2018年11月19日月曜日

大きな箒


しばらく前に、骨董市で手に入れた大きな箒です。


ところどころに箒草の実が残っていて、ちょっと見には虫に見えました。


箒草を三つにまとめてざっくりとつくってあります。


飾り気がないというか、稚拙ですが、形からすると日本の箒に思われます。
もっとあって、一本はまことさんのお店用に使っているというお話でしたから、販売用につくったものらしいのですが、素人臭さぷんぷんです。
使ってみると、穂先が柄に対して直角なので、ちょっと床に引っ掛かります。


右側を少し切って、斜めにした方が使いやすくなるので、切ってみようと思っています。


それにしても大きな箒、ということは、長く使えるということでしょうか。
柄に何も入ってなくてこの長さですから、ちょっとしなって、力を入れるのがためらわれます。
まぁ、折れたら折れたときのことですが。








2018年11月18日日曜日

よかった!

以前は、いくつもの剪定ばさみを使っていましたが、いつごろからか、たった一つだけになりました。


ブログを見返してみると、二年前には三つは使っていたようです。ところが、今残っているのは、右の一つだけです。あとの二つは、どこかに消えてしまいました。
これまでいくつ消えたか、だったら消えないように注意深く取り扱おうと、安物を買うのをやめて、数を絞ったのでした。

ところが一昨日、お昼休みの後で、その前日からやっていた生垣の手入れの続きを再開して、まず鎌を使い、次に剪定ばさみを使おうとしたら、はさみが見当たりませんでした。
「あれっ、持ってこなかったかしら?」
いつもは、なくさないように専用の籠に入れて手元に置くのですが、この日はお天気がよすぎたので、カメラも入れている籠は、ちょっと離れた日陰に置き、鎌と剪定ばさみだけを手元(土の上)に置いてしまったのでした。
「もしかして、籠にいれたままだったかしら?」
籠を見ましたが入っていません。室内にもありません。
作業ははじめたばかりだったので、行動範囲は限られています。狭い範囲を刈った草などをひっくり返しながら探したのですが、それでも見つかりません。


まぎれた可能性もあるかと、焚火場に運んだ草も、何度も持ち上げてみました。

小一時間、探しに探しましたが、はさみは出てきません。万策尽きて仕方なく、一度も使っていない予備の剪定ばさみを、降ろすことにしました。
鎌や生木を切る鋸の替え刃などなど、いつも予備は切らさないようにしていますが、剪定ばさみも予備を一つ持っていました。


じゃぁぁん!これです。
「もったいないなぁ」
はさみをなくしたのももったいないし、予備のはさみを使うのももったいない気がします。また、予備のはさみがひょっとどこかに置いた時目立たない色なのが気になるし、かといって色のテープをべたべた貼る気もしません。
しばらく新しいはさみを使い、今度はなくさないよう、慎重に籠までもっていって戻しました。そして、鎌を持って四つん這いになって、茂っている生垣の隙間に無理やり首を突っ込んで、ひとしきり篠竹を切ってからあとずさりしたら、靴が枯葉を動かしたのか、地面にちらっと赤い色が見えました。
  

「うわぁぁ、こんなところにあった!」
何度も探したところなのに、どうして見つからなかったのでしょう!
どうして、落ち葉の下に潜り込んでいたのでしょう!


重苦しかった気持ちがいっぺんに晴れました。

このごろは、夜露がたくさん降ります。たった一晩でも外に出しておくだけで、はさみはずいぶんダメージを受けたことでしょう。それに、日が経てば見つかる可能性はもっと低くなってしまいます。
さっそく、新しいはさみは水できれいに洗って拭き、油紙に包んで箱にしまいました。


以前は、ホームセンターで買った安ものの剪定ばさみも使っていました。
しかし、切れないはさみを使うと、身体に響きます。最近は、高価だけど切れ味のいいはさみしか使っていません。
今使っている剪定ばさみも、スイスのフェルコ8という、切れ味のいいはさみです。
なくならないでよかった。前に愛用のはさみをなくして、探し回ったのに見つからず、数年後にぼろぼろに錆びて出てきたことがありました。





2018年11月17日土曜日

中国の蓋つきの小さな籠


中国、貴州省の蓋つき籠、こおろぎの籠と同じ人がつくった雰囲気があります。


蓋を外側から見ると、8本のひごを真ん中で重ね合わせて16本にして編みはじめています。


そして内側から見ると、途中から平たくて太いひごを8本足していて、計32本で編みあげています。


籠本体の方の内側は、やはり8本のひごではじめています。


そして、底面がほぼ終わるころ、外側(底)で8本のひごを足し、


さらに、胴に立ち上がったところで、底から続くひごとひごの間に、太いひごを足しています。


というわけで、基本的には32本の底から立ち上げてきたひごを編みながら、胴に立ち上げた部分で足した32本の太いひごは、最初と最後、そして途中二か所で本体に編み込みながら、つくりあげています。
足した太いひごを編み込むときは、細い水平のひごのくぐらせ方が違うので内側に影響が出るはずですが、ほとんど目立ちません。
こうして、縦に走る太いひごで守られた、がっちりした籠が出来上がっています。竹を自由自在に膨らませたり細くしたりと、とても手慣れた人がつくったと思われます。

さて、蓋や底の丸い形を、中心から編む方法ですが、日本にも同じ編み方があります。
我が家にある日本の蓋つきの籠を見ると、蓋はどれも放射状に広がっていく、中国の籠と同じ編み方でしたが、本体の底はいろいろで、蓋と同じ方法のものがあり、違うものもありました。


まず、中国と同じ、8本のひごではじめているものから、宮崎県日之影町の小川鉄平さんのいりこじょけの蓋、左が外側、右が内側です。
中国の籠と全く同じですが、どちらを内側にして、どちらを外側にするのかという選択だけが違います。
廣島一夫さんがつくられていた籠と、同じ形ですが、日本では途中で足すひごを、外側に出して、それを意匠としているのです。


これは、熊本県水俣市の井上克彦さんのごはんじょけの蓋ですが、ちょっとびっくりです。
というのも、16本足したひごで縁まで編み上げてあるのですが、その足したひごの下にも籠があります。その部分はどうやって編んだのでしょう?
蓋の内側を見ると、8本のひごを重ねて、最初の十段ほどは半分の8本だけを編みこんで、途中から16本を編んであります。ということは、最初の16本と、足した方の16本(半分)だけはひごが重なっている、どちらかをどこかで消滅させ、縁までは行っていないということになります。


右がごはんじょけ、左がいりこじょけですが、いりこじょけの本体のつくりは中国のものと同じです。
しかし、ごはんじょけは、炊きあがったご飯を直接入れて、毎日ごしごし洗うものだからか、細いひごは使わず、平らに編みはじめたものを丸く仕上げてあります。


さて、九州では8本のひごではじめていますが、関東(たぶん)のになると10本ではじめています。
10本(放射状に延びているのは20本)ともなると混み合うので、この籠は最初は半分だけ編んで、途中で残りの半分も編み込み、さらに太いひごを足して仕上げています。


別の籠は、強気にも、最初から20本を編み込んであります。

蓋の場合、日本ではつぎ足したひごを、隠さず飾りとして使っているだけでなく、竹の節まで見せているのが面白いところです。


関東の籠の底は、そばざるなどと同じように、四角く編んだものを途中から丸くしてあります。
関東の蓋つき籠は、夏場にごはん籠として使ったものか、またはただのもの入れだったのか、不明です。


中心から丸く編む方法は、蓋以外にも使われています。
頻繁に洗ったりする笊の場合、つぎ足したひごが長いと邪魔だったのか、別の処理をしているものもあります。


左が内側、右が底です。

さて、中国にも日本にも、太めのひごを細いひごで中心から巻いて形づくる方法があることはわかりましたが、お隣の韓国はどうなのでしょう?


ちなみに、東南アジアの籠では、この方法は見たことがありません。
いろいろな方法で平らに編んだものを、縁で何とか処理して丸く形づくります。また、ヨーロッパやアフリカでは、巻き上げ編み(コイル編み)で形づくっていきます。









2018年11月16日金曜日

こおろぎ入れ

中国の手仕事は、年々すごいスピードで失われているという話をよく目にしたり、耳にしたりします。
都市には高層ビルが立ち並び、グローバリズムの波がアメーバーのように広がり、農村にも観光客が押し寄せたりして、伝統的な生活が飲み込まれてしまっているようです。


そんな中国の、どちらかというと貧しくて見るものもないと言われている、少数民族が多く住む貴州省でつくられた小さな籠、こおろぎ入れです。


底は補強のために、二重になっています。


底に回した補強用の太い竹は、上部では一体化して、細いひごに組み込まれています。
平たいひごの先が尖らせてあるので、後から差し込んだことも考えられますが、まさか!
つくり方を考えただけで、頭がくらくらします。


蓋は、玉に編んだものを差し込んでいますが、ぴたっと嵌ります。
この玉は、籠玉の小さい玉のつくり方と原理は同じか、吉田さんは、籠玉づくりは大きい玉より小さい玉の方がつくるのが手間だと、たしかおっしゃっていました。

こおろぎ入れの籠を見て、記憶の底から、闘争用こおろぎの関連道具を集めていた人がいたことを思い出し、古い新聞の切り抜き帳をめくってみました。
  

ありました。
2004年5月1日の朝日新聞の日曜版の「こだわり会館」という連載の中の記事でした。



記事によると、翻訳家瀬川千秋さんは、家庭も顧みずこおろぎの闘いに熱中する中国の男たちを10年以上にわたって観察しているうちに関心を持ち、そのこだわりを書いた「闘蟋(とうしつ)」という本を出版されました。また、ご自身もこおろぎに関連する道具を集めていらっしゃいます。

闘蟋(こおろぎの闘い)に臨む人は、8月の末頃、こおろぎを捕まえたり買ったりします。
9月に入ると練習試合を繰り返し、強いこおろぎを選んで、10月から11月にかけての「虫王」を決定する、チャンピオン大会に出場させます。
こおろぎたちをいかに強い戦士に育てるか、男たちは食事法、入浴法、便秘や冷え性の治療法、減量やトレーニングなどに気を配り、闘盆(リング)上での試合に備えます。

試合に臨むこおろぎは、慎重な計量の上(目方が近いものどうしが闘う)、ネズミの髭でつくった筆で触角や脚をなでられ、興奮し、戦意を掻き立てられてリングに上がります。そのネズミの髭の筆は、ネズミを捕まえ、生きているものから抜いた髭を使うそうです。
リング上で、こおろぎはつかみ合い、投げ飛ばし、噛みつき合います。そして、勝者は翅を打ち振るわせながらリングを周り、敗者は背を向けて逃げるのだそうです。


闘蟋は、唐の時代から、1200年も行われてきました。
勝敗は数分でつきますが、闘蟋を愛する男たちはその瞬間までの数か月を楽しみます。こおろぎの家、移動容器、体重計、ベッドなどなど、数々の工芸品がつくり出され、こおろぎの生態研究が進み、こおろぎ文学も生まれるなど、独特のこおろぎ文化をつくりだしてきました。

瀬川さんは、2002年には、こおろぎ好きが高じて「日本蟋蟀協会」を結成し、15名ほどの会員たちと闘蟋をしたり、情報交換したりしているそうです。
会員の夢は日中対抗戦だそうですが、なにせ中国には、1200年もの歴史があり、日本は21世紀に入ってからの歴史ですから、いったい歯がたつものでしょうか。








2018年11月15日木曜日

缶ビール雑感

小さなビンの蓋が、缶ビールの空き缶利用だったことから、缶ビールについてちょっとだけ、調べてみました。


1935年(昭和10年)にアメリカで、世界初のスチール缶ビールが発売されました。最初は筒型ではなく、コーントップと呼ばれる、王冠を用いた形でした。
これは不評で、全く普及しませんでした。


同じく1935年、Gottfried Krueger Companyは、缶製造業者と提携して、Krueger's Finest Beerをつくり、愛飲家に試飲してもらって、「売れる」と確信してから量産に入っています。
American Can Companyは、禁酒法が廃止された1909年にもう缶ビールを試作していて、1933年には2年間の研究を経て、発泡したビールがスズと化学反応するのを防ぐ塗装に成功し、缶ビールの商品化にこぎつけています。
クルーガーは、アメリカ(=世界)で缶ビールを販売する最初の業者となりましたが、その反応は熱狂的で、3か月以内に卸売業者の80%以上がクルーガーの缶ビールを取り扱い、世界的なビール会社三社を脅かすまでになりましたが、すぐに競合者たちが追いつきました。
缶ビールは、1935年に初めて発売されたというのに、その年末までには2億本以上生産され、販売されました。

缶はビンとは異なり、消費者がデポジットを支払う必要がありません。
また、缶は積み重ねやすく、耐久性があり、冷やす時間が短くて済みます。そのため、人気は1930年代を通じて増加し続け、第二次世界大戦中にその人気が爆発しました。
大戦中、アメリカの醸造会社は、数百万本の缶ビールを、海外の兵に向かって出荷しました。


さて日本では、戦後の1958年にアサヒビールが日本初の缶ビールを発売しました。


ついで、1959年にサッポロビールも発売しました。これらは、缶切りで二か所に穴を開けて飲む形式の缶でした。
当時はまだ、ビール生産量の55%が家庭外で飲まれている時代、しかもおもに暑い夏場だけ飲まれていたし、酒屋さんは配達してくれるしで、缶ビールの需要を感じる雰囲気は皆無でした。
缶ビールは、ビンビールと比べて品質に遜色はなかったものの、缶の臭いがするとか、ビンビールより風味が劣ると言われ、売れ行きははかばかしくありませんでした。また、味ばかりではなく、取扱いに不馴れなため、缶切りで開けるときに噴き出してしまうこともあって、日本ではなかなか普及しませんでした。


キリンビールに関しては、社の歴史を調べても記載が見つかりませんでした。ということは、アサヒやサッポロと、そう間は置かなかったものの、缶ビールに関しては出遅れたのかもしれません。


プルタブつきのスチール缶ビール(蓋部分だけアルミ)が売り出されたのは、1965年(昭和40年)だったらしいのですが、当時、巷で缶ビールを見かけることはまずありませんでした。
当時はコカ・コーラなど清涼飲料水も、ビンで買い、ビンを返却するのが主流でした。
ビール缶が全部がアルミになったのは1972年ですが、誰もが缶ビールになじんできたのはもっとあと、1990年代に入ってからだと思われます。
巷に缶ビールがあふれてからも、再利用を繰り返すことができるビンを離れて缶ビールを買うには、大きな罪悪感が伴い、ビンビールにこだわった人もたくさんいました。


そんな、ビンから缶への敷居を、まず低くしたのは小さな缶ではなく、2リットルのアルミ缶ではなかったかと思います。
樽の形を真似たものもあり、大勢集まるとき、それをどんと置いて飲み合うことで、雰囲気は一気に盛り上がり、好まれました。

今では、ジュース類は、ほぼペットボトルになってしまいました。
ペットボトルのビールもすでにありますが、そう普及していません。でもジュースなどの流れからして、すべてペットボトルビールになる日もそう遠くないのかもしれません。


ちなみに、かつてのペンギンビールは、プラスティック製でした。
そして、右端の小さなビールは、我が家に唯一ある、スチール缶ビールの空き缶です。

追伸:


昭ちゃんが戦後すぐ米軍の基地で見たと言っている、レッドフォックスの缶ビールの写真を、ヤフーオークションで見つけました。
あまりの可愛さに落札したいところですが、開始価格が15,000円、見るだけでした。