2012年4月30日月曜日

はじめてのおつかい


『はじめてのおつかい』 という絵本があります。福音館書店のこどものともの240号で、筒井頼子さく、林明子え、1976年に出版されています。
小さい女の子のみいちゃんが、赤ちゃんの世話で手の離せないお母さんに代わって、初めて牛乳を買いに行くお話です。


みいちゃんのドキドキが伝わってきて、息子たちと楽しんだ本でした。


いつだったか、タイ語の海賊版の、『はじめてのおつかい』を見つけました。
海賊版ゆえか、発行年月日が書いてありませんが、1990年代初頭から半ばにかけてのものだと思います。
タイでは、1980年代初頭には、タイ語の絵本はほとんどありませんでした。本屋さえも、あまりありませんでした。しかし、90年代後半には本屋が増え、タイの作家が描いた大型の豪華な絵本も次々と出版されていました。

これはそのはざまに出版されたものと思われます。


タイ語版、『はじめてのおつかい』は小さい本で、5バーツと、買いやすい値段がついています。


もちろん、中はそっくり同じです。


原題が『あさえとちいさいいもうと』(福音館書店のこどものとも、筒井頼子さく、林明子え、1982年)は、タイ語版では『いもうとがいなくなった(ノーンハーイ)』 という本になっています。
『いもうとがいなくなった』だけではなく、裏表紙を見ると、このシリーズがあと二冊あり、合計四冊のセットになっているようです。 

日本語の『あさえとちいさいいもうと』が発行されたころには、私たち家族は日本にいませんでしたし、帰国後の息子たちは大きくなっていて、「こどものとも」の定期購読はしなかったので、我が家には、『はじめてのおつかい』しかありません。


タイでは、ドラえもんやDr.スランプなど、漫画の海賊版はよく見ましたが、絵本の海賊版はあまり見たことがありません。訳者が、よっぽどこのシリーズが好きで、タイの子どもたちにも見せてやりたいと思ったのでしょう。
なかなかよい選択だったと思います。

こういうとき、作者は憤るのでしょうか?喜ぶのでしょうか?
当事者でない私は、こんなかわいい本がタイの子どもにも読めてよかったと思いました。


2012年4月29日日曜日

眠る前の楽しみ


ベッドサイドテーブルに、今乗っている本です。昨日今日乗ったものではなく、もうずいぶん前から乗っています。
その日の気分で、手を伸ばす本が違います。どれも眠りに入るにはうってつけ、二ページくらいで眠くなり、閉じてしまうこともあります。
面白くても数ページで眠くなるので、なかなか読み進みません。


その前には、こんな本が乗っていました。
すごく面白いのに、やはり一晩に読むのは数ページだけ。全部読み終わるまでに半年以上かかったのではないかと思います。

脳味噌が硬くなりかけているのかもしれません。


合間合間に手に取るこんな本は、早く寝なくてはと思いながら、二、三日で読んでしまい、何度か見返したりしたあと、本棚へと移動させます。
サイドテーブルの上に長くは滞在しません。


そして、こんな本になると、ついつい、
「もう少しだから」
と自分に言い訳しながら、一晩で読み切ってしまい、眠るつもりが目が冴えたりします。

どちらの種類の本も楽しんでいる、と言っていいのでしょうか。
『髪結い伊三次捕物余話』、早く次が出ないかなぁ。



2012年4月28日土曜日

手織り布の上着


ガーナの、アシャンティ人の古い都クマシの常設市場は、西アフリカ最大とも、アフリカ最大ともいわれる規模のものでした。
入口が正門と裏門と二ヶ所ありましたが、裏門のあたりがほんの少々小高くなっていて、市場の一部が見渡せました。どこまでもトタン屋根が連なっていて、低い屋根の向こうにもまた市場の屋根が見えました。
そんなに広いのに、大きな荷物を頭に乗せて運ぶ人、行商人、買い物客などで、迷路のような小道は、いつもごったがえしていました。

喧騒の市場の中で、ちょっとだけ人けが少ない一角がありました。裏門からあまり遠くないところ、北からきた商人(ハウサ人など)たちの店が並んでいたあたりでした。手織りの毛布、カラバッシュ(ひょうたん)の器や匙など、アフリカの北部や中央部の産物を売っていましたが、その中には、いつ通っても閉まっている店もありました。

ある日、いつも閉まっている店が珍しく開いていたので足を止めると、手織り、草木染めのシャツが目につきました。


シャツは、手つむぎの糸を藍の濃淡に染め、地機(じばた、いざり機)で縞の細い布に織り上げ、それをつなぎ合わせて仕立てたものでした。

もとより、手織りの布は大好きですから、市場で売られていた布はだいたいチェック済みでした。いつもではありませんが、ときどき見かけたのは、約10センチ幅という、細いリボンのような布を、折り畳んで売っているものでした。
でも、藍か白一色のものばかりで、藍の縞布を見たのは、そのときが初めてでした。

また、別の店で、手織りの幅の細い布で仕立てたシャツを見かけたこともありました。シャツはどれも白地に黒や藍の縞が入った布でできていて、袖がついていないものでした。


このシャツは胸幅たっぷりにつくってある上に、さらに裾の方で斜め布を足して広くしてありました。


買った当時は、ニジェールあたりのものではないかと勝手に推測していたのですが、後に『COSTUME PATTERNS AND DESIGNS』(LONDON・A. ZWEMMER LTD.1956)を手に入れてから、細い布をつなぎ合わせて、裾に三角布を足してフレヤーを入れた上着のルーツは、東アフリカのスーダンにあったと知りました。
似たものが載っていたのです。右側の袖なしのシャツです。
市場で、袖なしのシャツをよく見かけたはずでした。袖なしの方が原型だったのです。
もっとも、原型はスーダンですが、市場で見たシャツそのものは、別のもっと近い地域、ニジェール、ナイジェリアあたりでつくられたものかもしれません。
左の衣装もスーダンのものです。
細い布をつなぎ合わせて、丈がくるぶしまであり、手は袖にすっぽり隠れてしまう、男性用のワンピースです。肩にひだをとって、袖の長さを調節して着ます。そのひだの取り具合で、粋に、かっこよく見せることができるのでしょう。
胸の手刺繍が見事です。手刺繍は、ミシンの普及によって、私たちがアフリカにいた1960年代後半にはもう消えたか、消えようとしていた思われます。

ちなみに、アフリカ大陸のほとんどの地域で、織物や、ミシンを使っての仕立てなどは、男性の仕事です。


市場で見つけたシャツは、もちろんミシン仕立てです。
そして、胸元のミシン刺繍も雑ですが、スーダンのワンピースの流れをくんでいるものだとわかります。


藍染めのシャツだけでなく、その店には赤い縞のシャツもありました。選り取り見取り、シャツがたくさんあったのではなく、青いシャツが一枚、赤いシャツが一枚あったきりでした。
赤いシャツは、それまで見たことのない、おしゃれな配色にびっくりしました。
 
あれから数十年。かつてはこのシャツを、ジーパンと合わせて、よく着ました。夏はTシャツの上に、寒い季節には、セーターと重ね着したりもしました。
藍色のシャツはおもに夫が、赤いシャツはおもに私が着ていました。

赤いシャツは、白い配色布が目ざわりで、取ってしまおうと思ったことが、何度かありました。
重ね着するときは、色が少ない方が合わせやすいものです。
もともと男性用につくられ、ただでさえ胸幅がたっぷりにできているので、裾も広すぎたくらい、さらに広げるための布は必要ありませんでした。

だのに、手を入れるのがためらわれ、いまでもそのときのままになっています。




2012年4月27日金曜日

カフィーヤ


カフィーヤといえば、もちろん、すぐ「アラブ世界」を連想します。

カフィーヤの上に、輪っかイガールを乗せたりしますが、イガールを乗せるのは年を重ねた長老だけです。

カフィーヤには、ルーズなワンピースがよく似合います。カフィーヤに背広姿の人もいますが、個人的にはあまり似合わないと思います。パレスチナの故アラファト議長は、いつも黒白のカフィーヤを離しませんでしたが背広姿(洋装)でした。

カフィーヤを脱ぎ捨てる男性を目撃したことはありませんが、外や居間では絶対取らないスカーフを、奥の部屋でぱらりととったおばあちゃんを見たことがあります。 長いお下げ髪が揺れて、どきっとするほどセクシーでした。
男性もそうなのでしょうか?それとも、貧相になるだけでしょうか?たぶん後者でしょう。


カフィーヤは木綿の織物です。
プリントではなく、格子でもなく、織った糸で模様を出している、複雑なつくりの布です。


左側は同じ布の表、右側は裏です。
赤い糸は布の表だけを行き来して、表だけに模様が出るようにつくってあります。


紅白のカフィーヤは、ヨルダン、サウジアラビアなどで使われています。

私は、紅白のカフィーヤしか持っていません。
故アラファト議長の写真を見ると納得がいくと思いますが、黒白のカフィーヤは、紅白のカフィーヤと比べると模様が大きくて、その分布の厚みも薄くて、なんとなくつくりも雑、つまりあまり美しくないのです。

驚くことに、ほとんどのカフィーヤが日本で織られていると聞きました。でも、最初から日本でつくられていたわけがありません。
では、それ以前はどこでつくられていたのでしょう?


昔は、今でもサウジアラビアで使われているカフィーヤのように無地の布、それもどんな布でも使われていたのでしょうか。

写真は、『COSTUME PATTERNS AND DESIGNS』 (LONDON・A. ZWEMMER LTD.1956)のもの、シナイ半島の遊牧民ベドウィンの姿です。
かっこいいこと!


あるいは、簡単な、手織りでつくれるような格子柄もあったかもしれません。
同じく『COSTUME PATTERNS AND DESIGNS』の、イラクの男性は、今のものと変わらないようなカフィーヤをかぶっています(後ろの服はイエメンの女性のドレス)。いつから、今のようなものになったのか、どこでつくりはじめたのか、興味津々ですが知りません。

ちなみにパレスチナで女性がかぶる、白いスカーフも、二十年ほど前には、衣料品店の店主の話では日本製のものがほとんどでした。
もっとも、今ごろはどこか、繊維産業の盛んな別の国製のカフィーヤやスカーフに取って代わられているかもしれません。

昼夜の寒暖の差の激しい砂漠地帯で、熱い陽ざしを避けるために頭に巻き、汗ふきになり、夜は保温もしてくれるカフィーヤは、アラブ地域にぴったりの布です。


2012年4月26日木曜日

クリスタルな猫


ガラスが好き、招き猫も好きですが、ガラスの猫となるとどうでしょうか。


かつての仕事場の近くの、クリスタルガラス屋さんで見つけた、格調高い(?)ガラスの招き猫です。いったいどこでつくられたものでしょうか?
ガラスに金色がよく似合います。


これは、どう見ても中国でつくられた親子猫です。
日本生まれの招き猫を真似てつくっているというのに、中国でできたものは(フィギュアなどを除いて)、なんとなく中国らしい表情をしているのが、おもしろいところです。


では、この猫たちは?
招き猫ではないものは、どこでつくられたものか、さっぱりわかりません。
素敵で繊細なつくり、昔、元同僚のHさんにいただいたものです。


これ?
紛れ込んで、ガラスの振りをしていますが、プラスティック製です。


2012年4月25日水曜日

座繰り機


三十年ほど前に、確か益子の骨董屋さんで見つけた、織物の周辺道具です。


糸巻き機であることは知っていましたが、蚕の繭を煮て糸を繰るための座繰り機だとは、ごく最近の新聞記事を見るまで、知りませんでした。

繭を煮ての糸繰りは、タイで何度も見ましたが、結びつきませんでした。というのは、タイでは巻き取りながら撚りもかけているからです。

この座繰り機で糸を巻きとっても、たぶん撚りがかからないのではないか。では撚りはどうやってかけるのだろう?もう一度、糸繰り機にかけるのだろうか?
新聞に載っていた方を訪ねて、聞いてみたいと思うほど、疑問が残ります。
 

この座繰り機は、すべて木(と竹)でできています。鉄釘一本使っていません。木組みと、木釘、竹釘だけです。
左右に動いて、糸を糸巻きに均等に送るための竹のガイドだけが折れていたので、つくりなおしました。



新聞に載っている座繰り機は、下の部分の覆いがないか、とれてしまっているものでしょうか?中が見えています。
これは閉じてありますが、全部開けられるようになってもいます。左の箱の中には、木の歯車が入っています。


左手でハンドルを回しながら、右手は繭から取れる糸一本一本を調節しながら巻き取ります。

織物の道具には、美しくて機能的なものが多いのですが、この座繰り機も、昔の大工さんの腕の確かさに、ただただ感心するばかりです。



2012年4月24日火曜日

私たちの小さかったとき


『母さんの小さかったとき』 (越智登代子文、ながたはるみ絵、福音館書店、1988)という絵本があります。


私と同世代か、ちょっと若いくらい。
生活や遊びは重なります。



『父さんのちいさかったとき』 (塩野米松文、松岡達英絵、福音館書店、1988年)という絵本もあります。


これらの本を見ると、子どもの遊びは、選択、決断、共同、工夫、創作、我慢、反省などを訓練する場であったことがわかります。



いま、社会全体が子どもから遊ぶ時間や遊ぶ環境を奪い、働く時間や働く環境も奪い、小さいころはすべてのレールを敷いてやり、進路を決める年頃になって、いきなり、
「自分で考えなさい」
とか、
「自分で決めなさい」
などと言っても、できっこないなあと思ってしまいます。




2012年4月23日月曜日

小さい金魚



ままごとの調理台をはなちゃんに届けました。
所用を済ませて、再び立ち「寄ってみると、はなちゃんはすっかり料理人になっていました。
シンクに見立てたボウルは、シンクになったり、ボウルになったり。お鍋類は、持ってゆすることのできる、フライパン型が一番人気のようです。

これは、お父さんに買ってもらった、ビー玉やおはじきを泡だて器でかきまぜているところです。


そのはなちゃんから、金魚をもらいました。


柔らかくて、ゼリーのようなつまむと弾力のある材料でできた金魚です。


ガラスのゼリーの型に、よく似合います。


 「吉岡医院」の薬ビンにも似合います。


でも、ほかの金魚や鯉と一緒が一番いいかもしれません。

セルロイドの金魚や鯉を入れていたガラス皿lは、先の地震で、粉々に割れてしまいました。しかたなく、今はやはり地震で蓋が割れたシャーレに移り住んでいます。
そのとき、鴨もちょっと傷を負いました。


はなちゃんのおとうさんの口添えで、遊ばないからと、こんなものももらいました。
こびとづかんというものでしょうか?



2012年4月22日日曜日

ストーブ周りの鍛冶仕事

 やっと暖かくなり、ストーブの出番もなくなりました。
次の冬用の薪は十分ですが、その次の冬用の薪集めを、そろそろ考えなくてはなりません。

我が家の薪ストーブは鋳物ではなくて、鍛冶仕事でつくられた鉄板のストーブです。


鍛冶仕事には鍛冶仕事のものがよく似合います。
インドの調理器具たちは、 別々な店から別々なときに来ましたが、一緒に灰掻きをしています。



そして、ずいぶん前にやってきたインドの鉄のバケツに、一緒に収まっています。
もし、全部が同じ地方でつくられたものだとしたら、おもしろいことです。はるばる旅して、心細い思いをしていたら、同郷のものたちと、我が家で再会したのですから。


灰掻き用のもう少し大きなスコップは、イギリスのものです。
庭仕事というより、石炭をすくったりするのに使われていたものでしょうか?


そして、灰を入れる鉄のバケツは日本のもの。
重いし、水を入れれば錆びてしまいそうだし、いったい何に使われていたバケツでしょうか?

これら鍛冶仕事のものたち、しっくりなじんでいます。