2019年3月19日火曜日

洞峰公園

用事があって、つくばに行きました。
時間があったので、久しぶりに、コンクリートをはつった壁を見に、洞峰公園に寄りました。


目指すのは、わりと小さめの建物、大高正人さん(1923-2010年)が設計された、筑波新都市記念館(1980年)です。


外はレンガのようなタイル張りですが、中の打ちっぱなしのコンクリートの部分は、「はつって」あります。
ダッダッダと前後に振動する機械ノミを使ったかもしれない、「ビシャン叩き」という表面がでこぼこしたハンマーで叩いたかもしれない、そして部分的には、小さな手ノミを当てて、しこしこと叩いたかもしれない、おそらくその全部を組み合わせて、コンクリートをはつったものです。
その、柔らかい印象が素敵です。
我が家もコンクリート壁ははつってありますが、自力建設だからできたこと、膨大な手間と時間がかかるので、「はつり」は、昔はできたかもしれませんが、今ではなかなかできません。
つくばにCOXというレストランがあり、外壁を全部はつっています。これも業者がはつったものではなく、建築家の提案で、オーナーのしんごさん自身と、COXのために新規採用されたスタッフたちで叩いたものです。
開店前、彼らはくる日も来る日も、重いハンマーを打ち下ろしていました。

さて、目指した建物を入ると、右はギャラリー、左はカフェになっていました。


ギャラリーの奥に洞峰沼が見えます。
左に見えるのは集会室か、沼の上にせり出しています。


柱や、腰壁もはつってあります。
つるつるのコンクリートをはつると、中に含まれている小石などが表れて、岩のような表情を見せます。


左手のカフェです。


この、角の席が何とも魅力的でした。


洞峰沼が一望できました。
先ほどの集会室が、キャンティレバーという工法で沼にせり出しているのも素敵です。

空に見える線は、カフェの明かりがガラス窓に写っているもの

気持ちの良い空間で、とっても豊かな時間を過ごすことができました。







2019年3月18日月曜日

五箇山の紙塑人形

 

旧友Dさんから、小さな包みが届きました。
手紙が添えられていて、「お約束の「亥」を遅くなりましたが送ります」と書かれていました。
えっ、まったく覚えがありません。富山県五箇山の和紙細工と書いてありますが、それにも覚えがありません。


でもDさんは私より記憶力のよい方、「遅くなって」とありますから、数年前に送ってくださるお話が出ていたのかもしれません。


五箇山では、もともと紙が漉かれていましたが、30年ほど前から紙塑人形が作られるようになりました。
和紙を粘土状にして形をつくり、乾燥させて和紙を張ってから着色したものです。
和紙と糊のみでつくるので、一つ一つが違い、味が出るのだそうです。
Dさんのお話では、毎年の干支が素敵なので応援しているのだそうです。


ネットで検索してみたら、干支人形たちが出てきました。


そして、こんな招き猫もつくられていました。
森見喜美彦の『有頂天家族』に出てくる双雲の双子の息子たち、金閣と銀閣だそうです。
「......」





2019年3月17日日曜日

アイロン台


昨日は久しぶりにアイロンを使いました。
かつては、アイロンを少なくても一週間に一度は使っていたのに、今では月に一回使うかどうかです。アイロンの必要なものはできるだけ着ないでいるし、アイロンが必要なシャツなども、アイロンをかけずに平気で着ています。
そして、出番が少ないわりには、アイロン台は立派なものを使っています。


真ん中あたりについているレバーを引いて、高さを自由自在に調節できるアイロン台です。


畳むと私の背丈と同じくらい、大きなものですが、薄くなるので場所は取りません。

今までいろいろなアイロン台を使ったり見たりしてきましたが、印象深かったのは、デンマークの最北端のホテルのロビーのわきに、備えつけてあったアイロン台です。


壁にアイロン台がぶら下がっていて、その上にアイロンが収まっています。


台を持ち上げると、真ん中の棒が下がってきてそれがつっかえ棒になり、アイロン台の出来上がりです。


ホテルの人が使うアイロンだと思っていましたが、もしかしたら客が使えるアイロンだったのかもしれません。


小さなホテルで、ロビーも狭く、アイロン台はこの写真では手前の右の方にありました。


そして窓の外はこんな感じです。
このあたりは、海流に削られて砂が動いて海岸線は変わってしまうらしく、砂丘や痩せた土地が、海岸にそって広がっていました。
この原っぱの、ちょっとこんもりと高くなっている先に、海がありました。


あんなアイロン台をつくりたいと思っていましたが、場所がないし、やっぱりつくるのは手間、市販のアイロン台を使っています。





2019年3月16日土曜日

駄おもちゃ


材木屋さんに打ち合わせに行っていた夫、帰るなり、
「お土産だよ」
というので見に行くと、なぁんだ、材木屋さんの大きな机の上の箱に、「ご自由にお持ちください」と書かれて置いてあるおもちゃでした。
「なに?あげましょうと言われたの?」
私はいつもこれらをちらちら見ながら、時には手に取ったりもしますが、幼児連れじゃあるまいしと、欲しがったことはありません。
「なに、勝手に取っていいんだよ」
それはそうだけど、「いただきます」と言うのはちょっと勇気が要ります。
夫はこれの存在に初めて気がついたのでしょうか?


こういうものを手にするのは嬉しいものです。
早速やってみました。
透明のプラスティックの仕切りが見えないので、最初はスタートからゴールまでもたもたしましたが、一度覚えてしまえば、あっという間です。電子の複雑なおもちゃに比べると、子どもでもすぐ飽きてしまうかもしれません。


消しゴムつきの鉛筆もよさげです。
鉛筆についている消しゴムは便利なものだけど、小さくてすぐなくなってしまい、うっかりそれを抑えている金属でがしがしやってしまい、紙を傷つけたりするものですが、これはふんだんに消しゴムが使えそうです。

どれもMADE IN CHANA、100円ショップで売っているものなのでしょう。








2019年3月15日金曜日

『ふしぎの国のバード』


「これ、知ってる?」
と遊びに来た息子が、発刊間もない『ふしぎの国のバード①』(佐々大河著、KADOKAWA、2015年)を置いていったのは、4年も前でした。
「漫画は知らないけど、『日本紀行』は読んだよ」
「そう」
上野駅には今でも本屋さんが健在なので、息子は車内で読むためにその本屋さんで買ったのかもしれません。
その時は、たいして関心もありませんでしたが、置いて行ったので読みました。


こんな本があったことも忘れていた昨年、また息子が来て第3巻を置いていきました。
1巻は漫画らしくどたばたしていて、さして続きが読みたいとも思ってもいなかったのですが、3巻はイザベラ・バードの通訳だった伊藤鶴吉に焦点を当てていて、ちょっと新鮮でした。
また、当時の風俗も視覚的に楽しめる、ということで、欠けている巻を自分で買い足してしまいました。


最新刊の第5巻で、イザベラ・バードと伊藤鶴吉は、山形のあたりまで行っています。
ところが、伊藤鶴吉に以前通訳をしていたチャールズ・マリーズから、自分の通訳をしろと脅しがかかっていて、イザベラ・バードの通訳を降りなくてはならない危機に見舞われているところで第5巻が終わっています。


左がイザベラ・バード(1831-1903)で、右が伊藤鶴吉(1858-1913)です。


そして、イザベラ・バードから伊藤鶴吉を取り戻そうとしているチャールズ・マリーズ(1851-1902)は、ヴィーチ商会のプラントハンターとして、1877年と1879年に日本、中国、台湾で植物収集を行って、500種の新種の植物をイギリスにもたらしています。







2019年3月14日木曜日

『祈りの画集』

Gさんに、読み終わった『東京新聞』を回しています。
Gさんの家は山奥で、昔は今より道も悪く、新聞配達が行けなかったからです。
15年ほど前、我が家は『朝日新聞』から『東京新聞』に変えましたが、その後Gさんは、両方読みたいと、Nさんから『朝日新聞』ももらっています。


そんなGさんが、最近『朝日新聞』に連載された、野見山暁治先生の聞き書きを切り抜いて持って来てくれました。
私が野見山先生が好き、野見山先生の文が好きなことを覚えていてくれたのです。
ちなみにGさんは、田中小実昌が好きで、小実昌夫人の実兄が野見山先生であることを、知っていました。


野見山先生のご本はいろいろ読んだので、この連載聞き書きに書かれている内容はほぼ知っているものでしたが、『祈りの画集』がとても不評だったことは、初めて知りました。


『祈りの画集・戦没画学生の記録』(野見山暁治、宗左近、安田武著、日本放送出版協会、1977年)ができたのは、NHKの番組が契機でした。
画集をつくるにあたって、野見山先生は全国の遺族を回って話を聞いたり絵を見せてもらったりしたのですが(経緯はこの本に詳しい)、だんだん自分だけ生きているという後ろめたさにたまらなくなり、やめたいと思うようになります。
しかし、「では代わりの人を紹介して欲しい」と言われ、友人にこんな思いは押しつけられないと思いなおし、最後までご自分の足で歩かれました。


画集が評判が悪かったというのは、遺された絵に家族の姿や故郷の風景などが多く、「戦時中なのにのどかなモチーフばかり」というものだったそうです。
なんという、心無い評判だったのでしょう。
戦時中の緊迫感を描いてくれていたらよかったなんて、身勝手すぎます。


野見山先生は、戦地に向かう彼らが、心ににじむものや日常を描くのは当然で、これらの絵を彼らの「生きたかのあかし」ととらえていらっしゃいます。


幸い、野見山先生はその後窪田誠一郎さんと出会い、一緒に全国を回って絵を集め、20年後の1997年の、無言館の設立にとつながりました。

先生は現在98歳、東京と福岡を行ったり来たりされていますが、来年末から、100歳記念の展覧会を開く計画を進められているそうです。








2019年3月13日水曜日

歌舞く


作業するので、頭にかぶる手ぬぐいの引き出しを開けると、懐かしい、松崎笙子さんの歌舞くゆかた地でつくった手ぬぐいが、目に留まりました。


素敵素敵。
毎夏、銀座松屋で、歌舞くゆかたの新しいデザインが発表されるのを、楽しみにしていた時期がありました。


そういえば、浴衣も一枚持っています。
仕立て代をケチって、歌舞くゆかた縫製の専門家に頼まず、母に縫ってもらったものです。


「模様合わせはしっかりしてね」
と念を押したのですが、出来上がりを見て、仕立て代をケチったことを後悔しました。どことなく、気に入っていません。
母は、私もそうですが、模様合わせより、どうやったら一番多く残り布を取れるかを優先する人だったのです。大胆にはさみが入れられません。
というわけでこのゆかたは数度しか着たことがなく、箪笥に眠っています。


でも、歌舞くゆかたを見ると、元気が出ます。
もう少し気楽に着ればいいのですが、今年の夏は、ゆかたに暑すぎないでしょうか?