2024年9月12日木曜日

子守り人形


あれっ? この子たちはいつからいたのかしら?
台座のついている子の方は、着物の模様が盛り上げてあるなど、なかなか凝ったつくりです。

『モースの見た日本』より

130年前に日本を訪れたE.Sモースは、子どもがいればそのうちの誰かが、あるいはみんなが赤ちゃんや幼児をおぶっていると記しています。


モースは写真に収めただけでなく、絵にも描き残しています。


そして、日本ほど子どもを大切にしている国はないとも書いています。
この本が発売された当時(1988年)、巷ではアグネス・チャンが職場に赤ちゃんを連れて行っていて、林真理子がそれを激しく非難するという、「アグネス・チャンと林真理子の職場に子供を連れて行くことの是非論争、通称アグネス論争」があったので、この本を開くたびにそれを思い出してしまいます。
ちなみに私の職場では、ベビーベッドをリースして、スタッフの赤ちゃんたちはウエルカム、みんなであやしたりしていました。


土人形は、世相の切り取りというよりは祈りを込めたものなので、土の子守り人形は少ないでしょうか?
真ん中の葛畑人形は子守り人形ですが、左の名古屋人形も右の今戸人形も、子守りというよりは母子人形です。


どんぐりのはかまを使った子守り人形。


さすが、農民美術人形の白樺の一刀彫にはたくさんの子守り人形があります。


子どもをおんぶするという文化は、すっかり失われてしまいました。

明日から数日お休みします。






 

2024年9月11日水曜日

渋江人形


山形県渋江の、練りものの鯛乗り恵比寿です。


童の恵比寿がかわいい!


そして、鯛はもっとかわいい!


山形の渋江人形幕末に京都からやってきた渋江長四郎が、嵯峨人形の手法ではじめたもので、四代目彦吉(享年1965年)まで、張り子だけでなく、土人形、練りものなどいろいろつくっていました
私が同級生のさっちゃんとやすこさんと渋江人形を訪れたのは、1962年ですから、彦吉さんがご存命だったと思われます。


我が家にある渋江人形はこの3つだけ、鯛乗り恵比寿は練りものですが、達磨と毬猫は張り子です。

画像はお借りしまし

以前はこれとそっくりな犬もいました。


この犬は練りもので、背中には桃のレリーフがありますが、


私の犬は張り子で、桃は描いてあるだけでした。
かわいい犬で、段ボール箱もない時代にガーナからアメリカへと連れまわし、東京郊外に住んでいた時は、よく近所の子どもたちの画材になって汚れ、その後の度重なる引っ越しで、いつの間にか失われてしまいました。
残念で、申し訳ないことでした。

かつて、幼児が5歳まで育つのは大変なことでした。魂が身体にしっかりととどまらないでふらふらするので、育たないと考えられ、魂を身体に結びつけておくために、犬の人形が幼児のそばに置かれました。
そんな祈りを込めた人形です。







 

2024年9月10日火曜日

帯状疱疹

ちょっと疲れた?
先週のはじめから肩だけでなく胸がキリキリ痛くて、お腹の当たりも痛くなって、肩をもんでもらおうと、肩こりセンターに予約を入れました。
それは火曜日のこと、その日は朝から左腕にちょっと湿疹が出ていましたが、かぶれやすい私のこと気にしていませんでした。ところが、お風呂に入ったとき、背中を拭こうとしたら、なんだか痛い。鏡で見ると、背中も赤くなっていました。
水曜日の朝目覚めたとき、ふと、
「これって、帯状疱疹じゃないの?」
と思い、ネットで見たら症状はぴったり当てはまりました。湿疹が出たら3日以内に治療を受けた方がいいと書いてあったので、肩こりセンターはキャンセル、その日のうちに皮膚科に行き、帯状疱疹と診断されました。


発疹が出てから今日で1週間。発疹は枯れて茶色くなり、熱もあらかた引いているのですが、胸や腕が針の筵で包まれたようにチクチク痛むのは続いています。
頭も一カ所だけ、どこかにぶつけた後のように痛み、左首も痛くて、つばを飲み込んだら痛みが増したりします。もっとも、痛み止めは飲んでいるので、朝、薬が切れたときに特に痛さを感じるだけかもしれません。あとちょっとの辛抱です。
しばらく夜にしっかり眠れてなかったのが原因だったのかもしれません。

というわけで、左手があまり使えず、イノシシにやられたところはやられたまま、指をくわえて見ていますが、イノシシは相変わらず来ているようです。





2024年9月9日月曜日

スパイスの手ぬぐい

つながる図書館で南インド料理のONE DAYカフェを開いていらっしゃる「田菜ごころ」さんが、1月ほど前にFacebookに、素敵なスパイス柄の手ぬぐいをUPされていました。


調べると、手ぬぐい専門店「かまわぬ」の手ぬぐいで、「田菜ごころ」さんとは色違いでしたがあったので、手に入れました。


とっても素敵な手ぬぐいです。
手染めだそうですが、苅安色(薄黄色)に染めた布に糊を置き、藍で染めているのでしょうか? 写真では藍色に見えていますが、ほぼ黒色です。ちなみに「田菜ごころ」さんの手ぬぐいは地が白のまま、藍色に染めているようでした。


唐辛子、ナツメグ(右下)、丁子、八角、シナモン(左下)など見えます。


カルダモン、クミンシードも見えるけれど、なんだかわからないものもあります(真ん中)。
丸にちょっと尖ったところがあるのは、山椒? そして、大小の水玉は、胡椒、コリアンダーやケシの実などでしょうか?


細長いのは、バニラビーンズです。
手ぬぐい専門店「かまわぬ」では、ほかにも興味深い手ぬぐいを販売しています。

さて、「鎌輪ぬ」という意匠は、文政年間に、七世市川團十郎が舞台の襦袢柄に用いて人気を呼び、今日まで浴衣や手ぬぐい柄で伝承されています。舞台で、何をしても「かまわぬ」という気概を示した図案と言われています。


「かまわぬ」のかまわぬ文様の手ぬぐい。
浅草の手ぬぐい老舗「ふじ屋」のかまわぬ模様の手ぬぐい。


母が父のために縫って、今は夫が着ている寝間着の1枚は、かまわぬ模様です。







2024年9月8日日曜日

多田敏捷さんの本

『おもちゃ博物館』(多田敏捷編、京都書院、1992年)は全24巻、当時大人気だったブリキのおもちゃをはじめとして、あらゆる子どものおもちゃを網羅し、「玩具で見る日本近代史」という巻まである、おもちゃコレクターの多田敏捷さんのコレクションを紹介する渾身の(というかマニアックな?)大型写真本です。
私は数冊しか持っていませんが、それでも本を開くと膨大なコレクションが押し寄せてきて、1941年生まれの多田さんはいったいどんな子供だったんだろう、そしてどんな大人となっているんだろうと、想像せずにはいられません。

現在、多田さんのコレクションは大阪府の有形民俗文化財に指定され、大阪府が買い上げ、「多田コレクション」として国立民族博物館に所蔵されています。


まず、「ままごと遊びと水物玩具」の本から。


買ってもらったことはないけれど、私が小さいころ、ままごと道具や砂場おもちゃは紙の箱に糸で縫いつけてあるのが定番でした。


この砂場おもちゃ、なんときれいな品々なのでしょう!


金魚たちも素敵です。


さて、「めんことビー玉」の本は失敗でした。


というのは、「めんことビー玉」という題名を見て、ビー玉のことを知りたいと思っていた時、ネットで注文したのですが、めくってもめくってもめんこのことばかり。ビー玉の写真は最後の3ページしかありませんでした。


ビー玉は、古代エジプトで生まれ、ヨーロッパに広がり、フランスからカンボジアにも紹介され、カンボジアの子どもたちはとくにお正月に、モダマでビー玉遊びに興じていました。日本には明治の初めにヨーロッパから泥玉(写真の左下)が紹介されて広まっています。
ちなみにめんこのページは写真だけで39ページ、参考文献もほとんどがめんこに関するものでした。


「縁日と駄菓子屋の玩具」の巻は、余り駄菓子屋に縁のなかった私には、目を見張るものがありました。


この豪華さ、多田さんは店ごと買ったのかしら?


見る写真、見る写真、すごい!
2つ上の写真の左上の箱には何が入っているのか? 応えは、上の写真の右下、セルロイドのかわいい椅子です。


どのページからも、多田さんのわくわくが伝わってきます。


面白いのは、駄菓子屋で売っていたといううちわや扇子でした。
すっかり忘れ果てていますが、大都会のデパートくらいしか冷房のなかった時代、大人だけでなく子どもたちにとっても扇子は必需品でした。私も何本も持っていたし、修学旅行で買った記憶もあるし、学校の教室で扇子とハンカチがないと、困り果てる結果となりました。
ハンカチがぐしょぐしょに濡れて使いものにならなくなったら、顔の汗をセルロイドの下敷きで額の当たりから顎のあたりまでしごき落としたりもしていました。


多田さんのコレクションの本は、文庫本もあります。
私は大型本『おもちゃ博物館』の人形の本も着せかえ・ぬり絵の本も持ってないので確証はありませんが、『駄菓子屋のおもちゃ』は『おもちゃ博物館』の内容の文庫版化なので、おそらく『人形』の内容も同じと思われます。


ぴょんぴょん駒の動物版も載っていて、ぴょんぴょん猫などと説明されています。


戦前のぴょんぴょん駒


そして戦後、1970年代のぴょんぴょん駒。
針金のバネが格段に進化しています。






2024年9月7日土曜日

バンコクのランドマーク・タワー

写真を整理していると、嫌でも目についていたバンコクのキングパワー・マハナコーンの写真がたくさんあり、これを紹介してタイ旅行報告の終わりとします。


楽しいビルが林立するバンコクで、とにかくその奇抜な形で目を引くマハナコーンビル、77階建ての集合住宅ビルで、ドイツの建築家オーレ・シェーレンが設計しました。
これは高速道路から見た写真です。


 チャオプラヤー川の路線船から見たマハナコーンビル。


サートン南通りから見たマハナコーンビル。手前の青いガラスのビルも奇抜です。
この写真、左の電信柱の電線が気になりますが、バンコクの電信柱はどこもこんな感じ、久しぶりに見たときは「うぅぅ!」と思いましたが、そのうち麻痺してしまいました。


電線は踊る!


歩道橋では触れる位置にも。


さて、マハナコーンビルには、地上314メートルにガラスの床、ガラスのフェンスで屋根のない展望台があり、お金さえ払えばだれでもここに立つことが出来ます。
考えただけで、足が震えてしまいます。
また、これを建設するために高いところに立って働いた人たち、ガラス磨きの人たちのことも、考えると足がすくんでしまいます。







2024年9月6日金曜日

ぴょんぴょん駒


戦前のぴょんぴょん駒です。
昔、縁日の夜店や駄菓子屋で売られていました。
練りもの製の人形の下に針金のばねをつけたもので、第一次世界大戦下の大正3年、練り物の下請け塗り業者が、ドイツ製のダンス人形からヒントを得てつくったのが始まりとされています。


ドイツのダンス人形が載っているかと、チェコスロバキアで出版された『Folk-toys Les jouets populaires』(Emanuel Hercik著、ARTIA、1951年)を開いてみると、ダンス人形は見つかりませんでしたが、チェコ東部にあるモラビアの博物館に所蔵されている、針金のバネがついた人形が紹介されていました。チェコはドイツのお隣です。


鶏もあって、鳥がおもなようでした。
ダンス人形は針金のバネで自立したのかどうか、ヨーロッパの鳥たちの針金のコイルの直径は細く、自立したものはありませんでした。


ぴょんぴょん駒を傾斜面に置き、人形の頭を押すと、ぴょんぴょんと跳ねながら下へと降りていきます。


針金のバネのついたぴょんぴょん駒には、軍人や騎手が乗った馬だけではなく、鳩、犬、ウサギ、狸、ひよこ、熊、猿、河童、タコなどもありました。


縁日や駄菓子屋でぴょんぴょん駒は子どもたちに大人気でした。


練りものの色つけが素敵、ばねのつくりも丁寧です。