2025年7月3日木曜日

箕の妖怪笛

毎月3日は箕研究会の定めた「箕の日」、門外の私が箕の日に勝手に協賛です。

青森県の下川原土人形は、人形のどれもが土笛になっているのが特徴です。その昔、幼児の「疳の虫」は土をなめるとなおると言われ、日本各地で土笛が発達しました。


下川原土人形の七代目の高谷智治さんが、高谷家二代目の金松さん、二代目の弟の亀松さん、初代の甥の大田久太郎(明治期)さんの創作された型から起こした妖怪たちです。
角樽妖怪、 袋妖怪、化け猫、唐傘妖怪、カッパ妖怪、コウモリ妖怪、かぼちゃ妖怪、鍋妖怪、すり鉢妖怪、俵妖怪などの土笛に交じって、箕の妖怪がいます。


箕の妖怪は、二代目の高谷金松(~明治32年(1899年))さんの型から起こしたものです。
妖怪たちは、想像上の生きものの河童を除いては、身近なものばかりです。箕の妖怪がいるということは、それだけ箕が生活の中で大きな役割を果たしていたということを、証明しています。
箕の妖怪は手に角樽を持っています。角樽は、婚礼や結納などの慶事、新築祝い、開店祝い、還暦や米寿の祝いなどにも使われました。
赤いのが前垂れとしたら、箕の妖怪はおそらく女性、角樽を持って、いったいどこへ行こうとしていたのでしょうか?







2025年7月2日水曜日

ハチの巣ガード

女王蜂が一家を構える準備をする季節、スズメバチが庭のあちこちでぶんぶんしていました。あまり恐れる必要はないのですが、今年は室内で、生きているのも含めて4匹もスズメバチを見つけてしまい、刺されてもしまって、ちょっとうっとうしい。
とくにテラス建設中の息子の家の居間の前のクヌギはたくさんの樹液を出すので、スズメバチがわがもの顔で飛び回るので嫌がっていました。
「殺虫剤を買って来てくれる?」
「新聞紙を巣みたいな形にしてぶら下げたら、そこは他人の縄張りだと思って、スズメバチは来ないらしいよ」
「へぇ、そう。やってみるよ」


というわけで、息子が紙袋をぶら下げたらスズメバチはまったく来なくなりました。


スズメバチが来なくなったので、安心してミツバチたちが来ています(写せてないけれど)。
後日、
「ネットで見たら、提灯みたいな組み立て式のスズメバチ除けを売っているよ」
と息子。
「あら、そう」


値段も安いので、さっそく買ってみました。


針金の留め具を入れたら丸くなる、防水加工もされたスズメバチの巣もどき、ときおりスズメバチが飛んでいた母屋の窓の外にぶら下げてみました。


なんと効果抜群で、以来、まったくスズメバチの羽音がしなくなりました。
3個組みで買ったので息子にも1つ進呈したのですが、彼は相変わらず紙袋をぶら下げています。


10年ほど前まで毎年、ソフトボール大の巣が、軒下にいくつもつくられていました。スズメバチの巣は、最初は女王蜂が一匹だけでつくるもの、そのほとんどは働きバチを呼び込めず、飲まず食わずで働いた女王蜂は、過労であえなく命を落とします。
この数年、そんな巣を見ていません。どうもスズメバチたちには初夏の暑さがこたえているようです。

追記:

UPしてから気づきました。最後の写真、梁にセミの抜け殻がたくさん残っていますがこれは去年のもの、今年、まだセミは鳴いていません。




 

2025年7月1日火曜日

菅野さんの投稿から

友人であり、日本の現状の代弁者でもある菅野芳秀さんがFacebookに載せたものを、転載させていただきます。
友人、知人のみなさま
日刊ゲンダイのインタビューに応えたものが
記事になりました。
ざっくばらんに応えたものですので
読みやすいかと思います。
どうぞご笑覧ください。
菅野芳秀
(リード)
 全国から集結した約30台のトラクターが東京の繁華街を疾走した。3月末には総勢4500人が参加、各地に広がる一揆デモを率いて先頭に立ったのはこの人。山形・長井市で自然養鶏1000羽を飼育しながら、水田5㌶を耕す循環型農業を営む。身長191㌢、体重100㌔超。誇りを持って「百姓」を名乗る巨漢が、絶滅の危機にある日本農業の現実を切々と訴える。
(本文)
ーー生産者目線で小泉農政をどう評価しますか。
 あれが農政と言えるのかい? コメが高いの、安いの、それだけだ。5㌔=2000円前後の備蓄米放出は消費者向けの対症療法に過ぎない。生産者の環境は相も変わらず。去年より今年、今年より来年と確実に悪化していく。何も希望は持てない。あと5年もすれば日本のコメ作りは再建不能になる。深刻なんだ。
ーー危機の要因とは?
 百姓の絶対数が足りないんだよ。戦後の農地解放で誕生した475万戸の自作農が今や100万戸を切ろうとしている。私が26歳で帰郷・就農した時、集落にコメ農家は35軒あったけど、現在は9軒。離農に次ぐ離農だ。現役の重太郎さんは83歳、建ちゃんは85歳。75歳の私が冗談じゃなく「若手のホープ」と言っていいほど。日本のコメ農家は団塊の世代が中心だ。
ーー後継者不足の問題は深刻です。
「俺たちの代で終わり」と見限って皆、わが子を別の職に就かせている。ここ1年の米価高騰で、集荷時に農協が一時的に支払う「概算金」は60㌔=1万6000円程度。最終的に清算金が入って、2万5000円行けばいい方かな。それでも、わが子に「一緒にやろう」と言える額ではない。一時的に上昇しても、続かなければ無意味だ。
ーー根本的な解決にはなりませんよね。
「令和のコメ騒動」と言われる危機も、まず政府の減反政策が背景にあり、生産者の高齢化と生産力低下が重なった。改善するには「農業で暮らしていける」「所得補償を充実させる」というメッセージが必要だけど、それだけでは若者は耕地に帰ってこない。何より誰も信頼していないんだ、日本の農政を。失望と不信感は拭えないレベルに達しているのに、小泉農相が推し進めているのは、その場しのぎの人気取り策だけ。彼に抜本改革を実行するだけの力量があるとは思えない。
ーー備蓄米が底を突けば、ミニマムアクセス(最低輸入量)米の放出、さらにはコメの輸入枠拡大に道筋をつけたがっているようにも見えます。
 実に安直な政治だね。この国の豊かな水田を生かさず、なぜ海外に頼るのか。自国の農業を強化し、消費者を不安にさせない生産体制を構築すべきで、国民の食と命を支える国づくりの根幹を放棄したも同然だ。手っ取り早いからとアメリカや韓国から輸入し、今のコメ不足を補うことしか考えていない。政治の怠慢だ。まだトランプ米大統領の「自国第一」の方が、よっぽどマシ。日本も国際政治に左右されず、自給できる体制を築き上げなければいけない。
ーー一方で、政府は水田の集約・大規模化を奨励しています。
 水田は工場と違って引っ越せないんだ。コメ農家は与えられた自然環境と共に生き、工業のようにコストや効率だけでは割り切れない。ましてや、日本の国土面積の約7割は中山間地域。そこにコメの耕地面積、総生産者数、産出額のそれぞれ約4割が集中している。大規模化に適する平場の水田は限られ、今や中山間地域がフル回転しなければ1億人以上の食料は賄えない。効率最優先で平場の水田を集約しても、中山間地域が廃れてしまえば水は届かなくなる。山から里に水が流れるのは自明の理じゃないか。
ーー確かにそうです。
 コメ作りの半分は畔や水路の整備だ。放っておけば藻や水草がどんどん育つから、手入れは怠れない。他人に耕地を預けた高齢の元農家もボランティアで参加し、地域を挙げて手伝う。水田に水を引くことで洪水防止の機能も担っている。中山間地域の水田が荒れ放題になれば平場の水田も死ぬ。大規模農家や法人が遥かな山に分け入って水路を管理するのかい? 
ーー大規模化一辺倒の風潮は危ういですね。
 今の農水省は1反あたりナンボと利益しか求めない。でも志を持つ官僚はいるはずなんだ。過去に頼まれて、新規入省者のキャリア相手に講演したことがあったけど、農家出身が結構いたよ。両親を始め苦労の割に見返りが少ないから、何とか変えたいと語っていた。残念ながら、彼らが農政の中心に立っていないんじゃないか。農業を知らない官僚や世襲議員が中心で牛耳り、そろばん勘定の農政を無理やり現場に当てはめるようとする。だから農家はやっていけず、農業と地方が衰退していくんじゃないかな。

ーーコメ農家の時給は10円とも言われています。
 農水省はコメ農家の時給を直近の2023年で97円と公表している。その前は2年連続で10円だった。とても暮らしていける額じゃない。封建制の頃は「百姓は生かさず、殺さず」だったが、今や「生かすな、殺せ」だ。それでも農家を続けているじゃないかと言う人もいるが、平均70歳超では転職もムリ。それにコメ作りは単なるビジネスじゃない。だから、祖先が汗水垂らして守り抜いた水田を後世につなぐ使命感から、採算度外視でやってきた。それが百姓の暮らしとはいえ、この苦労を子どもたちに受け継がせたくはない。もう「タスキ」を渡す相手がいないんだ。羊かんを切ったようにプツンと後継者がいなくなる。縄文時代に始まったコメ作りの伝統と文化が途切れようとしている。まさに有史以来の危機だ。
ーーもはや日本のコメ作りは維持できないと?
 その土地、土地で習得した技術を磨きながら、地域の人々と連携して何百年、何千年と受け継がれてきた知恵の集積が消えようとしている。あと数年で耕作放棄地はどんどん増えていく。今も「いい田んぼだな」と思える土地がほったらかしだ。今さら減反政策を転換しても、にかわにコメは作れない。あと5年もすれば百姓が消え、村が消え、千年の知恵が消滅する。その後に若い新規就農者が現れたって何もできやしない。小泉農相は有史以来の危機を理解しているのか。「瑞穂の国」が滅びるってことだよ。
ーー克服には20~30年単位という相当な年月がかかりそうです。
 コメが足りなくなれば、よその国から買えばいいって、それは持続可能なのか。日本の経済力は衰退の一途だ。いずれ買い負けする。他国依存は食料危機へまっしぐらの倒錯した発想で、あり得ない。誰もが命は大切なのに、それを保障する食の持続性を真っ先に考えないと。いざとなれば、百姓は家族や友人を食わせるだけのコメを手作業でも作れるけど、大都市に暮らす人々はどうするのさ。真っ先に飢えるのは、都会に住む人たちだよ。それが食料危機の本質さ。餃子ライス?を注文すれば、いつでも出てくるって発想じゃあどうにもならない。
ーー消費者の意識も問われています。
 それでも農業に関心を持つ人が増えているのは嬉しい。小さな関心を機に、農家と直接つながってくれれば歓迎するけど、タダ働きするわけにはいかない。国は新規参入しやすいように欧米並みの所得補償を与え、小規模農家を国を挙げて支援する必要がある。
ーーそうすれば多様な担い手が生まれますね。
(ズボンのポケットから数珠を取り出し)実は時々、鹿児島・知覧の「特攻平和会館」に足を運ぶんだ。私はね、当時二十歳前後で散った青年たちの子ども世代。自分たちの死は無駄じゃない、と彼らが託した未来を生きる一人として、ふるさとの荒廃を前に何もできないのは申し訳が立たない。「お国のため」と言われ、犠牲となった人々を考えれば本当は使いたくない言葉だけど、あえて言うよ。今の日本は食と命の「国難」にある。百姓がまだ残っているうちに早く手を打たないと、この国は滅びる。だから「令和の百姓一揆」は命がけさ。ぜひ国会議員も超党派で農業の復興に取り組んでほしい。食と命の問題を政争の具にしてもらいたくはないね。

(プロフィル)

▽かんの・よしひで 1949年生まれ。百姓 在学時から成田空港建設に反対する三里塚闘争へ参加。老若男女が村を挙げて農地を守ろうとする姿に感化され、帰郷と就農を決意。1988年から家庭の生ゴミを堆肥化して育てた農産物を市民に供給する「レインボープラン」の礎を築き、世界42カ国から3万5千人以上が視察に訪れた。アジア農民交流センター共同代表 置賜自給圏推進機構共同代表 他。

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2025年6月30日月曜日

林道の清掃

日曜日に、1年に1度の集落あげての林道の清掃がありました。
林道には枯葉が積もって土になったり、草が生えたり、両側に生える木の枝が枯れて落ちて道をさえぎったりしています。
てっぺんから麓へと、草を刈り、木の枝を切り、それらを脇に片づけて、2本の道をきれいにしました。


16、7年前に集落のみんなでコンクリート打ちした林道は、2011年3月の地震であちこちひびが入ったり、陥没したり、ずれたりしています。


ひびの入った境目からは草が生え、陥没したところには枯葉が溜まって土となり、熊手できれいにする私たちをてこずらせます。


道路わきにサルナシの木があって、休憩中のみんなで盛り上がりました。
山には、山漆、ヒメコウゾ、タラの木、ウコギなどの有用な木や、センブリ、ゲンノショウコなどの薬草が生えていて、その昔はもっと身近な存在だったと思われますが、コンクリートの林道ができて便利になったはずの今では、ほとんど通る人もいません。


サルナシの食べごろは、もう少し先です。


サルナシは挿し木できるというので一枝もらってきました。根づくでしょうか?

刈り払い機の人、塵を吹き飛ばすブロアーの人、チェーンソーの人、そして鎌と熊手の人。いつも蓋を開けてみないとそのバランスが不明ですが、今年は刈り払い機の人が少なくて、熊手の人が6人もいました。






 

2025年6月29日日曜日

伝統模様のトクサル


持ち手つきの韓国のお菓子型(餅型、トクサル)です。


1本の木から彫り出して、大きな持ち手がついています。


片手ではなく、両手を使って押したものでしょうか。
この餅型も小麦粉のドウに押しつけてみました。


なんだか、とても韓国色の模様に見えます。


鳥の餅型(トクサル)でもやってみました。
どれもかわいい模様でした。

それにしても、韓国の餅菓子とはいったいどんなものなのでしょう? 餅、トッㇰは働いていたころ、近くの韓国料理屋街で食べましたが、餅菓子は食べたことがなかったような気がします。


『韓国 オモニの食卓』(崔知恩著、PARCO出版、2001年)には、お菓子のつくり方も載っています。
餅型を使ったお菓子は、2種類だけ掲載されていました。


黄色いお菓子(ソンファタシㇰ)は松の花粉とはちみつを混ぜて形づくったもの、黒いお菓子(フギㇺジャタシㇰ)は、黒ゴマの粉を容器に入れて蒸し、はちみつを混ぜてつくったもの、どちらも固まったら型から抜くとの記載があったので、厳密にはスタンプ形の餅型を使ったものではなかったようですが。

さて、余談ですが小麦粉のドウを捨てるのはもったいないので食べようと思ったとき、その昔、どこかの料理本に載っていた、ハンガリーのシチュー、グヤーシュ(トマト味のスープ)と一緒に食べる、シュペッツレという、うどんのようなものがあったのを思い出しました。


ちょうどハヤシライスをつくろうとしていたので、相性はぴったりだろうと思って、伸ばして細く切ったドウを茹でて、「シュペッツレもどき」をつくってみました。


しばらく寝かしたからか、塩を加えたからか、卵も油も入れてないのに「シュペッツレもどき」は腰があっておいしくできて、その日のハヤシライスにはぴったりでした。ずっと昔に一度だけつくったことがあったのですが、そのときはすいとんのようで粘りもなく、うどん粉団子っぽくて、あまりおいしくなかった記憶があります。
今回は我ながらよい出来栄え、ハヤシライスを食べるときは毎度「シュペッツレもどき」と一緒に食べてもいいと思われるほどでした。
ちなみにハヤシライスの「ハヤシ」は、「ハッシュドビーフ」が日本でなまって縮まったものですが、私はビーフを使わずいつも豚肉でつくっているので、ハヤシライスは「もどき」、シュペッツレも「もどき」の「もどき+もどき」料理でした。



 

2025年6月28日土曜日

金魚の餅型(トクサル)


金魚の模様を彫り出した韓国の餅型、トクサルです。
直径65ミリほど、はんこの形をしていてお菓子に押しつけて模様をつけます。
固いものの上でガリガリと抑えつけたのか、誤って上に重いものを落としたのか、もとはもっと尖っていただろう金魚の輪郭がちょっと傷んでいます。


それでも、この餅型の雰囲気は損なわれていません。


使い込まれた美しさがあります。

さて、金魚がどんな形でお菓子の上に現れるのかが気になったので、実際に餅型を使ってみようと、小麦粉(米粉だろうけれど)を水で練ってドウ(生地)をつくってみました。


丸めて、しばらく寝かせたドウに餅型を押しつけたら、ドウに弾力があるのでエッジは甘いものの、うろこも写されていないものの、金魚がしっかり見えました。








2025年6月27日金曜日

茅葺き屋根の家の絵


骨董市で水屋さんの店にペン画が置いてありました。
これは、こんな風景が当たり前の時代に描かれたものだろうか、それとも茅葺き屋根など珍しくなってから描かれたものだろうかと見ていると、他のお客さんと話していた水屋さんがやって来て、
「これは版画じゃなくて描いたものらしいね。額縁を替えたらよくなるんじゃないかな。500円だけど」
と言いました。


500円なら資料(何の資料?)としていいんじゃないと買って来て、しげしげと見ると、家だか納屋だかは相当傷んでいるので、もうこんな風景がまれになってから描かれたものだろうと思いました。


額縁は画用紙用のシンプルなのに替えて、額縁に入っていた厚紙を切って縁に回してみました。
でもなぁ、絵を飾れるような壁はないし、もし絵を飾るとすると母の遺した浮世絵おもちゃ絵の方がずっといいしで、この絵はお蔵入りになりました。
ちなみに、作者は青柳博さんという方です。