2014年1月31日金曜日

復興ふうせん


仙台で、飲み屋の「炉ばた」に連れて行っていただいたとき、炉の後ろの壁に、ビニールの袋に入っているものがいくつかぶら下がっていました。
遠くてよく見えなかったので、
「それは何ですか?」
とおかみさんに聞くと、
「ああ、これ。 津波で被災された方たちがつくっているふうせん。あげますよ」
と言われて、いただいてしまいました。
「復興ふうせん」と名がついています。


一番大きいふうせんで、直径が5センチほどしかありません。


以前、もっと大きな紙で、同じふうせんをつくってみたことがありました。
大きな紙でつくっても、最後の方は思うように組み合わさってくれず、癇癪を起しそうになるというのに、よくこんな小さな紙でつくれたものです。小さいふうせんは、一番幅の広いところでも、2センチもありません。きっと竹串を使ったりしてつくるのでしょう。

この復興ふうせんは、炉ばたの方が津波の復興支援のために買われたものだと思われますが、つくったのは、仙台市若葉区の「なな色会」のみなさんです。





2014年1月30日木曜日

きりこ



仙台でもう一軒、Hさんに連れて行っていただいた飲み屋は「炉ばた」、全国にある炉ばた焼きの店の元祖だそうです。
コの字型のカウンター席の中には畳が敷いてあり、真ん中には炉があって、お酒のお燗をする、お湯の入った燗鍋が火にかけてありました。

普段ほとんどお酒を飲まず、飲む時も冷やで、熱燗の味はすっかり忘れている私ですが、炉の道具の風情に惹かれて、久しぶりに熱燗をいただいてみました。絶えて久しく忘れていた味でしたが美味。お酒もすすみ、お酒は熱燗がいいなぁと、思ったことでした。

お酒と言えば必ずお燗をする時代がありました。
父の晩酌も熱燗でしたし、もっと小さい頃、家に客人があったり寄り合いのときは、忙しい大人に代わって、空のお銚子と燗をしたお酒を持って、台所とお座敷のあいだをを往復するのは子どもの役目で した。


その「炉ばた」の神棚に貼ってある「きりこ」は、南三陸地方に古くから伝わるお正月の切り絵です。


神職が切ったもので、各神社で違った意匠になっているとか、「炉ばた」には三枚飾ってありましたがどれも素敵でした。
神棚の達磨は、仙台の松川だるまでしょうか。


次の日に、Hさんに松島、石巻、女川、南三陸町と連れて行っていただきました。
町が津波で一掃された南三陸町志津川の仮設の商店街には、


きりこの意匠でつくった切り絵を模した看板が、ずらっと並んでいました。
今は、きりこの看板が仮設商店街の周りに集められていますが、土地整備のはじまる前は、酒屋さん、散髪屋さん、八百屋さんなどなど、津波で流される前にお店があった、その場所に立てられていたものだそうです。
一つのお店で二枚セットのきりこには、屋号や職業のわかる絵を切ったものと、メッセージとが表されていました。





2014年1月29日水曜日

あら、なつかしや


夫の所用にくっついて行った仙台の夜、旧知のHさんが連れて行ってくれたのは、仙台駅前の長い商店街アーケードを通り抜け、その次のアーケードも通り抜け、曲がってまた別のアーケードを歩き、さらに曲がってやっとたどり着いた、古くからある飲み屋街のいろは横町にある、「なつかし屋」でした。
一階は八人くらいしか座れないカウンター席で、まとまった人数(私たちは五人)の一行は、梯子のような急な階段を上って、幅が一間しかないような、狭くて細い座敷に落ち着きます。


二階の席は、
「飲み物は運べないから、勝手にやって」
という感じで、客自身がそこに置いてある冷蔵庫を開け、お酒やビールを取り出して飲みます。

壁には、古い映画のポスターが、所狭しと貼ってありました。


部屋に置いてあった氷削り機は、


富士山に船、そして天文台に人工衛星というユニークな図柄でした。
この機械がつくられた年に、人工衛星が打ち上げられたのでしょうか?


使われているお皿やグラスも、なんとなく古風で、


素敵でした。
 

入った時は気がつきませんでしたが、お店を出たとき通りからショーウインドーをのぞいたら、お酒と並んで、大きな快獣ブースカの人形が置いてありました。
 

そして、その足元にはニャロメとおばけのQちゃんが.....。
料理だけでなく、ノスタルジックなものたちも楽しめた、仙台の夜でした。

お手洗いが気になりますか?
いろは横町の小路の一角に共同のお手洗いがありました。



2014年1月28日火曜日

わら細工の亀

先週末、夫が所用で仙台に行くのに、ついて行ってきました。

留守番できない犬がいるので、昨年のうちから犬も泊れるホテルを予約しておいて、車で行きました。

 
途中、那須湯本にある、以前からちょっと気になっていた「みちのく民芸店」を訪ねてみました。


那須湯本は温泉の町、硫黄のにおいがほのかに漂っています。
しかし、日本の古くからの温泉町は、さびれているところが多いようで、通りにはほとんど人影はありません。湯治のほかに、慰安旅行(死語!)や社員旅行など、誰もがどっと温泉地に繰り出したのは、いつ頃までだったのでしょう。
今は、社員旅行でさえ、海外に向かう時代です。

古民家を移築したというみちのく民芸店は、開店から今年で55年目だそうです。
全館がステップフロアになっている広い店内には、所狭しと日本全国の郷土玩具、籠、民具、古いお皿などが並んでいました。郷土玩具の中には、前から気になっていたものもあれば、すでに廃絶してしまった貴重なものもありました。
ところが私には、一度にたくさん見ると何も欲しくなくなってしまうくせがあります。じっくり時間をかけて見せていただきましたが、買ったのはわら細工一つだけでした。


わら細工の亀は、この冬つくったばかりのもので、まだ青々としていました。年月が経つと、わらは茶色くなります。


実は、鶴亀セットで売っていたものでしたが、鶴はあまり気に入らず、亀だけいただいてきました。


たてよこに組んだわらを膨らませて甲羅にし、その先を縛って手足にしてあります。
わりと簡単につくれそうだけど、実際つくってみると、縄さえ、綯うことができないかもしれません。


お昼前でしたが、みちのく民芸店の喫茶コーナーですいとんをいただきました。 すいとんには小麦粉だけではなく、もち米の粉も入っていたのでしょうか。もっちりと美味だったこと、歯ごたえのいいきのこもたっぷり入っていました。
つけ合せの山芋こんにゃく、小指に先ほどの小さな茄子の辛子づけなども、繊細な味で美味でした。


2014年1月27日月曜日

東京駅丸の内駅舎メジャー


以前、くらりんさんのブログの東京土産を見ていて、すぐに欲しくなって注文してしまった東京駅丸の内舎メジャーです。


メジャーテープの模様は、もともと三種類あったはずですが、 JRのネットショップに注文した時は、残っていたのはE6系スーパーこまちのみでした。
全部そろっていたなら、山手線が欲しかったのですが、スーパーこまちでも、前ほど残念に思わなくなりました。
というのも、週末に東北の方に行くことがあって、スーパーこまちがさっそうと走る姿を実際に見たからです。


掌にちょうど乗る大きさ、長辺7センチです。
テープの長さは150センチしかないし、軽快には出て来ないので、使い勝手はよくないのですが、どうせ使うつもりはないので、問題ありません。
駅舎のてっぺんの突起を押すと、テープが戻ります。
 

窓部分はちょっと光っているので、印刷したテープを張ってあるのでしょうか?
それにしても、実によくできています。
MADE IN CHINAの東京駅でした。








2014年1月23日木曜日

首輪

徒然なるままに、猫のトラの首輪を眺めていました。
「ちょっとくたびれていない?」
もう三年かそれ以上、つけっぱなしです。

おりしも、わちふぃーるどのウエブショップで、猫の首輪を売っていました。
「買ってやるか」


届いた首輪です。
猫の首輪って、どうして鈴がついているのでしょう?
首に鈴をつけるという発想は私にはありません。もし、自分が鈴をつけられて、動くたびにちりちり鳴ったらどんなに嫌だろうと思うので、首輪の鈴はいつも取ってしまいます。


さて、新しい首輪をつけた姿ですが、後ろからのぞき込むように見る以外、毛に隠れてほとんどえません。
「なんか、目立たないなぁ」
新しい首輪にした甲斐は、ほとんどありません。
「もったいないなぁ」


昔の首輪は、くたびれたとはいえまだ使えます。
というわけで、また古い首輪をつけ直されたトラでした。


漆の菓子皿


顔見知りの骨董屋さんが、漆のお皿を持っていました。
安っぽいものだけれど、ついている値札は、「500円」だし、お菓子の皿にぴったりです。

裏には屋号が、表には金彩の三つ巴が入っています。三つ巴は最初からの模様ではなく、後から入れた家紋のようでした。真ん中でないところがおしゃれです。
木がゆがんでいないのをと選んでいると、
「二枚、高台の欠けているのがあるのよ。何枚持って行く?」
と、骨董屋さん。
「六枚」


「高台が欠けている二枚はおまけ。あと一枚だけ残るからそれもおまけよ」


と、六枚分の代金で九枚も貰って来てしまいました。
すごい、すごい!


安っぽいと言いましたが、安っぽく見せているのは、赤と黒の取り合い部分です。でも、誰がやってもこういう取り合いって、難しそうです。
全体的には、手慣れた職人さんの仕事で、轆轤は薄く引いてあるし、ゆがんでかたかたするお皿は一枚もなかったし、金彩は見事です。

裏の欠けも普段使いには目立ちません。が、気にはなります。いっそ燃やしてしまうか。思案のしどころです。
修理してもらえば、きっとお皿全部の値段より高いものにつくでしょう。


基本的にはお菓子のお皿として使いますが、煮物を盛ってもおかしくありません。

それにしても、我が家の水屋は懐が深い!
もうこれ以上食器は入らないだろうと心配していたのに、すんなり収まってしまいました。


菓子皿の選択肢が増えました。



2014年1月22日水曜日

おもちゃ三昧、ってほどでもないか


先日母から、「人生何があるかわからないので、その準備を怠らないように」と、暗に私の浪費癖を戒める手紙をもらいました。
ところが、相変わらず、屁の河童、蛙の面にしょんべんの私です。


骨董市でさわださんのもっていた、射的の猫。
たかが射的の的でも、手彩色したかわいらしさ、見過ごすことができませんでした。


同じく、焼き物の下駄です。
「どうしてこんなものを欲しがるの?」

その昔、三足の下駄セットを持っていました。
小指の爪ほどの大きさの下駄で、お雛さまを飾るとき一緒に飾っていたことを、この下駄を見て思い出してしまいました。
あの下駄はどこへ行ったのでしょう?
 

「ぎおんげた」?、まさかね。
下駄以外は読めません。


男下駄に書いてある文字も、大入りは読めるけれど、黒い字は読めません。


こんなお土産をもらった子どもたちは、やっぱりお雛さまの時に飾ったのでしょうか?
それとも遊んで、すぐに割ってしまったのでしょうか?





2014年1月21日火曜日

三宅八幡宮の鳩


長い間、おもちゃが並んでなかった骨董市のまことさんの店に、大きな土の鶏と一緒に、古い鳩のつがい(というわけではないかもしれない)が並んでいました。
京都の三宅八幡宮の鳩だと思います。
鳩は神さまのお使いというわけですが、三宅八幡宮の境内には、狛犬のかわりに大きな鳩の像があるそうです。

さて、八幡宮と名のつく神社は、全国に約44,000社もあります。大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社としているのですが、どの八幡宮も鳩と無縁ではありません。
なぜ、鳩なのでしょう?

 
今、金達寿の『日本の中の朝鮮文化』(講談社学研文庫、もともとは1970年、文庫版は1983年、学研文庫は2001年)を読んでいます。
これまで、歴史にも神社仏閣にも、あまり関心なく生きてきましたが、この本は面白い。学者たちがこつこつと調べた研究の成果の足跡を、金達寿がたどっている本で、関東編では私の住む八郷にも来ています。
ところが八郷では、案内してくれる人の関心と金達寿たちの関心がずれていて、大きく空振りしています。見たいものが見えず、知りたいものが知れず、行きたいところに行けなかったのです。

ちなみに、我が家は、今でも使われている住所名の下に、地域の人たちが日常的に使う班名がありますが、そのさらに下に、土地区分の台帳などを見なくてはわからない、「小々字」 まであります。また、通称もあります。そんな名前は、誰の目にも耳にも届きませんから、ちょっときて、土地の古い名前から、帰化人の足跡をたどるのは、なかなか難しそうです。
金達寿たちの行けなかった、国分寺の瓦を焼いた窯跡では、帰化人がつくったという証しである布目瓦が今でも拾えます。

さて、この本を読んで感じるのは、すべての神社は帰化人と関係あったのではないかということ、しかもそのことが、いまでは完全に覆い隠されているということです。

朝鮮からの帰化人は、一時代だけではなく、百済、新羅、高麗と何回も海を渡って来ていて、その都度、織物、瓦づくり、須恵器(朝鮮土器)づくりなど新しい技術を持って、各地に定住していきます。そして、各地に競うようにして氏神を祀る神社をつくります。
祖国朝鮮では、仏教の伝来とともに神社はすたれるのですが、日本では遠く故郷を離れたという望郷の念もあり、祖霊を祀ることは、衰えるどころか活発化して行きます。
この本をちらっと読んだだけでも、日本社会・文化そのものが朝鮮人の帰化人の重層構造でできたと考えられますが、それは隠され知られていません。和人というのは、いったい誰なのでしょう?

古墳もすべてが朝鮮系の人たちのお墓のようです。そして、茨城県だけでも、この本を読むまで知りませんでしたが、1964年までに調査された古墳が5,871基もあります。それでも群馬などに比べると、少ない方です。


話が逸れました。
八幡宮も朝鮮文化と関係あるのかと思いますが、鳩との関係はわかりません。もちろん、鳩にまつわる神話はいろいろあるようです。

同じ日に骨董市の別のお店で、宝珠をくわえた狐に、真黒い顔の神さまが乗っている木彫を見ました。見事な出来で、たいへん興味深いものでした。
狐、鳩、牛、馬、狛犬など、動物が神さまの使者として登場してくるのは面白いことです。


この鳩は、昭和初期のものか、あるいはもっとさかのぼるのものだと思います。
なかなかの風格があります。

三宅八幡宮の授与品の鳩や、男山八幡宮の授与品の鳩は、伏見でつくられた伏見人形だそうです。


横から見てもそうですが、上から見ると、細身の姿に時代を感じます。
人の好みというのは、どうして変化していくものなのか、最近のものは、何でも丸っこくできています。



2014年1月20日月曜日

カンボジアのカラフル

お正月に写真を整理していたら、目当ての写真は見つからなかったのですが、カラフルな写真が出てきました。


カンボジアのジュース屋さん。ガラスケースに果物を並べています。
左の端にミキサーが見えますが、あれこれ果物を選ぶと、氷と一緒にミキサーにかけて、その場で冷たいフレッシュジュースをつくってくれます。

どうおいしそうに見せて、道行く人の足を止めさせるか、果物の並べ方が腕の見せ所です。
パイナップル、マクワウリ、パパヤ、ぶどう、にんじん、パラミツ、龍眼、バンレイシ(下の写真)などが見えています。


果物だけでなく、ガラスケースの上に乗っている卵とコンデンスミルクも混ぜるので、ジュースは甘くて、とっても濃厚な味になります。
これは、メコン川を船でさかのぼった、クラチエの岸辺に何軒も並んでいるジュース屋さんの一軒です。
木陰に休み、一杯のジュースを飲むのは至福の時間です。


町の風船屋さん。
風船屋さんは、いつでも、どこでも遠くからでも目立ちます。そこに花が咲いたようにカラフル。いつか一つ買ってみたいと思いながら、一度も買うことがありませんでした。


お寺の天井にぶら下げた飾りです。後ろに見えているのは、お釈迦さまの一生などを描いた、天井画でしょうか。

飾りは、あまり布、あまり糸、紙など使ってつくっているのに美しいこと。ゆらゆら揺れるさまは、極楽のようです。