2021年11月20日土曜日

役割分担


夫はしばらく前から、水道の配管と電気の配線をやっています。
これは、台所のシンクを設置する場所です。


そして、ここはお風呂です。


水道の配管は終わって、電気配線にかかり、それもほぼ終わりました。
願わくば、毎日掃除しながら作業して欲しいのですが、掃除の時間を惜しんで作業して、最後にまとめて掃除するというのが、夫のスタイルです。


私にとっては、配管も配線もちんぷんかんぷんです。
それに、壁や床を仕上げる前に仕込んでおくというのが、いま一つ頭が回りません。


作業するときは、似たもの夫婦ではなくて、全然違うことを得意としている(苦手としていない)ことで救われています。
私はしこしこと壁を張っていて、両脇に隙間ができないよう板を1枚1枚あてて微調整して、ぴったりと収めていくのが嫌いではありません。
夫なら、早く結果を見たがるので、まず揃えて切って、多少の隙間など気にせず、さっさと片づけてしまうことでしょう。


というわけで、今日も同じ場所で、違うことをやっています。






 

15 件のコメント:

rei さんのコメント...

きちんと役割分担が成り立つのは、お互いの信頼関係があってこそ。
あ・うん。

さんのコメント...

reiさん
まぁ、そうとも言えますが、逆に私が一緒に配線配管を、夫が一緒に壁張りをしたら、相手のしたことがなかなか信用できないと思います(笑)。
違う土俵で相撲を取っているからなんとか大丈夫という関係です(^^♪

af さんのコメント...

春さん、要は適材適所ということでしょうか(笑)
しかもそこにお互いへの配慮があって、素晴らしい関係性ですよね~。

水道などの配管について、隠れる前に見学に行かせてください!

さんのコメント...

akemifさん
誰でも個性は違うので、多かれ少なかれどんな家庭でもこんな関係で成り立っているのだと思います。
以前複数のカップルたちと話したとき、どのカップルもどちらかが使ったものは元の場所に片づけるのが好き、どちらかがいつも片づけないで探しものをしているといった話がありました。akemif家は、どちらもきれいに片づけている、珍しいカップルかな?
知人の鍛冶屋さんに聞いた話では、共通の知人の大工さんの工房は、いつ仕事をしているのかと思えるほど、鉋屑一つ落ちていないそうです。私はそれを「なるほど、そんなことができるのか!」と大いに触発されましたが、夫に話すと「くだらねえ」と一蹴されました(笑)。そんなことより、いい空間を作ることにエネルギーを使うなど、もっと大切なことがあると言いたいのでしょう(爆)。

見学には、いつでもどうぞ。もう半分くらい木くずなど掃除しました(笑)。

af さんのコメント...

春さん、きれいに片付いていません。主人はどんどん捨てて(しまい)、置き場を固定します。私はあれこれ捨てられず、あっちこっちに置いてあります。春さん流に、前向きに考えると、得意不得意を補っているということなんでしょうか。ときどき、トゲのある言葉が返ってきます。
なので、うちの場合は、春さんのところみたいに、書斎を並べる・・・は無理だと思います♪
見学の件、ありがとうございます。母がまたワンランク変化したので、週末その対応が増えました。突然、チラ見に行かせていくスタイルになりそうですが、よろしくお願いします。

さんのコメント...

akemifさん
あはは、そうでしたか。ものを持たないで生きるのは、私が昔からあこがれ続けている生き方です。信じてもらえないかもしれないけれど、心の中では山本周五郎の主人公のような「長持ち一つ」を目指しております(笑)。
カンボジアに赴任したときは、最小限のもので行ったのですが、あれこれ足りなくて、すぐ市場に走りました。しかも、着いてすぐホテル住まいの時に、バイクタクシーで行った市場など、必需品より不必需品に目がついて、何と大きなちゃぶ台を買って、それを抱いてバイクタクシーで疾走しました(笑)。
買いためたものは一時帰国のたびにちまちまと持ち帰りましたが、それだけでは追いつかないとみて、訪問者の誰彼となくものを押し付けて運んでもらい、皿小鉢も捨てずに持って帰ったので、帰ってみれば前以上にものが増えたという結果になりました。まぁ、文句も言われないのはありがたいのですが(笑)。
お母上が、久しく健やかでいらっしゃいますように。

af さんのコメント...

春さん、大変温かいお言葉をありがとうございます。

さんのコメント...

akemifさん
島さんは私のことを覚えていないだろうなぁ。
何度かお目にかかって(もしかして「虹の会」で一緒だった?)、1983年頃誰かに連れられて、毎日新聞の懸賞論文のご褒美にいただいたというコンピュータを見に、お宅に伺ったこともありました。当時は、卒論、修論、博士論文などすべて手書きで、コンピュータはセットで百万円以上しました。
夫は、1960年代の終わりにアメリカの学校で見たと言っていましたが、私がコンピュータを見たのはあれが初めてでした。

af さんのコメント...

春さん、今日、母のホームに来ています。このところ、調子がよくないのですが、母は毎日新聞の懸賞論文で『毎日21世紀賞』を受賞したことを一番の自慢に思っているみたいです。表彰状を持ってこいとの指令がありました。
ご褒美はオアシスというワードプロセッサで、その後出てきたパーソナルコンピュータに取って変わられて、時代を去ったデジタル機器でした。大変懐かしいです。春さんが覚えていてくださっていて、嬉しいです。

どんな論文だったのかなと表彰状をあけてみたところ『人間とコミュニケーション』となっていました。
何を書いていたのかな・・・ちょっと気になります。当時、母にずっと反抗していましたので、一度も読んでいません。

hiyoco さんのコメント...

akemifさんへ
横から失礼します。
私の83歳の父は今もオアシス愛用しています。記録魔なので備忘録としてあらゆることを打ち込んでいるようですが、先日オアシス用のフロッピーディスク(死語!)がもうヤマダ電機で売っていないので、ネットで買って欲しいと頼まれました。アマゾンで10枚セットを手配したので、暫くは大丈夫です。スカイプや検索でPCも使っていますが、ワープロはオアシスがいいそうです(笑)。

さんのコメント...

akemifさん
あれ、ワードプロセッサだったのですか?びっくり。ワープロは、同僚たちがみんな使っていたのでよく知っていますが、お母上のご褒美は、卓上にでんと置く、もっと大きいものだったような気がしていました。ワープロがポピュラーになったのは、お母上の受賞から10年くらいしてからですね。そして、それより10年くらい前に『週刊朝日』か何かに写真が載っていたのでは、コンピュータは大きくて6畳間を占拠していました(笑)。
昨年亡くなったなかにし礼さんは、小説を書くのにコンピュータは一度すべて消えてしまったことがあって、「信用できない」と、最後までワープロを使っていたそうです。昔はちょっとしたことで書いたものが消えて、泣きたくなったことなどありましたが、今では全部自動保存です。

さんのコメント...

hiyocoさん
お父上は両刀使いですか。私はワープロを使ったことがないので知りませんが、確か東芝も人気でしたね。
我が家では、1984年にNECのコンピュータを買い、以後ワープロ全盛期にもコンピュータで乗り切りました。90年代には、出始めたノート型PCは分厚くて座布団のようでした(笑)。カラーも出たときはびっくり、あっというまのチェンジでしたね。
夫が80年代初頭にバンコクで働いていたときは、一人一人に秘書がついていて、手書きメモを渡すと秘書がタイピングで清書してくれていました。別世界のようです。
私もまだ、重要文書の入ったフロッピーディスクを持っています(爆)。

af さんのコメント...

hiyokoさん、横からありがとうございます!!!
お父上はオアシスファンですか!フロッピー、売ってるんですか???なんとーーー!
もしかして、お父上はオアシスキーボードはご存知でしょうか?日本語入力に特化したキーボードです。いまは絶滅してしまいましたが、ローマ字入力キーボードより断然早く打ち込めました。
私は縁あって富士通に入社したのですが、入社前にオアシスキーボード、もちろん、オアシスの全てを知っていたので、研修課題はビリでも、オアシスでつける研修報告は1番で提出してました。
懐かしい!!!横から大変ありがとうございます。

af さんのコメント...

オアシスは初代はおっしゃるように大きかったですね。中身としてはパソコンだったんだと思います。ただ、機能を特化していたので、パソコンとして多様に使うより安定性はあったのかもしれません。たしかに今は自動保存が当たり前ですね。ホームズ君も自動保存がついてます。この機能、昔は余計なお世話のようにも思われてましたが今は当たり前になりました。
さておき、懐かしさに思い出しますのは、本当に小さな小さな秘密基地のような離れ?のような小屋を建てて、『美佐子の部屋』と名付けた2階に、そのワープロは置いてあったと思います。春さんが来てくださっていたなんて、珍しさにつられて来られたとしても、私にとっては誇りです!

さんのコメント...

akemifさん
あはは、「美佐子の部屋」でしたか。誇らしげな後ろ姿、思い出します。
うちにボーナスをつぎ込んでコンピュータが来たのは、1984年ではなくてたぶん87年でした。当時の2、3年は大きく違いました(笑)。夫がコンピュータを買うと言ったときは唖然としましたが、大いに役立ってくれました。
当時のコンピュータは誤変換が多かったです。誤変換を楽しむ人いましたね(笑)。