「志ら毛染君が代」が浅草の山吉商店から発売されたのは、1905年(明治38年)、発売当初はパラフェニレンジアミンのアルカリ溶液を刷毛で頭に塗ったまま、2時間かけて空気で酸化させたものが、1916年(大正5年)には、パラフェニレンジアミンの水溶液を酸化剤で酸化させる方法が開発され、染毛時間が20〜30分に短縮され、爆発的に売れました。
「君が代」に一体どれくらいのビンの形の違いがあるのか、時代によって成分によってビンの形が違いますが、だいたい二本セットだったようでした。
日本初の酸化式ヘアカラー。白髪染めの雑学より |
片方のビンが茶色で、「オキシドール」とエンボスが入っているのもあります。
「君が代」も、発売当初は粉でしたが、途中から液体になりました(かな?)。
白髪(と赤毛)染めの色はすべて黒色でした。
私が子どものころは、お年寄りの白髪染めはエチケットだったようで、祖母はときおり鏡台の前に座り、肩には古手ぬぐいを掛け、白髪を染めていました。白髪を染めるときは独特な臭いが部屋に溢れました。
Y先生はお幾つぐらいだったのか、高校生には十分なおばあちゃんに見えましたが、定年を迎えてなかったということはまさかの50代?そんなバカな!
お嬢さまがそのまま年を取ったような、控えめな方なのですが、パーマをかけた白いショートヘアを、前だけ紫で染めたていたり、茶色とピンクで染めわけたりしていて、今思うと相当斬新なおしゃれさんでした。
いつもスーツ姿で、通学には皇族方の写真でしか見たことのないような、チュールやビーズの入ったレースが顔に垂れ下がっている帽子を乗せて、ヒールの高い靴を履いて、姿勢よく歩いていらっしゃいました。
あっ、思い出した!
そういえば、冬には毛皮のマフというものを手にはめていらっしゃいました。
一体どんな育ち方をした人だったのか、私の周りでベールの垂れ下がった帽子をかぶってマフをはめていたのは、Y先生だけだったような気がします。
酸化式の白髪染め「志ら毛染君が代」は消えてしまいましたが、ベールの垂れ下がった帽子もマフを着用する人も、もう絶滅してしまっているかもしれません。
4 件のコメント:
全てが時代と共に変わり
解説が無いと解らなくなりました
一枚目の写真でも昔のたたみ方ですからね、
タイマーの普及で首から提げていた時計もありません
あの時計は自分の方に向いています。
昔は包装紙で包むのも技術で
今はセロテープをやたらに使う時代です。
別に文句ではないけれど。
昭ちゃん
私も薬を包めますよ(^^♪
ただし、計ったように同じ形とはいかないし、包むのも遅いけれど。
昭ちゃん、若い人で私らより昔のことに詳しい人、時々いるじゃないですか。きっとその人たちが文化をつないでくれます。安心してください。
もっとも、白髪染めのにおいまではわからないと思うけれど(笑)。
確か、1970年代までは出てたみたいですね(*˘︶˘*).。.:*♡私の家族が、これを愛用してた記憶が有ります(=^・・^=)廃盤後はぴえん、もといビゲンを使ってた記憶が有ります(⌒▽⌒)ビゲン、パオン、マロンは現役ですね(*˘︶˘*).。.:*♡
日本文化大好きさん
コメントありがとうございます。
私自身は一度も白髪染め、もといヘアダイを使ったことがないのでわかりませんが、ビゲンという名前は聞いたことがあります。元禄も聞いたことがありますが、パオン、マロンは知りませんでした。
白髪染めどころか、お化粧もほぼしたことがない私、化粧ビンはあまり関心がないけれど、白髪染めのビンは、家庭染料のビンほどではありませんが、好きです(笑)。
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