマリアで野生のスイカを見た時も、タイで野生の稲やコンニャクを見た時も大いに感動しました。
また、栽培種のゴマで最も古いのは、考古学の発掘調査で見つかった、約3,500年ほど前のインドの遺跡のものです。インドのほかにも、紀元前からエジプトなどで栽培され、薬用や食用油の材料として使われてきたことがわかっています。
原産の地アフリカでは、現在はゴマがどのように利用されているのでしょう?
その昔、ガーナのクマシで暮らしていた2年間、週に2回は行っていた市場で、店を持っていなくて歩きながらゴマを売っている人に一度だけ出会い、買ったことがありました。なにかの油で絡めたゴマでした。
しかし、その時以外、ガーナ、ブルギナファソなどの西アフリカ、またのちに訪れたケニア、エチオピア、ソマリア、タンザニアなど東アフリカの国々の市場で、ゴマを見たことはありませんでした。
 

ゴマは日本には、縄文後期に中国からもたらされました。また、中国には紀元前3,000年ごろイランあたりからもたらされています。
こんなに歴史の長いゴマ、日本ではかつて、お百姓さんたちは誰もが自家用にゴマを育てていました。ところが今では、ゴマを育てている農家はほとんどなくて、99.9%を輸入に頼っています。
というのも、土を選ばず丈夫に育つゴマですが、収穫に手がかかります。手作業で、適期に適切に収穫しなくては種がこぼれ落ちて失われてしまう厄介な作物なので、労働力の安い地域でしか、売るためにはつくられていないのです。
年によって出来不出来があるのか、輸入先の順位がころころと変わるのも、ゴマの特徴です。最新の統計の2019年の輸入では、スーダンからの輸入が一番多く、次いでビルマ、インド、タンザニア、ナイジェリアからとなっていますが、しばらく前までは南米のグアテマラが輸入先の一位でした。

ゴマ=和食のイメージがありますが、それがスーダン、ブルギナファソ、チャド、ニジェール、カメルーンなどのアフリカ諸国をはじめ世界中から来ていることを知らないで食べている人がほとんどだと思います。


2019年の統計で、日本のゴマ輸入国の第8位のエチオピアでは現在内戦が続いており、日ごとに深刻さを増しています。
エチオピアには、ティグレ、アムハラ、オロモ、ソマリなどの大民族集団とともに、たくさんの少数民族が暮らしていますが、民族に関係なく西洋によって国境線が引かれたことが、政治を不安定にさせており、これはエチオピアだけでなく、アフリカのたくさんの国が抱えている問題でもあります。






2021年11月28日日曜日

初霜

 今朝は、この冬一番の冷え込みで、初霜が降りました。


ただでさえ、夜露が降りて濡れるので、午前中は屋根の上の作業はしないで、午後まで待ちますが、霜が降りた日は、屋根の上はつっるつるです。


霜の降りた朝は、屋根の上どころか、落ち葉の上を歩いても滑りやすくなっています。


それでも霜はきれい、冬の楽しみです。






2021年11月27日土曜日

銀杏畑


ぎんなん畑が黄色く染まり、黄金色に光り輝くのはほんの数日でしょうか。葉は急いで散っていきます。


そして足元に、分厚い絨毯を広げます。


ぎんなん畑ごとに黄葉時期に差があり、遠くに見えるぎんなん畑には、まだ緑色が残っています。
これから一気に冬へとも向かいますが、秋がずっと暖かったので、稲のひこばえは緑のまま、まるで麦畑のようです。




 

2021年11月25日木曜日

二束三文の板がいっぱい出てきた!



下屋(げや)に野地板として張るなど、相じゃくりをしてある厚さ13ミリの杉板は、なにかと使い勝手の良い材料です。
この写真では、数か月間重ねたまま野ざらしにしていたので(私の怪我のせいで)黒ずんでいますが、白太(しらた)の部分は少なく、きれいな色合いの板で、嬉しいのは値段、やはり厚さ13ミリの本実加工してある壁用杉板が、坪12,000円くらいするのに、これは坪1,700円くらいから買えます。
そんな野地板が底をついたので夫に伝えると、
「安く買った板がたくさんあるんだけどなぁ」
と言います。


その木は、ホールの奥に積み重ねてありました。
材木屋さんが運び込んでくれたもの、いつも出入りしている方からは手前に置いてある木に隠れて見えないので、私はこんな木を、こんなにたくさん買っていたとは知りませんでした。


厚さは12ミリ、長さ1間(約180センチ)に切ってある短い板です。
粗く挽いたもので、表面はザラザラで、材木屋さんでいったい何十年眠っていたものか、埃で真っ黒になっています。今どきの板は、プラスティックの平たいテープで縛ってありますが、これはビニール紐で結んであるので、もしかしたら50年くらい前のものかもしれません。
もちろん、相じゃくり加工もしていません。


かつて、今ほどハウスメーカーの家が多くなかった時代に、漆喰壁の下地とか、畳の下など、見えないところに使った板なのでしょう、ほとんど白太です。
使うの無理無理と思いましたが、こんなにあるのに使わないのは癪なので、試しに壁に使ってみることにしました。


あまり薄くしたくないので、両面ではなく片面だけ自動鉋をかけました。白太なので自動鉋だけではけば立っていますが気にしない、短く切って相じゃくり加工をします。テーブルソーで加工するので、長いままだとやりにくいのです。


そして、熱遮断などに関係のない外壁に張ってみました。


ここは、給湯器などを置くところ、写真の正面や右の、外側と内側を隔てる壁の板の厚さは30ミリ、左の壁の格安の板は12ミリ弱。大違いですが、何とか様になっています。


遜色がないとは言えませんが、年月が色を深めてくれることを期待します。
しかし、使ったのはたった2束ほど、あとをどうするんだぁ!





 

2021年11月24日水曜日

今年の秋は早く来ている!

便利なのかどうか、いつかはコケるときがくるのかどうか、デジカメを使いはじめた2000年ころからの写真はすべて、グーグルフォトというのに収録されていています。
そのグーグルフォトを開くと、最近では1年前の写真、2年前の写真などがトップに表示されるようになりました。だからどうってことはないのですが、景色の写真などが現れると、今年と比べてしまいます。


左が2年前のカツラの木、右が今日のカツラの木、今年は秋が暖かかったのに、落葉が早かったようです。


左が1年前のナンキンハゼ、右が今日のナンキンハゼ、昨年はオレンジ色にしかならなかったけれど、今年のナンキンハゼは真っ赤に紅葉して、すでに半分以上散りました。


一年前のケヤキはだいぶ葉を落としていますが、まだ残っています。


そして今朝のケヤキ。見た目にはもっと散っています。
長い間をかけてちょろちょろと葉を落とすので、何度も掃き寄せなくてはなりません。ひと風吹けば落ちると思われますが、このところ風も吹かない小春日和が続いています。


 



2021年11月22日月曜日

廿日市張り子の鯛車


広島県廿日市市の張り子の鯛車です。
廿日市張り子は、お面を別にすると赤ものが多く、その赤はちょっと黒みがかった赤です。

ブログ「「はつかいち」ぶらり」からお借りしました

廿日市張り子は、元禄のころ大津から移住した大津屋清右衛門によって創始され、二代目の清蔵が伏見で人形を習って、さらに独特の意匠を加え、今日に至ったものと伝えられています。
おぼこ人形、獅子頭、鯛車のほかに、おかめひょっとこ、天狗、狐など、いろいろなお面があります。


これは七代目の大島都美子さんのつくったもので、台座の長さが25センチあります。
廿日市張り子は、薄い大竹産の手漉き和紙を何枚も張り重ねてつくる、手間のかかるものです。
広島ではよい和紙が生産されていたのか、廿日市張り子のほか、広島張り子、常石張り子などがあります。


左から、鹿児島神宮の木の鯛車、広島廿日市の張り子の鯛車、新潟三条の竹ひごに紙を張った鯛車、そして手前は埼玉県鴻巣の練りものの鯛車、いろいろな地域でいろいろな素材と方法で鯛車がつくられましたが、どれも子どもの健やかな成長や病気平癒を願ったものでした。

広島の張り子のことを書いていて、ふと、小さいころの秋祭りの鬼の面のことを思い出しました。
私の育った岡山県倉敷市の片田舎では、10月13日の秋祭りの日、あちこちに鬼が出ました。家にこもっていれば怖くないのですが、怖いもの見たさに外に出ては、鬼に追いかけられて必死で逃げたものでした。鬼は、長い髪のついた面をかぶり、赤鬼、青鬼などの衣装を着て、棍棒を持って歩き回り、子どもを見かけると追いかけました。
何歳ごろだったか、追いかけられて肝をつぶしていたら鬼がお面を外し、それが同級生で、ほかの鬼を見かけたかどうか訊かれて、びっくりしたことがありました。鬼になっていたのは、小学校高学年から二十歳前くらいまでの男性だったのでしょう。

近くの茶屋町にはまだ鬼祭りが残っている。私の村の鬼もこんな鬼でした。

あの鬼も、今考えると広義のお面でした。当時、男の子のいる家にはお面や衣装一式があって、それをつけていたとすると、お面はいったいどこでつくられたものか、どこで買ったものか、これまで一度も考えたことがありませんでしたが、近くの張り子製作者がつくっていたのかもしれません。

ちなみに、学生時代に何度か郷土玩具を訪ねる旅に一緒に出掛けたさっちゃんとやすこさんと、京都を訪ねたあと、倉敷に足を延ばして祖母の家に泊まったことがありました。倉敷の民藝館を訪ねるのが目的だったのですが、さっちゃんが「倉敷張り子の制作者を訪ねたい」というのでついて行ったら、なんとかつて訪ねたこともある同級生の家で、びっくりした私はなぜか双方にそのことを話さず、まったく知らんぷりをして、通してしまいました。

すいんきょ面

当時、倉敷には倉敷張り子があり、阿智神社の「すいんきょ祭り」のすいんきょ面も倉敷張り子の制作者がつくっていることは知ってはいましたが、それをつくっているのがまさか友人の家だったなんて、まったく知りませんでした。
私が小さいころ肝をつぶしていた鬼の面も、もしかしたらその友人宅でつくられていたのかもしれません。



 

2021年11月21日日曜日

おもちゃちまちま

家にはものがあふれているのに、相変わらず骨董市に出かけています。
いつもより1時間ほど遅く行くと、時間が違ったせいか、あるいはコロナの蔓延に少し終息の気配が見えて人出が多くなったのか、駐車場がいっぱいで、手間取りました。
嬉しいのは、おもちゃ骨董のさわださんが、目を傷めていたミニチュアダックスのミルキーを連れてきていたことでした。片目はもう見えないらしいのですが、眼球摘出しないで、膿もすっかり取れて、ミルキーは元気にしていました。


そんなさわださんの100円均一ボックスに、機関車や消防自動車の仲間に違いない、ゼンマイ仕掛けの救急車と戦車と乗用車がありました。状態がよかったら欲しかったのですが、どれも錆びて汚れたり傷ついたりしていていました。少しだけましな乗用車のネジを巻いてみたのですが、動きませんでした。


イソジンのカバは、カバコレクションのヒポミさんは持っているに違いないものですが、いくつあっても嬉しいだろうと買いました。


イ草の人形も100円均一の箱の中にいました。頭はこけしのように木の玉でできていて、帽子と手に持つ籠は細かく編んで仕上げています。上半身はイ草を三つ編みにして巻きつけているだけですが、手や胸の感じがよく出ています。
籠の中と帽子に飾ってある花を見ると、この人形が日本製であることがわかります。


さて、さわださんに勧められたのは、猫のハッカパイプでした。


なかなか猫らしい猫です。


ずっと前に買った、右のハッカパイプの方が地味なので、古いものなのでしょう。








2021年11月20日土曜日

役割分担


夫はしばらく前から、水道の配管と電気の配線をやっています。
これは、台所のシンクを設置する場所です。


そして、ここはお風呂です。


水道の配管は終わって、電気配線にかかり、それもほぼ終わりました。
願わくば、毎日掃除しながら作業して欲しいのですが、掃除の時間を惜しんで作業して、最後にまとめて掃除するというのが、夫のスタイルです。


私にとっては、配管も配線もちんぷんかんぷんです。
それに、壁や床を仕上げる前に仕込んでおくというのが、いま一つ頭が回りません。


作業するときは、似たもの夫婦ではなくて、全然違うことを得意としている(苦手としていない)ことで救われています。
私はしこしこと壁を張っていて、両脇に隙間ができないよう板を1枚1枚あてて微調整して、ぴったりと収めていくのが嫌いではありません。
夫なら、早く結果を見たがるので、まず揃えて切って、多少の隙間など気にせず、さっさと片づけてしまうことでしょう。


というわけで、今日も同じ場所で、違うことをやっています。






 

2021年11月19日金曜日

深まる秋


朝晩、しっかり冷え込むようになりました。


干し柿はカビも生えず、私的には美味しく仕上がりました。