2016年1月31日日曜日

寒い日の楽しみ


昨日は雪交じりの冷たい日で、薪ストーブを焚きました。
薪を足すには、ストーブの前にしゃがみたいのですが、犬猫がほっこり落ち着いているのを見ると、そうはいきません。
二匹の間にどかっと足を入れて、扉を開け、中腰で薪を足しても、彼女たちはびくともしません。


ストーブの上部のオーブンでサツマイモを焼きました。焼き芋は犬猫の大好物です。
近くの温かいところでヨーグルトを発酵させていますが、近づけすぎるとできすぎてしまいます。お湯が沸いたら、お茶を入れます。
寒い日の楽しみです。






2016年1月30日土曜日

メキシコの降誕人形


久々に、ヤフーオークションに参入してしまいました。
さっさと寝てしまって、終了時間まで見ていなかったのに落札できてよかった。メキシコの土でできた、小さな小さな降誕人形です。
生まれたばかりのキリストだけが、やけに大きくて、まるで背泳ぎの選手が紛れ込んだようですが。


賢そうな羊たちは、長さが18ミリほどです。


牛と馬は手足が面白い。
 

複雑に折り曲げられています。


聖母マリアとヨゼフ。


東方の三賢者たち。


お揃いのコートを羽織って、贈り物を携えています。


この男性は、オークションの説明写真では、どの写真でも仰向けに寝転がって、台の底を見せていました。
何か致命的な欠陥があって立たないのかもしれないと覚悟していましたが、届いてみたら、なぁんだ足首の針金が曲がっていただけ、ちょっと戻したら簡単に立ちました。
エジプトあたりの人みたいで、横姿もりりしく、贈り物も大きく、素敵な土人形でした。この中では一番背が高くて、33ミリあります。


手を合わせて祈る天使。


アメリカのボストン郊外の町ケンブリッジに住んでいたころ、プリマスだったかセーラムだったか、知人に連れて行ってもらったことがありました。その港町に並んだお土産物屋さんのショーウインドーに、メキシコ製の土の人形が箱に入っておかれているのを見ました。
メキシコの、土でできたろうそく立ての人形は、住んでいた町でも見たことがありましたが、カラフルな人形たちのセットは初めて見ました。そのときは、それが降誕人形だということも、知りませんでした。

その人形を手に取った記憶がないので、その店はあいにく、閉まっていたのだと思います。でも、小さなショーウインドーの片隅で輝いていたこと、メキシコ製だったということ、値段が10ドルだったということは、今でも鮮明に覚えています。
その人形だけのために、その地をまた訪れることはあり得ません。それに、当時は収入のない筍生活をしていたので、10ドル(当時は3600円)は贅沢以外の何ものでもありませんでした。
というわけで、どっちみちあきらめざるを得なかったのですが、その人形のことは、長い間、悔しい思いとともに、忘れられませんでした。

やがて、それが降誕人形と知り、外国の土人形に関心を深めるきっかけともなりましたが、フランスやペルーなど、ほかの国の降誕人形を手に入れてからも、「あのときの、メキシコの降誕人形」という思いから解放されることはありませんでした。

この降誕人形は、あの時の降誕人形と色も形も違いますが、なにせメキシコの人形ですから、やっと「あのときの、メキシコの降誕人形」という思いから解放されそうです。
しかも、半世紀近く経ったというのに、そのときの降誕人形の値段より安く手に入れました。有り難いことでした。






2016年1月29日金曜日

下屋に垂木がつきました

今日は雨、大工さんたちはお休みです。
私たちも疲れがたまっていますが、連日の重労働で、大工さんたちも疲れているはずです。十年前に母屋の上棟をお願いした大工さんたちと同じ顔触れなので、私たちが十歳年を取った分、大工さんたちも十歳年を取っています。
 
1月25日の上棟をさかのぼること三日前の午後、お隣のJさんが様子を見がてら手伝いに来てくれました。
その日は足場屋さんが足場を設置しに来た日、大工さんが土台を取りつけに来た日でしたが、Jさんと夫と私の三人で、垂木材を、自動鉋に通す作業をしました。
自動鉋は、ある程度の厚み、1.5ミリとか2ミリとか削るなら、スムーズに材を引き込んでくれます。ところが、材がやせていて、ぎりぎりの厚み、せいぜい0.5ミリくらいしか削れません。すると引き込みが悪いため、渾身の力を込めて押したり、引っ張ったりしなくてはなりません。


Jさんは、次の日もまる一日手伝ってくれました。
それでも削り終わらず、30本ほど残ってしまいましたが、もう一本も削りたくないほど、くたくたでした。


さて、上棟から三日目、高さなどいろいろ調整の終わった大工さんたちは、すでに垂木を設置する準備です。


四日目の昨日は、どんどん垂木が並んでいきました。


垂木の切り落としは、複雑な形をしています。


定規も当てずにフリーハンドで切っているのに、なんときれいに切れているのでしょう!
私など直角でなくなると、途端に頭が混乱してしまうというのに....。


その複雑な切れ端は、垂木を隅木(すみぎ)に収めるところ、屋根の角のところの収まりです。


一日で、下屋の垂木は全部つけ終わりました。

さて、毎夜腕が痛んで眠れない私、しかも垂木の鉋がけは夢にまで見て、目が覚めてしまったほどでした。
数日はまったく残りに手をつける気もしませんでしたが、大工さんたちの垂木を設置するスピードに押されて、中四日おいた昨日、渋々再開しました。
しばらく削っていたら、夫が、
「下屋の野地板を貼ってから、本屋根の垂木はつけるらしいから、先によどに鉋をかけてくれってよ」
と伝えてくれました。
「あれ、そう」


軒の先端に置くよどは、三角形の材です。三角形なので自動鉋で削るわけにいかないので、電気鉋をかけるので、手間はかかりますが力は使わなくて済みます。


それにしても、一本一本は、なんとなく反ったりねじれたりしていた垂木材が、なんときれいに並んでいるのでしょう。






2016年1月28日木曜日

覆輪


砂糖壺の砂糖を使い切ったので、新たな砂糖を入れる前に、壺を洗いました。
文明開化のおもしろい模様に惹かれて、カンボジアのプノンペンで買った蓋ものですが、縁が欠けないように、真鍮の帯が巻いてあります。


中国からの移民が持って来た、あるいは東南アジアに定住した中国人のために、売られた清時代の焼きものには、ときおり真鍮を巻いたものがありました。
ずいぶん前からタイやカンボジアで見かけて、すっかり見慣れてしまっていましたが、もしかしたら、日本の焼きものには、こうした仕上がりのものは一つもなかったでしょうか?

陶磁器に金銀を巻くことは、覆輪(ふくりん)と呼ばれ、呉越国の貢陶を目的とした中で生まれたものと考えられています。
その技術は宋朝においても珍重され、太平興国3年(978年)に設置された文思院の管轄下の42の工房の一つ「稜作」で、宮廷容器の覆輪製作が行われていたことがわかっています。
官窯でおこなわれていた覆輪が、いつから民窯でもおこなわれるようになったかは不明ですが、以後、千年以上も絶やすことなく、技術が受け継がれてきたのでしょう。

素人考えですが、つなぎ目がないことから、真鍮板を輪に切り出し、叩いて焼きものに沿わせたものとおもわれます。叩けば割れてしまう磁器に、どうやってぴったりと沿う帯をつくることができたのか、はめることができたのか、考えてみれば不思議です。


砂糖壺にしている蓋ものには、蓋のつまみにも真鍮を巻いてあり、


糸敷にも巻いてあります。


間にゴミがたまったりしないように、ぴったりと巻いてありますから、職人さんの腕恐るべしです。


このお皿も真鍮が巻いてあります。


厚みのある縁なので、熟練した職人さんにはそう難しいことではなかったのかもしれません。


でも、この湯飲みは、もともと、ものすごく薄くできているので、


衝撃を与えればすぐ割れてしまいそうです。
こんな細い縁にあった、細い真鍮を巻くのは、とても大変だったと思います。


一つ、ずいぶん前に真鍮の輪が外れてしまいました。
口にするものですから接着剤で留めるというわけにもいかず、ほん陶さんのような修理してくれる人も知らなかった昔で、漆にかぶれるしで自分で修理するというわけにもいかず、そのまま直さないで何度か引っ越ししている間に、真鍮の細い輪は失われてしまいました。


いくら、薄く仕上げて、模様を丁寧に描いたので、割れて欲しくないと思った器でも、もう一手間かけて真鍮を巻くより、新しくつくった方がましだと、私なら考えてしまいます。
しかも、接着剤として漆も使っていません。ただ、巻いてあるだけなのです。






2016年1月27日水曜日

上棟二日目


昨日は、棟上げ二日目でした。
クレーン車(ジャッキ)は残念ながら来ることができなかったのですが、足場屋さんが自分のクレーン車を持ってきました。360度、簡単にはぐるぐる回らない、旧式のクレーンです。クレーン車はほんのちょっぴり働き、あとは足場屋さんたちの人力でしたが、そのつもりで前日にクレーン車でしかできないことは済ませておいたので、問題ありませんでした。
 

この日のもっとも力のいる作業は、大梁に登り梁を据えつける仕事です。
 

登り梁の完成です。


次は、登り梁の上に母屋(もや)を置きます。


本屋根の一番下の母屋の下には、通常めんど板をはめて、外気が入らないようにしますが、めんど板の代わりにガラスを入れます。


こうすると、屋根と壁のつながり方が軽くなり、中の明かりはこのガラスから漏れて、夜は屋根が浮いているように見えるというわけです。


母屋ができると、屋根の形が見えて、建物らしくなってきました。
 

お天気に恵まれて、二日で上棟が終わりました。

今日から大工さんたちだけが来てくれています。
細かい調整がいっぱいあるようですが、それが終わって、垂木を乗せ、野地板を貼ったら大工さんたちも終わりです。






2016年1月26日火曜日

上棟しました

昨日は作業棟の上棟でした。
もともとはクレーン車(ジャッキ)が二日間来る予定でしたが、諸事情で一日だけとなりました。本当に一日だけで大丈夫なんだろうか?
気をもんでも仕方ありませんが、大いに気をもんでいた数日でした。

上棟当日、私は材木を包んでいた紙やビニールを拾い集めていただけでしたが、それでも緊張が伝わってきました。
ちょっとした難関を迎えるたびに、何にもできないのに、やきもきしてしまいました。


クレーン車は一番乗りで、7時過ぎにはもう到着しました。
こんなに小さいのに、怒迫力です。
 

やがて、足場屋さん四人、大工さん三人が到着、クレーン車の運転手さんも一緒になって、テンポよく作業が進みます。
必要な材を見つけ出し、紐をかけたり、それを受け取ったり立てたりと、飛び回って力仕事をするのが、足場屋さんの役割です。
 

まずは、一階の柱をどんどん立てました。
木の梁をコンクリート柱の穴に通したりする、コンクリートと木との取り合いが、難しいところです。
 

立てた柱は、梁でつないでいきます。
  

お昼までに、一階部分はほぼ完成しました。


そして、昼食後二階の部分に移ります。


棟木を乗せる準備ができました。
  

棟木の片方の端はコンクリート柱に突っ込みます。


棟木が収まると、一つの山場を越えた感じがしました。

 
だんだん陽も傾いてきましたが、登り梁の設置です。
下で、屋根型に組んでおいてから、乗せていきます。


昨日の作業はここまででした。
今日はクレーン車なしで、上棟の続きです。