2019年1月22日火曜日

我が家の写真をいただきました

昨年6月に我が家で映画上映会を開催したとき、陶芸家Kさんと一緒に映画を観に来られた方が、先日、我が家を撮った写真を送ってくださいました。
自分では考えてもみないアングルからの写真もあり、なかなか新鮮でした。


寝室から中庭を見ています。
カメラを目の高さより高いくらいにして撮ったようでした。


玄関の階段室、コンクリートをはつった壁と、階段の影が素敵に写されています。


これは階段の踊り場、壁越しに二階の招き猫の展示室が見え、踊り場の細長い窓からは外が見えています。



居間のテラスからの足尾山です。
夕焼けの空が美しい時など、必ずここでカメラを構えてみる、見慣れた場所ですが、自分で撮るのとなんだか違って見えます。
自分で撮るときは、いつも空をいっぱいに入れようとして、目の前の木を見てなかったでしょうか?


ほぼ同じアングルで撮ってみたら、残念ながらきれいじゃありませんでした。季節のせいばかりではないでしょう。


さて、最後は夫が昨夜撮った写真です。
文字も読めそうな明るい夜でした。






2019年1月21日月曜日

お年賀だって!


骨董市でおもちゃ骨董のさわださんの店に行くと、
「はい、お年賀」
と、私が小さいころでさえ見たことがないような、古風なポチ袋を渡されました。


ぺらぺらの黄ばんだ紙に、赤と緑の二色印刷が、ずれています。
「お得意さんに配ってるんだ。開けてみて」
月平均にして、せいぜい500円くらいしか買わず、そのわりにはいつも店の前で時間をつぶしている私は、お得意さんの範疇に入るでしょうか?


開けて見ると、招き猫と小判が入っていました。
「猫に小判、なんちゃって。お得意さんじゃない人にはセットで300円で売っているんだ」
さりげなく、値段をつけ加えるのも忘れないさわださんです。


小判は、お正月の繭玉飾りの一部のようで、上部に小さい穴が開いています。
「お店の写真撮ってもいい?」
「ああ、いいよ」


というわけで、初めてさわださんのお店の写真を撮りました。
いただいたのと同じ招き猫は、小さい、小さい。


しばらく前に成田山の近くの店から大量に出たという、成田山グッズ、まだまだいっぱいあるようです。

「ミルキー」
と優しい声で呼んでいると思ったら、どうやらミルキーと一緒に写真に写る気のようです。


ミルキーは三歳の時に椎間板ヘルニアになって、以来もう6年も下半身不随です。
「寒いねぇ、ミルキー」
と、ミルキーに挨拶すると、
「寒くないよなぁ、これ暖かいんだよ」
と、さわださんはむきになって、ミルキーのコートと毛布の袋を誇ります。


お年賀をもらっただけじゃ申し訳ないと、だるまを抱いた童子をいただきました。
でも頭が変、布をかぶせてあります。
「なんだろうねぇ?」


「もとはお獅子でも被っていたとか?」
頭巾をかぶっているとも思えないし、なんとも不思議な頭です。


観光地のお土産でもなさそうだし、射的の的でもなさそうだし、いったい誰向けにつくられたものなのでしょう?
もっとも、人形はそんなのが多いのですが。


ブリキの車、ベーゴマ、定番のビー玉やおはじき、石けり。そして、鍵の手になった右の方には、小さなこけしや人形など、昔の土産ものが箱に入って置いてあります。







2019年1月20日日曜日

ドイツの職人の衣装


ドイツの方と結婚されてドイツに住んでいらっしゃるM.Aさんが、『Trachten der Berg=und Huettenleute』という本を一時帰国の時に持って帰られ、送ってくださいました。
ドイツの山(鉱山)に住む、昔の職人さんたちの衣装の本です。
本は1954年に出版されていますが、M.Aさんが私のために紙箱に貼ってくださったらしいラベルには、1957年、西ドイツのGHH社に出張のおり、貰ってきたものと記されています。
ちなみに、GHH社とは、ルール地方の町オーバーハウゼンの、製鉄業の中心を担ったグーテホフヌングスヒュッテ社のことで、日本の近代製鉄業とも深い関連を有しています。

敗戦後10年も経っていないドイツで、山(鉱山)に住む労働者たちの服装を描いた豪華本がなぜ出版されたのか、1957年に西ドイツに出張されてGHH社からこの本を貰ったM.Aさんゆかりの方はどなたなのか、そして、由緒ある古い本をM.Aさんがなぜ私にくださろうと思ったのかなど、すべては謎ですが、本が手元にやってきました。


箱の中には革表紙の、模様が刻印され、金で装飾してある、ヨーロッパ独特の装丁の本が入っていました。



開いてみると、本と絵は別になっていて、絵は26枚あり、一枚一枚がばらばらになっています。額装もできるようにとの配慮でしょうか。
当時のドイツのカラー印刷技術がとても発達していたのがわかる仕上がり、厚手の画用紙のような紙はとても立派で、色も大変美しく印刷されています。
日本のカラー印刷の技術は、1960年代に入ってもまだまだでした。


絵を収めている折り返しの部分や、裏表紙にはすべて麻布を貼ってあります。
M.Aさんが、何枚かについては、本の中の小見出し部分に鉛筆で日本語を書きつけてくれていましたが、本文はすべてドイツ語なので残念ながら詳細はわかりません。ただ、服装は1830年前後のもののようです。もしかしたら、その時代に描かれた本(絵)を複製したのかもしれません。ちなみに、1830年代は歌川広重と同時代です。
本が出版された当時は、ドイツ各地については知りませんが、東ドイツのエルツ地方などでは、とっくに鉱物資源は掘りつくされてしまっていました。


説明書きを見なくてもわかるのは、炭鉱夫の作業着です。
首から、生きたカナリアを下げています。

1928年。カナリアを手に持つ炭鉱夫

カナリアは、無臭でも危険な一酸化炭素などの毒ガスが発生すると察知し、さえずるのをやめるので、鉱山の坑道に入る人の必需品でした。
今では探知機を使っているようですが、オーム真理教事件の捜査の時も。捜査官はカナリアを使っていました。

この本に収められている絵のほとんどは、パレード(お祭りか?)の時の衣装で、作業着は数枚しかありませんでしたが、パレードの衣装の絵を見ると、1800年当時、ドイツで鉱物は貴重なもので、鉱山で働く人は国の誇りだったらしいことがわかります。


ザクセンの炭鉱労働者が、パレードの時に着た服装です。
ザクセンはドイツの東端にあり、南はチェコ、東はポーランドと接しています。エルツの北です。


山の鍛冶屋さんの、パレードの衣装。


山のレンガを積む石工さんの、パレードの衣装。


冶金屋さんの作業着。
上三枚の写真のエプロンは、動物の革でしょうか?


そして、冶金屋さんのパレードの時の衣装。


金属を水銀と化合させ、アマルガムをつくる職人さんの作業着。


そして、アマルガム職人のパレードの時の衣装。


こちらは、若い藍染屋さんの、パレードの時の衣装です。


そして、藍染屋さんの長老の衣装。
藍染屋さんは藍の衣装を着ているのが面白いところです。
しかし、これまでの、職人さんたちはみんな袖がゆったりしている着やすそうな服を着ているというのに、長老は腕で切り替えてあるというものの、わりとぴったりした袖の服を着ています。
長老にこそ、ゆったりした服を着せてあげたいものですが、長老と言っても、もしかしたら50歳くらいかもしれません。

というわけで、その絵の一部を紹介しましたが、他にも橋を架ける職人さん、精錬工、救助従事者などの、いろいろな職業の人の服装が紹介されていました。もっとも、どれもパレードの時の衣装です。

日本では1900年代になっても炭鉱の中ではふんどし一つで働いたというのに、それに比べると1800年代のドイツの鉱山の服装は優雅に見えますが、実際はどうだったのでしょう?

橋づくり職人の長老

背景に鉱山や煙が描かれていたりして、服装以外にも楽しめますが、この絵には、足元に一株のタンポポが描かれていました。






2019年1月19日土曜日

よき友

暮れからお正月にかけて読んだ、何冊かの本です。


11月に、『風と行く者』(上橋菜穂子著、偕成社、2018年)、「守り人シリーズ」の新刊が出ました。
実は昨年の秋、息子が、数年前に持って行っていた数冊の「守り人」を送り返してきたのを、つい手に取って読んだのが運の尽き、久しぶりに全巻(12巻!)読み返したばかりだったので、思いがけず続巻が出て、バルサの世界に続けて入ることができました。
私は、同じ本を何度も読み直すので、時間の浪費以外の何ものでもありません。でも、生きることも、時間の浪費と言えば浪費なので、他人よ笑わば笑え、これからも楽しく読み返すつもりです。
他にも、時折読み返したくなる本は、ローズマリ・サトクリフや、ル=グウィンなどです。


『乙嫁語り』(森薫著、ハルタコミックス、2018年)の11巻が12月に出ました。
相変わらずの、細部まで描き込んだ絵を楽しみました。


お正月明けに、お年賀といって、北海道ののらさんが送ってくれたのは、『ものづくりに生きる』(小関智弘著、岩波ジュニア新書、1999年)でした。
私が好きそうだから、と選んでくれたようでしたが、なるほどぴったり、あっという間に読んでしまいました。
旋盤工の古関さんが、おもに東京都大田区の町工場で働く、交流のあった職人さんや取材した職人さんについて書いた本です。
私など、到底見ることのできない世界、百万分の1ミリという単位で仕事をする世界、大工で言えば宮大工のような世界で、精密機械や大型機器の金型の、その金型や木型をつくる人の話、あるいは、一つ何百万円もするような金型を溶接で修理する人の話、絞ってつくるロケットの頭や、巨大レンズなどの制作秘話など、どんなに機械化が進んでも、最後の決め手は人であるということ、とても面白く読みました。

小さなネジの話も面白かった、今では機械化され、金属棒を切って成形するので、寸分たがわぬネジが量産されているはずですが、大田区の町工場のみんなで、自社でつくったネジを持ち寄り、それを混ぜてどれが自社のネジかを当てるとなると、全員が自社のネジを言い当てたというものです。つまり、出てはいけない個性まで出てしまう、それほど、機械を使いながらも、人の存在は大きいということでした。
また、名人ほど技を隠さないで、惜しみなく技術を後進に見せたり伝えたりすることなど、なるほど、なるほどと思いながら読みました。
古関さんがただのライターではなく、旋盤工であるが故の言葉の重みを感じる、とてもいい本でした。


正月明けに、益子の古道具+古書屋の「内町工場」で買ったのは、『バーナード・リーチ 日本絵日記』(講談社学術文庫、2002年)でした。
内町工場には、古道具の場所まで、古書が増殖していました。訊くと、暮れにたくさんの本の持ち込みがあったということ、大掃除をして、本を処分する気になった人がいっぱいいたに違いありません。こんなところにも、本離れが進んでいるのが見えて、ちょっと寂しい思いがしました。

『日本絵日記』は、バーナード・リーチが、もともとはイギリスの人に向けた、日本滞在記です。
1952年に、戦後では初来日したリーチは1年以上滞在し、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎などとの旧交を温めながら、各地を巡って講演したり、焼きものを制作したりしています。驚くのはその各地での歓迎ぶりです。戦後7年、民藝運動は社会も工芸も混迷していた中で、そんなに盛り上がっていたのです。
日本人の価値の混乱や、手仕事と機械の大量生産との間の埋められない溝などについての記載がたくさんあります。職人は自信を持てず、氾濫する工業製品にはこれまで培われてきたものが何も入っていないのを、リーチは苦々しく見ています。
日本人の価値の混乱は、はっきりとは書いてありませんが、自信のなさからきているもの、西欧への劣等感によると考えているようでした。劣等感は、時には裏返されて、自信ありげに居直ったりします。近年の、「クールジャパン現象」のように、その劣等感は、現在でもまだまだ続いているようです。

戦後7、8年当時はこんなだったかと、認識を新たにできるのも面白いところでした。
ほとんどが木造の日本は、ロンドンと比べても戦火の爪痕が見られないほどに復興していますが、まだ道はほとんど舗装されていません。その舗装していない道に、バスや車があふれています。車が分解してしまいそうな高山の石ころ道を行ったり、混雑した車の間を人が平気で横切ったり、リーチはそのたびにハラハラしています。
また、景気を持ち直している日本のすぐそばでは、朝鮮戦争が激しく戦われていて、日本人も含めて世界中の誰もが第三に世界大戦を、避けられないものとして予感するような、緊迫した世相だったことがわかります。ちょっとした大きな音でも、誰もが、とうとう第三次世界大戦がはじまったかと考えたようでした。
必至と考えられた第三次世界大戦が回避できて本当によかったとは思いますが、限られた資源争いで世界は複雑にひずみ、あちこちに火種が飛び火して、今でも戦火に苦しんでいる人々がたくさんいます。






2019年1月18日金曜日

料理用へら


長く使っていた、料理用の木のへらが欠けて、使いにくくなりました。
南インドのオーロビルにある木工所で、もう30年も前に買った、チークのへらです。


へらはいろいろあるのですが、カレーの材料を炒めたりかき回したり、あるいはジャムをつくったりするとき、先のとがったこのへらがないとちょっと困ります。


丸い穴の開いている杓子は、ほうろくで豆を炒るときにはよいものですが、ジャムをつくるとなると、あまり役立ちません。
他にも木べらはいくつかありますが、丸い形のばかりです。


ところで、中華鍋での炒めものには、金属の杓子を使います。
私はいつも右の、一枚の金属でつくってあるので洗いやすい、インドのステンレスの杓子を使います。ところが、夫はと見ると、必ず左のアルミのヴェトナムの杓子を使っています。
あるとき、それを不思議に思って何故なのか訊いてみると、アルミの方が軽いからと言う答えでした。
「へぇぇ!」
そんなことは考えてもみなかったのでびっくりでしたが、目方を計ってみると、ステンレス製が99グラムに対して、アルミ製は39グラムしかありませんでした。
気にせず使っている私って、力持ちでしょうか?

さて、木のへらをどうしようか、自分で削りなおそうかと思っていると、ネットで、丁寧な仕事をしている木工屋さんを見つけました。


へらは桜、杓子はクルミで、仕上げにやすりを使っていません。

仕事場の写真をお借りしました

手づくりの南京鉋だけで仕上げているのです。
どちらも、とても薄くできています。


手に持つと、素晴らしさが伝わってきました。
チークのへらも使いやすいと思っていましたが、桜のへらを持ってからチークのへらを持ってみると、ただの木片を持ったみたいで、しっくりと手に馴染まず、ある部分で掌を押し、ある部分で掌から浮くのです。
バーナードリーチは、「道具は家庭で育つ」と言っていますが、30年も育ててきたへらが、育てていない新米に負けています。


杓子も、とても使いよさそうでした。
持ちやすさ、使いやすさに、とことんこだわってつくっているのが伝わってきます。


このへらと杓子の注意書には、一番の手入れは毎日使うこととありました。
どんな風に育っていくのか、楽しみが増えました。

古いへらは、未練がなくなったのでストーブでお焚き上げ(?)するつもりです。







2019年1月17日木曜日

小人くんたち


紙とモールでできた、オランダの人形です。
スウェーデン語でトムテ、ノルウェーとデンマークでニッセ、フィンランドでトントゥと呼ばれている妖精は、灰色か濃紺のぼろぼろの服をまとい、赤い帽子をかぶっているそうですから、白い帽子をかぶったこの子たちは、きっとトムテではありません。


赤い帽子をかぶったトムテは北欧の民間伝承に登場する妖精で、農家の守護神とされていました。

干し草を盗んで逃走するトムテ

優しい性格で、農家に繁栄をもたらす一方、トムテには気難しい面もあり、たいせつに扱わないと、干し草を盗んで、その家から逃げて行ったりしました。
北欧圏では、ユール(冬至の祭り)にはトムテにおかゆをあげる習慣がありましたが、キリスト教化して以後、トムテは長く悪魔と同一視されました。
悪魔であるトムテは、闇の世界の神々と交信しているとされました。もしある農民が裕福になった場合、彼がトムテをあがめているため、夜の間にトムテがほかの農民から富を盗んで、その農民を豊かにさせていると考えられたのです。
キリスト教は排他的で視野が狭いのですが、そのわりには、異教徒の冬至のお祭りであるユールをちゃっかり取り入れて、クリスマスとしたそうです。

トムテは、20世紀になってから、かつてとは違ったかたちで名声を取り戻しました。
アメリカ文化の影響、特に商業主義的なクリスマス文化の影響を受けて、トムテ・ユールとして、北欧のサンタクロースのイメージを与えられたのです。
トムテは、サンタクロースのようにヤギかトナカイが引く橇に乗ってやってきて、こっそりではなく堂々と子どもたちにプレゼントを配ります。


さて、この小人くんたち、モールをちょっと曲げているだけで、表情豊かになっています。
いろいろな容器に立ててみました。


ヨーロッパにはない竹串が使われているのが、面白いところですが、クリスマスの飾りだったのかな?そのあたりは不明です。


真鍮の蓋ものはカンボジアのキンマーの石灰を入れる容器、計量カップはスウェーデンのジンを計るカップ、そして竹筒は、バックギャモンのサイコロを入れるものでした。
そう言えば、サイコロを入れる容器は何というのでしょう?もしかして日本語では名前がない?
ダイス・ローラーと呼べばいいのでしょうか。