2018年7月16日月曜日

力仕事

土曜日に、チーム横浜の皆さん四人が手伝いにきてくれました。
何度も来てくださった方たち、二度目の方、初めての方などです。
ここぞと、懸案事項の力仕事をお願いしました。こんなことでもなければ、際限なく先延ばししてしまうような作業です。

一組二人には、入り口のあたりに配水管を埋める作業をしていただきました。
激しい雨が降るとそこは、門の屋根に降った雨が集中して落ちるためか、一時的ですが水が溜まって歩きにくくなります。


穴のぶつぶつ開いた配水管にまず、水は通すけれど土を通さないシートを巻きつけます。これで、排水管の穴がふさがりにくくなります。


それを深さ50センチほどの地中に埋めたのち、砂の混じっていない砕石を入れ、その上に、さらに土を通さないシートを被せ、その上に普通の砕石を入れました。
将来的には、その上にごろた石を敷きます。


もう一組二人には、駐車場のタイルを敷いてもらいました。
四隅などに隙間がつくってあって、タイルの間に植物を植えられるものですが、屋根の下なので、直接雨があたらないし、車を常時駐車しているしで、真ん中にスプリンクラーを設置していますが、雑草は育っても、なかなかタマリュウが育たないのが難点です。


スプリンクラーの配管を壊してしまっていたので、その日の作業はここまでした。
シャワーと冷えたビールが嬉しい、暑い日の作業、みなさんありがとうございました。






2018年7月15日日曜日

模様替え

土曜日には、チーム横浜が手伝いに来てくれました。
このチャンスを逃さず、重いものを運んでもらうことにしました。


この材木屋さんからいただいた杉の根のテーブルを作業棟に運んで、ここに織り機を置くことにしたのです。


ホールができて、私はホールの片隅に織り機を置きたいと思っていました。
ところが、夫がいつまでも難色を示します。大勢の人が来た時、邪魔だと言うのです。確かに、今年決まっているだけでも三回、一度に大勢が来る予定です。
かといって、織り機をいつまでも地下室に放置して、湿気とカマドウマの餌食にし続けるのも心苦しく、家を設計したときのの予定通り、根っこのテーブルを作業棟に運んで、ここに織り機を置くことにしました。

ここはもともと、織り機を置く場としてつくった場所ですが、母屋の完成祝いに杉の根のテーブルをもらい、これを置く場所がなかったので、ここにおいたものでした。以来、その上にいろいろなものを置いたりして、すっかり親しんできました。


いただいた時、いったいどうやって運び込んだのか、男二人で担ぐのも大変な重さです。
チーム横浜の来る前に、夫が縄をかけてくれました。


そして、三人で担いで作業棟まで運んでくれました。
バタバタしていたので、運んでいる写真はありません。


ここは下屋の屋根の下、雨も降り込まず、いい場所だとは思いますが、テーブルは遠くに押しやられて疎外感を味わっているかもしれません。
木の枝を組んだ椅子は、作業棟の完成祝いに、やはり材木屋さんからいただいたものです。


さて、杉の根のテーブルの脇の、窓際にあった高い机も行き場所がなくなりました。
ここに置いてみましたが、その前に織り機を置けなかったら、考え直さなくてはなりません。


テーブルの上に置いていたこまごましたものの行方もまだ決まっていません。


地下倉庫の織り機は、順次クリーニング中です。






2018年7月14日土曜日

猫いらずの戸棚


もうずいぶん前、6月の半ばのことだったか、まことさんが、猫いらずの展示ケースを持っていました。
「あらっ、猫の模様がついてる!」
「だめ、これは高い」
「そう」
会話は、それだけでした。
まことさんは私の懐具合をよっくご存じ、猫好きなのもご存知ですが、はなから相手にする気はありません。


「じゃあ、写真だけ撮らせてもらうか」
「ああ、いいよ」


というわけで、戸棚を開けてみました。とても丁寧なつくりです。
特約販売店に配ったショーケースに違いありませんが、木彫りも含め、なんと手の込んだ棚でしょう。低いところに置いて踏み台兼用にしたわけでもないのに、斜めにつくるだけで、まっすぐなものよりさらにひと手間かけなくてはなりません。

それにしても、例え手の届く金額だったとしても、私は猫いらずのショーケースを家に置く気はなかったことでしょう。
小動物を殺す毒薬には、苦い思い出があるからです。






2018年7月13日金曜日

尖った道具たち


尖った道具たちです。


目打ちは母のミシンの引き出しにありましたが、この貫禄からして、もとは祖母のものに違いありません。

左は、俵やかます(叺)を縫う針です。
この針は、祖母の家を整理したとき出てきたと、母が私にくれたものですが、長い間失せていました。諦めていたところ、先日、思いがけなく息子が持ってきてくれました。もと私が住んでいたところに、いま息子が住んでいるので、部屋のどこかに隠れていたのでしょう。

祖母は戦後の十年ほど、食糧難のため、それまでしたことのなかった米づくりをしました。
牛がいないので、田起こしは人に頼んでいましたが、水管理や田の草取りなど手をかけたので、お米はお百姓さんたちが舌を巻くほどよく穫れたようで、食べるに困ることはありませんでした。
祖父母とも戦前は学校の教師をしていたので家は農家づくりではなく、農作業をする広い庭もなければ、納屋の中の広い土間(作業場)もありませんでした。したがって、場所がなくて菰(こも)や筵(むしろ)を編んだりすることもできませんでしたが、農閑期になると、近所の俵づくりが上手なおじさんがきて、納屋の前の狭いところに筵(むしろ)を敷いて、俵の「さんだわら」をつくったり、縄を綯ったりしてくれていました。
針はそんなときに使ったのか、あるいは祖母自身も、かますの破れの繕いくらいはしていたのかもしれません。


さて、ところ変わって、エチオピアの髪を梳く針です。


エチオピア女性の髪はちょっと縮れているので、櫛ではなく針で梳かしたり分けたりするのが、理にかなっているのでしょう。


やはりエチオピアの、草籠を編むときの針(というか、目打ち)です。
固いところに針を刺したいとき、針をぎゅっとつかむと指先が痛くなるし、なかなか力を針に伝えられませんが、先が平らになっていれば、そこを押して楽に突き刺すことができます。
草籠は固く固く編みます。


写真は小さいものですが、もっとも大きな草籠はインジェラ(テフの粉を発酵させてクレープのように薄く焼いたもの)を乗せる台で、直径が60センチ以上、高さもそれ以上ある、高坏形をしたものです。
しっかり固く編んでおかないと、途中から広がったところがへたってしまいます。


針は、一本の鉄の棒をぐるぐる巻いてつくってあります。


ついでに、エチオピアの雑貨集合です。
どれも、アムハラ人の細工もの、籠編みの針は鉄、髪を梳かす棒はアルミ、耳かきは銀、ペンダントトップになっています。


耳かきは、首から下げて、どこにでも持ち歩けます。
かっこいい!






2018年7月12日木曜日

織り機は日の目を見られるか

ホールができたらその片隅に、地下室で湿気とカマドウマの餌食になっている織り機を置こうと思っていました(夫は邪魔だとしぶり中)。

織りものは、メインの織り機だけでなく、経糸(たていと)を織り機に掛けるための道具(畳めるけど大きい)、綾をとるための道具などなど、周辺道具もたくさんあります。


まず、袋に入ったこまごましたものを取り出してみました。湿気で袋は破れ、カマドウマの糞が積もっています。


開けてみると、金属の筬(おさ)は、さっび錆の錆です。
最近では筬はきっと、鉄製ではなく、ステンレス製でしょう。


機草(はたくさ)はカビだらけです。
私が織りものを習った1970年代初頭、織りものの習える場所は限られていました。私の先生はノルウェーに二年留学されて織りものを習われたFさんで、メインの織り機をはじめ、おもな道具や織り糸はノルウェーから輸入していただきましたが、日本で調達できるものは日本で調達しました。
この機草は樫の木でできているので、日本のものです。

機草は、経糸(たていと)を織り機に巻きつけるとき使います。長い経糸をそのまま「巻き取り棒」に巻くと、一重目の上に二重目を巻くことになり、糸がぐちゃぐちゃに食い込んでもつれやすくなり、また一本一本の経糸の張り具合が違ってきます。

花巻の農業伝承館で見た経糸の巻き方

そのため、例えば日本では、伝統的には厚めの和紙を経糸と一緒に巻いて、一度巻き、二度巻き、三度巻きの経糸が交じり合わないようにしますが、私の習った方法では、機草を挟みながら巻きます。

「機織り職人の仕事場から...」から借用。竹の綾棒

織りものは、経糸が互い違いに上下に動き、その間に緯糸(よこいと)を通していくことによって織れます。
織り機に経糸を掛け終われば、あとは織るだけなので、作業としては60%から80%ができ上がった気分になります。

その経糸は、織り機に掛ける前から、もつれないように、あらかじめ綾棒を一本おきに通しておきます。これで、経糸が何千本あろうと、順番が入れ替わったりすることがなく並びます。
この一連の作業を、「綾をとる」と言います。


そしてこれが私の綾棒、ノルウェーからのもので、松の木でできています。
  

全部洗って、拭いて、乾かしました。


踏み木の何本かは虫に食われていて、押すとぺこぺこします。
踏み木は、経糸を通した綜絖(そうこう)と紐でつなげて、足で踏んでを上下させるものです。


踏み木の中には、カビがあまり生えていないものもありました。
未使用だったので、汗や手あかが染みていなかったからかもしれません。


その未使用の踏み木は、使っていた踏み木より短いことに気づきました。
「あれっ、短い踏み木はどんなとき使うんだろう?」
もう30年以上も織ってないので、何が何だか、すっかり忘れてしまっています。

さて、背骨を圧迫骨折してから重いものは一人では持てません。
織り機を、地下室からホールまで運んでくるには、夫の手助けが不可欠ですが、夫はホールに織り機を置くことに難色を示しています。集会があるとき邪魔だから、母屋に置けばいいと言うのです。
確かに夏には、建築家の連中が来たり、秋には友人でジャンベとアフリカンダンスを楽しんでいる夫婦とそのジャンベ仲間が来たりと、いろいろありそうです。
でも、母屋の織り機を置くための場所としてつくられたところには、材木屋さんからいただいた、杉の根っこの重い台や、机などが置いてあり、こちらも一人では何ともなりません。
織り機が日の目を見るまでは、まだまだ前途が長そうです。





2018年7月11日水曜日

左官を習う


先日、この春大学を卒業して左官見習をしているOさんが、何の経験も知識もないのに漆喰を塗っている私に、救いの手を差し伸べに来てくれました。

こて板を持っていなかったので、まず、こて板をつくるところから始めました。
二年前に、ネットを参考にしながら、こて板をつくったことがありました。しかし、できたこて板は大きすぎて、重くて持っていられず、持ち手が裏に出っ張っているので置いて使うこともできず、邪魔になってすぐに放棄しました。


そのあとは、ただの板きれを壁の前に置いて、下地モルタルや漆喰を乗せるだけ、そこからちびちびと材料をこてですくい上げて、ちびちびち塗っていました。時間がかかり、
「左官仕事って嫌だなぁ」
と、完全な後ろ向き。何かしら理由をつけては、壁塗りそのものから逃げていました。


ところが何てこと、こて板なしに壁は塗れない、こてとこて板は切っても切れないセットなのでした。
こて板に材料を少量乗せ、こてですくい上げて何度か落として、こて板の上で練り直したりします。しかも材料をすくうとき、こてを動かすのではなくて、こて板の方を動かすのです。


これまで、マスキングテープさえ、貼らずにやっていました。
  
すでに塗ったように見えるところは、ラスカット(下地)のつなぎ目を布で補強したところ

もちろん、塗り方も、基本の「き」さえ知らずにやっていました。

壁はまず左の辺から塗ります。材料を、端に沿ってざっと壁の下地に乗せ、下からそれを全体に伸ばすように上の端まで力を込めて押し上げ、次に上から均すように軽くこてを下まで持ってくると、あら不思議、きれいで平らな塗り跡が出現しました。次は上の辺、そして右の辺、それだけ決めたら中を塗るのです。
教えていただいた方法でやると、きれいなだけでなく、ずっと早く塗れます。こてさばきが理にかなっているのです。


これまで、こてを持ち替えることは考えず、右を塗るときなど、手の方を無理やり曲げていました。


しかし、こてを手の中でくるっと回して、反対にむけて持ってもよかったのです。
目からうろこでした。


左が教えていただいたやり方で塗った壁で、右が何も知らずに塗った壁です。
いやはや、塗ってさえあればいいと思っていたけれど、全然違います。また、下塗りと中塗りは、あまり時間をおかないで塗ることも知りました。
左は、教えていただいた日に二度塗りしましたが、右は下塗りして早数か月、中塗りするには乾燥しすぎました。

何も知らないでやっているというのは恐ろしいことでした。






2018年7月10日火曜日

肥料ふり籠


岩手県遠野の一市通り(ひといちどおり)に籠屋さん(荒物店)がありました。
店内の写真はうっかりしていて撮り忘れましたが、なかなか興味深い品ぞろえでした。
背負子、魚の筌(うけ)、米上げ笊、味噌漉しなど、所狭しと置いてありましたが、やはりここは東北、おもにはすず竹(遠野では篠竹と呼ぶそうですが、我が家のあたりの篠竹と同じものかどうかはわかりません )でできた籠でした。
一戸あたりのものと思われるお弁当籠、収穫籠、市場籠などが、数としては一番多かったでしょうか。


その中に、宮城県の肥料ふり籠がありました。
桜の木の皮とすず竹のコントラストが美しい籠です。持ち手のついているものついていないもの、深さのあるもの、大小いろいろなサイズでありました。
籠屋のおかみさんの話だと、以前は女性がつくっていたけれど今はその後継者の、70代の男性がつくっているとのことでした。


畑で、肥料を巻くとき使った籠ですから、籠目から肥料がこぼれないよう、太い桜の皮を、すず竹でしっかり絞めながら、編んであります。

「手仕事フォーラム」のHPより

肥料ふり籠は、箕の編み方の応用だそうです。


平らに編んだものを四隅で畳んで綴じ、立ち上げて丸い縁にして、杉の枝の持ち手をつけています。


畳んで綴じるときと、縁を始末するときに麻紐を使っているのですが、なんとなくしっくりきません。それもそのはず、昔はフジの皮から採った繊維を使っていたそうです。
この、紐が麻という点だけで、買おうか買うまいか、心の中でしばらく悩みました。


桜の皮を集めるのが難しくなっているとか、後継者が育つかどうかなど、いろいろ問題があるのに、フジの繊維の紐を望むのは高望みですが、フジの繊維だったらと思わずにはいられませんでした。
ちょっとしたところで、それまでの作業がさらに生きたり、あるいは台無しになったりします。ほんのちょっとしたところだけに、難しいものです。


縁に回した真竹(遠野では唐竹と呼ぶらしい)の間から見えている、桜の皮は、とっても素敵です。


籠屋さんには、同じ方がつくった、桜の皮とすず竹を組み合わせた箕もありました。
箕も、縁に巻いたのが麻ひもでなければ、どんなに美しいかと思われるものでしたが、残念ながら、麻紐が美しさをちょっと損なっていました。

籠屋さんには売り物のほかに、古い籠や古い民具、古い花巻人形や附馬牛人形(つきもうし)などを飾ってありました。
花巻の流れを汲んだ古型の附馬牛人形は、とってもおおらかなものでした。
写真の撮り忘れが悔やまれますが、夢中になるとたいてい忘れてしまいます。