2016年4月29日金曜日

石鹸置き、その後

7ヶ月ほど前に、石鹸置きを新しくしました。


これは、本当に使いよい、優れものでした。


使ったときは、泡に包まれていますが、次に使うときまでには、しっかり乾いています。


これまで、最後まで使い切った石鹸はありませんでした。ずるずるに溶けて糊みたいになってしまうこともあったし、未練がましく新しい石鹸にくっつけてみても、新しい石鹸までダメになったりしたこともありました。
ところが、この石鹸置きだと、最後まで気持ちよく使えます。


我が家で、固形せっけんを使うのは私だけ、しかも使うのはお風呂場だけです。
その上、石鹸が長持ちするとなると、手持ちの石鹸をいつ使い切ることができるのか。数年先になってしまいそうです。






2016年4月28日木曜日

少数民族の女性たちの手仕事


kuskusさんがブログに書いていた、笠間市の地域おこし協力隊、かさまぁとわ主催の、「少数民族衣装展2」を見に、笠間駅前の、「まちづくりcafe上州屋」に行ってきました。

上州屋は5年ほど前に空き家になり、それをかさまぁとわのメンバーたちが活用していて、一階がカフェ、二階の五部屋では、不定期にいろいろな展示をしています。
民族衣装展(梅田美知子さんのコレクション)は、昨年の九月に次いで二度目だそうです。

衣装はどれも、ため息が出るような手仕事でした。
綿を育てて紡ぐという糸づくりからはじめているものもあり、それを染め、刺繍をし、刺し子をし、アップリケをし、カットワークを施してと、一針一針に、思いを込めているものばかりでした。


とくに、赤ちゃんの負ぶい紐は圧巻でした。
大人たちの服に刺繍やアップリケを施すときも魔除けの意味がありますが、5歳までの乳幼児に死亡率が高いことから、負ぶい紐には特に念入りに、悪霊が入ってこないように刺繍やアップリケで埋め尽くしているものが多いのです。


この布は、ちょっと見にはプリントにしか見えませんが、常備されている虫メガネでのぞくと、


やっとクロスステッチだとわかります。
針目は、1ミリにも満たない細かなものです。


これも負ぶい紐の一つ、カットワークや刺繍の組み合わせでしょうか。


会場が畳の部屋ということがあり、展示の仕方は、なかなか面白いものでした。
丸いのは、どれもプリーツスカートです。
プリーツスカートは、6ヤードほどの長い布を糸で縫い縮め、それを竹筒に入れて蒸してプリーツ加工をするそうですが、プリーツの幅が2ミリほどしかないものもありました。折山が小さいものになると、どうやって折るのか、また、幅を開けずに何段も縫わないときれいなプリーツがつくれないと思うと、考えただけで気が遠くなりそうです。

少数民族といえども、その昔から交易は盛んです。展示されていた多くの木綿布は工場製品で、このスカートも、細い糸の機械織りの木綿でした。
もちろん、彼女たちは手織りの布しか知らないころからプリーツスカートをつくっていたので、より薄い布を求めて、より細かいプリーツをつくることを競い合っていたのかもしれません。


私が気に入ったのがこの上着です。
ちょっと見には、袖口と前と裾に、細く切った布を重ねて模様にしているように見えます。


ところがそうじゃない、本当の十単(じゅうひとえ)になっています。
つまり、寒いときの重ね着です。写真ではうまく色が出ていませんが、藍染めのいろいろな色がとってもきれいでした。

先日ラジオで、日本人の色感覚、それに言葉は、世界に優れていると言っている人がいました。色にいろいろな名前がついているからだというのです。
それを聞いた私は、
「ほかの民族の言葉や色感覚と比べてみたのかい?」
と突っ込みを入れたくなりました。
浅葱色、縹色、茄子紺なんて、昔の人が使っていたかもしれないけど、今の日本人はわからないし、使いません。江戸時代の人たちの色の表現が多かったとしても、今は単純化しているのに、それを引き合いに出して、どうして「他の言語に比べて、日本人の言葉が微妙な表現ができる」と言えるのでしょう?
アフリカのマサイは、牛の部位に関して、膨大な数の名前をつけています。薬草に対して、色に対してなどなど、とくに、重要と感じているものには、どの民族も優劣なく、豊かな言葉を持っているものです。
話が逸れました。


「少数民族衣装展」はもともと、5月8日まで開催の予定でしたが、笠間の陶炎祭(ひまつり)に出展するので、連休前と連休中は忙しい作家さんたちから、陶炎祭が終わってからゆっくり見たいとのリクエストがあり、会期は5月15日まで延長したそうです。


限りなく美を追求した、女性たちの心意気が伝わってくる、素敵さでした。










2016年4月27日水曜日

床の下地を敷き終えました


作業棟二階の部屋になる部分の3センチ厚みの断熱材は、三枚重ねて敷きました。
残りものやら再利用品やらを寄せ集めて敷いていましたが、三段目の半分くらい敷いたところでなくなり、ざっと計算して、6枚新しいものを買い足しました。


ところが、断熱材は木材のように無駄が出ません。小さい切り端も使えるので、なんと5枚で間に合ってしまいました。
 

全部敷き終わったところです。
この上に、針葉樹合板を張ります。

断熱材と違って、合板は二階まで運ぶのが重い!
脊椎を圧迫骨折している私は、5キロ以上のものを持ってはいけないと言われています。でも、そうしてもいられないので、一枚8.5キロの合板を、背中に負担がかからないように運びます。

頼りの腕も、使い過ぎで、もう何ヶ月も半四十肩のような感じです。日中は、360度は自由に動かせないとしてもさして困らないのですが、寝ている間に血流が悪くなるのか、痛くなって目が覚めます。というわけで、腕を使うのもほどほど、一日に合板を二階に上げるのは、3枚以内というもどかしさです。

合板は切ったものを運んで合わせるのも重い!
切って、合わせてみてはまた切ってと、微調整を繰り返して張っていきますが、すぐに身体が追いつかなくなってしまい、なかなか進みませんでした。


と、ぐちぐちぐちぐちやっているうちに、なんとか張り終わりました。


右の穴が開いているところが階段になり、その両脇が小部屋、左へと進んだ展望室の床はもっと高くつくります。

息子が来て、母屋の二階に泊まると、
「なんだよこの家、また頭をぶつけちゃったじゃないか」
と、低い梁や天井に文句を言いますが、この作業棟の左に部屋はもっと天井が低くなります。

ちなみに、小部屋と左の展望室の間に押入れスペースがあって、梁が低いところにあるのですが、作業中に何度も頭をぶつけてしまいました。
一本避けて、やれやれと背を伸ばしたら、もう一本に、がぁぁぁん。今日はぶつけないで作業できたと油断したら、がぁぁぁん。転落しないようにと、足元にばかり気をつけていたら、がぁぁぁん。


さて、朝目覚めて、寝室のカーテンを開けると、まず見える景色です。
作業棟の後ろの山桜、クヌギ、コナラの緑も、手前のコブシの緑もすっかり深くなりました。

大工さんに電話してみたら、足場の撤収は6月だそうです。なんと、素人が工事しているのを考慮して、足場は半年も貸してくれるというのです。これで、高いところの工事も焦らないでできます。
明日は、5週間の入院を経て、夫が退院してきます。








2016年4月26日火曜日

透かし編みの籠

 
巻き編みの籠は、その巻き方によって、いろいろな表情を見せます。
これは、インドネシアのバリ島でつくられたアタ(シダ類)の籠で、水平方向に芯材を置き、巻き材で巻いていきますが、細かく編んでいるので、芯材は隠されてしまっています。

巻き編みは、アフリカ、ヨーロッパ、中南北アメリカ、東南アジアなどなど、ほぼ世界中で見られる編み方で、もしかしたら、籠の編み方でもっとも広範囲に広がっている編み方かもしれません。

 
同じ巻き編でも、粗く編んで、芯材を見せている籠も、多くあります。
これはヴェトナムの籠ですが、太くて丸いラタンを芯にして、扁平なラタンで巻いてあります。


バリの籠も、ヴェトナムの籠も、芯材を上下二本一緒に、巻き材でしっかり巻いているので、芯材と芯材の間には隙間がありません。

『世界の籠文化図鑑』(ブライアン・センテンス著、福井正子訳、東洋書林、2002年)より

同じ巻き編みでも、芯材と芯材の間に隙間をつくっている籠もあります。
どちらも、インドの手提げです。

『BASKETS AS TEXTILE ART』(ED ROSSBACH著、1973年)より

メキシコの籠も、隙間をつくっています。
メキシコの籠は、パルマと呼ばれるヤシの葉でつくられていますが、インドの籠もヤシの葉に見えます。

メキシコ雑貨「MANO」のホームページより

隙間をつくると、材料の量が少なくなるので、軽い籠ができます。
隙間はどうやってつくるのでしょう?

『BASKETS AS TEXTILE ART』(ED ROSSBACH著、1973年)より

巻き編みの場合、普通は巻き材で芯材を巻くだけですが、芯材だけでなく、芯材と芯材の間の巻き材を巻き材で巻くと、巻き材の幅分、隙間ができます。

インドの籠は、上下の芯材を一緒に巻いては、そのつど巻き材を巻いて編み進めていますが、メキシコの籠は、しばらくは芯材一本だけを巻いて、一定進んだところで、上下の芯材を一緒に巻いています。
インドの籠は、中に重いものを入れるかもしれない、それを持ちあげて使うので、より丈夫につくってあるのに対して、メキシコの籠は置いて使うものなので、早くつくれて、装飾性もある方法を選んでいるのだと思われます。


同じ手法でつくった、フランスの19世紀の籠です。


芯材のラタンを上下まとめて巻き材のラタンで巻き、次に、巻き材で巻き材を一度巻いてから次の工程に進んでいます。
目の詰んだ、美しい編み目です。


底から側へと立ち上がる部分に、台座をつくって、底全体が痛まないようにしてあります。
よく使ったのか、台座部分のラタンが擦り切れていますが、そこから解けてくることもないほど、しっかり編まれています。


ラタンはヤシの一種で、熱帯アジア、太平洋諸島などで採れますが、早くからヨーロッパにもたらされていました。
ヨーロッパではもともと、籠材として、柳の枝、トネリコなどの木を薄く裂いたもの、麦わらなどが使われていました。しかし、イギリスの漁師の使う筌(うけ)や、びくなどの漁具は、19世紀には、すでに柳からラタンに取って代わられていたという記録があるほど、使いやすい素材であるラタンは浸透していました。
 
カンボジアのコンポンチャムから北西に行った森林地域にある、ラタンの輸出店の一角

ラタンは、太いものは直径3センチくらいになります。丸いままでも使え、はいで扁平にしても使え、極々細くて薄い材料もつくれます。
しかも、しなやかで可塑性に富んでいる優れた素材ですから、ヨーロッパで早い時期に柳がラタンに取って代わられたことは、容易にうなずけます。
日本でも、明治のころから輸入されていて、籐椅子や枕などがつくられていました。
だjから、この籠がフランスでつくられたとしても、おかしくないのですが、ちょっとひっかかってしまうのです。
フランス人は扁平な素材より、丸い素材で編む方が慣れていたのではないかと。


これがフランスの籠です。
柳の枝でざっくりと編んだ、オープンワーク(透かし編み)と呼ばれる籠です。

『BASKETS AS TEXTILE ART』より

大胆で自由に形づくり、それでいて頑丈なのがフランスの籠です。


それに比べると、この籠は何とも繊細です。「もしかして、東南アジアでつくられたものではないかしら?」
そんな考えが、頭をよぎってしまいます。
もっとも、日本にもいろいろな籠があるように、フランスにもいろいろな籠があるのに、違いないのですが。

ずっと昔、タイの博物館で、展示はしていない、古くて貴重な布を見せてもらう機会がありました。
「あらっ、これはカンボジアの布じゃないですか!」
と言うと、博物館の館長さんはすまして、
「なに、あそこもタイの領土でしたから」
と言いましたが、たくさんの地域を植民地にしていたフランスでも、同じことが起こらなかったかしら?
根拠がないのに、そんな気がしてなりません。








2016年4月24日日曜日

どんぐりのはかまに入った猫


いやはや、かわいいこと、どんぐりのはかまと羽二重、縮緬でつくった、猫の親子です。
顔は、わざとでしょうね、四角くつくってあります。


母猫は、首から鈴をぶら下げています。
どんぐりのはかまには、リリアンの紐がついているということは、はかまを籠に見立てた、籠猫ということでしょうか。
目の上の黒いのは模様で、赤い布で三角に作ってあるのが耳のようです。


かがっている毬もていねいにつくられています。
猫には、赤が似合います。


どんぐりのはかま人形は、定番のいずめこだけでなく、二宮金次郎もあるし、持ってはいませんが、はかまをお椀に見立てた一寸法師もいるそうだし、結構幅広いものです。

大人か子どもか、誰を対象に、会社か個人か、誰がつくっていたのか。
どんぐりのはかま人形を見ていると、玩古堂のがんこさんのおもちゃ談義を聞きたくなってしまいます。
こんなことで、熱心にうんちくを語ってくれるのは、がんこさんくらいしかいませんもの。






2016年4月23日土曜日

NATURAL FASHION


エチオピアの木のボウルがオモ渓谷で使われていたものと聞き、オモ渓谷を調べていて、知ったのは、ムルシ人とスルマ人の身の飾り方でした。
この地に通って、彼らの写真を撮り続けているハンス・シルベスターというドイツ人が、写真集を出ていると知り、買ってみました。
『ナチュラル・ファッション、自然を纏うアフリカ民族写真集』(ハンス・シルベスター著、武者小路実昭訳、ディスクユニオン、2013年)です。

 
ムルシ人とスルマ人の素晴らしい装いと、ハンス・シルベスターの素晴らしい写真とに、ただただ見入ってしまいました。 

彼らの装いの基本は、様々な色の泥を絵の具としたボディーペインティングをして、自然界にある動植物を飾って仕上げます。
毎日同じ装いをするのではなく、毎日創作して毎日消えていくものです。水で溶いた泥はすぐ乾くので、全身を塗るのに、わずか一分ほどしかかかりません。


もともとは、虫除けなど身を守ったり、狩りのときに目立たないように、自然に溶け込むための装いだったらしい。魔除けという意味もあったようです。


それが、生き生きと発展していきました。
鏡はなく、水も泥で濁っていて姿を映すことはできず、自分で自分の姿を見ることはできないので、人の評価で自分の装いの良し悪しを知ります。


背中や顔は、自分では塗れないので、二人以上、数人で、お互いに塗りあいます。

 
しかし、こんな楽園も、地球が狭くなったことからは免れることができません。
ケニアからくる観光ツアーを迎えるようになり、生活は変わってきているそうです。