2012年5月31日木曜日

掛け時計


時計は、アナログが好きです。
というか、アナログしか使えませんと言う方が正しいかもしれません。数字で表示する時計と、文字盤を持つ時計はまったく別もの、数字では時間が腑に落ちないし、時間の計算もなかなかすることができません。
コンピュータの隅っこにも数字で時間が出ていますが、見る習慣がありません。いつも柱に掛けた、掛け時計を見てしまいます。

その掛け時計ですが、売られているものは、ほとんど直径の大きすぎるものばかりです。直径24-30センチくらいが標準、中にはもっと大きいものもあります。
駅のホームの時計のように遠くから見るものではないのですから、直径は小さい方が部屋に合うと思うのですが、誰も不便に感じていないのでしょうか?


夫と私のデスクの間の、柱に掛けてある時計は、直径9.5センチです。


台所に掛けてある時計は直径9センチ、もと置き時計です。
小さな掛け時計がなかなか見つからなかったとき、ちょっと手を加えて掛け時計にしました。
しばらく前に動かなくなったので、お払い箱にしようとしていたら、夫がなおしてくれました。ただ、垂直に掛けると止まってしまうので、ちょっと上向きにしてあります。美しくないなと思いつつ、上向きにするとちゃんと動くので、使い続けています。


台所の時計が動かなくなったとき、代替品はないかと探したら、同じ無印良品に振子時計が加わっていました。直径は11センチです。
台所の、「置き時計を改造した時計」のある場所に掛けるには、振子の分を高くして、コンクリートに新たに釘を打たなくてはなりません。
その作業を夫に頼んだら、しばらく止まったままだった古い時計を直してくれたので、振子時計は出番が伸び、食卓の脇の柱で振子を振っています。


その反対側、食卓の上には、以前住んでいた家から持ってきた、直径15センチの時計がかかっています。
古いものですから、調節しても時間がちょっとずつ狂います。そのため、この場所には、家ができる前から、狂いにくい電波時計を使おうと、あらかじめ用意して待っていました。
ところが、夫が「その時計は大きすぎる」と難色を示していた上に、梁の上部に間接照明のためのボックスを取りつけたので、さらに時計を掛ける場所が狭くなってしまいました。

私は梁から少し時計がはみ出してもいいと思ったのですが、夫は断固反対、とうとうこの小さい時計を掛けることになりました。


というわけで、食卓の上に掛けるのを却下された電波時計は、二階の展示室などを転々としたあと、居間の誰も見あげないようなところで、ひとり寂しく時を刻んでいます。
直径は我が家で最大の20センチ。それでも時計屋さん的に言えば小さいサイズでしょうか。


寝室には、ベッドから見上げると見えるところに、直径18センチの時計をかけています。二十年くらい前に買ったものです。
他にも、離れ(仮設ゲストハウス)と外にも、掛け時計がかかっています。

昔、東京の街には、あちこちに時計がありました。都電の停留所にも必ず時計塔が立っていて、それを、ちらちらと目の端で見ながら、学校へと走ったりしたものでした。
時計はやっぱりアナログに限ります。




2012年5月30日水曜日

余りものには福が


家づくりのために材木を買った前川林業は、茨城県随一の大きな材木屋さんです。
二人だけで家を建てる計画を聞いて応援してくれ、母屋の材木は、地元の八溝杉を切って、一年寝かせて自然乾燥してくださいました。
いまも、作業棟用の材木を乾かしていただいています。もっとも、昨秋すでに、
「十分乾いたよ」
と言われているのですが、工事の方が遅れています。

前川林業には、材木以外の建築材料の部門もあります。システムキッチン、窓サッシ、ユニットバス、給湯器などの設備を取り扱っているところです。


そこでも親切にしていただいて、取り扱いをやめたために半端に余った床材など、いろいろいただいたなかに、ヴェネチア・ガラスを木の枠にはめたものがありました。
誰かの注文を受けて、ヴェネチアに発注したもので、割れたりすることも考えて多めにつくったのが残っていたのです。

西の細長い壁は、すでに下地をつくった後でしたが、夫がグラインダーで穴を開け、はめ込みました。私は手直しが大嫌いですが、夫は厭いません。
「これだけは、死んでもやりたくないよ」
ということがお互いに全然違うので、それで助かっている私たちです。
 

丸に四角い模様が四枚、


一枚しかなかった緑色の目模様のガラスを真ん中にして、五枚配しました。あいだあいだには和紙を貼ってあります。


玄関の扉は、枠だけつくっていただいて、中の格子は自分でつくったものですが、青いヴェネチア・ガラスをはめ込みました。


格子は計算して収まるようにつくったのですが、なんとかうまくいきました。
計算は超苦手ですが、これくらいならなんとかというところでしょうか。

 

扉には綿も入れたので、断熱効果もばっちりです。
もっとも、内側の格子は、綿を抑えたりするために外側の格子とは違う方法でつくってあるので、格子の幅が荒くなっています。
 

ガラスをいつも目にするのは内側からですが、ここに光があるのとないのでは大違いです。

お隣の木工家、K&Jさんたちも前川林業から材木を買って、自分たちで家を建てました。
そしてやっぱりヴェネチア・ガラスをもらって、お手洗いにはめてあります。


2012年5月29日火曜日

衝動買い


人との出会いもそうですが、ものとの出逢いも一期一会です。

でも、 初めて出逢ったものに飛びついて、あとで「しまった」と思うこともあります。
夫には、「衝動買い」と悪く言われますが、そのときは、「これを逃したらあとがあるだろうか?」と、焦っているのです。


この鋸がそうでした。
どこの骨董屋だったか、たぶん地方の骨董屋だった気がしますが、持ち手もないのに即買ってしまい、重いのに、運んできた覚えがあります。
なにせ、刃の幅が35センチ、長さは77センチもある大きなものです。
「そんなものどうするの?」

はい、どうしようもありません。
場所は取るし、そこいらに置いておくと危険だし。持ち手もつけよう、つけようと思いながら、早数十年。


そのとき、冷静に考えてみれば、いずれこの形の鋸は全く使われなくなり、不要になったものが骨董屋さんでも見られるようになると、考えられたかもしれません。

事実、骨董市で、古い大工道具などを扱っている骨董屋さんがときおり持っているのを見かけます。
しかもちゃんと持ち手がついている、もっと小さな鋸です。
 

しかし、こんなに各所で骨董市が開かれ、骨董屋さんが増え、いわゆる骨董品でなく、ちょっとまえの道具などが市場に出回るなんて、当時の誰に想像ができたでしょう?


このとてつもなく大きな刃には、打った槌のあとがついています。誰かが打って、誰かが一生懸命使っていた鋸だと思うと、邪魔ですがいとおしくなります。


鋸を使って一生懸命木を切っている樵さんのおもちゃは、創作ものですが、なかなかよくできています。
背中に「とが」と書いてありますから、とが(栂、つが)の木でつくったものでしょうか。
これも、フリーマーケットなどなかったころに、バザーで見つけたものです。


2012年5月28日月曜日

ぴったりかも


右の薬ビン、変な形だからか、薬ビンの棚にも並べてもらえず、ジュズダマ入れになって食卓近くに転がっています。
でも、この不格好なくびれは何だったかしら?
そうだ、昨年の地震前には蓋のようにして、薬を飲むコップがかぶせてあったのでした。
一年ちょっとしか経ってないのに、すっかり忘れていました。

そのコップがしっかりはまらず、ちょっと傾いていたから、 地震で簡単に落ちて割れてしまったのでした。


ちょっとジュズダマを出してみようとひっくり返したら、おやっ、底にエンボスがありました。
右から左へと、實用新案一五九八九とあります。
そうか、コップつきの薬ビンは、当時はもしかしたら画期的なビンだったのかもしれません。


手持ちのゼリー入れで蓋をしてみました。
あっ、しっくりきます。


以前のちゃんとはまらない、硬い感じのコップをかぶせていた時より、なんだかお洒落になりました。


2012年5月27日日曜日

見てみたいなぁ


タイムマシーンができたら、行ってみたいのは、きれいなおはじきや石けりをつくっている町工場です。


色ガラスはいったいどうやって混ぜるのか、おはじきは一日にいくつぐらいつくれるのか、聞いてみたいこともいっぱいあります。


友人のガラスの工房では、無駄を出さないよう、溶けたガラスを入れておく炉を熱したら、少なくとも二ヶ月は火を入れっぱなしにしておくといいます。

その昔、小さい町工場では、夜など炉の管理はどうしていたのか、重油やガスを使っても採算がとれたのか、それとも、七輪の上でささやかに溶かしていたのか。
一年中つくり続けていたのか、お父さんだけでなくお母さんも働いて、子どもも手伝っていたのか。
などなど、見たいこと、聞きたいことが目白押しです。

小さな、美しい世界。
この目で見たかった世界です。

んっ?
もしかしたら、いまでもどこかに、昔ながらの方法でおはじきや石けりをつくっている人もいるのでしょうか?




2012年5月26日土曜日

地味じゃなくなった!


その昔、バンコクに住んでいたころ、夫の元同僚Kさんのお連れ合いが、素敵なバッグを持っていました。
小さな、黒いビロードでできたバッグで、上は黒い地を少し残して、下の方に大輪の赤い花が何輪か刺繍されていました。
とっても華やかで美しいそのバッグは、Kさんのインド土産でした。

そして、Kさんが近々、またインドの同じ地域に行くとのこと、ご親切に買ってきてくださることになりました。
当時は、夫もKさんも、アジア太平洋の国々を忙しく飛び回る仕事をしていたのでした。

 
ほどなく、Kさんがインドから帰ってきたのですが、あの華やかな赤い花の模様のバッグは見つからなかったそうでした。
「どれでもお好きなのを。安いものだからさしあげます」
と見せられた二、三のバッグは、どれも格子模様になっている、地味なものばかりでした。
正直、ちょっとがっかりしましたが、そのうちの一つを、喜んでいただきました。


インドの、どのあたりのものだったかは忘れてしまいましたが、コードを折り曲げて縫いつけて模様を出しているものです。
 

バッグの表側と、短い持ち手がビロードで、他の部分は繻子でできています。


ただの紐のように見えるコードは、よく見ると、大小さまざまな金属のコイルでできています。


上端の真ん中のところは、引っかけてコードが伸びてしまいましたが、そうっと押したら金属コイルですから少し縮んで、おさまっています。


当時は地味すぎて好きになれませんでしたが、いつのまにかこれが地味だとは思えない年齢になってしまいました。


横幅が20センチほどの小さなバッグで、デジカメ一つ入れるともうハンカチくらいしか入りませんが、着物によし、民族衣装によし、結婚式にはなくてはならない重宝なバッグとして今も大切にしています。
Kさん、その節はありがとうございました。


2012年5月24日木曜日

ホール


明日は息子の結婚式です。
花婿の母の定番は留袖ですが、その昔採寸の見本として着物を預けた人に留袖をなくされてしまったということがあり(ありえないよね!)、カンボジアの衣装でもいいと、息子の了解を得ています。

カンボジアでは、上下とも同じ絹の絣布でつくるのが正式なのですが、日本では上下揃えると正装感が薄れるような気がして、上着は白を合わせます。

ブラウスは、タイの織物どころスリン県の絹布屋さんで売れ残っていた、古い手織り手紡ぎの生成りの布を、プノンペンの仕立て屋さんで仕立てていただいたものです。


カンボジアの巻きスカート、ホールは元同僚ナリンの母上にいただいたものにします。
ナリンの弟さんの結婚式に着ていらっしゃったもので、あまり私がほめたのでくださいました。

ホールは、タイの絣と違って、綾織りにされているのでより光沢があります。
今でも手絞り、手織りでつくることには変わりありませんが、染めには化学染料が使われているので、いろいろな色の絣がつくられています。
でも、藍、赤、黄色を重ねたのが、カンボジアの絣の基本色です。
 


孔雀模様のも、大柄で華やかです。


花模様のも捨てがたいところですが、何度も水をくぐって布がとろんとしている、大好きな「ナリン母」のものにしました。

ホールは、織物の緯糸(よこいと)が上下(腰と裾)になるように着ますが、160センチほどの長さのものをまったく切らずに仕立てるので、解けば一枚の布に戻ります。
しかも、腰は二ヶ所でカギホックで留めるようにできているので、例えばナリンの母上と私と胴回りが違っても、カギホックさえつけ替えれば、身体にぴったりと合わすことができる、すぐれものです。

孔雀模様だけが新しい布で、花模様も古布です。


さて、衣装はカンボジアですが、タイやラオスのように、パビエン(ショール)を組み合わせて着るのが私流です。
ショールは、細く折って肩にかけますが、寒いときは広げてすっぽり覆うこともできます。


カンボジアの絞り染めのショールは、薄い薄い絹で、絞りも手の込んだ古いものです。


ラオスの紋織りのパビエンも捨てがたいものがあります。
もちろん草木染めです。


一つ一つの模様には物語があるのですが、これは象でしょうか。
ラオスはかつてランサーン王国と呼ばれていましたが、ランサーンとは、百万頭の象、という意味です。そんなに象がいたのです。



おめでたい席にふさわしい布です。
 

そして、もう一つの候補は、両端だけに紋織りのある、シンプルなパビエンです。
まだ、どれにするか、決めかねているところです。


2012年5月23日水曜日

バカボンのパパたち


我が家の一角に、もらった中古のプレファブを利用した仮設ゲストハウスが建っています。
外見はどう見てもパッとしませんが、断熱材もしっかり入れてあり、四畳半はちょっと狭いけど、押し入れとお手洗いもついていて、まずまず快適に泊まれます。


2003年に二ヶ月かけて建てたものですが、母屋ができていなかった頃は我が家では最上の空間でした。 当時、住まいにしていた仮設小屋は屋根がビニール張りで、遮光ネットを二重に張ってあったのですが、置いてあるものは何でも陽に焼けて、色褪せたり劣化したりしてしまいました。
また、建設中の母屋の居間の下には、傾斜を利用した半地下室がコンクリートですでにできていましたが、換気が難しくて、たくさんの本などを湿気でだめにしてしまっていました。
というわけで、湿気もなく、陽にも焼けないことから、ゲストハウスの天袋や、あちこちにつくった棚には、たくさんの持ってきた「もの」を詰め込んで(飾って)いました。

2009年に母屋ができてから、ほとんどの「もの」を母屋に移しました。少しは残してありましたが、とくにお手洗いの中などはがらんとして、ちょっとさびしくなっていました。


そこで、少しにぎやかにしようと、赤塚富士夫ものを母屋から移動させてみました。
上の段はバカボンたちの貯金箱で、下はレリーフと立体を組み合わせたフィギュアです。
フィギュアは九個セットで500円というお買い得品ですが、実際の漫画よりかわいいくらい、よくできていて、楽しめます。


逃げるバカボンのパパとバカボンと、ピストルをぶっ放すホンカン。


どこへ行くのも泳いでいくバカ田大学の後輩の水泳部と、バカボンのパパとウナギイヌ。


「おでかけですか?」と声をかけるレレレのおじさんと、バカボンのパパ。
以上、『天才バカボン』からです。

天才バカボンは、招き猫も貯金箱も、優しいバカボンのママや賢いハジメちゃんを差し置いて、いつもホンカンとレレレのおじさんがしゃしゃり出ています。


こちらはア太郎とデコッ八と、ア太郎のとうちゃん×五郎の幽霊。
このアニメはモノクロでしたから、色つきで見ると不思議な気がします。


ニャロメとケムンパス、土管の中にいるのはべしです。


ココロのボスと子分たち。
以上、『もーれつア太郎』 から。ブタ松親分のフィギュアもあります。

息子たちが小さいころ見ていたアニメなので、デコッ八がいつも棒を二本使って、樽の中で里芋を洗っていたシーンや、ア太郎の気風のよい声が、懐かしく思い出されます。


そして、『へんな子ちゃん』


レリーフの猫も、


立体の猫もよくできていること。