2012年4月28日土曜日

手織り布の上着


ガーナの、アシャンティ人の古い都クマシの常設市場は、西アフリカ最大とも、アフリカ最大ともいわれる規模のものでした。
入口が正門と裏門と二ヶ所ありましたが、裏門のあたりがほんの少々小高くなっていて、市場の一部が見渡せました。どこまでもトタン屋根が連なっていて、低い屋根の向こうにもまた市場の屋根が見えました。
そんなに広いのに、大きな荷物を頭に乗せて運ぶ人、行商人、買い物客などで、迷路のような小道は、いつもごったがえしていました。

喧騒の市場の中で、ちょっとだけ人けが少ない一角がありました。裏門からあまり遠くないところ、北からきた商人(ハウサ人など)たちの店が並んでいたあたりでした。手織りの毛布、カラバッシュ(ひょうたん)の器や匙など、アフリカの北部や中央部の産物を売っていましたが、その中には、いつ通っても閉まっている店もありました。

ある日、いつも閉まっている店が珍しく開いていたので足を止めると、手織り、草木染めのシャツが目につきました。


シャツは、手つむぎの糸を藍の濃淡に染め、地機(じばた、いざり機)で縞の細い布に織り上げ、それをつなぎ合わせて仕立てたものでした。

もとより、手織りの布は大好きですから、市場で売られていた布はだいたいチェック済みでした。いつもではありませんが、ときどき見かけたのは、約10センチ幅という、細いリボンのような布を、折り畳んで売っているものでした。
でも、藍か白一色のものばかりで、藍の縞布を見たのは、そのときが初めてでした。

また、別の店で、手織りの幅の細い布で仕立てたシャツを見かけたこともありました。シャツはどれも白地に黒や藍の縞が入った布でできていて、袖がついていないものでした。


このシャツは胸幅たっぷりにつくってある上に、さらに裾の方で斜め布を足して広くしてありました。


買った当時は、ニジェールあたりのものではないかと勝手に推測していたのですが、後に『COSTUME PATTERNS AND DESIGNS』(LONDON・A. ZWEMMER LTD.1956)を手に入れてから、細い布をつなぎ合わせて、裾に三角布を足してフレヤーを入れた上着のルーツは、東アフリカのスーダンにあったと知りました。
似たものが載っていたのです。右側の袖なしのシャツです。
市場で、袖なしのシャツをよく見かけたはずでした。袖なしの方が原型だったのです。
もっとも、原型はスーダンですが、市場で見たシャツそのものは、別のもっと近い地域、ニジェール、ナイジェリアあたりでつくられたものかもしれません。
左の衣装もスーダンのものです。
細い布をつなぎ合わせて、丈がくるぶしまであり、手は袖にすっぽり隠れてしまう、男性用のワンピースです。肩にひだをとって、袖の長さを調節して着ます。そのひだの取り具合で、粋に、かっこよく見せることができるのでしょう。
胸の手刺繍が見事です。手刺繍は、ミシンの普及によって、私たちがアフリカにいた1960年代後半にはもう消えたか、消えようとしていた思われます。

ちなみに、アフリカ大陸のほとんどの地域で、織物や、ミシンを使っての仕立てなどは、男性の仕事です。


市場で見つけたシャツは、もちろんミシン仕立てです。
そして、胸元のミシン刺繍も雑ですが、スーダンのワンピースの流れをくんでいるものだとわかります。


藍染めのシャツだけでなく、その店には赤い縞のシャツもありました。選り取り見取り、シャツがたくさんあったのではなく、青いシャツが一枚、赤いシャツが一枚あったきりでした。
赤いシャツは、それまで見たことのない、おしゃれな配色にびっくりしました。
 
あれから数十年。かつてはこのシャツを、ジーパンと合わせて、よく着ました。夏はTシャツの上に、寒い季節には、セーターと重ね着したりもしました。
藍色のシャツはおもに夫が、赤いシャツはおもに私が着ていました。

赤いシャツは、白い配色布が目ざわりで、取ってしまおうと思ったことが、何度かありました。
重ね着するときは、色が少ない方が合わせやすいものです。
もともと男性用につくられ、ただでさえ胸幅がたっぷりにできているので、裾も広すぎたくらい、さらに広げるための布は必要ありませんでした。

だのに、手を入れるのがためらわれ、いまでもそのときのままになっています。




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