2019年5月22日水曜日

初代縁福猫


河村目呂二(1886-1959年)は彫刻家、文筆家でしたが、招き猫のコレクターとしても知られ、自分でも招き猫を制作しています。
もし誰かが(まぁ、どう考えてもほんの限られた人ですが)招き猫の歴史を語ろうとしたとき、目呂二の存在を抜きにしては語れない、そんな招き猫とは深い深い縁のある人でした。

河村目呂二の創作猫の中には、縁福猫やマネーキー猫があります。また、自身の膨大な郷土玩具のコレクションの中から選んで、大きさをそろえてつくり直して愛好家に領分した、「趣味の猫百種」という猫セットなどもあります。


しかし、目呂二の膨大なコレクションや創作招き猫は、東京大空襲によってほとんど失われてしまいました。


毎年復刻猫をつくっている日本招猫倶楽部は2010年の秋、河村目呂二の「初代縁福猫」の復刻猫をつくり領分しました。
「初代」と名売っているのは、目呂二がつくった縁福猫、通称「芸者招き」は一種類だけでなく何種類もあるからです。
その年には同時に、瀬戸にある招き猫ミュージアム(荒川・坂東コレクション)の復刻猫として、マネーキー猫もつくって領分、私はそのとき両方を手に入れました。

ところが、2011年3月に東北大地震があり、震度6弱に見舞われた我が家の猫たちは、5分ほど続いた大きな揺れで次から次へと棚から落ちて木っ端みじんに壊れ、縁福猫もマネーキー猫も失われてしまいました。
地震直後は、生き延びてくれた猫たちへの感謝の気持ちの方が強く、数百の割れた猫たちへの思いは、わりとさばさばしたものでした。


もう河村目呂二の復刻招き猫の領分はないだろうと思っていましたが、2017年にはマネーキー猫が再び復刻されました。今では招き猫ミュージアムショップでいつでも買えるようです。
それが今我が家にいるマネーキー猫です。


2018年秋には、日本招猫倶楽部から「二代目縁福猫」が復刻・領分されました。
縁福猫には3つの型がありますが、二代目はより人間くさい猫です。
私は、地震で「初代縁福猫」が失われたのを残念には思っていましたが、好みとしてはあれでぎりぎり、二代目はちょっと生々しすぎて、遠慮しました。


すると、2019年に入って、もうないと思っていた「初代縁福猫」が、また復刻されました。「初代縁福猫2010」と型は同じですが、2010年の縁福猫の着物が薄紫色だったのに対して、今度は薄荷色の着物を着ています。
「初代縁福猫2019」を、日本招猫倶楽部の会報で知ったのは今年の2月だったか、じつは前年の暮に、日本招猫倶楽部の代表であり招き猫コレクター・研究家である荒川・坂東夫妻にお会いしてから日数も経ってなかったので、そのとき私の招き猫熱はまだ燃え残っており、失われた猫がもう一度戻ってくるという想いもあって、「初代縁福猫」を注文してしました。
それが、今頃仕上がってきたのです。


絵つけのきれいなこと、艶消しの羽織に描いてある松竹梅の模様が光線の具合で浮き上がったり、帯留めとして鈴がついていたり、しゃれた趣向がそこここに見えます。

「二代目縁福猫」の予告の時、一人一体しか買えないこと、本物はほとんどないのだから偽物の縁福猫に注意すること、などの注意書きが載せられていました。
どうも、2010年の復刻猫をわざと汚し、底のシリアルナンバーを削り取り、オリジナルだとして売った(売ろうとした?)、金に目がくらんだ輩がいたらしいのです。
あさましいことです。
復刻猫には復刻猫としての良さがあります。


一度は失われたのに戻ってきた縁福猫、手にしてみると、「帰ってきてよかったね」という想いが沸いてきます。


そんな私の想いは気にせず、縁福猫は、のんきに手を高く挙げて妖艶とほほ笑んでおります。






2019年5月21日火曜日

駄猫ちゃん

その日は泊まり客がいて、私はいつもより3時間ほど遅く骨董市に行きました。
おもちゃ骨董のさわださんの店に近づくと、常連客らしい男性と座り込んで熱心に話し込んでいたさわださんがふっと目をあげ、目が合ったときにはもう、座ったままで箱の中から小さくて汚れた招き猫をつかみ出していました。
「これは持っている?」
「似たのはうちにいる気がするなぁ」
「そうか」
がっかりした様子から、さわださんはすぐ立ち直って、
「いくらだったら買う?」
いつもなら値段を連呼するのに、珍しく思案気味です。
「うぅん.....」
「1000円はどう?そのくらい欲しいんだけどなぁ?こっちの座布団をつけるけど」
と言いながら、招き猫がそれまで敷いていたより大きめの赤い座布団を取り上げました。私は笑いながら、
「もらうよ。でも邪魔だから座布団は要らない」
と断りました。
すると、そのやり取りを私の肩越しにのぞき見ていた女性二人組が、
「座布団、貰わないの?」
と、思わず声を出しました。もらえるものを何故?という口調でした。
「この人んち、招き猫がいっぱいいるんだよ」
とさわださん。
「へぇぇ」
と、女性たちは私の顔をのぞき込みました。その顔には、「なんとまあ、もの好きな」と書いてありました。


その猫です。
よく見ると、キリっとしたいい顔をしているじゃありませんか。


確か、似たような眼をした猫が我が家にいたなと思ったのですが、しかも何匹かいたと思っていたのですが、たった一匹しか見つかりませんでした。
しかも、ずっと変な顔をして、ずっとバランスが悪くて、ずっと汚れた猫でした(以前練りものかと思っていましたが、重さから違いました)。


ちょっとだけ感じが似ている(?)猫が、もう一匹いました。
この中で、手に持つと断然重いのは新入りの猫でした。
両側の猫は、ドロドロに溶かした生地を型に流し込んで成形したもので、薄くできていますが、真ん中の重い猫は、二つに割った型の内側に練った生地を指で貼りつけて型を合わせ、乾かしてつくったものと思われます。
つまり、手間も材料もかかっている、格(?)が違う猫でした。
なんとなく京都風ですが、何風でもこなす瀬戸あたりでつくられたものも、あるのかもしれません。


そうそう、そういえばお仲間の犬もいました。
左の2匹の猫は栞紐の、右の猫は化繊の布のきれっぱしの、そして犬はリリアンの首紐を首に結んでもらっています。
どれも射的の的ではなく、安いお土産ものだった雰囲気を漂わせています。安いお土産ものと言えばやっぱり、修学旅行の生徒たち目当ての「京都土産」だったでしょうか?


射的の猫たちと土産猫を比べてみると、「かわいさ」の基準がまったく違うつくり方をされた猫たちであることがわかります。
見たところ、頭の大きさなどから、土産猫の方が時代が古く見えますがどうですか、射的猫も並行して、別々の領域で棲息していたのかもしれません。






2019年5月20日月曜日

門の明かり

先週の火曜日、突然右足が痛くなってどうしたことかと思っていました。
痛みが治まらないとMRIは撮れないとのこと、木曜日に病院で一週間先の予約を取ったとき、一週間先ではまだ痛みが取れていないのではないかと心配でしたが、3日ほどですっかり痛みは取れ、これだったら5日先の予約でよかったかとさえ思われてきました。
病院でお借りした松葉づえは、一度リハビリに行った病院内で使っただけでしたが、片足が使えないときの松葉づえと違って、両足使える身体で松葉づえを使うめんどくささ、頭の中で「いちに、いちに」と号令をかけないと、足運びがごちゃごちゃしてしまいました。もっともその前の日は、足をあげられず、お風呂にも入れなかったのですから、ありがたいことです。
ご心配、ありがとうございました。


さて、4月の半ば、門およびそれの両翼の駐車場に設置する照明の、電球を取りつけるソケットを埋め込む器具をつくっておりました。
あれから夫はおりをみては、梁に穴を開けたり電線を引いたりと、その配線工事をしてきました。


それが、このほど完成しました。
まずは、入り口の坂道の途中から門の方向を見たところです。手前は坂道の明かり、これはずっと前からついているものです。


門の中心部分だけは照明器具が上を向いて間接照明になっており、出し桁(だしげた)を照らしています。


出し桁とは、水平の桁のこと、このあたりではその出し桁を重ねて見せる工法が、伝統的な家の玄関や門にみられ、我が家はそれに倣っています。
一番下の太い梁の上側に照明器具がついていますが、昼間はほとんど目立ちません。


明かりをつけると、屋根裏が明るくなります。


駐車スペースの照明は下を向いているので昼間も見えます。


上を向いている照明と下を向いている照明では、光り方も違います。


というわけですが、暗かった門のあたりに照明がつきましたが、もちろん毎日ライトアップするわけではありません。
夜に客人がいらしたり、お帰りになられたりするときに灯すだけですから、普段は門の照明のことなど、ほぼ忘れて暮らすことでしょう。


ちなみに我が家は、母屋の玄関も出し桁構造にしています。







2019年5月17日金曜日

しばらく休みます

ちょっと身体を傷めました。
身体の方は快方に向かっていますが、まだ気力が戻ってきていません。
しばらくお休みします。








2019年5月15日水曜日

ビーズ展

東京に行く用事がありました。
せっかく東京に行くなら、その前に上野の近代美術館で開催されているル・コルビジェ展を見たいと、夫が言います。
よかった、私は前々から近代美術館のお隣の科学博物館で、hiyocoさんのブログで知った「ビーズ展」を見たいと思っていたのでした。
というわけで、文化会館の前で別れました。


久しぶりに入った科学博物館、とても気持ちのいい空間でした。
私は博物館によく足を運ぶタイプではないのですが、真ん中を登って左右翼に展示室がある構造は、外観は違いますがプノンペンの博物館を思い出します。
一昔の博物館の定番、いつまでも残してもらいたいものです。

さて、ビーズ展、とくに木の実、貝殻、動物の歯やとげのビーズなど、興味深いものでした。
それにしても、これまで私はほとんどビーズに関心を持たないで過ごしてきました。何故かなぁ、その答えがこの展示会にありました。
トンボ玉、銀のビーズなど、ビーズは、どんな民族グループにおいても、権力やステイタスのシンボルとして使われることが多かったのです。そして私は、権力やステイタスのシンボルになるものには関心がなくて、どちらかと言えば民族グループの成員みんなが使っていたようなものが好きなので、ビーズとは縁遠かったんだなと気づきました。

展示室では、動画以外はほとんど撮影可能になっていました。
でも採光のせいで自分の影を映しこまずに撮影するのは難しいし、ガラスケースは光るしで、ろくな写真が撮れていませんが、素敵だったビーズ細工を少々、ご紹介します。


サモアのアダンの実のレイ、赤く塗ってなくても素敵そうでした。


ブラジルの蛇の肋骨の首飾り。
 

ブラジルの世界最大の淡水魚ピラルクのうろこを使った壁飾り。
うろこは白い部分らしい。では黒いところは何なのか、知りたい知りたい、でした。
 

ブラジル、イルカの歯の首飾り。


台湾の山間部に暮らしてきたタイヤル人の、スズメバチの頭でつくったお守りです。
獲物を捕りに森に入る彼らでさえスズメバチは怖い。そのスズメバチの強力な力を頼みにして、狩りに連れていく赤ちゃんの枕もとに置いたりして、お守りにしたりします。


ボツワナのダチョウの卵の殻も面白かったです。
動画があったのですが、まずダチョウの卵の殻をできるだけ小さく割ります。


割った破片にキリで穴を開け、動物の腱でつくった紐に通します。


そのあと、紐に通したダチョウの卵の殻を岩の上に置き、一枚一枚を、罠猟で捕らえたスティーンボック(アンテロープの一種)の角で欠いて、形を整えます。
だいたいの形が整ったあとで、全体をこすって整えます。


ダチョウの卵の殻のブレスレット。


この首飾りも、白い部分がダチョウの卵の殻でできています。


貝もタカラガイだけではなくて、いろいろな貝がビーズとして利用されてきました。
左手前はアンボンクロザメ貝、それを輪切りにしてつくった左奥はパラオのネックレス、右はパプアニューギニアのブレスレットです。
ミュージアムショップにアンボンクロザメを売っていたので、買って帰ってつくってみようかとも思いましたが、絶対つくらないと、買ってきませんでした。


そしてこれは、シワコブムシロ貝でつくったパプアニューギニアの頭飾りだそうです。
タカラガイは交易で内陸深くまで運ばれましたが、これらの貝は、遠くまでは運ばれなかったのでしょうか。










2019年5月14日火曜日

散り蓮華

今朝起きたら、上唇に違和感があります。
「ん?」
あぁ、そうだったと思い出しました。昨日金属の蓮華を使ったのでした。

日曜日から、息子が友人夫妻とともにきて泊まっていました。
そして昨日、
「お昼を食べたら帰る」
「食べたいものある?」
「タイ料理がいいなぁ。無理だったらそうめんでもいい」
「材料はあるからできるわ」
というわけで、タイ語でカオマンカイという、アジア風チキンライスをつくることにしました。もとは中国南部の料理らしいのですが、東南アジア一帯に広がっています。
タイではお昼の定番で、鶏をまるまま茹でたのが店先にぶら下がっていたら、カオマンカイを食べさせるお店、鶏がなくなったらその日の商いのおしまいです。
バンコクでは、今では冷房の利かないレストランは絶滅状態かもしれませんが、その昔は、大衆食堂の入り口の戸は開けっ放し、客席が道にはみ出したりもしていて、外と一体になったお店ばかりでした。


カオマンカイを食べるなら、やっぱり蓮華でしょう。
ところが、手ごろな大きさの蓮華はもともと4つしかありません。
小さい蓮華はありますが、たれに添えたりするならともかく、食べるにはちょっと小さすぎます。
 

でも、5人だから、私だけステンレスの蓮華を使えばいいのです。
タイでは 30年ほど前まで、食堂ではアルミの蓮華が出てくるのが普通でしたが、今はどうでしょう?


というわけで、私だけステンレスの蓮華を使いました。
しばらく使っていたら、上唇が痛くなってきました。蓮華の端が鋭利なわけでもないのですが、厚みがないので擦れているうちに、だんだん痛くなったのです。それに気づいてから、さらにゆっくり使いましたが、唇が傷ついてしまったようです。
昔は平気で使っていたのですから、きっと私の皮膚の方が弱くなってしまっているのでしょう。当節はめったに金属のスプーンも使わず、もっぱら木のスプーンばかり使っているので、唇の甘やかしすぎかもしれません。






2019年5月13日月曜日

ガティップ・カオ


ラオス、ヴィエンチャン近郊の村でつくられている蒸したもち米入れ、ガティップ・カオ(タイ語ならクラティップ・カオ)です。
どうも日本向けに小物入れとしてつくってもらったらしい、そのため、ガティップ・カオにはつきものの、紐抑えと紐がついていません。
かつては紐も、ヤシの葉で編んだりした味わい深いものがついていたのかもしれませんが、私の知る限り、40年も前からナイロン紐などがついていて、取り外してしまいたくなるのも、むべなるかなという感じですが。


のぞいて見ると、中は竹を半削りした皮の部分を表に出しています。


つまり、この籠は二重に編んであって、外から見ても中から見ても竹の皮側しか見えないつくりになっているのです。
編み方は、半皮つきの薄く薄く削ったひごを、皮を内側して、底から編みはじめます。形ができたところで口(縁)で折り返し、口から数段は形が崩れないように「綾編み」を続け、途中で形を自在に整えられる「平編み」に変えて下まで編み、底にかかったときに再び綾網に戻して、編み目を詰めると同時に形崩れしないように編んであります。


底を見ると、竹の端を始末したりした「編み終わり」感がなんとなく漂っています。


蓋の方はと見ると、こちらは編みはじめですから、本体の底に比べるとすっきりしています。


蓋の縁は折り返して始末してあるので縁は二重、蓋の中だけ、竹の半皮つきでない方(裏)が見えます。
それにしても、湿らせているとはいえ折れやすい竹を難なくきれいに縁で織り込んだ腕、ラオスの籠師さん、お見事です。
ヴィエンチャン近郊の村で食事をいただいたことも何度かありましたが、この形のガティップ・カオには、出逢ったことはありませんでした。


ラオスでもっとも一般的なのは、この形でしょうか。
これらはラオス南部、パクセあたりの人がつくったものです。


タイでも、東北部と北部では蒸したもち米を食べる文化を持っています。
クラティップ・カオも村によって形は様々、竹と木の板との組み合わせたものもあり、ラタンと木を組み合わせたもの(左奥)もあります。
蓋の頭が尖った形のクラティップ・カオはおもに、東北部のマハーサラカム県とヤソトーン県でつくられ、使われています。


タイ北部ナーン県の最北部、ラオス国境に近い村の長老の手による、木彫りのクラティップ・カオです。家には長老手づくりの道具がそこここにありました。大きな木のねじ形のサトウキビを絞る道具、たばこの葉を細く刻む道具などなど、いずれも見事なものでした。
木のクラティップ・カオの底は抜いてあり、そこに丸い板を置いて使うようにできています。
私が泊めていただいた家では、前列のような市場で買ってきた竹で編んだコン・カオにもち米を入れていて、こちらが村では一般的でした。

クラティップ・カオとコン・カオの違いは何か、どちらも蒸したもち米入れですが、紐がついているついていないの違いだけかもしれません。クラティップ・カオがお櫃でコン・カオがお弁当箱というわけでもありません。
みんなで田んぼや畑に行くとき、クラティップ・カオをぶら下げていき、出小屋の柱などにかけておいて、食事時にはそれを囲んで食べることもあります。
もち米は朝まとめて蒸したのを夜まで食べるので、紐がついていれば、涼しいところに吊るして置けて、アリにやられる心配もありません。


これはどちらも市場で見かけたクラティップ・カオで、左はココヤシの殻でできています。
ココヤシのものの蓋は、マハーサラカム県やヤソトーン県に見られる形なので、そのあたりでつくられたものかもしれません。
ちなみに、クラティップ・カオやコン・カオは、もち米の乾燥を防ぎます。
  

コン・カオのいろいろです。
ラオスのもの、タイのもの、山地民のもの、平地民のもの、いろいろ混じっています。
仕事でタイに頻繁に出張していたころ、市場で手ごろなコン・カオを見かけると買っておきました。フタバガキの羽のついた種などを拾ったときコン・カオに入れておけばスーツケースの中でつぶされないで運ぶことができたからです。


コン・カオはあちこちに置いて来たり、人にあげたりしたのに、クラティップ・カオとコン・カオを一堂に集めてみたら、こんなにありました。